はてなキーワード: ドルとは
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。
1月21日、ケンブリッジ大学の数学者 Timothy Gowers が、
長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた。
オランダに本社を置く同社は、一流誌 Cell や Lancet をはじめとする定期刊行誌を2000誌所有している。
ノーベル賞の数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、
今回のブログ記事が他の学者もボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。
実際、それが起こった。
Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し、
そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注:日本語訳執筆時点では5300人以上)が署名し、
自分の研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。
その数は、数学者の表現を借りるならば、指数的に増大している。
実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである。
Gowers 博士による非難は3点に集約される。
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。
2010年には、20億ポンドの収益に対して7億2400万ポンド(11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。
しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、
購読料水準は業界の平均であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。
Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的な経営の結果以外のなにものでもないという。
Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者と出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。
その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。
学者は情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、
出版社は情報へのアクセスに課金して利益を最大化しようとする組織であり、
同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているからである。
一触即発の状況は長年続いていた。
2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文誌 Topology の編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。
ドイツの出版社シュプリンガーによる論文誌 K-theory の編集委員会は2007年に解散した。
多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。
出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。
実際、商業出版の代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。
コーネル大学のウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。
研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学の論文をそこに投稿することができ、
Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。
そこでは生物学と医学の分野でフリーの論文誌が7誌出版されている。
こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。
arXiv の論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。
PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。
これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である。
少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。
こうしたことが重要なのは、大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。
ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存の権威ある論文誌で出版しなければならない。
さもなければ、発言力もなく昇進もない。
そして、新しい論文の運命を決める力のほとんどが権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。
商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスのアイデアを試そうとしている。
しかしボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。
けっきょくのところ、学者が出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである。
突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。
来たる学術の春にはご用心を。
彼女は単に「タブーに関してモノを言う俺格好いい」「本音こそが大事なんだ」っていう、典型的な大二病。
ずっと増田やってるからよくわかる。過激なことを書いて叩かれでもなんでもはてブ数がたくさんもらえたりすると
「俺の言ったことはやはり社会にインパクトを与えるような大事なことなんだ」って勘違いしてしまうんだよ。
で、その中から「賛成のコメントが6RTあるから、やっぱり俺は正しいんだ」って思っちゃうんだよ。
もうイケイケだから、ドーパミン出まくってるからネガコメなんて、目に入らない。
悪化すると、あえて露悪的に、あえて過激に、って暴走してしていく。
だんだん話が妄想めいてくる。そうするとますます叩かれて、それを喜ぶようになる。
で、ある時ふと我に返って顔が青ざめる。
シラフの時に考えるとなんでこんな馬鹿なことを、って思うけえど馬鹿な時期ってのが、暇な大学生にはよくあるんだ。
今から思い起こすと恥ずかしいし、それが増田じゃなかったら貧困とか関係なく死にたくなるけど
こういう病気にかかっちゃうことはあるんだよ。しょうがないんだよ。
いろいろ満たされなくて、つい魔が刺しちゃうんだよ!わかってよwww
twitter時代に入ってから、わたしのような大二病は増殖していく一方だ。
なぜなら、ブログと違って説明ぬきで感覚的なことを言うのがアリになってきてるから。
知的レベルの低い人間でもこれに参加できるようになってきたから。
筑波大程度でアッパーミドルとかいっちゃう微妙なレベルのコは、恋愛が満たされるくらいしか自分を救う方法がない。
誰にも愛してもらえないなら、愛される自分を妄想するしかないじゃない。
いろんな鬱屈抱えてるんだよね。そういう子がtwitterなんか与えられちゃったら・・・そりゃ発症するでしょJK.
大二病の治療に必要なのは「そういうことをいうのはタブーだ」ということじゃない。
それは彼女の病気をより悪化させる。もちろん肯定しても駄目だ。
本質的には彼女の惨めな承認欲求やら愛情欲求を、身近な人が癒してくれるのを待つしかない。
それまで、ネットでは間違った承認や愛情を与えてあげたくなる気持をぐっと我慢しなければいけない。
っていうか、ぶっちゃけ、放置してあげるのが一番彼女のためになる。
どうせ就活の時に現実思い知るから、放っておいてもいいかなー、とか思うしね。
こういう奴が要る限り、就活って改善されないのも仕方ないよなーって思ってしまうね、どうしても。
ただもう、大二病をこじらせた挙句「だだ漏れ最高」とか言い出すアーパーな女が出てきて、
横だが。
何言ってんのかわかんない。
googleでの開発職なら、年収25万ドルとか貰ってるやつ普通にいるだろ。
よく日本との比較に使われる、判りやすいシリコンバレー企業だから、一般的な企業とは違う理念で動いてる。「個人の能力」次第だぞ。
だから、そういう企業風土を踏襲しようとしてんのなら、モバゲだって、「1000万(12.5万ドル)」くらいポンと出すだろ。
そこで必要とされてるのは、まさに「個人の能力」だ。
そもそも「クレカはかっこいい」なんて価値観に釣られるのは頭の悪い若年層だけ。
アメリカがクレカ大国なのは、治安上多額の現金を持ち歩くのが危険&
100ドル札は偽札が多くて信頼されず事実上普及している高額紙幣が20ドル札しかないからだ。
電子マネーの話なら、日本で成功しているのは首都圏のsuicaと沖縄のEdyだけど
首都圏のsuicaは電車に乗るのにいちいち切符買わなくて済むと言う実利故だし
沖縄のEdyはANAのマイルが溜まる(飛行機に乗らないと他県に出られない為マイルの価値が高い)と言う実利故だ。
「かっこいいから」なんてくだらない理由ではない。
円に戻してないドルも決算の時は、評価で円ベースにしなければいけなかったんじゃなかったけ?ちがった?
ドルで持ったままだとすると、損失なのかどうかは、長期経営では微妙だと思うけど。
もともと公務員みたいな会社で、年功序列が厳しいってわかってみんな入ってるんだから問題ないんじゃない?
まさかとは思うけどNTTとかNHKとか松下が革新的な会社だ!とは一般的には思ってる人は少数派だろ。
嫌ならなんで、そんな公務員みたいな会社に入ったんだと、さっさとベンチャーに行けって事じゃないかと。その代わり転職人生になるけど。
先先倒産するかどうかは知らんけど、革新より安定を望む人達が集まって、その結果の倒産であれば自業自得と言うかなんというか何だから別に問題ないじゃん。
倒産するとは思わんけど。
いきなりきわどい出だしだが、Facebookのある投稿を見て失神しそうになりながらタイピングしているので許してほしい。
某氏のウォール経緯で知ったのだが、2012年2月2日14時30分、次のようなエピソードを、
セピア色の美しい画像とともにHさんがFacebookに投稿する。
誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、
あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、
車の整備用品を買って、 残さず使いきると、こう言った。
全部あなたのために使ったわ」
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、
賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
この投稿に関して、2012年2月2日15時10分現在、いいね!の数が40人、シェア25件と大変話題を呼んでいる。
しかし、この投稿されたエピソードは有名なブラックジョーク。ネット大好きッ子ならご存じだろう。
このジョークのフレーズを使ってGoogle検索すると、3,460,000件もヒットする。
さて、Facebookの反応は「素晴らしい! シェアします」という書き込みが多数見られた。
中には「これは嘘じゃないか?」との指摘もでてくるのだが、
市場で無視されるツァラトゥストラのごとく、褒め褒めコメントに埋もれていくのであった…。
この騒動はツッコミどころがたくさんある。
どうしても言いたい2点だけ言わせてほしい。
心が震度7レベルで感動しようが、社会正義に目覚めようが、元になったエピソードが「嘘」だったら、それは意味がない。
「いい事だったら嘘なら嘘でも構わない」という考えの人は、インターネットの利用に向いていない。
Hさんも大変問題だが、その投稿を何も考えずに拡散するユーザーも問題だ。この行為は放火魔が着火した箇所に、ガソリンをぶちまけているのと同じ。
悪いことをやっている自覚(いや、むしろ善行をしていると思っているに違いない)もなければ、注意・修正コメントを受ける確率も低く、間違った情報をずっと拡散しつづける。
このデマ拡散ユーザーが、インターネットの情報の質を低下させる原因となっている。
・その3 おっぱいの魅力は大きさだけではない
ぼくは、ハリの良さこそが最も大事だと思うんだけど、
みんなはどうですか。
ttp://ameblo.jp/teppanfx/entry-10779767234.html
正直、平均足だけで勝てるだろ
2011-01-25 22:47:26
4H、1H、30M、5Mの平均足の色が揃ったらエントリー。
①4H、1H、30Mは陽線。5Mも陽線になったのでエントリー
1.4842L → 1.4850 +8p
②再び5Mが陽線になったのでエントリー(4H、1H、30Mはずっと陽線)
一度押し目をつくってからの上昇なので、今度はもっと上がるだろうと予測
直近高値付近で少しグズッたが、さらに上げてきたのでPivotsのR1を目標に
1.4850L → 1.4893 +43p
③再び5Mが陽線になったのでエントリー(4H、1H、30Mはずっと陽線)
こんどこそR1を目指すかと思いきや失速。10分後陰線に
1.4887L → 1.4882 -5p
④5Mミドルバンドに反発して上昇。陽線に変わったのでエントリー
と思いきや、すぐに陰線に
1.4883L → 1.4879 -4p
⑤4H、1H、30M、5Mが全て陽線になったのでエントリー
エントリー後、勢いよく上昇。とりあえず直近の高値(1.4905あたり)を利益目標に。
だが途中で失速。1Mを見るとすでに陰線が何本か続いていた。
1Mミドルバンドで跳ね返るかなと思って観察していたが(⑤´)、勢いを感じられす手仕舞い。
1.4857L → 1.4881 +24p
⑥1H、30M、5Mはすでに陰線。価格の急落の途中で4Hが陰線に変わったのでエントリー
だいぶ落ちた後なので、反発するかと思ったがさらに下落してくれた。
勢いが止まり、5Mが陽線になったので決済
1.4769S → 1.4717 +52p
⑦5Mが陽線になった思ったら、またすぐに陰線に。エントリーする。
と思いきや、またすぐ陽線に。
1.4709S → 1.4724 -15p
⑧一旦上がりかけたプライスが再び下落。5Mが陰線になったところでエントリー
しかし、そこまで行かず失速。5Mではまだ陰線だが、1Mで陽線になったので手仕舞い。
1.4730S → 1.4700 +30p
⑨再び下げてきて5Mが陰線になったのでエントリー
直近安値(1.4677あたり)をあっさり抜いたので、これは結構落ちると期待する。
PivotsのS1まで行ってくれるか?
しかし届かず。5Mで陽線が出た時点で決済。
1Mを見るとすでに陽線が続いている。もしもっと早めに決済していれば
50~60pくらになっていた。決済は1Mで決めるべきだろうか?
1.4706S → 1.4665 +41p
⑩5Mが陰線になったのでエントリー。
が、すぐに陽線に変わり手仕舞い(´・ω・)
1.4666S → 1.4676 -10p
⑪5Mが陰線になったのでエントリー
エントリー後、ダブついて陽線になったり陰線になったりしたが下落してくれた。
一時25pほどになるが、すぐに反転。陽線になり同値であわてて決済。
1.4670S → 1.4670 0p
http://unkar.org/r/livemarket2/1260360002
投資苑441p
広範にわたるテストの結果によると、自己資金の2%までの損なら長期的なトレーダーのサバイバルを脅かさないことがわかっています。
たとえば、もしあなたの自己資金が2万ドルの場合、1トレード当たり400ドル以上のリスクを取ってはいけないことになります。
もし10万ドルの自己資金であれば、これが1トレード当たり2000ドルになりますが、
もし自己資金がわずか1万ドルしかなければ、あなたが取ってもよいリスクは1トレード当たり200ドルになります。
大抵のアマチュアはこの話を聞くと頭を振って拒絶の反応を示すものです。
つまり多くの人には少数の自己資金しかなく、この2%ルールは彼らの一攫千金の夢に水を差すことになるからです。
しかし、一方、大半の成功しているプロたちにとって、2%の上限はむしろ高すぎると感じられることでしょう。
(中略)
どう転んでも人生バッドエンドルートの弱者を選んで、いじったり悪口言ったりしているケースが多い
弱者の一握りは幸せになって嫌なことを忘れることができるかも知れないが
その影には幸せになれないまま屍と化した大量の弱者の「呪い」「恨み」が打ち捨てられている
優越感やストレス解消の為に人に当たって「幸せな気分になる」ということは「弱者を踏み台にして得られる幸福」
その類の幸福はいつかあなたやあなたの大事な人から「呪い」によって幸福を奪うだろう
といっても生まれてから一度も他人にひどい事をしなかった人など滅多にいない
私たち人間は「他者から呪われ、他者を呪う」生まれながらに呪われた存在である
「呪い」=汚い
ワタシ ネット デ ジャクシャミタイニ ノロッテイナイカラ ココロハ ノロッテル ジャクシャ ヨリ キレイ
シャカイ デ オイヤラレテ ネット 二 ノロイ ヲ マキチラス ジャクシャ メザワリ ネット カラ キタナイ
ノロイ ノ コトバ ハ ハイジョ シテ キレイ ナ ネット シャカイ 二
そういう風にどれだけ善人面してもいいが、ネットから「呪い」の言葉を完全に消し去ろうとするなら
鏡を持ってくる
原文:The Un-Internet by Dave Winer
こう書くのは初めてじゃない……
毎回全部書き下ろす必要はないわけで、
もはや様式美になってきた感がある。
何回繰りかえしたかとかは置いておいて、
さあ、もう一回はじめようか。
問題は「コントロール」、これに尽きる。
どういうわけか、IT企業の重役はこれを欲しがるんだけれども、
1994年、この繰り返す世界の年代記を書き始めたばかりの私はこう言った。
「私たちよりもユーザーがまた一枚上手だった。
この業界ではだいたい15年周期くらいでこういうことが起こる。
私たちが足元を見失って、ユーザーが反乱して、新しいソフトウェアビジネスが降臨する。」
そこではこうも言っている。
「ユーザーは一度コントロールを手にしたら、二度と返してくれない」。
御存じの通り、いまそれがTwitterコミュニティで起こっている。
コントロールを欲しがるというのは、別にああいった企業の重役の倫理観のせいじゃない。
短期的にはそれが最善のやりかただからだ。
ありうる道は、ユーザーに手綱をうまくかけられるか、競争に負けるかしかない。
若いころの起業家としての私であれば、そのくらいのことはわかっていたんだろうと言われるかもしれないけれども、そうじゃなかった。
簡単にコピーできるものをどうやって商売にしていいか、分からなかった。
だから、詳しくない人にはコピーできないようにするためのコントロールの方法を編み出した。
すると、私たちのソフトウェアをコピーするためのソフトウェアの市場ができあがった。
けっきょくの問題は、ユーザーは私たちの意図に反することをやろうとする人なのかどうか、ということだった。
ユーザーの皆さんは誇りのある人たちだった。
だから私もするだろうことをした。
200ドルはするそのディスクをハサミで真っ二つにしたものを入れた封筒が、次々に送られてきた。
そうやって欲しいものを手に入れた。
私はようやく、いつもこうなるんだということを思い知らされた。
今回は、Appleがユーザーをコントロールしようとする勢力の親分だ。
ユーザーを守るというAppleの説明は、ある程度までは正しい。
iPadにソフトウェアをダウンロードするとき、害が起こさないということはかなりの程度、信頼できる。
そこまでで済むんだったら、私は何も言わない。
済むはずがない。
相手には、どのソフトウェアが自分のプラットフォームで出まわってもいいかを決める権力がある。
そうなれば、言論も規制されるのは避けようがない。
その意味で、iPadプラットフォームはディズニーランドのようなものじゃないだろうか。
ディズニーランドやPixarの映画にないようなものは、そこにもない。
悲しいのは、Appleが若い世代に対する悪い見本になってしまっていることだ。
若い世代というのは、Appleみたいに「ユーザーエクスペリエンス」をコントロールしたがってそうな、
TwitterやTumblrといった、比較的小さな会社のことだ。
彼らは、自由市場の不確実さよりも自分たちの品質管理のセンスのほうが優れていると思っている。
Twitterでは、Twitterがパートナーとして指定したところのコンテンツしか表示できない。
誰にも見えないようにされている。
Tumblrはあるブラウザアドオンをおすすめしないと言い出した。
これを問題にするのはきっと、それなりの数のユーザーが使いたがったからこそだろう。
この決定は開発者だけじゃなくてユーザーまでも巻き込むことになる。
ユーザーを「教育」しなければならなくなる、というのが問題だと彼らは認めた。
あれ? これって聞き覚えがあるような………
ということで、最後には逆の結果に落ち着くだろう。
そうならなきゃならない、
ということを、インターネットが教えてくれた。
1970年代、それはまだインターネットとは呼ばれていなかった。
その単純さと、コントロールされていないところが好きだった。
あれを載せてはいけない、これは載せてもいい、と命令する人はいなかった。
インターネットが育った周りの環境、つまりメインフレームの世界では、壁はものすごく大きかった。
個人はコンピュータを持てない。
それからループが回るたび、IT業界が持ってくるコントロールを解毒するというのが、インターネットの役割だった。
でも最後には、私たちは壁を乗り越える。
そうするとまた次の壁がやってくる。
成り上がったプラットフォームが数の力で支配しようとする。
そしてまた、おなじ過ちを犯す。
そして、おそらくいつも、インターネットが勝つ。
台北には何回か行ってるけど、今回は2011-2012の年越ししてみた。
ガイドブックにあんまり乗ってなかったことを中心にメモっておきます。参考にでもなれば。
空港周辺のバス停に幾つか止まってから、高速に乗り、台北市内に入る。市内でまた幾つか止まって、民権西路に着く感じ。
http://tombi00.sakura.ne.jp/taiwan2/taiwan121.htm
を参考に…
自分のたちは、101の東側、永春駅の少し南の駐車場で見た。そんなに混み合ってなく、見やすかった。
↑このあたり
自分たちは、永春駅あたりからタクシーで民権西路付近に帰った。市政府付近の道が混みまくり。運転の上手い運ちゃんだったので、なんとか抜け出したけど、頑張ってMRTに乗っても良かったかなとも思う。
(淡水と書いてましたが、北投ですね、、、すいません。)
http://anond.hatelabo.jp/20111116081534が不親切なので親切な俺が解説してやると、
たとえば「10000日を年で」とワードを打ち込んで検索すればGoogle様が計算してくれる。
「5日を時間で」なども同様。「10km/hをm/sで」もできる。
「1000円をドルで」「10km/hをノットで」なども楽勝だ。
雇う方からしたら時給10ドルは高いけど、雇われる方としたら10ドルは安いでしょ。
つか日本でも直接雇えばそれくらいでは。シッター派遣会社とか通すと中間マージンかかるからもっと高いけど。
よくフェミ系ワーママが「アメリカはシッター雇うのが当たり前だから女性が楽に働ける」つってるけど、実際はそんな事無いよね。
シッター高いから一般人はたまにならともかく常時なんて雇えないし、
保育園(デイケア)も税金補助無くて高いから子供二人預けたら並みの女の給料なんて吹っ飛ぶ。評判いい所には待機児童もそれなりに居てなかなか入れない。
(実は税金たっぷり投入した激安の認可保育園がある日本はアメリカよりそういう点は楽だったりする。
「スマートフォンを持っているFPS初心者」な。もっと詳しく言い換えるなら、「自分の意志で機種選択出来て、料金プランやら何やらを書類で契約出来る立場にある、FPS初心者」。
でも、そいつらは俺ら(タブレットユーザ)らから観ればむしろ少数派で、今のタッチパネルにおける操作の方がより人類に馴染むのではないかとは個人的に思っておる。
実際は全然馴染んでないけどな。FPSの売れ筋が「お前が手が出せない方」なのは事実でしょ。
スマートフォン向けのFPSでHALOとかコールオブデューティーみたいにヒットしたFPSってある?
たとえば前者はシリーズ合計で3,000万本以上売れてるんだけど。1本50~80ドルくらいで。
そういう大ヒットタイトルがこれからスマートフォン用のFPSに登場すると思うか?
全然可能じゃないっての。むしろコストの面で物理ハードキーを搭載できないからああいう方式になってるだけだ。
Android3.1でわざわざUSBゲームパッドに対応した理由を少しは考えてみろ。
要するに、ソーシャルがうんたらかんたらという話は所詮は一過性のブームで、そのうちゲーム専用機への回帰が始まるよって話。
でもって、アプリケーション開発の中でもゲームソフト開発はかなり特殊なので、一朝一夕でどうにかなるわけじゃないから、この業界でゲームで真剣に生き残りたければ今のうちに準備しといた方がいいよ、みたいな。
つまりスマフォは、「いつでも遊べる」というカードのみで、今後ゲーム専用機と戦い続けなければならないことになる。携帯ゲーム専用機に関してはそれさえもカードとしては強力とは言いがたい。
しかしそんな不毛な戦いを挑むゲームソフトメーカーなど現れないだろうから、ゲーム専用機とは別のカテゴリの娯楽として存在することになるだろう。それは既存のゲーム専用機の領域を「多少は」食うだろうが、果物にたとえるならば皮の部分程度で、芯に到達することはないはずだ。
AppleにとってもGoogleにとっても、ゲーム機能は自社製品を普及させるための付加価値の一部でしかない。だから万が一ゲーム部分と他の付加価値が競合する事態になった場合、前者を優先することは絶対にありえない。対するゲーム専用機メーカーは、自社製品をゲーム機として普及させるためにあらゆる選択肢を模索するだろう。高価すぎるという批判に対応するためにPS2ソフトの互換機能をオミットしたPS3の例や、販売不振を挽回すべく発売からわずか半年で1万円の値下げ(実質4割引)を実行したニンテンドー3DSといった事例もある。
そもそも、「何でも出来る」がうたい文句のハードやOSが、ゲーム専用機にゲーム分野で太刀打ちできるはずがない。
それは「何でも出来る」はずのWindowsのゲーム分野で主導的なポジションを作り上げながら、その市場の小ささゆえにわざわざゲーム機を発売したマイクロソフトが証明してくれている。
WindowsがインストールされているPCなど、世界中に何億台、下手をすれば十億台以上は存在しているはずなのに、ゲームソフトの売上や販売本数ではゲーム機に完全に負けてしまっているのだから。
これらが今後のスマートフォンにも当てはまることは自明だろう。
といったものがある。