はてなキーワード: デファクトスタンダードとは
Pythonの方が弄れる対象が多いのに、なんでウェブ系だとPHPの方が流行ってんだろ
端末からのテキスト処理も楽だし、数値計算周りのライブラリも充実しているのに
PHPが優遇されているのって歴史的な経緯以外に何か他の理由でもあるのか?
けどまぁ、情弱な文系SEが大半を占めているバカだらけの日本じゃ別にPHPで困ることもないか
数値計算や端末からのテキスト処理なんてWeb系じゃ大して使わないからなあ…
Pythonに関しては、ZopeさえコケていなければWebサーバ用LLとして大成功していたはずなのに、
Railsなんかが登場したおかげで、すっかり影が薄くなってしまいますた....
ってか、railsにインスパイアされたフレームワークって今じゃ幾らでもあるよね
djangoとかCakePHPとか。rubyってRoRを使いたいユーザを除くと、
pythonやPHPの方がユーザー数は圧倒的に多いと思うんだけど
本家のrailsって、他を遥かに越えるほど良いものなんだっけ?
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Zopeが登場した当時、「RDB+PHPはもう古い、これからはOODB+ZopeがWebの中軸になる!」と
少なくとも自分はZopeからPythonという言語を知ったし、その時点でRubyは知らなかった
そして、その後のORM(RDB)+Railsの出現と華々しい革新性への注目は、誰もが知っているだろう
今でもZopeの開発は継続されてはいるが、結果的に当初の期待が大きく裏切られたという事実は動かしがたい
djangoとCakePHPについては実際に触っていないので憶測になるが、おそらく技術水準ではRailsと同等だろう
しかしRailsはRailsでコミュニティの活動が活発だし、その進化は異常に早い
Railsに何か致命的なトラブルが発生して開発が停滞する、あるいはdjangoやCakePHPから
何かのイノベーションが提示されでもされない限り、後発のdjangoやCakePHPがRailsに追いつくのは無理
Railsは決して技術的に完璧なWebフレームワークではないんだけどね....(たとえばSeaSideのような.... )
だからこそ「もしもZopeが....だったなら」という「たら・れば」感はPythonコミュニティの潜在認識になっている
C a k e P H P は う ん こ
CakePHP使ってんの?
可哀そうにw
でもやっぱりいつもの使い慣れたLL(Python/Ruby)で
Webサービスを書きたいってのがある
求人数は
Ruby on Rails>>>>>>>>Django
http://www.indeed.com/jobtrends?q=django%2Cruby+on+rails&l=
どういうことなの?
求人数が多いのはそのためだと思うよ
なんかのミスかと思ったがアメリカでもRuby on Railsは人気があるのかなあ・・・
Pythonのほうが使いやすいと思うのだがフレームワークはRailsが優位なんだろうか
Djangoは周辺ライブラリが微妙だし本体も鈍くさい感じがする。
でも、FlaskはSinatraより好きだから、Pythonが嫌いってわけではない。むしろ好き。
ただ、いざ作り始めるとやっぱりRailsが楽だなあってなって、Railsを使い続けている。
同感だ
同じように思っている人が他にもいて安心した
PHPはフレームワークが乱立しすぎているから、RailsをPHPで実装してみようというやつが出てきた。
それに比べてPythonは、Zopeというデファクトスタンダードが既に存在していたけど、
ただ、どうやってもRailsもどきがRailsを超えることはできないのは間違いない。
パクリはオリジナルを超えられない(キリッ って定型句だけど、
これってキリッって言いたいだけだと思う。
D言語って超えたって?
B言語って超えたって?
PHPで同じ事をできないわけではないだろうけど、Ruby on Railsほど簡潔にはできない
まあくだらねえWEBサービス作って喜んでる情弱は早く死ねって事だよ
そういう理由じゃなくてRailsのほうが単純に情報もプラグインも多いからでしょ
linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
わざわざ不合理で不完全な言語を使うなんて
もしも
>linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
真実であるのなら、今頃はdjangoの情報とプラグインが溢れかえっているはず
yumや、gdbとgnomeの拡張がpythonであるからといって、それをwebアプリでも使いたいと思う人は少ないというだけのこと。
ソースからインストールする必要があったとしても、web開発ではrubyを使いたいという人が多いというだけのこと。
というか、世界中のPythonプログラマが Remeber Zope!! を合い言葉に
打倒RailsたるWebフレームワークを開発しているはずだけど、
Railsも登場してから、かなりの年月が経過しているんだけどなぁ....
その間にもRailsはRails 3が登場して、REST/AJAXの強化等の進化が継続しているよ
Ruby では
ary.map {|x| x**2}
map(lambda x: x**2, ary)
となり、lambda の本体が1つの式では表現しきれなくなると
.....
と書き換える必要があります。
f = lambda x:(x and f(x-1)*x)or 1
RubyにはPythonのように「lambda本体は式でなければならない」という限定がありませんから、
f = lambda{|x|if x == 0 then 1 else x*f.call(x-1) end}
または
f = lambda{|x|x == 0 ? 1 : x*f.call(x-1)}
と書けます。lambda内でreturnが使えますから、書きたければ
f = lambda{|x|if x == 0 then return 1 else return x*f.call(x-1) end}
でもOKです。
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これはPythonをdisっているように見せかけてRubyをdisっているのか? と一瞬思ってしまったw
だってRubyのほうが長くない?CLのfuncallみたいなcall()がちょっとうざいし…
そしてどっちもlambda式の中で束縛変数の名前で再帰可能、と
print [x*2+100 for x in [1,2,3,4,5] if x > 2 and x < 5]
暗号のように見える。
puts [1,2,3,4,5].select{|i| i > 2 and i < 5}.map{|i| i*2+100}
思考の流れと、コードの流れが一致しているので書きやすい。
map(lambda x: x*2+100, filter(lambda x: x > 2 and x < 5, [1,2,3,4,5]))
pythonて可読性が高いのをうたってる割にはそこいまいちだよね
Rubyの場合には、左から右へと無名関数がデータフローあるいは
関数型プログラミングに不慣れな初心者でも、参照透明性のあるコードが自然に書ける
プログラマにとって優しい or プログラミングの楽しさを教えてくれるのがRuby
それと比較すると、Pythonのコードは、関数型プログラミングというものが
いかに高度で難解なものであるかという事をもったいぶってプログラマに押し付ける
もしもPythonしか知らないプログラマであれば、関数型 = 難解 という印象を持つだろう
階乗計算くらいだと単純すぎて、ナゼ重要なのかが分かりづらいと思うのでコードで示す
result_list = source_list.map { |elem|
x = foo(elem.x) # ここが局所宣言を書く部分
x + y # 最後に評価された式の値が、無名関数のリターン値になる
}
Rubyでは、map等に与える無名関数の中で局所的な環境(クロージャ)が作られるから、
x = foo(...) のような代入文がいくつでも(= 複雑な処理でも)書ける
このポイントは、実用的なプログラムを関数型風で書こうとした時に、威力を発揮する
余計分かりづらくなった
高卒ドカタなんだろうなぁと可哀想になる
集合の表記に似せてることが分かるから
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>map/filterはfor/ifと同じだと言っているだけだから、難解という印象は持たない。
関数型プログラミングに慣れた、あるいは得意な人であれば、そういった印象なんだろね
Rubyの魅力はこれから関数型プログラミングを学ぼうとする初心者、 あるいはそんな初心者へ教える立場から見た、優しさ or 分かりやすさなんだ
[1,4,3,2].sort.reverse.map{|x| x.to_s}.join('-')
Pythonだと読みにくい。
'-'.join(map(str, reversed(sorted([1,4,3,2]))))
Pythonでは思考の流れと一致しないばかりか、「カッコだらけ」のコードになると.....
カッコだらけのコードを分かりやすくする基本的な方法は静的単一代入じゃないか
Rubyのやり方は基本ではなく玄人のやり方だろ
Pythonでは組み込みの型でメソッドチェインはやって欲しくないな
似たようなコレクションtuple,deque,array,queue等にも同じメソッドが必要になってくるし。
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外部のライブラリでも列挙可能なものは、たいていEnumerableモジュールをimportしてますね
Rubyユーザーは列挙可能なものはmapやselectできて当然だろって思ってる気がします
Pythonは「何かを便利に書くためのしわ寄せ」をはっきり寄せてくる
得意と不得意を言語レベルではっきり主張するのでメリケン好みと言えなくもない
Rubyは全方位になんとなく八方美人なので、全体的になんとなく書きやすくてなんとなくキモくて遅い
「書きにくいってことはその処理に向いてないってことだから諦めろ」を地で行く
無名関数が文を使うほど複雑なら名前を付けるのが Python 流と想像。
これを読みづらいと感じるのは、左から右に流れる
もしかしてアラビア語ネイティブな人からすると逆に読みやすいのか?
権力ある古株教師(ただし馬鹿)が「きょうえき」とか言ってて、他の教師は長いものには巻かれる公務員体質の奴しかいなくて、誰も突っ込まないままデファクトスタンダードになったと予想。
反対派の方が提示されているのに、賛成派が提示しないというのはもったいないので書いてみます。
賛成派としては、反対派の提示するデメリットに反対するとともに、TPP賛成のメリットとはどういうものかを提示する必要があるのだと思います。
ってことで本といいつつ本ではないんですが二つほど。
1. "21st century regionalism" http://www.cepr.org/pubs/PolicyInsights/PolicyInsight56.pdf
これは端的にこれからの貿易、世界経済の形ってどうなっていくの?という話です。
英文で20pと、なかなか量はありますが、これからのWTO、RTAの役割など非常に濃い内容です。
二本にとってTPPというのは、TPPでいかに新しい秩序のデファクトスタンダードを作っていくか、という意味合いがあるのだと思います。
もちろんTPPだけではなく、ASEAN++にもいえることですが。これからの日本の通商戦略を語る上では欠かせないものではないでしょうか。
2."TPPの論点" http://www.canon-igs.org/research_papers/macroeconomics/20111026_1137.html
これは国際貿易、国際法、農業経済などの専門家が集まって、TPPってどういう目的でやるのかをまとめたものです。
一般的に言われているTPP反対論への反論も行っています。メンバーの豪華さという意味でこれが決定版じゃないでしょうか。
ということで、なるべく簡潔にTPPの意義を説明するような文書を取り上げてみたつもりです。他にある方、どんどん追加してください。
噛み合わない議論っていうのは、大抵「言ってること」と「その裏にある真意」が異なっていて、後者を上手く汲み取れていないという理由で発生することが多い。
こと、最近の「脱Flash化、HTML5化に沸く一般層」と「それに冷ややかなFlasher」の対立構造も、それだろう。
一般層は、
と(解説記事を鵜呑みにして)喜び、
それに対してFlasherは、
「HTML5で電池喰わんのは やってるコトが地味だからだよ、Flashと同じコトしたら喰うよ」
「むしろ同じことするなら、Flashの方がパフォーマンス良く、電池も喰わないよ」
と、相手にしなかった。
ここに、「噛み合わない議論」が発生していた。
本質的に考えれば、HTML5もFlashも、「実現の手法」でしかない。
なので、製作者側がギャーギャー言うのはともかく、一般層がどうのこうの言うことは無いのである。
それでもメディアは「HTML5の登場でFlash要らない!」と煽り、民衆はそれに沸いた。
HTML5自体の全体像がモヤっとした中で、またHTML5を完全サポートする環境が全ての層に行き届いているとは言い難い状態で、この「Flash→HTML5」の流れは歓迎された。
つまり、「HTML化」が喜ばれたワケではない。「脱Flash」が喜ばれたのだ。
Flashは、嫌われていたのだ。
ではここで言う「Flash」とは何を指しているのか?
結論から言うと、「Flashプラットフォーム」そのものを意味してはいない。
一般層において、Flashプラットフォームそのものが(同様の機能を実現する 他の選択肢と比較して)嫌われる理由はない。
Flashプラグインはフリーであり、インストールも極限まで容易にしてある。プリインストールの環境も多い。
Flashは、(少なくともここ7~8年における)「ブラウザ上で派手なことをする手法」のデファクトスタンダードであった。
一般層が嫌った「Flash」とは、この「ブラウザ上で派手なコトをすること」全体を指しているのだと思う。
民衆は「ブラウザ上で派手なコトすんな!」という意図で「脱Flash化」を喜び、
その真意を汲み取らなかった(或いは聞こえないフリをしていた)Flasherは「派手なコトするんだったらHTML5はFlashに劣るんだってば!」…と、噛み合わない議論を続けていたのだ。
民意は、
「ド派手は表現は要らない、表現はソコソコ(現行のHTML5で無理なくできる範囲)でいいから、電池喰わないで」
だったのだ。
例え今後、HTML5の表現力が飛躍的に向上したとしても、それでド派手なことをやってしまっては、結局嫌われるのである。
華やかさは必要かもしれないが、派手さは求められていないのである。
……というのは、私がここで改めて言うまでもなく、
(私を含む)Flasher/元Flasherが、ここ数年で 薄々感付いていたことだと思う。
薄々気付きつつ、気付かないフリをしていたことだと思う。
なんとなーく、皆が抱えているであろう、でも吐露されることはないジレンマを、書き起こしてみた。
最近どうもニュースを見てもネットを見てもTPPに対する議論が噛み合っていない。
色々と見ていて歯がゆいので、自分なりに賛成、反対を整理します。
とりあえず賛成のほうから。
賛成意見
経済学的には自由貿易がそれぞれの国の厚生を上昇させることは自明である。
さらに 例え自国の関税だけを下げ、輸入のみが増えても更生は増大する。 詳しくはリカードモデルでも読んでください。
生産者の失う利益を考えても、消費者がより安い価格で買えるという利益のほうが大きくなる。
いまのFTAは関税だけではなく、投資やサービスの自由化、貿易円滑化などの非関税障壁に対する規定が含まれている。
このWTOのような既存の枠組みでは議論が十分に進んでいない規定はまだ標準化できていない。
TPPでこれらの条項を整備し、より包括的な貿易協定を組むことによってこれからの貿易協定のベンチマークとする。
将来のスタンダードとなりうるかもしれないこれらの規定に対して日本の意見を反映させる意義は大きい。
さらにTPPで決定された基準をデファクトスタンダードにすることによって、中国をその規定に従わせられないかと考えている。
おそらく賛成派の人が主張するメリットは主にこの二つだと思います。
一つ目が伝統的なの貿易論でいわれるメリットで、二つ目がより政治的な要素を含んだメリットですね。
いや、あなたの言ってることは合ってるし、自分も基本的に同じことを主張したつもりだが。
を、わざわざ砕いて”リッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できる”と文系チックに書いたのに、なぜ、わかりにくいバズワードで言いなおすのか。
そもそも「セマンティックな記述」って意味がわからない。文章の意味構造を記述できるようにして外見と分離する事を指すのなら、それは「非常に簡潔にスマートに記述できる」という事じゃないのか(さすがにあいまいに書きすぎてるとは自分でも思うが)。「実現できることが格段に増えた」事は、リッチなインターネットコンテンツを記述できるって事じゃないのか(意味構造を記述によって検索エンジンに適した情報になるってメリットは、論旨がブレるので書いてない)。
その当たり前の事ができなかったHTML4。HTML5になればできるようになるとでも言いたいのなら、あなたもネットに向いてない。
問いかけてる以上、答えがあるようなので、ぜひ模範解答をご教授頂きたい。「無限の可能性があります」という厨二病な答えしか思いつかない。
ちゃんと書いたつもりけど、代表格は2D描画。あと複雑な処理(クラスのおかげ)。ブラウザ間OS間の互換性。ネイティブなXML処理。プリミティブな音ストリームの操作なんてのもある。
現状、Flashを必要としてるのは何処? 誰?
Flashを必要としてる人なんていないと思ってる。ただFlashの方が制作環境とかも含めて使いやすいから使ってるだけのこと。
いやいやいやいや。iPhoneで表示されない広告に何の意味があるのか。ゲームは一理あるけどFlashは外部コントローラに対応してない。3Dなら現状Unity。一概に言えない。
※ブログに書いたんだけど、誰も辿りつかないと思うので、ここに転載
この記事は、目標が達成のために毎日もがき苦しんでいる自分に向けて書いたものだ。あなたが同じように目標達成に苦しんでいるなら、いくらか役にたつかもしれない。
この記事(新政府の初代内閣総理大臣は建築家!?──坂口恭平)を読んで思った。
突き抜けている人の共通項は「オレのやるべきことはこれだ!」と良い意味で盲進し、そして盲信し続けられる人だ。
上の記事で紹介されている坂口恭平さんは、ホームレスの住まい(つまり段ボールハウス)の写真集を出し、現在は「新政府」の総理である。新政府は坂口さん自身が自分で勝手に作ったものだ。間違いなくヘンな人であり、突き抜けてる。
坂口氏は言う。
でもホームレスたちは自分で材料を集め、最適なサイズを見極め、住まいを作り上げていく。(中略) そんな姿にものすごく興奮したんですよ
ホームレスの住まいに興奮するという感性はもちろん素晴らしいが、そこから「オレはホームレスの住まいを撮りまくるんだ」という行動に結びつき、結果として「写真集を出す」にいたるまでその行動が持続するのがすごい。普通なら、「ホームレスの住まいはすごい!」と思っても、「写真集を出す」という結果に結実しない。
つまり、「目標達成できない人」に共通して足りないのは以下の2点ということになる。
この2つの中で特に難しいのは後者ではないだろうか。何かを始めることは比較的簡単だ。「よし、毎日英語を勉強しよう」「週に3回ウォーキングをしよう」と。しかし、それが続かないのが人間というものだ。
有名な自己啓発書にこんなことが書いてあった。
この命題は、論理的には当たり前のことを言っているだけだ。が、妙に心に響く言葉である。それは、多くの人にとって、持続することがいかに難しいかを物語っているからだろう。
「3日坊主」というくらいで、続けることは本当に難しい。「毎日○○をやる!」と決めて、それが半年間でも続いたことがいったいいくつあるだろう。半年でも続いたら成功としたとき、その成功率はいったいどれだけになるだろう。「ウォーキングをする」「10分英語のニュースを聞く」という、原理的には誰にでもできる簡単な行動であっても、それすら続かない。
私も多くの人と同様に「継続性のない」人間に分類される。粘り強さの無さが目標達成の上で最も大きい障害のひとつだ。この障害がいかに大きいかを自覚して以来、何かを継続している人に「継続するために最も大切なことは何か?」と聞くようにしている。
その答えは千差万別だが、整理すると、以下の2点に集約できる。
まずビジョンだ。継続している人は、それをスタートしたときに、(無意識的にせよ)以下のことが明確にイメージできていることがほとんどのようだ。
ゴール、メリット、日々の活動は継続できない人も意識しているだろう。だが、本当の意味で「ビジョン化」できているだろうか?ビジョンというのはビジュアルという言葉からわかるとおり視覚からきている言葉だ。であるからには実際の映像としてイメージアップできていなければならない。
「東大合格!」と紙に書いて貼るのはいいが、自分が東大に合格したところが映像化されていなければならない。どこでどのような勉強を誰とどのくらいしているか、というイメージが視覚化されていなければならない。
※これはデザイン思考の日本の第一人者である奥出直人教授から学んだことだ。デザイン思考でも、ビジョンを構築する際に、言葉ではなくモノとしてイメージされていなければならないという。
そして、継続できない人の多くがそもそも意識していないのは3番目(マイルストーンの存在)ではないだろうか?TOEIC900点というゴールに対して、700点、800点というサブゴールをいつ達成するかということを明確化しておくのは継続するためにとても大切なことだ。
そして、実はサブゴールを立てることこそが、上記の2(続けることのインセンティブが継続的に存在すること)に直結するのだ。
このことは、どうも心の性質と関係があるようだ。人間は、「達成した!」という感覚そのものが大きなインセンティブになる生き物らしい。
「この製品をデファクトスタンダードにする」という目標を立てるのはいいが、その目標に対する目の前の目標を立てることが継続の秘訣というわけだ。「プロトタイプを完成させる」「○○さんに高評価をもらうまで洗練させる」「1社に採用してもらう」「年末までに○○万円会社の口座にある」といったサブゴールを立てておこう。そしてサブゴールが達成されるごとに自分を褒めよう。いや、褒めることすら不要かもしれない。人間にとって「達成」そのものが実に大きなご褒美なのだから。
とはいえ、である。サブゴールを立てることは、いわば「テクニック」だ。そのテクニックで継続
に成功したとしても、ゴールがあなたの幸せにつながってはじめてその継続は意味を持つ。
良いゴールを立てるにはどうしたらよいか、これはまた別の記事で考えてみたい。
早いとこ、管理ツールのデファクトスタンダードにPowerShellを持ってきたいんでしょ。
Resource Kitも売れなくなったみたいだし。
というか、ラノベの始祖とされるものが角川スニーカーから生まれていて、かつ「近年の」ラノベの源流と言われているもののも角川スニーカーのハルヒのそれであり、2003年刊行当初のハルヒは本当に「萌え」の欠片は微粒子程度にしか存在してなかった(今あるハルヒのものに比べ、2003年のそれは挿絵におけるキャラの占める比率は少なかった)ことから、「萌えからラノベが始まった」は偽であると認識してほしかったのだが。
http://www.h5.dion.ne.jp/~jade/Light%20New%20Release41.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~jade/Light%20New%20Release43.html
電撃文庫だけが特殊であって、その後それがデファクトスタンダード化していったという感じか。
まだ本格始動もしてないのにネガティブなことを書いてもしょうがないと黙っていたけど、
twitterなんかを見てると手放しで賞賛してる声が多くてキモチワルイので記しておく。
仮にJコミでは単行本一冊あたり50万円分の広告を付ける、と設定する。
日本のPC向け電子書店で最大のものはYahoo!コミックじゃないかと思っているが、
同じ数の作品をJコミで公開しようとすると150億円分の広告が必要になる。
ありえないとは言わないけど、相当な巨額だ。
2:作品追加のスピード感
通常の電子書店では極端な話、金さえあればいくらでも作品を追加配信できる。
最初に書籍の電子化費用を払って電子化して、それを販売して儲けるわけだから。
でもJコミでは、赤松氏がいくら大金を持っていたとしてもあまり関係がない。
その本に広告を出してくれる広告主が見つからない限り、配信ができないから。
(もちろん赤松氏がネギま!やJコミの自社広告を入れれば別だけど)
だからJコミは普通の電子書店より作品追加に時間がかかると思われる。
Jコミにまとまった数の本がそろう頃には電子書籍の大勢は決まってるかもしれない。
3:「儲かる」に隠されたごまかし
が、赤松氏が意識しているかどうかわからないけど、そこにはある種のごまかしがある。
通常の本の販売の場合、最初に製作費がかかり、その後で売上が入る。つまり後払い。
売上が製作費を下回れば赤字になる。つまり損をする可能性がある。
Jコミの場合、最初に広告主から広告費が入る。つまり前払いなのだ。
前払いでお金が入っている(お金が入ることが約束されている)ものを配信するのだから
配信されたものに関して「確実に儲かる」のは当たり前である。
それは印刷物だって、出版されるものに関しては印税が約束されているんだから
「確実に儲かる」に決まっているのだ。
問題は出版できるかどうか、配信できるかどうかなのだ。
赤松氏が本当にしないといけないのは、「紙では採算が取れなくて出版されないものでもJコミでは出せる」
それはつまり「たとえ広告が付かなくても、クリック数が極端に少なくても、最低限これぐらいの額は保証する」
ということだ。
それは「採算が取れないものは出版しない」といってる既存の出版社と何も変わらない。
後述するように、Jコミは既存の出版社と何も変わらない、という結論で正しいと思っている)
4:公開作品の削除について
「Jコミで作品を公開した作家は広告の規定のクリック数を満たしていれば公開作品をいつでも削除できる」
とされている。
全体の雰囲気として、赤松氏は
「基本的には公開した作品は無期限で公開し続ける」のを前提にJコミ構想を進めていると思われる。
しかし作家側が「クリック数を満たしたらすぐ削除」という姿勢で臨んでいた場合、
そして困ったことに(?)「クリック数を満たしたらすぐ削除」という方が
無駄に公開を続ければその作品の広告メディアとしての価値を下げてしまうから。
5:公開作品の削除について2
作者が作品を削除してもネット上での流通は止まらない可能性が高い。
つまり、一応削除できるとは謳ってあるものの、一度Jコミで公開した作品は永久に公開されっぱなし。
……ってなことを赤松氏が考えているのであればそうとう腹黒い。
わざわざ自分の作品を実験台にするような人がそんなことを考えたりはしないと思うけど。
よその出版社で絶版になったマンガを自分のところで再出版するというのだから、
それは出版社に他ならない。
媒体が紙ではなくPDF、収益モデルが広告、という点で異なるだけである。
しかし赤松氏の言動を見ているとあまりその自覚がないように思える。
その典型が
「Jコミに作品が集まったら電子書籍端末にプリインストールするのはどうか」
という発言である。
Jコミはお金を取らない、というのはつまり人件費等をかけないという意思表示だ。
一方で「Jコミに作品が集まったら~」というのは、Jコミは集まった作品の管理を行うということだ。
マンガ家が出版社を起こしても別に問題はない。リイド社のような前例もある。
問題は自覚的に行動するか、対外的に出版社を名乗るか、である。
そうすることでJコミという「よくわからないもの」がはっきりとした形を持ち、
twitterでニコ動の違法動画について赤松氏が苦言を呈した際、
ある人からの「ニコニコで知名度が上がることが作品への間接的な貢献になってると認識してます。」
「それ、みんな言いますよね(笑)。でも、マジでそう思ってます?」と返答した。
ちなみに俺もそんなことでは貢献になってないと思う。
しかし、この言葉はそのままJコミにも跳ね返ってくる気がする。
つまり
「Jコミに広告を出して知名度が上がっても商品の売上にはつながらない」
もっとも、そんなこたあ広告主がどう考えるか次第なのだけど。
Jコミが大成功して電子書籍のデファクトスタンダードとなった場合、
電子書籍市場から得られる利益は全て作者(と広告代理店&メディアレップ)のものとなる。
今、出版社は出版不況から抜け出すために電子書籍に力をいれようとしているわけだが、
つまり出版社は現状と変わらない=近いうちに壊滅する。
出版社がなくなれば新作が生まれなくなる。
新作の供給が途絶えればJコミもいずれ絶版図書を食いつぶし、終了する。
もちろんマンガ家も消滅する。
以上。
これについて、日本経済新聞に「これは藤原氏の末裔である」という記事があり、
確かに、維新当時「武士階級」「公家階級」だった人の子孫であれば、上記説明は正しいかもしれない。
しかし、「農・工・商」階級は維新前は帯名を許されていなかったわけで、彼らは維新後に
「近所の地名から」とか「庄屋の名前を拝借して」等々で、勝手に「創名」していったのである。
つまり、「加藤」「伊藤」「佐藤」姓の過半数(というより9割近く)が維新時に
「創名」した人の末裔なのであり、「維新時創名組の『●藤姓』中に藤原氏の子孫が存在する確率」は、
「ゼロ」とは言わないが、「他の氏名の場合と有意な差は現れない」と推測される。
ありていに言えば、「加藤」「伊藤」「佐藤」という氏名だけで、「藤原の末裔です」と
胸を張って言えるのは「維新時に武士階級・公家階級という、由緒正しい家柄」の人だけである。
こんな記事を垂れ流す日経もどうかしている、と思うが、
映画「玄牝」を夕刊シネマ万華鏡で激賞していた日経には、自分はハナから期待しない。
むしろ絶望するのは、この手のトンデモ記事のウソを見抜けない「はてなー」の救いがたいアホさである。
この記事のブクマコメントの過半数が、「面白いエントリーだ」と好意的に評価しているのである。
「はてなー」は、理系的記事に対するリテラシー能力は高いのに、文系的記事に関するリテラシーは、
からきしダメなのか?
あるいは、「はてなー」は、「武士階級・公家階級」という「由緒正しい家系の方々」が多くて、
「江戸時代から氏名を持っているのがデファクトスタンダード」なのか?
それがデファクトスタンダードになって、世界標準規格までもっていけたら、素直に認めるし従う。
喧嘩するつもりはないが、そうとう勘違いしているし、やっぱりあさっての方向に向いてるから、他の人(あんたの取引先とか)が被害受けない為に、いくつか指摘するな。気になった順に書く。
そしてあなたは、プロのWebエンジニアでも無いのに知った風な口を聞いている私を見て違和感を覚えた、ということでしょうか。もしそうなら、あなたに「知らずに批判するのは良くないぞ。」という言葉をお返しします。
元増田ではっきりと「webエンジニアじゃない」って書いてるじゃん。今更「実は知ってます」っておかしくないか??
他にも負荷分散やDBやサーバサイドのフレームワークや色々あるのにと(これらがDreamweaverでできるかどうかは知りません)
負荷分散とか持って来ちゃったかw
これとDreamwaeaverと何の関係がある?web制作から環境設備の話に変わってるな。そこまでDreamweaverに求めても仕方ないだろ。あんたがソフト屋だから気になるのかもしれんが。
「使っている人が多いし」「だいたいはコーディングしてるよ」というのはあなたの観測範囲での推測ではないでしょうか。
自分の経験則しか話せないだろ。それを「推測」とか言われてもどうしようもない。あんた、他業種なんだろ?あんたの意見よりは的を射ていると思うがな。
あんたな、OSSをやたらと推奨したい気持ちもわからないでもないが、個人でやっている奴じゃなくて、仕事でやってる奴の話だろ?現実問題として、Webサイトの制作にはDreamweaverが使われてるんだよ。制作ツールのデファクトスタンダードと言っても過言ではないと思うぞ。もちろん、デザインだけじゃなくてな。
必死に否定したい気持ちも分かるけどな、もっと勉強しろとしか言えない。ネット上の浅はかな知識じゃなくて現場の事を知ってから言ってくれ。少なくともそういう友人作るとか雑誌見るとかセミナー行くとか。何でも良いから、適当な事言って他人を批判するな。
目的は「自社や自社商品に関するコメントがツィッターに流れていないか?」を
定点観測するため。
なので、能動的にツィッターをしているわけではない。
IDも取得したが、自分からつぶやいたことはない。
「有名人のつぶやきをフォローすると面白いですよ」と言われるが、
アップロードされるから、時間を割いてつぶやきウォッティングする必要性を感じない。
Google検索でも、ほぼリアルタイムにツィッターを拾えるから、
臨時ニュース的なことはGoogleを追っていけば充分だと思う。
これほど「ときめかない」サービスも珍しい。
当時は「こんな世界があるのか」と驚きとときめきのばかりだったが、
その後でも「Googleの出現」「Q&Aサイトの出現(自分の中では人力検索はてな)」
「ソーシャルブックマーク」「ウィキペディア」「ウェイバックマシン」
「Googleアース」「Googleストリートビュー」などは
「とくめく」サービスだった。
一方で、非公開SNS(ミクシィ)や仮想空間サービス、アバターには
「全然ときめきを感じなかった。」
自分の中では、ツィッターは「全然ときめかないサービスNo.1」である。
何故だろうか?
そもそも
「140字内という制約を課すのって、技術の後退じゃないか?」という先入観だろうか?
新規の技術性を全然感じないのである。
「140字内のつぶやきなんて、自分のブログですればいいじゃん」と思う。
「ブログは長文で更新頻度が1日1回程度がデファクトスタンダード」という自己規制なんて、
勝手に取っ払えばいいのである。
自分は、ブログ時代到来前から、自らが11年前から管理運営する掲示板に、
超長文を投稿することもあれば、50字程度の「つぶやき」を投稿したり、と
気ままに使ってきた。
おかげさまで、常連の方々が出入りする掲示板に成長し、自分の「つぶやき投稿」に対して
適度なレスが入るし、逆に常連が「つぶやいている」ケースもある。
そういう自由気ままな使い方をしている自分から見れば、ツィッターは「制約が多すぎる」のである。
ツィッターは理解すればいいのか?
鬼のようなことを言うと、世表現を規制したい人って、ポルノ業者を駆逐してより優れた性表現をすることができないだけではないのか。
性教育はしなければいけないが、ポルノの性表現を超えてデファクトスタンダードとなるような良質な性教育を行うめどは立たない。
さらに言えば、彼らの供給する性教育はクライアントたる子供への訴求力が足りない。ヒットした『ないしょのつぼみ』を書いたのはやぶうち優という民間の作家と小学館という民間出版社であって、文部科学省や学校ではない。(おそらく『ないしょのつぼみ』は性教育に役立っているにも関わらず、性教育に反すると言われて規制の対象に挙げられるだろう。なーんじゃそれ?)
じゃあ文部科学省や学校は何をやっているのか? つまらなく受け入れられない性教育を続けるだけか? それでは子供は性教育をつまらなく思い、受け入れないだけだろう。教育が成立していない。
彼らが供給者として失敗しているから、他の供給者を駆逐しよう、というのは全く社会の発展に資さないというか、自由主義以前の封建制や絶対王政の思想だと思う。
自由主義国家としては、ゴミのような言論が流行っていると嘆くなら、もっと優れた言論を野に放ってゴミを駆逐したらどうよ、出来ないならお前らの方がゴミなんじゃないの、ということになると思う。
エイプリールフールということで、すでに飽きたーという声もあるが、例のごとくネット上でパロディサイトが沢山出来ている。
気の利いたパロディもある。し、割とどうでも良い物もある。
さて、と思うのは、さすがに公式ではあまり毒のあるパロディはやらないよな、という点。
経済活動において信用は第一の物であるし、間違いなく、それは正解だと思う。
意図的に毒を吐いて、客に不快な思いをさせて、難癖つけられて炎上し、会社(や個人)の信用を落としてもそれは自業自得としか言えないだろうから。
そうすると、毒を吐くのだったら、匿名の方が良いよな、ということにもなる。この増田のシステムのように。
Twitterも毒を吐くのには不適切であろう。下手をしなくても本人に読まれる可能性が高いし。というか、Twitterはアーキテクチャ的に、「好きな時に軽く書き込める」ように出来ている。ということは、そういういうことが出来る人達が有利というか、場の主導権を握っていくシステムでもある。
そういういうことが出来る人達、つまり、一日中コンピュータ(モバイル含む)でネットにつながれるような人達は限定されている。例えば、IT関係者、フリーランスの人、研究者、無職、自分の時間の使い方に裁量権があるくらい偉い人、あるいは暇をもてあましている金持ち。とすると、例えば、フリーランスのライターが売名行為の一貫として(自分が不利にならないような)真実を突いた、欺瞞を暴いた発言をする、というのが多分、効果的な使い方の一つなのであろうとは思う。
話がそれたので元に戻すと、なぜ日本のお笑い番組が面白かったか(過去形)というと、ええ、それを本当にやってしまうのか?というところが面白かったのだと思う。ネットがなかった時代ならなおさら、過剰な演出であってもリアリティをもって受け止められただろうし。
そして、今はその場がネットに移っている訳だが。つまり、大きな子供の遊び場がネットに移っている、ということなのだろう。ただし、先に述べたように、公式で毒を吐くと、結果的に損になる場合も多いので、どの地点で叩かれるかを予測する空気読みの能力が非常に(TV時代以上に)問われる、ということではないだろうか、多分。
ただ、ちょっと感じるのは、日本がクリエイティビティというのは、そういう便乗や悪ノリをどこまで本気でやるか、みたいな点にあるとも思うのだ。便乗や悪ノリの変態改造を重ねて訳の分からない次元にいってしまうのが面白いのだと思う。
ネットサービスにしても、「日本発のデファクトスタンダードがない!」と嘆くよりも、例えば、どんどん流行りのTwitterを変態改造する、という態度が日本人的に生産的なんだと思う。どちらにせよ、米国のように、既得権益に真正面から対決して相手を破壊するような、GoogleのようなiTunesのような硬派(?)なサービスが、風土が違いすぎる日本でいきなり立ち上がる訳がないのではないか!というのはゆとり……、じゃなかった甘えかも知れないけれど、それは日本のやり方ではないよね、という気が非常にする。
結果から言えば、現在の日本のインターネットは当然の結果であり、別に「日本のインターネットは残念」なのではないと思う。不謹慎と悪趣味の境界に対峙しながら、空気を読んで、流行に便乗して、悪ノリし、変態改造を重ねて訳の分からない次元を目指すのがむしろ日本のインターネットの自然な姿なのだ、多分。
人が集まれば、金も集まる。人がいなくなれば、金も集まらない。日本の場合(という訳でもないかも知れないが)、既得権益はギリギリまで形骸化しないと、こちらの話に耳を貸さないだろうし、建設的な話を向こうから振ってこないだろう(radikoは良い例だ)。
では、ネットのエイプリールフールパロディも否定するのではなく、楽しんだ方が良いよね、ということにもなる。もちろん、「俺は、今までのエイプリールフールパロディも否定して、さらに創作者に知恵を絞らせているんだ!」という主張もありだと思うけどね。
能がない奴に取っては、資本主義社会が終われば価格調整メカニズムはなくなるものだと思っているらしい。
あるいは、同一労働同一賃金が、それに取って代わるデファクトスタンダードになると本気で思っているかのどちらか。あるいはどっちも。
なぜふぁぼったーは英語圏で負けたのか
http://d.hatena.ne.jp/ono_matope/20091102#1257177656
おれも外人に聞いてみた。7人に聞いてみた。現時点で5人から返答があった。
たったの1人に聞いてそれを鵜呑みにするってサービス開発者としてどうなのよ?マーケティング的な力がなさすぎる。プログラマーとしては普通程度の能力あるのかもしれないがその程度の姿勢でサービスは大きくできないよ。あのエントリ読んで「この辺がエンジニアの限界だな」思ったマーケ寄りの人間は多いと思う。
さて話がそれるので5人に聞けたことをまとめてみる。あくまでたったの5人だがな。聞くなら気合い入れて数百人に聞くとかしろ。話はそれからだ。
こんな具合に至極まっとうな意見が返ってきた。6についてはちょいムカつくが。日本のエンジニアそのものを否定するなよな。
だそうだ。
きついこと言わせてもらうけど、ふぁぼったーぐらいのレベルを作って運営するなんて誰でもできるレベル。業務レベルでガンガンやってる人なら簡単だよ。じゃあなぜ誰もやらないかっていうとニッチすぎて需要が少ないし、そんな狭い世界で勝ってもつまんないからだろうね。だからふぁぼったーに挑もうなんて誰も考えない。
別にサービスの存在そのものを否定してるわけじゃねーが、日本でも不安定・みにくいと不満たらたらなサービスだよ。まともな企業が参戦したら1週間で抜かれるレベル。まずは国内で絶対に抜かれないようなデファクトスタンダード築きなよって。地元も制すことができないうちにかっこつけて英語圏なんて。まとぺさんの近くにいる某氏が言ってたよ「当たり前のこともできてないのに、偉そうなこと言える彼の若さがうらやましい」ってね。
去年まとぺさんが散々disってたえがちゃんの方が遥かに需要のあるしっかりとしたサービス作った。非モテSNSは足元しっかり固めてるよね。そこそこの企業が参戦しても簡単には抜かれないよ。
人をdisったり妄想したり自分を過大評価するのは一向に構わないが、そうこういしてる間に周りの人、つまりえがちゃんや俺も含めてドンドン前に進んでるよ。四の五の言わずにエンジニアだったらコード書き続ければいいし、えがちゃんタイプなら人を引き付ける行動力と夢で進めばいい。俺は今中華圏のブログサービスを展開中だ。夢があって楽しいよ。日本やアメリカみたいに自由に動けないけどね。言語だけじゃなくて文化も違うから苦労することが多い。その分リターンは大きいし、失敗する可能性もくそ高い。
海外でやるってのはそういうことだ。日本に閉じこもって地元ですらNo.1になれないで海外を夢見る若者に未来は無いと思うよ。はいはい匿名乙。どうせこれにも匿名乙しか言えないんだろ。乙乙。おっぱつ乙。
(参考)
ネットにおけるコミュニケーションの際に匿名と実名という二つの選択肢があるが、
同時にだからこそ真に人間的な(勿論これは錯覚であるが)コミュニケーションだと考えられ、広く普及した。
対して後からそれを追いかけるように実名による情報発信、プロモーションの手段としてネットを利用する人々が増え始めた。
しかしながら匿名文化が実名文化に先行したネットのコミュニケーション世界では、
匿名文化こそがコミュニケーションのデファクトスタンダードとして多くの人が認識していると思われる。
匿名文化とは前述の通り性悪説によって立つものであり、ここでのネットにおけるコミュニケーションとは
「現実社会では言えない事でも言ってしまえるし、匿名である限りそれは他の匿名者との共犯関係として尊重される」という事を意味する。
これを基本とするよりアクティブなネットユーザー層にとって、実名ユーザーとは「自分達を相対化するもの」である。
結果として実名ユーザーとは「精錬潔白で、かつ実名と共に発言するに足るだけの有意義な情報リソース」としてのスタンスが求められる。