はてなキーワード: 100m走とは
先日起きた一週間に及ぶ株価の暴落は、
アキュセラの会長兼CEOの窪田良による人災だと認識しています。
なぜそう言い切れるのか?
会社の未来を左右する重要な発表を
当初6月に発表すると報道しておきながら、突然5月に発表したからです。
オリンピックでいうと100M走の決勝戦で大衆が見守る中、
おもいっきりフライングをするようなものです。
本当のオリンピックなら当然反則になりますが、ここのオリンピック(東証)では、
公式に新記録として認定され、しかも金メダルまで獲得してしまいました。
そんなことをすれば、競技を見に来た観客は怒り狂うでしょう。
ウサインボルトが世界新記録を出して金メダルを獲る瞬間を期待していたら、
「こんな競技2度とみるかっ!」「こんな大会廃止してしまえっ!」
と、怒り狂うでしょう。
でも東証では実際にそういうことが起こりました。
・治験失敗したこと ⇒ ○しょうがない。可能性としてはよくある事
・5月25日にストップ安をつけたこと ⇒ ○しょうがない。よくある事
(直近5ヶ月間で株価が10倍近くに膨れていたので利益確定売りが始まってもおかしくない)
・北尾CEOによる買い煽り ⇒ ○しょうがない。迷惑だがよくある事
・5月26日の早朝に結果発表した事 ⇒ ☓ 窪田良会長による人災
(史上最大の爆弾を投下)
やはりこれに尽きます。
株主はそれを望んでいたでしょうか?
いいえ、1ミリたりとも望んでいません。
トップラインデータの結果が他の社員、役員が漏らしてしまうようなズブズブな管理体制なので
6月まで公表ぜずにいるとインサイダーに抵触してしまう可能性が高かったため、
前倒しして26日に発表したという事であれば、少しは理解できますが、
ブルームバーグでは、
‘アキュセラの柏野広報担当は、「情報漏えいがあったという事実はない。
アキュセラ社は情報管理を徹底していて、役職員に対しての教育も十分行っている」と述べた。’
とあります。
(アキュセラ:情報漏えいの事実ない-試験結果公表前の株価急落で:ブルームバーグ記事)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-06-01/O82KI36S972L01
それなら尚更6月まで発表は控えるべき。言っていることが矛盾だらけです。
5月~6月頃に結果が出次第発表するとアナウンスしておくべきです。
この発言で分かったことは、
ということです。
含み益のある株主は、結果公表の前に全ポジションを解消するか、
あるいは1~9割くらいは解消するつもりだった人がいたはずです。
そのため、5月下旬から6月に差し掛かかれば、治験結果が良くても悪くてもいいように
防御態勢(ポジション調整)をとっていたでしょう。
防御態勢がとれていれば、5日連続のストップ安はまずありません。
結果的に株主の期待を裏切り、失望させ、その上怒りをかった本人は、
もし悪気がなかったのだとしたら、上場会社の経営者として0点です。
あまりにも未来を予想する能力が無さ過ぎます。
2016年5月25日(水)から6月2日(木)の7日間にかけてアキュセラ・インクの株価が
7,700円から1,100円まで下落し、東証市場最短で株価が7分の1に減った事象をいう。
その間、インサイダー疑惑が取りざたされたが、大株主のSBIグループも窪田CEOからもインサイダーは行っていないという発表があった。
あなたの独断で多くの投資家が人生を失う危機に陥ったのですから。
アキュセラ。
7600→1100。良い勉強代でした。自分のルールを守れずJCした結果なので、後悔はしない。猛省する。
ここでお別れ。でもアキュセラはこれからも信じてる。— たけ@アキュセラで退場中。 (@takecera) 2016年6月2日
おはようございます
今日は清々しい天気で気分も少し違います
最近、普段感じられなかった当たり前の事が凄く大切な事に気付かされています
アキュセラは今日こそ寄って欲しいです…
追証金額も1000万超えそうな勢いです pic.twitter.com/X1rKyQR2sf— おに (@ryu5381) 2016年6月1日
うちのアキュセラ、来週からいよいよ含み損の域に突入していくわけだけど、どこで寄るかによってリーマン以来の爆損になる 人生二度目の大敗— のんちぇる@入院中(8日目) (@nonchel_fx) 2016年5月28日
窪田会長は以前に、私は忘れる能力が長けていると自らインタビューに答えています。
集中力を鍛える「忘れる力」(PRESIDENT online)
http://president.jp/articles/-/16342
うまくいかなかったことは、すぐに忘れて次の事に集中するのだと。
そして、アキュセラショックが一段落ついた頃には
六本木のキャバクラに出没していると目撃情報がありました。流石です。
やっぱアキュセラは売りか
“@jkerouac1117: 六本木のキャバクラ行ったらアキュセラの窪田社長いたんだけどwww#六本木Baddgirl”— Taiki_A (@taiki_asakawa) 2016年6月3日
でも、これだけ不名誉な記録を作り、
あなたの会社を信じた株主に大きな犠牲を強いた事は
持ち前の長所で忘れているとしても、たまには思い出してもらってこれからの
研究をなんとしても成功できるように尽力してほしいものです。
今の日本に求められているのって「諦め」だよね
「諦めろ」って言ってくれる人を待ってる作業ように思える
それが正しいことに違いないと思うから、物事の諦め方がわからない
正確に言えば、正しい諦め方がわかりにくい
何かを諦めたからといって、他の全てを諦めなければいけないわけじゃない
でも、多くの人が何か一つを諦めると、自分自身に対する諦めが芽生えるせいか
そこで達観してしまって、色んなことを「非現実的」といって切り捨ててしまう気がするんだ
もしかすると、仏教は正しい諦め方を勧める宗教なのかもしれない
でも、俺たちに必要なのは宗教ではなくて、もっと実践的に諦めるやり方なんじゃないだろうか
経営者やアスリートの本なんかを読むと、意外に彼らが多くを諦めて前に進んでいたことがわかる。
例えば、為末さんは本当は100m走でキャリアを積みたかったけど
五輪でメダル獲得を夢見て(決して花形とはいえない)400mハードルに転向したそうだ。
俺たちは子どもの頃に教わった通りに「諦めずに頑張る」ことを信奉してきたけど
家族にダイエットするって公言してたらラウンドワン的なところに連れて行ってもらえました。
人生で初めて行きましたよ、ああいうとこ。その場の全員がリア充っぽいオーラ発散しててびびった。
そしてデブが私しかいなかったよ。悲しいぐらいに私しかいなかった。
関節等に負担かけないように比較的運動量が少なそうなスポーツってことで、卓球をやりました。中学の体育以来だったのかも。
始めた当初は2ラリー未満ぐらいで取りこぼしたもんだから球拾いが辛いのなんの。汗だくでした。私一人だけ。
やってるうちにだんだん慣れてきてラリーを続けられるようになり、小一時間経つ頃には駆け引きめいたことも少しはできるようになりました。
もちろん相手の手のひらの上で転がされてただけなんですが、我ながらなかなかの上達スピード。
思えば通知表の体育の成績は常に1とか2とかだったけど、アラサーにして新たな才能が花開いちゃったかもしれないです。
卓球って100m走るのに24秒かかる人間でも戦えるやつかな?
そんな訳で楽しく運動させてもらったんですけども、ダイエット的にはちょっとアレだったかもしれないですよね。
ネット上の「叩きたい」人っていうのは、あらゆるささいなことで揚げ足をとって叩きにかかるわけで、それこそ相手の職業(お前ニートだろとか)からちょっとした言いまつがいまで、ありとあらゆることを「叩き」に結びつけるよね? そのひとつひとつに深い意図があるというより、早い話が「言いがかり」っていうか。「お前のカーチャンでーべーそー」的な定型句罵りというか。違うの??? まあ、増田の文章に寄り添うならば「生まれつきデベソのわたしは、”お前のカーチャンデベソ”という罵り言葉に深く傷ついてきた」という感じになるのかもしれないが……まあ、そういわれれば、それはまあ確かにそうかもしれないが。。。
ただ具体的に、今回増田が主張している「男/女」問題に焦点をしぼって話すとすれば、それは100%「八つ当たり」と言い切れるのだろうか?? 性別(男女差)に由来する”傾向”というのは、現実的にあるのではないかな?
たとえば、女性の平均寿命のほうが男性より長いとか、平均身長は男性のほうが高いとか。運動系の世界記録(たとえば100m走のタイムとか)は男性がもっていることが多いとか。
もちろん、男女差より個人差のほうが大きいわけで、そこらへんのお兄ちゃんはジョイナーより全然足遅い。短命な女性も長寿のおじいちゃんもノミの夫婦もいる。
だけど、たとえば「痴漢」というと、漢字からしてそうだけど、男性は加害者という”傾向”がある。もちろん、電車の中で男子高校生の****をなでまわす犯罪者おばさんだってゼロとは言い切れない。でも、一般的な”傾向”としてね。やっぱり、男女差っていうのはあるんだと思う。
増田はさ、男性から女性に向けられた批判の数々を読んで、ただただ、傷ついてただけ??
「私だけは、絶対そんな女性にはならないようにしよう!!」とか
「”だから女は”なんていわれないように、ちゃんとしなきゃ!頑張らなきゃ!!!」とか
「そんなの女の一部よ! 絶対そんなことないって、偏見持ってる奴らの鼻先に実績をつきつけてやりたい!」とか
「迷惑行為するオバハン、マジでやめてほしい。そういう一部の女性のせいで、女性全体が悪いイメージで見られるじゃないのよ!」とか、
1ミリも思わなかった? 青臭い理想に燃えちゃったりとか、全然しなかったの??
女性叩きの内容は、本当に「八つ当たり」、ただの言いがかり的叩き100%だったの? 批判の内容には、”傾向”的に女性が犯しがちな要素はなかったの?
そこに対して、女性として襟を正したりする要素はまったくなかった??? 「勇気を出して痴漢を取り押さえる男性」みたいな矜持は全然めばえなかった??
自分がなってもつらいけど、
近しい人がなってももっとつらい。
どうして、この人がこのタイミングでこんな風になったんだべか。
一病息災、って言葉も実感してるけど
無病息災、の方がいいっしょ。
医療費だって、かからない人ってぜんぜんかかってないんでしょ?
確定申告、毎年してるよ。
がんばってるこのときに、
邪魔されてるかんじ。
勉強して、部活して、その上で成績なんかのいろいろ悩みは出るだろうけど
110mハードルの走り方と、100m走の走り方って違うよね。
自分でその種目を選んだのか、選ばざるを得なかったのか
なんかもう、なんでなんだろうって黒い思いがぐるぐるする。
一生治らなくてエンドレス対症療法や、特定疾患で今後の生命保険どうしようとか
知らない人はずうっと知らなくて良いことを背負っていくのは、ちょっとしんどいなあ。
うん、でも
それを全部全部ひっくるめてその人なんだ、ということは
でもたまに、こういうやるせない気持ちになあるというか、もにょっちゃうんだよね。
はー。
コミュニケーション力のある人には理解できないかもしれないが、コミュ障にとって会話とは「つらいもの」なのだ。
例えば、コミュ障にとって会話や飲み会に誘われることは、運動不足な人が100m走やハーフマラソンに誘われることと同じくらいつらい。普段から運動している人にとっては、走ることに限らずスポーツはとても楽しいものだろう。しかし、まったく基礎体力が無い人は、その楽しさを感じる前に力尽きてしまう。そんな体力の無さを考えず、自分が楽しいからと他の人をランニングに誘い、無理やり走らせて、息も絶え絶えになっていることにも気づかず、「どうだ、走ることは楽しいだろう!」なんて声をかける人は、逆恨みされてもしかたない。コミュニケーション力はあっても、気遣いが無い。
コミュニケーション的にマッチョな人は、自分のコミュニケーション力の高さと相手のコミュニケーション力の無さを頭に入れておいていただけると、その親切が余計なお世話にならなくて済むのではないかと思う。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
誰もが知っている超名門高校を出て、日本で最高と言われる大学に入った。大学では少し遊び、遠回りをすることとなったが、いわゆるリーダーシップを発揮する経験も積み、所属する組織において一定以上の地位に立ち、そして価値を提供してきたと自負している。腹を割って話すことのできる友人にも多く巡り合った。このような大学生活の後、就職活動に臨むこととなった。誰もが羨む、そして自らも納得することのできる企業に直ぐに決まると信じて疑わなかった。
「しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。」
同期が着々と内定を獲得していく。自分は滑り止めだと思っていたところにすら落ちる。自分よりも愚鈍であろうと思っていた人間も進路が決まっていく。周りが浮かれていく中、かつて歯牙にもかけなかった企業のエントリーシートを書く。
「彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。」
こうして李徴は虎になってしまったわけだが、私もまた虎になってしまうかもしれない。
彼は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を虎となった原因として挙げていた。これは(特に「素晴らしい」経歴を持つ人間であれば)誰もが持ちうるものではなかろうか。
私は今もなお虚勢を張り続けている。期待をかけ育ててくれた両親や語らいあった友、後輩に情けないところは見せられないと必死である。「就活は100m走じゃないから、ゆっくりと納得のいくところに行くんだ」「なまじ考えが新卒っぽくないから、染まりにくいと評されているのではないか」と嘯き、自己を正当化しようともがいている。この言動が関わりのある人間を安心させるためのものではないことは自明である。自らの臆病な自尊心を飼い太らせるためのものだ。
実際私がなぜ内定を得ることができないか、正確な理由はわからない。企業からのフィードバックは当然ながらないので、不確定な仮説を立てる他はない。この仮説を立てる上で私の尊大な羞恥心は牙を剥く。「縁がなかった」「合わなかった」と結論付けるのだ。
何も現状の仕組みについて不平を言うつもりはない。それで結果を出す人は多くいるのだから。企業の採用活動は慈善事業ではないのだから落とす人間にコストを掛けないことは道理であるし、両親や友が期待も道理である。誰もが道理である行動をとり、結果私の中で猛獣が、虎が猛るのだ。
むしろ虎になってしまったほうが楽なのかもしれない。今からでも間に合うような、一般的に東大生が行くとは到底言い難い企業を受け何とか内定を取るのか、またはそうではないフリーターか何かになってぶらぶらとその日暮らしを送るのか。しかし虎に身をやつした李徴がどれほど悲しみに胸を灼いたことか。ふと我に返り、自分の無駄にした人生に嘆くこととなるのは目に見えている。
これらを総称するといわゆる「大手病」であろう。良く聞く言葉だ。しかし、私の経歴を辿るような人は皆この病に罹っている、猛獣を内側に飼っているのではないだろうか。誰がこのシステムの中、好き好んで羨まれる経歴を歩みながら道を外すことがあろう。大手病自体が悪いのではなく、結果が出ないことの原因を大企業だけを受けていることに求めているに過ぎないのではなかろうか。特に一定以上の学歴である場合は。
熱意があればいいだろう、熱意が足りないのだ、熱意を見せろと言われたこともある。が、そもそも何で測るというのか。志望理由は明快にし、論理は組んでいるはずである。そういった準備をおろそかにするほどに馬鹿ではなかったから。もっとも、「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがある」のかも知れないが。
私は見えないものと戦っている。取り掛かるべき相手が誰なのか全くわからない。自分なのか、他者なのか、企業なのか、はたまた社会システムなのか、何に不平を言えばいいのだろう。何を変えればいいのだろう。そこには悪意はない。悪意のない殺意が私の首を真綿で絞めるように、私をじわじわと殺している。
嗤ってくれ、虎になってしまう哀れな男を。そしてこの虎の中にかつての私がまだ生きているしるしにこんな文を書いてしまった。願わくばより広く広まれば。
本当に虎になってしまうのか、それとも「人」として就職活動を終えることができるのか。それは神のみぞ知る。天命に任せよう。がおー。
夜中だし酔ってるし腹がたった。
抵抗はしたけど、殴られて首締められてできなくなった。
これ以上痛い思いをしたくなかったら暴れるな、次は死んじゃうかもよ。だってさ。
平衡感覚が狂って、たった数メートル先のトイレまで歩けなかった。這って行った。
鼻血と腫れで外を歩けないご面相。身体の方もあちこち打撲。肋骨にヒビ。
精神的にもダメージが大きく、生活をかなり変えざるを得なかった。
そのあたりは克服したけど、未だに暗いと眠れない。常夜灯じゃダメ。
そのときもし妊娠していて、中絶もできないのなら、おそらく自殺してた。
産む産まない以前に、腹の中で育つと思うだけでおぞましい。
レイプされても中絶禁止ってのは、そういうのを押さえつけても出産を強制するってことだよ。
母親には捨てられ、父親は母親をレイプした犯罪者。しかも戸籍にそれが残ってしまう。
なんていう罰ゲームですか、それ。100m走に1000mのハンディをつけられたようなもの。
容姿も遺伝による形質が占めるウェイトは30%もないだろ。
殆どが幼少期の行動で決まるよ。
大体は、そこから波及してく。
そしてそれは、周りの人間との関わりで決まるし。
(先天的な病気を持っている方には申し訳ないが、こういった主張が出来る人々を対象に書かせていただきます)
遺伝子で将来が決まるんなら、ヒトゲノム計画とかものすごい成果上げとるわ。
今、陸上競技者の遺伝子コード解析してトレーニングに生かそうとかしてるけど、
持久走向きの特徴の方が多いとか、短距離走向きの特徴の方が多いとか、長距離の場合のペース配分とか短距離種目の種目変更ぐらいの参考にしかならんのよ。
遺伝子的には長距離向きだからマラソンやれと100m走の選手に言っても、俄然無理なわけ。
かといって、
とも断言できんよ。
といった雑感を得たので、俺は育ちが悪いと。
結果出してから文句言うべきだよな。
なんで皆結果出す前の手段で○○やりたくない、○○が気に入らないとか文句言ってるんだろ。
そんな事してる暇があったらさっさと望む結果を出す為に、
過程なんて気にしないで頭をひねって実行して、
さっさと結果出すために過程が気にいるか気に入らないかなんぞ気にせず
トライ&エラーを繰り返して結果を出す方向にちょっとずつでも近づけばいい。
んで結果が出るまでは、どうやったらうまくいくか、現時点がどこが悪いかをひたすら考える
それが一番の近道だと気づいて実行したら、
大概なんでもなんとかなるって事に気づいたわ。
逆にそうしないとなんともならんわ。余程の才能が無い限りね。
んで出来るようになってから、やっと前の自分のどこどこがどう悪かったって言えると思うけどな。
(ちなみに100m走で10秒切りたいとか、そんな極端な事はしらんよ)