はてなキーワード: 権威とは
「学問ヅラしてるんだからしっかりせい」「エビデンスのないお気持ち棍棒振り回すんじゃねえ」
と思っていた。
しかし、よく考えると、アレはサブカルだったのではなかろうか?
そう考えると全て合点が行く。
やたら学問ぶるくせに、根拠自体は何もない。政治に絡みたがる。オタク文化を不必要に見下したがる。誰も読みたくないエッセイを書いてはこれが社会を腐らせてると改革者ぶりたがる。
サブカルだったのか。そうか。謎が解けた。全てがそうじゃないというかもしれない。そういうまじめに学問やってる人には申し訳ない。でも東大のフェミの権威が、都合の悪いエビデンスを隠すと豪語する学問が他にあるか?
中学校の先生が不良の更生をできないように、体育の先生が運動音痴を治せないように、個人間のトラブルも裁判所が解決することはできない。
大きな建物や東大卒のブランドに圧倒されて、本来できないことが出来ると洗脳されて信じる人がいるだけ。
国の発行する権威はこけおどし
しかし社会では表面的に「未来予知ができたように見える人」が称えられます。
現代社会は未来予知のできる人間が権威を得るシステムによって運営されているのです。
学歴であったり、投資やギャンブルであったり、先見の明をもった作家性であったり、古参のファンであったり。
表面上はいくつかの権威があるように見えますが最終的には「未来予知」に繋がります。
予算配分する人間は「正しい未来予想」ができれば手柄になります。
このとき、切り捨てられたものが成功すると「正しい未来予想ができていなかった」ということになります。
切り捨てられたものには万が一にも成功してもらっては困るわけです。
判断を下す人間が未来予知に成功したように見せるためには都合が悪いということです。
「選択と集中」という理屈は一種の「予言の自己実現」的なふるまいと言えるでしょう。
立場が上の人間は「未来予知に成功しなければならない」という重圧にさらされます。
こういう話題の馬鹿の一つ覚えみたいな趣味なんだから金惜しむなよやらなきゃいいじゃんって意味分かんないわ
ペイする事を含むなら趣味じゃないって単なる一価値観による暴論だしその人がやってる趣味嗜好の範囲を他人が決めるって意味わかんないじゃん
自分でやるならそうすればいいけど値段のどうこうやノベルティや無配含めうまいことやりくりするそれ自体も趣味の一環て人もそりゃいるでしょ
同人二次創作って枠上不必要に利益は出ないようにってそれを一種の遊びだと思ってる人も当然いるだろうし
それを金勘定を含まない趣味をいちいち挙げてホラこの趣味はお金なんて気にしてない!って知らんがなって感じ
そりゃそうでしょそういう趣味を例に持って来てんだからっていう
世の中金絡む趣味なんていくつもあるのに恣意的にも過ぎるでしょ
同人イベント参加とネットの活動が同じものだって括ってんのも意味わかんないしそれも何勝手に言ってんの?って感じ
同じだって思ってる人もそりゃいるだろうけど人によっては被る部分があるだけの完全な別物でそんな場合WEB掲載なんて代替になんてならないし代わりにこっちでいいだろってどこ目線だよって思うわ
何回も言うけど何で人の趣味を勝手に定義してんの?何でネットで公開する事が同人活動って趣味においてその人が得られる感慨や充実感の代わりになり得ると思うの?どんだけ解った気になってんの?何を根拠に少なくとも何万人かはいる同人を趣味にしてる人間が同人活動へ求めるそれぞれのものがネットでのそれで代替可能だなんて考えに至ってんの?
そもそも同人の頒布っていうグレーさの部分に限った問題提起へのひとつの手段としてのネット公開って話を趣味としての代替として足るものって捉えてるの物事の区別つかないまま人にどうこう言えると思うその自信はどこから来るの?何なの?ってなるわ
ていうかそれならそんなの買う側だって金出したくないならイベントなんて行かずネットだけ見てればいいじゃんて話だけどそうでもないじゃん
それでいいって人も大勢いるけどそれだけじゃないからもっと刷ってくれればいいのに安くなればいいのに装丁なんていらないのに再販してくれればいいのに通販してくれればいいのにネットで公開されればいいのにDL販売でいいのにって声があがるんでしょ
本の形になる事でネットだけでは必ずしも得られないものを目にする機会もあって単純に代替になるかって言ったらそうじゃないじゃん
そういう現実として買うだけの参加でさえ例え不本意だとしてもイベントとネットでの得られる経験の差異があるのに作る側のイベント参加の同人趣味がネットでのそれで代わりになるんだからそうすればいいのにってハァ?って感じだわ
だから無料でのネット公開はそういう意味でも望むんだろうけどそんなのはただの自分の都合なわけじゃん
本にするのは作り手側の趣味の上の都合だけどそれを自分の中で否とする自由があるように個人の都合で他人は縛れないでしょ受け入れるのも振り回されるのも自由だけど
個人的にだけどジャンルの値段設定って風潮も正直馬鹿馬鹿しいわ
そんなの部数だけじゃなく使う印刷会社や入稿時期や装丁で単価なんて変わるしそれこそ費用カンパで頒布て前提として揃える必要なんてどこにもないでしょって思ってしまう
別にそうしたくてするのは自由だけど同人て定義を大きく逸れるものでもないなら人の値段に口出すのも同調圧力もやっぱり意味分かんないわ
読んで欲しい手に取って欲しいからって気持ちは理解できるけど元増田のみたいな部数による値段の推移やそもそもの本作りにかかった分を出して貰う事での頒布って感覚が理解できてない人の意見なんて単に知識がない事での疑問や勝手な思い込みなんだからそこに寄り添う事なんてしなくても本来は問題なんてないでしょって
いやそういうスタンスで行くんだって思うのも自由だよでもしたくもない気兼ねして気疲れして本末転倒になっててほんと理解出来ないわ
趣味だからこそ布教や交流やプレゼン的な部分をメインにして頒布を目的に値段を抑えて調節するのも自分の思い描いたものを形にする事自体に重きを置いてその結果単価が上がってその通りに値段付けるのもそれは嗜好によってそれぞれでしょ
シンプルに大量に刷って安価でイベント跨いでまた通販で頒布するのも高価になる豪華本を予約とって刷って1回のイベント限定にするのもどっちもその人の趣味としての楽しみ方なんだからそこに最低限の同人の原則以上の基準を設けるなんて何の意味があるのって思うわ
本出して頒布する事より周りと交流して足並み揃えてその中で楽しめる事が趣味としての同人活動で大事に思うからってならまあそれはそうなんだろうし本末転倒でもないんだろうけど
あと装丁なんて自己満足なんだからってのも結構聞くけどいや全部そうでしょって毎回なるわ
何で中身は自己満足じゃないみたいになってんのって
その自己満足の結果を同人て大きなジャンルの中の別の趣味として金払って自己満足で手に入れるってそれだけの話でしょ
どっちも全部が自己満足なんだよ
装丁は自己満足で~とかそんなのただ自分が趣味として求めてるものじゃないからそこに価値感じないってだけの話じゃん
求めてるものが得られたとしてもそれは自己満足として作られた中に合致するものがあったってだけでしょ
自分が欲しいものがあったからそこは自己満足じゃないそれ以外は自己満足って主観も客観もねえなって感じで怖ささえあるわ
その本がその装丁でその値段でその場で頒布されてるのがその人の趣味の結果なんだから気持ちはどうあれ行動としては欲しいなら買うかいらないと思ったなら手に取らなきゃいいだけの話でしょ
中だけ読めればいいのにってそれただのワガママだしそれで他人の趣味の形に文句つけて要は思うような形にしろよってどんだけ傲慢なんだよって感じだわ
いや言うのは自由だけどそこには言われた側に引き受ける義務は少しもないでしょ
応じてくれたとしてもそれはただの厚意で大いに感謝すべきものだわ
客と店の関係ならハンバーガーのオニオン嫌いだから抜いてなんてある程度通るのかもしれないけど趣味だって散々言っといて注文つけるって何勘違いしてんのって思うダブスタじゃん
アンソロの一人分だけしか読みたくないのに~!全部値段払わなきゃいけないのおかしくない?それ主催の自己満足でしょ??データ別売りすべきでしょ!!!みたいな馬鹿と一緒だわ
別に義務でもないんだから作る側がパッケージとした値段の価値があると思わなきゃその場去る自由もその選択権も自分にあるのに何でその責任をその本の方に乗っけようとすんのって
それこそ趣味に金惜しむなって言っといてしっかり損得考えての事なわけでしょ
趣味として作られたものに自分が欲しいもの以外は省け安くしろって要求は完全に頭おかしいけどでも自分がその値段払うのに装丁や別作家が損になるって考え方自体は悪い事じゃないし趣味の上の買い物では極普通の思考なわけじゃん
こっちでこの値段出したらあっちの買えないから我慢してこのDVD特装版フィギュアいらないから資料集だけ売ってくれ~いや資料集だけ抜いて他売れば相場はなんて気持ちとして普通にあり得るでしょ
それを趣味なんだから読みたいなら買えよ金無いならバイトでも何でもすればいいじゃん損得考えて悩むならそんな趣味やめてしまえってわざわざ言わないし言う奴余計なお世話だしお前その0か100かみたいな思考なんなの?ってなるじゃん
だって生活の中で何を選ぶかどう金を趣味に使うかは当人が決める価値観の範囲のものなんだから
逆に趣味なんだからこそその範囲は個々に裁量の自由が許されるでしょ
現状公儀で許容され得る同人の原則ルールの範囲内での値段設定という前提の下ならそこにどれだけ赤許容するのか何に金を出すのかどこまでを値段に反映させるのか交通費参加費印刷代装丁再販再録既にネットで公開していたものを本にするならどうするか数刷って在庫抱えても単価下げるか通販値下げ無料配布ノベルティグッズでの帳尻あわせ本当は全部個人の判断に委ねるべきものでしょ
それぞれへの個人的な価値観の表明も意見の殴り合いもやりたいならそれは自由だけどそれは前提として同程度の情報や知識の共有とあくまで最終的な決定権は個々にあるってその尊重意識あってじゃん
理解は出来ないけど元増田の友人さんみたいに自分で決めて自分でやめるのもまた戻るのも自由ではあるし他の描き手の値段設定も高めに値段付けてたサークルもそうじゃないとこもそこに皆合わせていった事もそれを同人活動においてのある種問題の象徴のように思った元増田もそれは全部そういう意味では何も間違いではないけど趣味としての遊びにそれを趣味としない人間がそもそもその趣味は趣味とは言えないその趣味ならこうすべきだこれが代わりになるからそれでいいだ何だって趣味としての正当性と倫理性を問う事と趣味と定義した中での懸念と問題提起を混同させて区別もつけられずに一方的に何にどう価値を求めてどういう範囲で金を使うかの幅までそこに定義してそこから漏れるならそれは趣味じゃないやめてしまえってマジかよって笑っちゃうわどの立場なんだよって権威か何かなの?
ほんと何なんだろ
"そこそこ話題になった作品"を切る能力より、"ネット的なバズ要素がなくて埋もれがちだが良い作品"を確実に拾い上げる能力が欲しい。
が、それには数段上のオタク力を求められる。自分はその域にないから不確実だし、ネットの集合知も痒いところに手が届かないと感じている。
# 先期でいうと個人的には色づく世界の明日からがその枠だったかな。
# 多分制作会社とかの属性で予め注目してた人しか出会いづらそうな作品だった。
こき下ろすのは簡単だし、そういう記事はバズ力さえあれど情報としての価値はほぼゼロだ(単なるNot for meだし)。
一方、面白さを臆面なく語れる熱量ある文章が書ける人はなかなか居ない。
そういう文章に出会うと、自分の守備範囲外と思われた作品でも観る気になって興味を広げてもらえる。
# 先期でいうとSSSS.GRIDMANがまさにそれで、ネットのおかげで出会えた作品だった。
まあアニメを観ること自体が、その作者の展開する世界観を受け入れて趣味を広げてもらう行為ではあるのだけど。
そう思うと、「アレ切ったコレ切った」という話が盛り上がるのはなんだか心の毒だなという感じがする。
かくいう自分も青ブタは作品名とキャラデザに第六感を働かせてパスしたクチなんだけど、SF的に面白いという話はネットのみならず友人からも伝え聞いていたのでいつか見たいという気持ちはあった。
でも他人の評価がどうあれ、自分が直感で一旦パスして機会を逸したものを見るのって相当難しいんだよね。すごく意志力がいる。へたに評価が高いと余計にいる。
今期見てるのが少ないという好機ですら、"見ようと思ってた過去のアニメ"よりも目の前のスマホゲームやVtuberなんかを優先してしまう。
だから色々理由つけて「切った」ってことにしちゃうのが人間の心の弱さなのかもね。
0話切りとなるとまさにそんな感じで。実際数話見て「合わないな」ってなるのなら普通のことだけどね。
まあその場合も言いふらしてアピールすることではないと思うけども。
誰かに対するエクスキューズという訳でもなく好みマウントとしての「切った」アピールは業が深いよね。
自分の好みを知ってほしいクセして、どんどん興味も理解者も狭めていこうとする矛盾。
オタクになるほどそういうひねくれた性質を獲得していってしまう人とそうでない人の違いはなんだろね。
オタク趣味な自分を受容できなくて、迫害が怖くて、自分の好み自体を権威づけして強くみせなきゃという強迫観念。
あるいはその箔付け思考は単なるヤンキー気質と同じもの。とか言ってみるとそれっぽいのかな。
どうせなら博識で人柄も良い、堂に入った、素直なオタクになりたいよね。