しかし社会では表面的に「未来予知ができたように見える人」が称えられます。
現代社会は未来予知のできる人間が権威を得るシステムによって運営されているのです。
学歴であったり、投資やギャンブルであったり、先見の明をもった作家性であったり、古参のファンであったり。
表面上はいくつかの権威があるように見えますが最終的には「未来予知」に繋がります。
予算配分する人間は「正しい未来予想」ができれば手柄になります。
このとき、切り捨てられたものが成功すると「正しい未来予想ができていなかった」ということになります。
切り捨てられたものには万が一にも成功してもらっては困るわけです。
判断を下す人間が未来予知に成功したように見せるためには都合が悪いということです。
「選択と集中」という理屈は一種の「予言の自己実現」的なふるまいと言えるでしょう。
立場が上の人間は「未来予知に成功しなければならない」という重圧にさらされます。
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この手の出来事は「未来予知」が関係するように思います。 究極的に人間の能力で完全な未来予知は不可能でしょう。 しかし社会では表面的に「未来予知ができたように見える人」が称...