はてなキーワード: 権威とは
増田のおまえらのことじゃなくて、いわゆるネットの「おまえら」「おまいら」「ぽまえら」の事な。
さっき、ニュース見てたらたむらけんじを罵倒したラーメン店にひっきりなしに電話が来るみたいなのやってたんだけど、
ほぼ9割無言電話。
そして、番組内で喋ってたやつもなんか底辺だとか言われる増田レベルまでいってない、正論でもないことを吐いてた。
店主「はい」
もうこの時点で「あ、頭わるいな」って思った。
ネット上ではイキイキと「理論」を重要視するのに、いざ生の声のレスバとなると警察だとかの権威を掲げる。
誰だって自分の見たいものしか見ない、Tumblrのような世界で生きている
反安倍信者が「どうせ御用学者でしょ」とみるように、真面目に向かい合わない
どうすれば向かい合ってくれるのか?
なかなか難しいが、まずは汚い言葉をやめること、そして中立性を持たせること、専門家の権威に話してもらうこと
「アベノミクス」に対抗する財政金融政策があれば、この辺は充実してくる
しかし一番誰でも簡単に思いつく、「財政拡大による需要増」しか出てこない
無視するなよ!危険性を話そうよ。その上で、受け入れられるラインはどこか?どこまで拡大していいか?
て話ぜんぜん出てこない
これではダメなのだ。例えばさすがGDP100倍とかになったらダメだろ?じゃあどこまで許せるの?その議論がない
十月に増田で上げたんだけど、当時はキズナアイの話ばっかで完全にスルーされた。
あの親父が、教育委員会に告訴をチラつかせてビビらせたことの背景にどこまで関係しているかはわからないが、虐待親に対して「児相が子供を拉致している」とか「薬漬けにしている」とか「子供を保護するのは補助金目当て」とか言ってセミナー開いたり本買いたりして、クズをカモって小銭を稼いでいるより酷いクズがいるということは知っておいた方がいいと思う。
そういうものがクソ親父の態度を増長させた可能性はあると思う。
俺は、たまたま統合失調症を患っていると思われる母親から、ツイッターで訳わかんないファボが飛んできて知った。
児相によって子供を拉致されたという主張の間に、妄想と思われる言葉や主述の辻褄がおかしいツイートが続いていたので、病識のない統合失調症だったのだと思う。病による症状が原因で通報、保護という流れになったと思われた。で、そういう親同士がネットで繋がって「児相が子供を拉致する」という話を共有していた。で、さらに検索すると、そういう親に上記のようなことを言って権威を与えてる連中が見つかる。
で、そういう連中の周りには、統合失調症だけじゃなく、千葉のクソ親父みたいな、虐待を隠したい、虐待を認めたくないクソ野郎がぶら下がって被害者ぶっているのが見つかった。はっきり言って地獄だ。
「フェミニズム」という言葉を徹底的に脱権威化・大衆化したいのか、それとも単に「これこそ真のフェミニズム。そっちはフェミニズムじゃない」という雑なレッテルに反論したいだけなのか、ちゃんと区別すべきだと思う。
もし後者なら、「フェミニズムは一人一派」なんて乱暴なちゃぶ台返しでしかないから今すぐやめるべき。中学校じゃないんだから、「この世に真の客観はない」みたいな古代から知られている当たり前の事実には何の情報もない。それよりも、「フェミニズムとは何か、という問い自体が哲学的命題を含んでいる」とか逃げ方はいくらでもある。
逆に、「フェミニズム」という言葉を脱権威化・大衆化したいなら、それが必ずしも望ましい意味で使われるとは限らないことも認めるべきだ。具体的には、「クソフェミ」のような蔑称や、「フェミニスト=女性に甘い男性」のような誤用にもある程度寛容でなければならない。もちろん、それらの用法は議論には適さないが、大衆化された言葉が議論に適さないのは当たり前。澄まし顔で「フェミニズムは一人一派」とかいう有識者じみた「正論」を述べるより、「俺クソフェミだからこういうの全部女性差別に見えるンスよねーっ。めんどくさいクソフェミですんません!(威圧」くらいの態度を大衆に見せる方が効果的だろう。
正直言って松本の発言が叩かれる度にいつも違和感を感じてる。松本はあくまでお笑い芸人だし、その辺のおっさんポジションから喋ってるだけ。別に政治家みたいな「正しい発言」をする必要などない。まずこれが大前提だ。芸人が芸人なりの意見を述べて何が悪いんだ? お笑い界、芸能界で大物になってしまったからといってそれは同じ。お前らが勝手に松本に「権威」を感じているからといって、松本が「お笑い芸人」であり「その辺のおっさん」である事実は変わらない。松本に社会問題なんて分かるわけねえだろ。そして政治家じゃないんだから分かるようになる必要もないのだ。
勿論、おまえらが次に「分からないなら時事問題について喋るな」と言い出すのは分かってる。でもそれは“テレビ番組”であり、そのインチキエンタメ議論によって時事問題についてふんわり分かった気になれるB層やジジババにニーズがある。“良く分からないけど世間で真面目に語られている問題”に視座を与えてもらい、自分もその議論に参加したように錯覚でき、何か考えたような気になれる。内容が卑近であればあるほどバカにも分かりやすくなるし、視聴者のニーズは満たされる。それがテレビ番組だろ。お前らが毎日はてブで分かりもしない記事にデタラメなコメント付けてるのと同じじゃん。
高度経済成長期以降、私が生まれたバブル崩壊の頃までは、今から考えれば旧態依然とした…というか古い考え方が主流で、肩書や資格、権威、過去の実績などが重視された。
高学歴は高学歴というだけで安泰だっただろうし、大企業に入りさえすればそれだけで安定していた。
特定の資格(医師、弁護士など)は取得さえすればやはり安泰だったのではないだろうか。
それが2000年代に入り、起業・ベンチャーブームともいうべきか、権威や実績はなくとも結果さえよければ評価される、大切なのは表面じゃなくて中身だ!みたいな価値観に変わった。
それまでの時代の価値観に対する反省みたいなものもあったのかもしれない。
恋愛において見た目(いわゆる三高)重視から中身重視に変容したのもこの時期ではなかったか。
就活で学歴偏重から人物重視がうたわれ出したのもこの時期ではなかったか。
そして2008年のリーマンショック以降、経済を中心に人々は(色々な意味で)「守り」に入ったように思う。
ITなど様々な面で技術革新が起こり、少ない労力で手軽に質の高いものを利用し楽しめるようになった。
1~数枚の写真と短文のみの情報で、非常にたくさんの「いいね!」を獲得できる「インスタ映え」するものが高く評価された。
多くの人が一目見て「いいね!」と感じるものが評価される…それはあたかもかつて権威や資格、過去の実績など「誰が見てもよいと思うもの」が評価されたのと酷似しているではないか。
あれの面白さが理解できない、悔しい、目障り、あんなの楽しんでる奴はバカ、無くなってしまえって思う?
多分思わないはず。それと全く同じことなんだよ。
いろんな生まれ育ちの人がいて、いろんな趣味嗜好があって、年齢や年代ごとのセンスがあって、
いろんな興味・熱意の深度レベルの人がいて、いろんな時間の都合や金銭事情の人がいて。
そういう複雑な要因ごとに楽しめるコンテンツは違う。
自分と全然違う人たちのうちの一部の心を掴むだけでも、世の中では大ヒットは生まれるんだよ。
そして、それと自分の興味は違っているのが当たり前で、同じでなくてもいいんだ。
偶然同じであれば楽しみを共有できる人は見つけやすいだろうから、幸運なことだとは思うが、ただそれだけだ。
流行っているものがマジョリティで権威があるかのような思い込みはする必要がない。
そういう主張は、流行っているものを偶然好きになった中の特に幼稚な人がしているだけだ。
かくいう自分は、アニメ漫画に対しては大抵の作品にはそういう感情を抱くことはないし、
ソシャゲにだってそれが素敵な体験「も」くれることは体験しているから嫌悪感はない。
それでも、自分と違いすぎるもの、例えばパチンコなんかには増田と似た感情を抱く。
あんなのはゲームですらないし、あれをボケーっと眺めて楽しいと思える人は脳が劣化してるとすら思う。
実父はあれで多重債務に陥り、それを隠していた。債務は整理させたが、
パチンコに行かなくなった今もパソコンでパチンコ・スロットゲームを延々としている。
他に趣味がない。テレビを四六時中つけっぱなしにしてずっと見ている程度だ。
それ以外のPC操作やコンピュータの事をまるで覚えようとしないし、いくら教えても理解しようとすることも拒む。
IDとパスワードの仕組みすらよく理解していない。パソコンは根暗の趣味で俺はやってられるかという感じだ。
他のゲームをいろいろ勧めてみても拒否する。別にFPSのような難しいものは勧めていない。
きっと父のような生まれ育ちの人にはパチンコがメジャーで上等な娯楽だと刷り込まれていて、
それ以外のゲームや漫画はみっともないものだと思っているんだと思う。
世代をはじめとした断絶が大きすぎて、その溝を埋めることは不可能だ。
そういう人はたくさんいるんだろう。そういう現実に対して、自分はどうすることもできない。