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はてなキーワード: 恫喝とは

2013-05-27

最近は、ナチュラルに交渉と恫喝の違いがわからない事例も増えてきた。

ほんと、なんでナチュラル恫喝とかパワハラできるのかわからない。

客も客で、ナチュラルに営業妨害。

同調圧力コミュニケーション能力とか、いろいろコミュニケーションが終わってきてるね。

 

派閥政治、それが生んだものが、こういう事になった。根深い。

2013-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20130523231241

もしも

「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」

と言われた店主が乙武の影響力を恐れて

乙武を抱えて階段上り乙武を店内に迎え入れたが

慣れない力仕事をしたせいでぎっくり腰になってしまい、一週間の営業停止を余儀なくされたとしたら

恫喝に屈し、本来だったらするつもりのなかったサービスをしたために身体を壊したのだから、訴えればそれなりの慰謝料を取れると思って

http://anond.hatelabo.jp/20130523231047

仮に恫喝だったとして、その程度で罪に問うとかなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20130523225953

乙武を運んでる最中ぎっくり腰になったら慰謝料を請求できるのか

「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」

恫喝にはあたらないのか

このへんが気になるです。

2013-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130514120031

それはそれで、どこまでが恫喝といえるかという問題になる。

「お財布預けてくれないと別れる」というのは恫喝だろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20130514115723

恐喝恫喝によって妻が給料を取り上げていたら、正にDV搾取だろ。

たんに、金管理しているだけなら、普通

2013-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20130509232944

ソ連北方領土返還交渉をしていたのはサンフランシスコ講和条約締結(1951)後の1955年から

連合国占領下でも「統治権」は日本政府にあったというのが一般的な認識

アメリカから「国後択捉を放棄するな」と強く言われた話は「ダレス恫喝」として今でこそ知られるようになったが、公式には明らかにされていない。


…まあ、自民党の古い方々にとっては当然の前提なのだろうけれども、たとえば内田樹とかが「日本アメリカ植民地だ」と言うのと、元総理が「冷戦下の日本の統治権はアメリカにあったからね-」と言うのとでは、全然重みも意味合いも違うよね。

2013-05-10

どこかの企業じゃないけどさ、人が辞めそうになったら

お前は4倍働いていたから、お前がいなくなったら4人人を雇わなければいけない大損害だみたいなことを平気で言う。

常識に照らしあわせれば、精神異常を疑わなければならないようなことを平気でいう人が管理職になっているわけでしょ?

結局、裁判起こされてどうなったのかしら無いけどさ・・・

 

恫喝することで、従業員の給料をせしめているのを許容するのはどうなのよ?って事。

2013-04-30

ヤクザから恫喝やユスリタカリを受けて困っている人に「激しくひっぱたけばビビって逃げてくよ」とアドバイスする奴。

http://anond.hatelabo.jp/20130430171055

一応ロシアとは、

長期間振りの交渉再開平和条約締結かっていう状況なんだよ?今回。

そういう相手に最初の一回は友好的姿勢を見せておいて悪くないと思うけど。


中国韓国は、

「友好したくないのか」って言いながら恫喝やユスリタカリをしてくる国だと、残念ながら結論が出てる。

彼等に対してはもう、向こうが1回小突いてきたらこちらも1回激しくひっぱたき返すような対応ベター

ロシアにはまだそういう残念な結論は出てない。


付き合いの上で、相手によって態度を変えるのは当たり前のことだよ。

(もちろんロシアだって、決して友好的な相手でも信用できる相手でも無いとは思うけど。

 中国韓国ほど酷い相手ではないかもしれない。初回はその期待を表明してもいい。)

2013-04-16

意見と文句の違い説明できますか?

私は昨日、

お前本当に文句言うのうまい

といわれました。

文句を言った覚えは一度もありません。

意見ならズバズバ言っています

あるひとは、

受け取るほうの捉え方だといっていました。

意見を言っても文句ととる人がいる

一方で

文句も意見だと思って取り入れる人がいる

受け手次第なんですね。

正当なのは私だという自信があります

恫喝に負けてはいけないと思います

泣いたら負けだと思います

女だから泣けばいいと思われるのがいやです。

空間をとらえて

間合いをつめて、

正しいかたちで

自分意見

言うんじゃなくて、

伝える。

ため息とかいれてはだめだ。

無言の圧力はいらない、

恫喝とあまり変わらないし

ただしさにこだわる。

今週の目標にしよ~っと

2013-02-15

教える側と教えられる側の関係性にまつわるファンタジー


「教える側と教えられる側、どちらの立場が上ですか?」

そう聞かれたら、なんて答える?


「教える側が上。」

そう答える人が結構いるんじゃないかな。

でも、実際には違うと思うんだ。

実際っていうのは「世間一般ではそういうことになってる」ってことじゃないよ。

「よくよく考えたら、教えられる側のほうが立場が上じゃね?」って構造になってるっていうこと。


だってそうじゃん。

教えたい側がどんなに一所懸命話しても、相手が話を聞くことを拒否したら教えるという行為は成立しない。

そう考えたら、教えられる側が主導権を持ってることは明らかでしょ。

「教えられる者」が「教わる者」として自分を下に位置づけなきゃ「学び」は生まれない。



SMってあるでしょ。

SM倶楽部の女王様インタビューを前にどこかで読んだことがあるんだけどさ、

彼女が言うには良い女王様になる為には奴隷に対する奉仕の心が必要なんだって

目の前の奴隷をよく観察して奴隷自身も気付いていない奴隷の欲望を刺激し開花させるのが醍醐味らしい。

それが一流の女王様仕事なのだとかなんとか。

なるほどと思ったよ。奴隷が喜ばないお仕置きはただの暴行であり強要であり恫喝だもんね。

奴隷快感を催さなければSMプレイは成立しない。

鞭で打たれる側がそれを拒否したらSMプレイとして成立しない。

お仕置きをする側」ではなく「お仕置きをされる側」がそれが暴行なのかプレイなのかを決定する権利を持っている。

女王様が上で奴隷が下という役割設定はプレイプレイたらしめる為のファンタジーだってことだよね。

お仕置きをされる者」が「ご褒美をもらう者」として自分を下に位置づけなきゃ「快感」は生まれない。



で、話を「教える側」と「教えられる側」の問題に戻そう。


さっき自分は、

「教えられる者」が「教わる者」として自分を下に位置づけなきゃ「学び」は生まれない。

と言った。でも、それが自発的か強制的かって実はあまり関係ないんじゃないかと思う。

っていうかそれが自発的なのか強制的なのかって厳密に分けるの無理じゃない?

自分は殴られて良かったって言ったり、体罰で処分された教師を擁護する教え子や保護者結構いるのは

彼らはそこから何かの「学び」を得たってことでしょ。その「学び」自体は否定してもしょうがない。

義務教育だって受ける側からすればほとんどの場合「強制」なんじゃないかな。


「教えられる者」を「教わる者」に変える方法として、つまり上下関係を了解させる手段として

具体的な力の行使や示威。つまり殴ったり怒鳴ったりするのはとりあえず手っ取り早いし、

一度出来た上下関係を維持する方法としては有効なんだよ。これは現実として認めるしかない。

だけど有効から体罰是認したほうがいいのかって言ったらそれは違う。


手段や方法は往々にしてそれ自体が目的に変わっちゃう。

「教えられる側」の「学び」への欲求を発動させ「教わる者」に変化させるのが目的だったはずの強制が、

上下関係の構築と維持自体が目的になったとき「教える側」は暴走する。それが体罰恫喝的な指導なんだと思うのよ。


とりあえず時間いからここまで。

2013-02-14

北朝鮮中国なんて、狐と狸、ヒトラースターリンだ。

よく「中国親分北朝鮮子分」、「最後には北朝鮮中国の言うことを聞く」という言説が横行している。

「似たような全体主義体制だから、互いに仲がいい」と思われているのか、

朝鮮戦争で共に戦った仲間、血で固めた友好関係」と思われているのか。

しかし、全体主義国家同士、独裁国家同士だからと言って、必ずしも仲が良い、という保証はない。

現状は単に、「互いの存在を認めて、利用するのが得策」と判断しているから、利己的理由で結びついているにすぎない。

本音では、中国北朝鮮を心底から信用していないし、逆に北朝鮮中国を心底から信用なんかしていないだろう。

現状で両国が「みせかけの友好関係」を保っているのは、

中国が「韓国などの親米民主国家国境と接するのは、共産党独裁体制に悪影響があるので、

独裁国家を間に挟んでおけば、緩衝地帯になって、一党独裁が維持できる」という打算をしていて、

その打算を北朝鮮が見抜いていて、援助を要求する、という間柄でしかない。

仮に「北朝鮮の現体制を維持するデメリットが、民主国家国境を接するデメリットを上回る」と

中国側が判断すれば、中国ドライ北朝鮮を見捨てるだろう。

北朝鮮側も、中国に見捨てられる最悪のシナリオは想定しているから、

見捨てられないように、様々な工作を講じているのだろう。

「見せかけの友好関係、根っこは相互不信」というのは、あたか

ヒトラースターリンが、一時的に不可侵条約で友好関係を演じた」ようなものである

ドイツソ連も、不可侵条約締結しておきながら、腹の中では全然相手のことなんか信用してなくて、

実際スグに不可侵条約は破棄された。

朝鮮戦争で共に戦った間柄」というウェットな感情論が、果たして両国軍人に通用するのか?

朝鮮戦争に実際に従軍していた世代って、恐らく1935年産まれ以前だから

まり今だと78歳以上になる。

大半が既に死亡しており、少なくとも除隊していて、今の軍関係者への影響力は少ない。

北朝鮮関係者であれば、例えば40歳軍人は、どのような世代だったのか?

仮に20歳で入隊したとして、入隊時は1993年。

かつてはソ連から多量の軍事援助があったが、それも1991年で打ち切り

恐らく1991年当時の北朝鮮軍内部は、突然のソ連援助打ち切りで、パニックになっただろう。

「自らの手で、国土を防衛しなきゃいけない、友邦頼みはマズイ、友邦なんてスグに裏切られる

という「自主防衛」の思想が、この時代に醸成されたと思う。

そういう時代に、彼らは入隊している。

なので、「自主防衛しなきゃならない、「友邦」なんか頼りにならない」という強烈な危機感が、

中堅以下の軍人には原体験としてある。

この辺の「北朝鮮世代論」を踏まえた議論というのを、自分は見たことない。

中国ソ連と親密な時代」を経験した軍人と、「自主防衛しなきゃいけない」時代しか体験してない軍人とでは、

行動原理は自ずから違うはずだ。

ソ連に裏切られ、朝鮮戦争記憶もない若手軍人は、中国依存軍事戦略なんて、危なっかしいと考えるだろう。

北が開発した核兵器は、確かに日米韓も照準にしている。

が、同時に北京も照準にしているハズだ。

北朝鮮国家生存のために必要とする国家は、アメリカ以上に中国なのである

であれば、「中国国家存続を要求するためのカード」として、北京核兵器を向け続ける必要がある。

北京北朝鮮の「命綱」を切ろうとしたら、核カードで「命綱を切ったら、核を打ち込むぞ」と恫喝するのである

2013-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20130212141216

スポーツなどの指導現場における恫喝暴力の行使について

1.体罰は、効果は(ある程度)あるが、悪いことである

2.体罰は、効果はないし、悪いことである

3.体罰は、効果はあるし、(ある程度なら)良いことである

4.体罰は、効果はないが、良いことである

自分は1だと思ってるんだけど世間の議論は2vs3ばっかりな気がするんだよね。

2013-01-28

3年もの暴力恫喝に耐え抜いた連中が、もう通う予定すらない母校の教職員が入れ替わる程度の事でガタガタ騒ぐあたり、体罰って全然効果ないよな。

2013-01-13

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしまう

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰は暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰は暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰は暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰は暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

2013-01-11

昔、詰められて出社拒否になった同僚が

当時の上司から電話越しに「じゃあお前今すぐ辞表持って来い!」と恫喝されていたことを思い出したのだが、あれは今思うと

「そんなことで落ち込んでどうするんだ、しっかりしろ!」

という、彼なりの激励だったんだろうなあ。

中途採用3ヶ月目、試用期間が終わる直前に別室に呼び出すアコギさといい、念の入った追い込み方ではある。

はいえ、未だに「お前今すぐ死ね!」メソッドで立ち直る人がいるというのが理解できない。

一体どういうメンタリティなんでしょ?


結局その後は「じゃあ出しま・・・」「おう、いつ出しに来るんだ?・・・あ?夜の10時だあ!? お前ふざけんなよ!!」と続き、翌朝出社→朝礼で上司が皆に退職することを告げるが挨拶はさせず→私物まとめさせて午前のうちに追い出しておしまい

つーわけで完全にミスコミュニケーションマジで双方が噛み合ってないまま、上司曰く「前にもあった、後味の悪い終わり方」となった。

自分なんかは紳士なので、「辞めろ」と言われたら「オメーが辞めろ!!!」と逆ギレしてメンバーシップに貢献するところなんだけど、結局一度もそんな事にはならず、今も社畜生活をダラダラ過ごしていたり。


ちなみにこれは今世紀になってからお話昭和だと思った人はごめんね。

2012-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20121225132319

橋下支持している人の場合、橋下が攻撃してる公務員利権日本でもダントツで醜悪な利権になってるってのが大きい

あいつら潰してくれるなら誰でもいいし、命の危険を顧みずよくぞやってくれたという気持ちも強い

橋下が市長になる前は、背中般若入れ墨を見せつけて市民恫喝するようなのが当たり前のように生活保護申請の窓口応対してたか

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