はてなキーワード: 安倍元首相とは
共産党バッシングが最近めちゃくちゃ激しいよね。でもちょっと考えてみてくれよ、それって自民党と旧統一教会のつながりから目をそらしたい勢力のキャンペーンの成果じゃないかって思うんだよね。
安倍元首相の暗殺事件が起きたせいで、自民党と旧統一教会の関係が世間的に明るみに出たわけだけど、それで安倍信者たちは完全にパニック状態になってんだよ。頭が一瞬バグった感じだね。
そのバグった頭の中では、なんとか自分たちを納得させようとして「戦後、日本を共産主義の脅威から守るために勝共連合が生まれて、岸信介の時代にしょうがなく旧統一教会と手を組んだ、でも安倍晋三はなんとか関係を断とう頑張っていたのだ」という理屈が生まれちゃったんだよ。おいおい、それって脳内補完の極みじゃん?
で、社会の批判の目をそらすために、共産党の脅威をことさらに強調するキャンペーンが始まったんだよね。ツイッターではロシア、中国=共産党、左翼デモ=共産党、ツイフェミ=共産党、表現の自由の敵=共産党、福祉NPO=共産党みたいなレベルのめっちゃざっくりとしたレッテルが急速に広まったよね。
そんな中、暇空茜ってやつが現れて、公金チューチューとか言いつつ執拗に「共産党と深い繋がりがある~」を連呼してたわけだけど、あれはまさにこの流れに乗っかった結果なんだろうね。
ぶっちゃけて言うと、これって主に弱者男性をターゲットにした戦略なんだよね。もうね、あらゆる敵っぽいものを「共産党」という便利なゴミ箱に関連付けしてゆくゲーム的な発想。彼ら今なら「女=フェミ=エロ表現規制=共産党」みたいな雑な連想ゲームにも簡単に乗っかっちゃうでしょ。
旬な例だと「ぶつかりおじさん」の被害報告にシュバって文句言って自爆したことで一部界隈で有名になった「代ゼミ模試4位おじさん」がいたけど、興味本位でツイッターのタイムライン覗いたら地獄。もうね、「笹川良一勝共連合名誉会長が創立した日本財団から助成金500万円を受け、日本財団とも繋がりがある仁藤夢乃さん」みたいな決まり文句みたいなツイートをリピートしてて、これも自民党と勝共連合(と旧統一教会)のつながりの問題を相対化するために知恵を絞った涙ぐましい活動の一環なんだろうね。あ、当然のごとく暇アノンで蝶ネクタイアイコン装備だったよ。
まぁ、こんな感じで自民党と旧統一教会のつながりを小さく見せようと頑張っている勢力がいるんだろう。いや、笑えるよね、本当に。
その前提があるから、こちらも支持政党などは不確定だとして視聴に没頭できた。
でも、安倍元首相の暗殺でショックを受けて休む、その事を視聴者もろともに積極的に共有してるんだったら話は違ってくる。私は、モリカケ桜を見る会など諸々の業に間接的に加担してる人を推している事になる。
そんな構図が否応なしに浮かび上がってくる。
安倍元首相を殺害した山上容疑者を擁護または支援した人達に対して、強い言葉で反省を求める書き込み等をたくさん見た。
山上の犯行が今回の岸田襲撃のきっかけになった可能性が高いと考える事についても、考察として的外れと感じないがなんだかモヤモヤする。
何故そう感じるのか考えてみた。そのモヤモヤの原因はこれだ。
山上容疑者に対しての擁護は、彼の生い立ちや環境があまりにも過酷且つ壮絶、しかも元首相・政府与党が特定宗教との深い関係を持っていた事が原因だった悲劇に対してのある種の同情・理解から来るものと、左翼的思考をベースとした統一教会問題に強く関わった安倍元首相は殺されても仕方がない、山上に責任は無いというものが混在しているからだ。
これまでの報道や記事を見る限り、山上容疑者は自身の犯行の責任は自身にあると考えていると捉えている。彼の犯行はテロだとも言える一方、私怨が根底にある殺人事件とも言える。私は山上の犯行はあくまでも私的なものであると考えるし山上を英雄視する対象として見る事が出来ない。しかしながらそれでも前述したある種の同情を捨てる事が出来ない。
ちなみに私は緩やかな自民党支持者だ。安倍元首相の功績については賞賛されるべきものも多くあると考える一方、統一教会との強い結びつきは大きな間違いだと考えている。良いところも悪いところもあってどちらかだけを強調出来ない。
俺は少しそう思ってしまってる。
テロや殺人はダメだけど、安倍元首相が亡くなって世の中が(部分的には)良い方向に進んだのは間違いないだろうから
旧統一教会とか、あと確証はないがオリンピックの汚職とか、安倍氏が存命なら暴かれてなかっただろう
だが岸田首相は違う
岸田首相が殺されても何の良いことがない
岸田首相は安倍氏ほどには悪行をしてないと思うし、暴かれる闇も少ないだろう
殺される理由がないのだ
その一方で安倍氏が殺されたことについては、殺人テロを否定する気持ちがあるにも関わらず、一部良かったことだ思ってしまっている
テロも殺人も否定するべきなのだが、心の奥で「安倍さんは身から出た錆でもあるし、闇も暴かれれたし、良いこともあったのだ…」と思ってしまうのだ
暇空茜 on Twitter: "過日の議員会館で提訴記者会見やられた僕が、それをやった議員を知りたいっていったら、「議員の活動に支障を及ぼすから非開示」ってなめてんのかっておもいますね 僕に支障を及ぼすために組まれた”非難攻撃”なんだが? https://t.co/N1Hux9TlBe"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/himasoraakane/status/1611267905383170048
暇空氏自身に敵意がなくとも、インターネット上の騒ぎに便乗して議員を攻撃したり、活動を妨害しようとする輩が現れる可能性は否定できない。
既にColaboの支援業務への攻撃も起きてしまっているので、議員会館を予約した議員にも矛先が向くことを当事者が危惧するのは当然のことだろう。
Colabo「バスカフェ」ルポ 女性追う男性たち 嫌がらせ「支援への攻撃」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html
嫌がらせとも思える行為も。開設準備中から、数人の男性が無言でバスの前に立っていました。活動中もバス脇に立ち様子をうかがう別の男性が。女性スタッフが「怖い。声掛けに出られない」とつぶやきます。
また、Colaboだけでなく、安倍元首相がターゲットとなり暴漢に襲撃された事件も記憶に新しい。
経験が「ある」中で多かったのが「殴られた」「蹴られた」「つばを吐かれた」で「傘で突かれた」「石を投げられた」という記載も。
危害への不安が「ある」「どちらかといえば、ある」としたのは計39%。理由として「殺してやる」などの暴言を吐かれたとする意見が多く「銃撃事件翌日にピストルを撃つしぐさをされた」と訴える人もいた。
Colaboや安倍元首相、その他の国会議員など、各所で被害が相次ぐ緊迫した状況下であるから、活動に対する攻撃を防ぐために議員名を不開示とした措置にも一定の合理性はあるといえる。
ひろゆきが沖縄の座り込みの看板でピースサインの写真を撮って以降、高須氏や国会議員など様々な人がそこを訪れたことをSNSで報告し、多くの日本人に座り込みの人らなど恐れず反対していいんだよということを示してくれた。
安倍元首相は国の立場から正式にもう日本人は沖縄に謝らなくていいんだという態度を示したのに対し、ひろゆきは民間のもっとくだけた立場から同じようなことを広めたと言えると思う。
両者とも今の一般的な若者に強く支持されていると同時に、日本のことが嫌いな左翼系の中年や老人たちに憎まれているというのはとても象徴的だ。
◯児相でなく生保に繋ごうとしているのは、この少女が18歳以上だからだろう。
もしくはすぐに使える児相の施設が近くにないか(緊急時に使えるシェルターがあるとは限らない。半年〜一年待ちとかザラ)、どちらかだろう。
◯児相案件にたびたび関わった身としては、収入を得て家を出るなりといった自立を促すのはともかく、「親と縁を切って」などという表現を直接被支援者に向けるのにはどうにも違和感がある。
しかも対面ではなくLINEでそんな強い言葉を使うのも配慮がない。この人は支援の現場にあまりいたことがない人なのではないか。
◯ここからが最大の疑問だが、この当人が共産党議員であるという前提に立った場合、LINEにしても、被支援者と共産党議員が直接繋がる意味あるかね?
そんな「面通し」、支援を必要としている人に本当に必要だろうか?Colaboのスタッフが対応すればいいんじゃないの?
当選経験があるような実力のある共産党議員と面会することは、そこである種被支援者の「選別」に繋がりかねないという懸念が、この周囲にはなかったのだろうか。
この人の経歴を見る限り、福祉畑を歩いてきた訳ではなさそうだ(むしろ安倍元首相の顔写真が打面に貼られたドラムを叩いていた、共産党の中でも極端な活動に従事していたのが記憶に新しい)。
◯共産党がバックアップすること自体はいいが、「勧誘」の有無に関係なく、被支援者を直接特定政党の議員に繋ぎ、あまつさえ面通しまでする、被支援者への無配慮さが見えるタレコミだった。
安倍元首相が暗殺されたことによって、統一教会の問題は白日の下に晒され、様々な対応が迫られた。
おそらく、現行法が成している政体によっては、この方法以外によって解決され得たというプロセスが思い当たらない。
例えば大阪王将の暴露事件もそうだろう。保健所などに直接、法的な手続きによって解決を求めたとしても、解決し得ない。
そう判断されたからこそ、名誉毀損などの諸問題を無視し、SNS等への開示を行った。
そしてそれは成功した。和解などという甘い落とし所などなく、フランチャイズ契約解除・閉店に到るまでの達成を果たした。
今行われているColabo問題は、そのハイブリッドと言えるだろう。
前述した方法などとは明確に異なり、適切なデュープロセスを果たしながらも、その目的は和解を一切許容せず、また、その仔細にわたって盤外戦術は徹底的なSNSへの公開による清濁含めた「悪を討ち滅ぼす」救済である。
おそらく、今までの手続きそのものが大きく変えられていくのだろう。
SNSの発展や思想の変化によって、集団が失い個人が勝ち得た救済の力を留めることはできない。
おそらく、それがどういう暴走をしたとしても、どうにも。
「安倍元首相と統一教会が悪いから殺人やむなし」でいいはずがない。
殺人と暴力を肯定してしまったら、殺されるのは嫌いな政治家や陣営だけじゃなくなるってことを考えてほしい。
支持してる政治家が殺されるかもしれないし、われわれ一般市民だって殺されるかもしれない。
じゃあ宗教二世のように、選挙で争点になれないような被害者はどうやって救済すればいいの?って論点が出てくるだろう。
私の提案は、憲法で定めているにもかかわらず有名無実化している請願権(請願・陳情)を正しく実現すること。
アメリカのWe the people、台湾のJoin、韓国の国民提案(旧国民請願)プラットフォームみたいなのの改良版を作る。
これが仮に正しくないという意見もあるだろう。
トランプ応援勢力の一つにはハッキリ統一教会があったわけで、日本で安倍元首相が山上被告に襲撃されて亡くなったということからのアンチ安倍&統一教会ムーブメントがなかったら、もっと統一教会は共和党プッシュ(もしくはアンチ民主党デマ)のために動けたかもしれなくて、US内にアンチトランプの機運が高まっている中であっても議会は共和党多数のねじれ状態になっていたかも知れない。
そう考えると、もの凄い影響を手製の銃で引き起こしたというすでに歴史で百年語られるであろうチートにさらにもう1ページが追加されたとも言えるわけで、これはもう善悪で語るのも憚られるような伝説級の何かだったのではないのかと思わされてしまう。被告個人を英雄視するのは間違っている気がするのでそれは否定しておくが「何かがのりうつって銃撃を実行した」みたいな見なしをしたくなるのを止めることはできない、くらいのことはいえそう。(まぁそれでいくと、安倍元首相の方も出雲で討たれたヤマタノオロチ級の何かと言うことになるので???だが、国難と呼ばれることも多かったしその評が正しかったのだとすると一応キャスティングは合っていることになる?)
https://twitter.com/search?q=%23colabo%E3%81%AB%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99
申し訳ないけれどやってることが安倍元首相の信者と同じレベルに見えてしまう。
安倍信者:①安倍批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②安倍の功績部分だけを強調し ③批判する奴は悪魔化して無視する。
Colaboに連帯しますタグ参加者:①Colabo批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②Colaboの功績部分だけを強調し ③Colabo批判する奴は悪魔化して無視する。
こんなずさんな擁護が通用するのってネットリテラシーがない人たちだけだってのが君たちの主張じゃなかったのか。
「あなたたち安倍政権を批判しまくってたくせに、自分たちが批判にさらされたら安倍信者と同じことやるのか」と思っちゃったよ…。
どうして仁藤さん自身は黙ってるのに、仁藤さんの周りの人たちは批判されたときに「批判されても私たちは何も間違ったことは行ってないんだから立ち向かうべきだ」という姿勢が取れないんだろう。
それに「間違ったことが部分的にあってもそこは受け止めて正せばよし信頼されるだろう」ってなんで思えないんだろう。
規模は全然違うにせよ、TwitterとかMetaだって社会的に間違ってるわけじゃないけど急速に拡大しすぎて組織がおかしくなったからリストラするって最近発表してるじゃん。
Colaboだって全体として正しいことしてても間違うことだってあり得るじゃん。
むしろ走りながら一生懸命活動してるんだからいろいろ不備があったりしても全然おかしくないじゃん。
なんでそういう時に間違いがある可能性すら認めないんだろう。
そんな態度とられたら、「間違いがあっても一切認めない。正せないのではないか」って思っちゃうじゃん。
私が信じてる人が同じ立場になったら私は絶対に菱山さんみたいな態度はとりません。
「監査が入るみたいなので見守ります。問題点がないと信じていますし、仮に問題点があっても彼女ならそれを正せると信じていますし、必要があれば手助けします」とか言うんじゃないか。
どうしてこれではいけないのか。
この人たちは、正しさとかよりもメンツとかそういうのを大事にしてる気がします。
「社会的正義を実践するものはわずかな誤りも許されない」というのは全くもって現実的ではない。
「行動すること」自体は尊いのは確かなので、あとはトライアンドエラーが大事だと思う。
ここで一度も間違ってはいけないとか、間違いを指摘されただけで仲間内からすぐ袋叩きにあうみたいな土壌なら、まともな人が育つわけないじゃん。
左翼陣営にとって一番大事なのが「絶対に間違いを認めないこと」になってる現状本当にやばいって早く気づけ。
発端の暇な空白さんは「温泉むすめ」を燃やそうとしたからという行動で行動されてるみたいですが、私はちょっと違ってて。
とにかくこの左派の方々の「自分たちは敵対勢力をぼろっかすに言うくせに、自分たちの落ち度は指摘すら許せない」という態度が嫌すぎます。
たとえ行動が正しかろうが、じぶんがやってることに一切の批判を許さないという態度の人なら個人レベルで活動をするにとどめるべきです。
そういう意味で仁藤さんも菱山さんも全く支持できません。
石川さんは事実上一線から退いた後、結構聡明な発言が増えてきました。
おそらく、左翼の運動そのものがリーダーに「絶対に謝るな」だとか「絶対に誤りを認めるな」とプレッシャーをかける構造になってるのじゃないですか。