はてなキーワード: ういういとは
一方で女は男から自立しなきゃいけないと噴き上がり
もう一方では女は男から奢られて当たり前だと噴き上がり
どっちも雑に女として括って語られるから頭おかしくなりゅうううって感じだと思うんだよな
でも現実の人間なんか思想は基本的にグラデュエイションというか
ところどころで濃淡があるのが普通なわけじゃん
で、人によって偏りもあるわけじゃん
自立したカッコいい女でありたいという気持ちもある
中には別に自立してなくていいから男に大切にされたいって女もいるだろうし
金もらってセックスするのが当たり前だから金もらってデートするのが当たり前の女もいるだろうし
そういういろんな女がいる中で、一部のインフルエンザ―の意見を
女の総意みたいに捉えられて雑に女という括りで叩かれたりするのって大変だよな
とは思うんだ。
でも男もずっとそれだから。
引っ越しバイトはトータルで1.5年やったけど、女性が働くのは十分可能な職場だと思う。
他にじょせいがいる肉体労働のバイトは、クロネコヤマトのベースっていうクソでかい集配のセンターで働いたけど、こっちは仕分け作業は大半は女性がやってる。
ようは女性は筋肉が無いから重たいものを持つことができない というのなら、重たいものを持たせなければいい話で。
10kgの荷物を1回運ぶことができないなら、1kgの荷物を10回運んでもらえばいいという仕事内容。
重いもの持って落とされるより軽いものでもいいからとにかく回数を運んでくれということ。
引っ越しバイトは持久力が必要なバイトで常に走り回ることになる。引っ越しバイトでムキムキな若いバイトって見たことないと思う。バイトで細く引き締まったからだをしてる人が多いのはそのせい。
ガッシリしてるのは正社員で物凄い力の人で冷蔵庫とか一人で持ったりする。
クロネコのベースでは男は集まってきた荷物をベルトコンベヤーに「載せる」仕事をやって、女性はそのベルトコンベヤーから流れて来た荷物を「下ろす」作業に回される。
載せる作業は純粋に力がいるんだけど、作業は荷物を壊さないように下ろすのはコツをつかめば非力な女性でもできる。
あと荷物を載せるのはガンガン早くやらないと間に合わないんだけど、下ろす作業は分散されてるのでややゆったりしてる。
なので、本当に無理って重いものが来たら女性二人で協力したりできる。
引っ越しバイトで女性の正社員が働くことができる理由は、引っ越し現場の段取りができる能力が重要だからだ。
段取りっていうのは、「荷物量」「トラックの容量」「荷物の形」「作業できるスペース」とかそういういろんな要素をパズルみたいに組み合わせて適格に積み込み・積み下ろしを指示してもらいたい。
重たいものが持てなくても、引っ越し現場での勘所というんだろうか。そういう能力があれば女性でも正社員として指揮をまかされる。
今日は妻が友達と旅行に行ったので1人での夜だったのだけど本当にやる事がない
ちょっとゲームしたけどすぐ飽きて、ダラダラいじって見もしないテレビつけてスマホみて床についた
そんで布団でこれ書いてる
妻がいないとやる事がない
ゲームしたり、惣菜作り溜めしたり、ネットショッピングしたり、家事したりなんかもうそういういつも楽しい事が全部1人だとつまらなく感じる
ネットで友達つくろうにもひねてるからそういう積極的なことも出来ないし、旧友にあそぼって言うのも夜すぎて変だしなんかもうダメだわ
試しにディスボードで某大規模ゲーム鯖入ったら誰も通話してないし募集の最新書き込み昨日ってさあ
てかすると思う
1人だと全てのことが退屈過ぎてしんどいわ
なるほど……そういう意味だったのか。それなら確かに俺のポジションは関係なく求人して問題ないのかも。
そういうい目で見ると、現職だと親会社はまさにJTCなんだな。たぶんその出世競争で脱落した奴が子会社に回されてくる仕組みだった。
企業規模は中小企業なのに、歴史だけはあるからそういう仕組みを持っているのだと思うのだけれど、やっぱりそれに付き合う義理はないんだと思った。
男の気持ちいいところは男が一番知っているということを思い知らされた
自分はセックス目的でそれ界隈をうろついているバイなんで好きとか嫌いとかはどうでもいいほうだし特定の誰かに執着したりとかはしない
でも最近よくセックスするようになった30代の大手証券のサラリーマンは生粋のゲイの人で男じゃないとだめな人でそれも身体よりも心を欲しがる人だった
自分は身体目的だから広く色んな人とセックスすればいいと思ってる
要するに自分が盛ってるときにセックスしたい人であればよっぽど好みからはずれない限りだれでもいいと思ってる
そういういい加減なやつのどこに惹かれたのか知らないが証券男はゾッコン自分に惚れ込んでしまわれたようで熱烈にお付き合いをアピールしてきた
とはいえ自分は恋愛がしたいわけではないし拘束力が異常に強そうな相手はちょっとなあ、と思っていたところに事件が起こった
その日証券男と会う約束をしていたのだがうっかり寝落ちしてしまった
そしたらLINEから鬼電されてて気づいたときには無限かよ?というほどの着歴になってた
ああ、真面目な人だからめっちゃめった怒ってるって汗焦ってごめん寝てたってLINEしたらそっk-で、いまどこなの?って聞いてくるから、いや寝てたから家だよ、っていったら、いま家の下にいるから今すぐ行くよって、ああやべええめちゃくちゃ怒っててこれはアカンやつかもなって家に入れるの怖かったんだけど、でもまあしょうがないからというかここで居留守使うわけにもいかんし、しょうがなく家に入れた
そしたら、誰と居たの?他の男といたんでしょ?って言ってくるからそんなわけねえよ、あんたと会う約束ある前にセックスするほど元気はねえよって答えてもなかなか信じてもらえなかった
そのあとなんとか場を和ませないといけないなあっと思ってセックスに持ち込んだんだけどこれがヤバかった
もうずっとメスイキさせらてた
自分はすぐトコロテンになって射精しちゃうタイプでメスイキは滅多にしないんだけど証券男はそういう体質のやつを知り尽くしてるみたいでうまいことチンチンの出し入れコントロールしてくるんだよ
ああ、出そう、ってなったら言わないでもわかるみたいでスッと止めてくる
ほんで身体のほかのところチクビとか耳とか責めてくるんだけどもうこれが全身性感帯になったみたいに気持ちい、ああまじヤバいって思ってたらちんちん入れられて、ああ出そう出そう出る、って思ったらそのままずーーーーーっと気持ちいいのが続いて止まらないどんだけ出てるんだよって思ったらそのまんまチンチンを突かれ続けてああ出たから駄目だよもうって思ってたらまたあああ出る出る出る出るってなってやばいやばいって言ってたら、何も出てないぞ、っていわれて下見たら液はすっごい垂れてるけど白い塊は出て無くて、そしたらまたガンガンに突かれてああああああああもうダメだから出る出る出る出るっていうのを何十回も続けられた
なんか後で聞いたところでは本気になった相手にしか本域では責めないらしい
なんでかは聞き忘れた
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
男の気持ちいいところは男が一番知っているということを思い知らされた。自分はセックス目的でそれ界隈をうろついているバイなんで好きとか嫌いとかはどうでもいいほうだし特定の誰かに執着したりとかはしない。でも最近よくセックスするようになった30代の大手証券のサラリーマンは生粋のゲイの人で男じゃないとだめな人でそれも身体よりも心を欲しがる人だった。自分は身体目的だから広く色んな人とセックスすればいいと思ってる。要するに自分が盛ってるときにセックスしたい人であればよっぽど好みからはずれない限りだれでもいいと思ってる。そういういい加減なやつのどこに惹かれたのか知らないが証券男はゾッコン自分に惚れ込んでしまわれたようで熱烈にお付き合いをアピールしてきた。とはいえ自分は恋愛がしたいわけではないし拘束力が異常に強そうな相手はちょっとなあ、と思っていたところに事件が起こった。その日証券男と会う約束をしていたのだがうっかり寝落ちしてしまった。そしたらLINEから鬼電されてて気づいたときには無限かよ?というほどの着歴になってた。ああ、真面目な人だからめっちゃめった怒ってるって汗焦ってごめん寝てたってLINEしたらそっk-で、いまどこなの?って聞いてくるから、いや寝てたから家だよ、っていったら、いま家の下にいるから今すぐ行くよって、ああやべええめちゃくちゃ怒っててこれはアカンやつかもなって家に入れるの怖かったんだけど、でもまあしょうがないからというかここで居留守使うわけにもいかんし、しょうがなく家に入れた。そしたら、誰と居たの?他の男といたんでしょ?って言ってくるからそんなわけねえよ、あんたと会う約束ある前にセックスするほど元気はねえよって答えてもなかなか信じてもらえなかった。そのあとなんとか場を和ませないといけないなあっと思ってセックスに持ち込んだんだけどこれがヤバかった。もうずっとメスイキさせらてた。自分はすぐトコロテンになって射精しちゃうタイプでメスイキは滅多にしないんだけど証券男はそういう体質のやつを知り尽くしてるみたいでうまいことチンチンの出し入れコントロールしてくるんだよ。ああ、出そう、ってなったら言わないでもわかるみたいでスッと止めてくる。ほんで身体のほかのところチクビとか耳とか責めてくるんだけどもうこれが全身性感帯になったみたいに気持ちい、ああまじヤバいって思ってたらちんちん入れられて、ああ出そう出そう出る、って思ったらそのままずーーーーーっと気持ちいいのが続いて止まらないどんだけ出てるんだよって思ったらそのまんまチンチンを突かれ続けてああ出たから駄目だよもうって思ってたらまたあああ出る出る出る出るってなってやばいやばいって言ってたら、何も出てないぞ、っていわれて下見たら液はすっごい垂れてるけど白い塊は出て無くて、そしたらまたガンガンに突かれてああああああああもうダメだから出る出る出る出るっていうのを何十回も続けられた。とにかく証券男はセックスがめちゃくちゃ上手い。なんか後で聞いたところでは本気になった相手にしか本域では責めないらしい。なんでかは聞き忘れた。でも、どうしよう束縛強くてちょっと怖いから関係続けてくのは嫌なんだけどあの気持ちよさはなあどうしよ。
大問題になっていて、動画の人はもう救いようのない馬鹿だなって感じではあるけれど、類似の話って昔からあるような気がしてならないんだよな
でもどこで聞いたのかは覚えてないしどこに書いてあるかもわからない
回転寿司なんて無防備だから、(皿は取らずに)レーンの上で2貫あるうち1貫だけとる犯罪行為とかもどっかで普通に聞いたことある気がするし、動画が出回ったのは今だったけど、このくらいのことは日本全国規模なら1件や2件じゃなく行われているものだと思っていた
実際撮影された動画のうちいくつかは結構前の動画だったっぽいしな
備え付けのスプーンをペロペロするとかも普通にやる奴はいるやろなって感じだしもともと信用できんよなあぁいうのって
一時期プロテクターみたいなのがついてる皿を使った回転寿司みたいなのも出てきた記憶があるんだけど、あの手の防護ってそういういたずらからの防御策なんだと思ってた
最近は回転寿司なんていかなくなっちゃったし、行ったとしてもそこそこの値段帯の店で結局タブレットから注文して直接皿を渡してもらえるから、もうそういうこと気にしなくなってたんだけど、
実際のとこ今回の事件で初めてそういうことに思い至って衝撃を受けてるみたいな人そんなにいるんだろうか
よくある話だろうけど、記念として。
現在進行形です。
【前提】
昔からADHDの自覚はひしひしとありつつ、なんだかんだハッピーに生きてるから〜とスルーしていたが、年齢が上がるにつれ色々とキツくなり、仕事でミスを連発した勢いで心療内科を予約→めんどくなってキャンセル。からの再予約。
口コミがいいところに行ったので、綺麗で病院っぽくないし、先生は穏やかだしで素敵な感じ。悩んでいることを聞かれて色々答えた。
・ケアレスミスが多い
・忘れっぽすぎる
・部屋ぐちゃぐちゃ
・人の話聞いてない
……というようなことを具体例を交えつつ。
「それくらい誰にでもあることです」的な話をされるとばかり思っていたら、「おそらく検査をしたら、ADHDの診断がつくと思います」とすんなり言われてびっくり。
長年色んな患者を見て来てると挙動で「あ……(察し)」ってなるんだろうな。もしくは具体例があまりにも典型的だったか。
話を聞きながら、「こういういい面もありますよね、悪い側面だけを見ないように」と慰めてくれた(やさしい)けど、自分に自信がないわけじゃないんだよな。自分のダメなところにも特段自信があるけども。とはいえ、話しているとなんだかんだ悲しくなってくるのでありがたい。
問診を経て、次回の診察までに自宅で記述式のアンケートと「CAARS」をやって郵送することに。CAARS=「成人ADHDの症状重症度を把握するための評価尺度」らしい。
手先も身体も不器用すぎて「発達性協調運動障害」も疑っていると言ったら、ついでにWAIS検査も勧められました。臨床心理士のいる別の病院を紹介してもらい、こちらも受診する予定。
次回はアンケートとCAARSの結果説明で、服薬についての話は3回目ということになるらしい。
幸いにも二次障害なく元気に生きているので、「薬を飲むほどでは……」とか言われなかったのも意外だった。「改善できるものならしたい」という気持ちに寄り添ってくれているのか、それとも現時点で飲んだ方がよさそうに見えるのか。
なんにせよ、これから色々進んで行くのが楽しみでもあり、怖くもあり。事態が進み次第また書きます。
【続き書きました↓】
表現規制界隈でよく使われる表現で、今ちょっと話題になってるよね。
ズリネタ云々ともかかわる話なんだけど、本来であれば「こんなの必要ないよね、捨てちゃおう」って言うのを守ろうとするはずの人がこういうことを言うわけで、あっちの人達に自由戦士だなんだって言われる人達は参っちゃってるんだよな。
表現の自由とかそういう平和憲法とかで語られる概念って、こういういらないよね、なくてもいいよね、いやないほうがいいよねって表現を守るためのルールだとおもっていたから、それを知り尽くしているはずの人達が全部焼いちゃおって言うの本当に驚くわけで。
正直表現の自由戦士を自認する俺でも「ろりともだち」を守る理屈はなかなか作り出せないけど(俺は名作だと思うよアレ)ほんとうに頭の良い人はあれとかあれよりもっとひどいのを守るための理屈を展開して欲しい。