はてなキーワード: 負け組とは
結構難しそう。
大人になると嫌でも分かるんだけど、子供って「お小遣いを溜めてやっと買ったゲームだから面白いんだ!」みたいなことを本気で信じてそうじゃん?
でも違うんだよな。
「買う理由が値段なら買うのを辞めなさい」という格言があるけど、まさしくお金がないと買う買わないの基準が値段になってしまい、本当に欲しいかどうかと向き合いにくくなっていく。
そもそも金で買えるものを買うことに執着すること自体が、物質的な欲求から脱することが出来ない精神的に貧しい人生を送り続けることを意味してる。
それでも頑張って説明して最後にあるのが「じゃあ金持ちの家に産まれなかった時点で負け組なの?」「それだけで人生全部負け組ってほどじゃないけど、金のある家に生まれるほうが幸せには近づきやすいだろうね」なのが苦しいね。
自分が負け組として生まれ落ちたと認めたい子供なんていないだろうし、そこで開き直る親なんて見たくもないだろうから。
むしろ重要なのは、理解させた後に「でもお前は配られたカードで勝負するしかないんだよ」ってことを納得させることなのかも。
でもそれってカードを渡した本人が口にしても説得力なさそうではあるよね。
難し―。
マジで難しいぞ―。
んー最初は便利だったし救いだったとも思うよ
例えば白シャツ・ベーシックとされる色・ピンクやベージュのリップ、そういう「ざっくりと誰にでも似合うはずとされてるもの」に対して「なんか自分にはどうしても似合わないことがあるんだけど!めっちゃ着太りするんですけど!顔色も悪くなるんですけど!なのに定番らしいよこれ!」=“普通”のものすら似合わない自分 というものにうっすら絶望してやり過ごす時代が長かったと思うんだよね
骨格診断とかPCってそこに「似合うやり方もあるんだよー!絶望しないで!工夫次第で似合うものを選べるんだよ!」って紹介のされ方だったし、需要のされ方もそうだったと思う。
最初はね
それが爆発的に広まる=よりわかりやすい表現に尖らせられる、という過程において「このタイプだと勝ち確」「ほっそりして華奢なのはこのタイプに多い」というように言い回しが過激になってきたきらいはある
多分その方がバズったんだろうし、ある種の人の「誰かより優位でいたい」という感情にフィットしたんだと思う
転じて「じゃあこれは負け組か」「結局うちらがっしりしてるってこと?」みたいな内面化と普及が進んだ現状は、初期の「得意なことを把握して楽しくやっていこ」精神の頃が好きだった人間としては確かに悲しくはある
ひとまず例をあげとくと、俺が全くオススメ出来ないアニメは「Serial experiments lain」
如何にもオタク受けや陰キャの共感を狙ったかのような小柄で奥手な主人公。
普段は口数が少ないけど友達の前では結構喋るし、得意な分野についてはやたら早口で高圧的になったりもする。
ずっとパソコン弄りとインターネットばかりしていて、周囲からも心配されてる。
寝間着が🐻のキグルミで露骨にオタク受けを狙っているのもオススメ出来ない。
やたらと衒学的にインターネットの歴史を交えつつ当時インターネットに人々が見ていた平行世界的な闇を都市伝説的に描くストーリーテリングもおすすめし難い。
今見てもレトロフューチャーというには技術レベルが低く、それでいて当初の感覚で言えば近未来的だったであろう、何時の時代ともつかない絶妙な世界観のバランスもオススメ出来ない要素だ。
インターネットの世界に引きこもっていき、ネットの交友関係に依存するうちに現実から乖離し、それの極北にたどり着く寸前にリアルの人間関係の中に自分の居場所を見出す展開もオススメ出来ない。
伶音の選択は物語の中で肯定されるが、それを世界が両手をあげて称賛するのではなく、ただ伶音とその周囲の世界の中でだけその価値が見出されるかのような物語の紡ぎ方は、今見るとなぜレディープレイヤーワンの映画はこういった納得感を持たせられなかったのかという気持ちになってしまいオススメ出来なすぎる。
OPはシットリとしながらも重さと鋭さを感じさせる曲調・歌い方は世紀末の世界を包んでいたフォークロアへの恐怖と憧れに満ちた世相に合致しており、また当時のインターネットにあった陰鬱さ・危うさ・刺激との親和性も高くありながら、歌詞そのものにはデジタル空間を感じさせる要素は一切なく、ただ人の繋がりの中にある高揚と失望の中を漂い落ちていく感覚だけが歌われる掴みどころのなさはまさしくこのアニメに相応しくオススメ出来なさがここに極める。
EDはOPと比べて語られることは少ないがこれまたオススメ出来ない作りをしている。ただただ憂鬱な歌詞の中に人生や社会に対しての絶望が詰まっており、夜中に美少女主人公のアニメを見ているような負け組共に完璧なクリティカルが入る。金属を爪弾いているということを積極的に主張する弦楽器の音色は冷たく切り裂く世間の風を思わせるが、冷たく冷えた子宮に包み込まれているような沈み込むよな心地よささえある。この曲を聞いてから布団に入れば自分の人生のしょうもなさにふと涙が溢れること請け合いでオススメ出来るなんて口が裂けても言えない。
内容としてはSFとしては不思議な要素は決して多くなく、未来の想像という点では攻殻機動隊や電脳コイルに全く及ばず、鬱アニメというには救いがあり、伶音ちゃん目当てに見るにはえっちな場面がほとんどない、それでいてやたらとカルト人気ばかりが先行しているという、どこをどうとっても薦められた側が困惑するようなアニメであり、見所といえば直接的な刺激ではなくゆっくりと取り囲むような不穏さによって作られたメランコリックなネガティブムードと等身大から始まり形而上学的領域へと超高速で飛んでいってしまうスピード感にある当時のインターネットに対する無限の期待感の共感ぐらいのアニメであり、これをオススメするのは俺のような一般独身男性には全く不可能だ。
勝ちたいだとか、負けたくないだとか、あいつは成功しただとか、失敗しただとか。勝ち組だとか、負け組だとか、そういった話題を目にするたびに心底思う。
「・・・くだらない」
最近はもう少し穏当に
「自分とは住む世界も見えてる世界も違うのだから、どうでもいい」
というくらいには受け止められるようになってきた。
僕にとって、「勝ち/負け」はほんとうにどうでもいい。「勝つための努力」とか「勝つための駆け引き」とか「勝つためのハック」とか、そういった類のことが自分の人生に割り込んでくるたびに「頼むから、そっとしておいてくれ」と、そう思う。
これは「勝ってまで欲しいものがないからだ」とか、そういった話ではない。僕にとっては、そもそもゲームが違うのだ。
僕は、大事な選択肢が目の前にある時、「結果、そのどちらに転んでも、それでよかったと受け止められる」ように努力する。そのために、環境を整えて、選択肢を吟味して、自分の過去を振り返り、将来に思いをはせて、最終的に納得するように環境と自分の心の持ちようを仕向ける。ここに「勝った」も「負けた」も介入する余地がない。
僕は中学生の頃に憧れた「留学生活」を実現するため、第1志望の公立高校と、併願受験をする私立高校の双方に「留学」という目的が達成できるよう仕向けた。
僕は、いま通っている大学学部学科の1つだけを公募推薦で受験した。落ちたら、さらに羽を伸ばしてバックパッカーにでもなろうと思っていた。受かったら、キャンパスライフという新しい世界を「さて、どんなもんか」と見てやろうと、そんなつもりだ。この時成し遂げたかったことは「環境の大きな変化」だったからだ。
このように、僕は大事な岐路が訪れるとき、常に「現状の分析を徹底し、自分が求めているものを徹底し、どう転んでもそれを受け入れられるように準備する」。そのための思考や、選択肢の吟味は、きっと並大抵の人より努力してきたと思う。
マイケル・サンデル教授は、能力主義社会における「勝ち組」と「負け組」の分断が、
社会的な不満と政治的な分断を生み出す大きな要因であると指摘しています。
彼は、特に学歴による分断が深まり、大卒と非大卒の間に大きな溝が生まれていると語っています。
サンデル教授によれば、この学歴偏重社会で尊厳を傷つけられた人々の怒りや恨みの感情が、
ドナルド・トランプ前大統領を生み出すことにつながったとのことです。
このような視点から見ると、トランプ氏の支持層の一部は、自身の社会的地位や尊厳を守るため、
またはエリート層への反発という形でトランプ氏を支持したと考えられます。
これは、社会的な不平等や分断が政治的な選択にどのように影響を与えるかを示す一例と言えるでしょう。
氷河期世代の負け組を救う大河ドラマとは、1990年代後半から2000年代前半にかけて就職難に苦しんだ若者たちの人生を描く物語である。主人公は、大学卒業後に何度も就職活動を繰り返したが、なかなか採用されないでいた男性である。彼は、友人や恋人との関係もうまくいかず、孤独と不安に苛まれる日々を送っていた。しかし、ある日、彼は偶然にも自分の才能を発揮できる仕事に出会う。それは、歴史上の人物や出来事を再現する大河ドラマの脚本家としての仕事であった。彼は、自分の想像力と知識を駆使して、感動的なストーリーを作り上げる。やがて、彼の書いた大河ドラマは視聴者から絶賛され、彼は一躍有名になる。彼は、自分の夢を叶えたことで自信と幸せを取り戻し、周囲の人々とも和解する。氷河期世代の負け組だった彼は、大河ドラマを通して勝ち組になったのである。
出生ガチャでハズレを引いた俺は普通の仕事が出来ないので、社会不適合者用のお情け枠で雇われて暮らしている。
こういった話をすると「俺はADHDだけど努力したのでフリーランスエンジニアとして年収1000万円だが?」と絡んでくるアホがいるがそんなのを相手にする余裕は今の自分にはない。
今日、書類手続きをコンビニでする帰りに久しぶりにおにぎりを買った。
ツナマヨが180円した。
信じられねえ。
近所のスーパーなら350円でおにぎり2個と簡単なおかずのセットが買えるのに……っていう話ではなく、昔の倍ぐらいしてることが単純に驚きなんだ。
インフレが進んでいるというより、必死に抑えてきていたギリギリの値下げ競争に限界が来たという感じだろう。
何時の時代もコンビニバイトは最低賃金×1.1~1.3倍ぐらいで、まあ俺の給料と大差はない。
俺も出生ガチャのハズレ具合がもうちょい違ったらこっちで働いてたのかも知れない。
『コンビニ人間』が賞を取ったのは芥川賞であってるっけ?面倒だからググらんので間違ってたらブコメで補足してくれ。
俺はああいうのとは違うが、まあ同じように社会への適合レベルが低い人間で、生まれつきそうなのに人から不当にボコられてイライラして生きてきた。
黒人だとか韓国人だとか日系人だとかってだけで収容所に入れられたり靴に画鋲を仕込まれたりするのと同じで、自分では同しようもない生まれつきの事実が烙印のように人生に付き纏ってきて……話が逸れてるな。
話を戻すが、コンビニの時給は昔と比べて1.2倍ぐらいだろうが、おにぎりは1.5倍やそれ以上になってる。
ヤバイ。
それが金持ちの世界でだけ起きている問題、たとえばアイフォーンの最高モデルが高すぎて変えないから怪しい中華のスマホで妥協するって話で済んでない。
低賃金層の家計が直接打撃を受け、我慢をして暮らすにしてもかなりギリギリになるって状態が近づいている。
貧乏家族が一杯のかけそばを家族で分け合って食べていた時代に戻りかけているんだ。
つまり!資本主義というシステムが限界にたどり着きつつあるイデオロギーオーナスとでも言うべきカタストロフィが起きていて人類は崩壊する!畜生ノストラダムスめ!何度俺たちの前に立ちはだかるんだ!
まあ正直、俺はなんだかんだ支援システムを活かしまくって年収300万円貰ってるので即死はしない。
このままコンビニのおにぎりが値上がりし続け250円になった時、コンビニバイトの時給は、俺の年収はどうなっているんだろう?
俺の年収が300万円のままで色んなものの値段が上がり続け、安物の中華スマホが20万円して、おにぎりが300円で、時給1200円のコンビニバイトするぐらいなら宝石店強盗になるべきと考えた連中により治安は滅茶苦茶になり、給料据え置きのままの公務員なんて負け組すぎてやってらんねーと誰も警官にならなくって、そして日本という国から治安という資源が失われ、ただ二次元の絵でシコシコしてるだけの童貞処女ばかりが住み着いている魔境となり世界中から見捨てられた果てで、俺に年収300万円出すことさえ無理になった時、俺はどうやって生き延びるんだ?
俺は生き延びられるのか?
鬱ごはんみたいになってきてる。
勘違いしてはいけないが、あの主人公はああ見えて大卒のインテリだ。
負け組の皮を被ってはいるが、その実それなりの頭があって体力があって根性があってバイタリティがあって、つまる所あれを底辺だと思って笑ってる余裕なんてないような人間が世の中にはウヨウヨしていて俺もまさにその一人だ。
駄目だ……未来を考えていくと最終的にはまともに生きるのを諦めて犯罪組織で使いっ走りをしてウシジマくんのヴィランみたいな末路を迎えるオチが見えてきた。
九条の法廷に出てくる負け組の家はにゃるらの住んでた部屋がモチーフらしいが、あいつも今じゃ大人気ゲーム制作者様で老若男女のヒーローで金もまあ多分たくさん持ってるんだろうな。
そもそもアイツって割りと実家が太いし、負け組のフリしてピーピー言ってる奴らほど実家が太くてなんだかんだ人生上手くやってるんだよな。
許せねえなあ。
許せなかったら何をするのかってことを考えてもそっから先には牢獄か地獄しか待ってないのを知ってるから、脳が自動的に何も考えないモードに入っていくなあ。
どうやって生き延びるのかを考えないとなあ。
「どうせ死ぬなら」を考えてもそこには暗闇が口を開けて待ってるだけだから。
でも俺が生き延びられるかどうかは日本という国地が負け組相手の福祉をどこまで維持できるかなんだよなあ。
何も出来ないなあ。
どの政党に投票しても福祉なんて考えてくれないお坊ちゃんしかいないんだもんなあ。
地獄だなあ。
辛いなあ。
生き延びようということさえ考えるべきじゃないなあ。