はてなキーワード: 詩人とは
それも誤訳で実はどこにも書いていないとか。
その辺りはググればすぐにでも出るので気になる方は調べてみては。
この逆も然り「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言葉自体に注視をしよう。
Blizzard社のゲーム、オーバーウォッチの喋るゴリラが有酸素運動をさぼり続けているのを見かねたAIアテナすらも「健全な心は健全な体から」と説いている。
通常、健康状態のときは誰しもが少なからず悩みを抱え、それを乗り越えるための努力を行っている。
逆に何かしらの病に伏せているとき、病気について原因を調べ、そのための治療に専念をするとともに、仕事、人間関係、恋愛など色々なことを考えることがある人もいるかと思う。
実はこれが罠であり、病に気をとられている状態で思考を巡らすことはほとんどがネガティブを元にしたマイナス的な発想が多い。
そんな状態のときに考え、決めたことは、あえてアウトプットせず、一晩自分の中だけに留めるだけで、起きたら考えが変わっているなどといったこともあるはず。
病に限らず、体調、気分、テンションなど自分のバイオリズムを意識的に捉えることで、今日は不調だから重要な決断はやめておこうなどといった判断ができ、より安定感のあるアウトプットを生み出すことができる。
世で言われるデキル人というのは、常に一定の安定感を維持(安定しているように見せている)し、自分にとって正しい判断をすることができている人が多いってことだろう。
ググりました!
明治大学中退後、東京厚生年金看護専門学校に入学。同校を卒業後1987年より東京厚生年金病院に勤務。内科病棟を経て、神経科病棟および緩和ケア病棟の看護師長を歴任する。
小林光恵
茨城県立鉾田第一高等学校在学中は地学部やチアリーダーで活動をしていた。1982年に東京警察病院看護専門学校卒業後[1]、看護師、編集者などの経験を経て、著述業となる。
国立療養所宇多野病院付属高等看護学校卒。都内で看護婦として働く[1]。夫は新聞記者の柴野徹夫。1987年に『看護病棟日記』を刊行して話題となり、数冊の著作をなした。
山中利子
室園孝子
久留米医師会看護専門学校卒業後、聖マリア病院へ勤務、並行して音楽専門学校にてボイストレーニングを重ね、バンド活動等を経験。 二児の母になったのをきっかけに執筆活動を始める。
真杉静枝
1911年に一旦日本に戻ったが、再び台湾に戻り、台中の看護婦養成所を卒業して1916年から看護婦として台中病院に務める[1]。
弥永英晃
看護師として救急救命・外科・内科・整形外科・脳外科・終末期医療・訪問看護・精神科の経験、病院・クリニックの心療内科・精神科・児童・思春期外来で病院カウンセラーとして勤務。独立し「心理カウンセラー・メンタルトレーナー・作家」として活動。
吉見マサノヴ
ルイーザ・メイ・オルコット
1860年にオルコットは「ジ・アトランティック・マンスリー」(The Atlantic Monthly)誌に作品を書き始め、また1862年から1863年にかけて六週間ほど、ワシントンD.C.のジョージタウンにある合衆国病院で看護婦を務めている。
1997年、家族がコンピュータを買ったことをきっかけに小説を書き始める[2]。この時、看護師になって20年が経っており、まだ看護師という職業が好きだったが、何か新しいことを始めてみたいと思っていたという[1]。
ヴィッキィ・バウム
今時分が何を考えているのかを把握するためにはそれを言語化していくといいと聞いたので実行してみる
が
よくよく考えると私は基本的に脳内独り言により思考を制御しがちなのでもともと思考は言語化されがちなのだが
それとは別に頭で別のことを映像イメージとして処理していることががあるのでそっちを書き出してみたいが
その場合は前後に「複」とつけることで主たるイメージである言語化済みの思考と区別して書き出せばいいのだろうか
「複」実際今でも頭の隅では今日読んだ進撃の巨人のイメージが走馬灯のように処理されていて今は訓練中の食事シーンがアニメ風に再生されている
「複」とつけるよりも二行段落下げの方が書きやすいし分かりやすいので次からそうしていきたい
何故か延々とアルミンが芋とスープをスプーンで食べ続けているビジョンが浮かび続けている今コレを書いているうちに霧散して脳が虚無になった
施工を言語化してみようと考えた所であまり意味がない気がしてきた
一秒の描写には一秒以上の時間がかかると大昔に詩人が口にしていたと昔どこかの神話にかかれているのを読んだ気がするがそれは翻訳者が適当に付け足した文学的なエッセンスでもとの神話にはそんな台詞なかったのかも知れない
部屋の水道管の中を通る水の音が非常に煩いためそれが映像として脳に流れ込んでくる
上の部屋で人間の足音がするのが非常に鬱陶しいが単なるラップ音の気もする
寝るか
正直寝ようとしてもなかなか寝付けないので困る
人間は寝ようとしてもすぐに眠りに落ちることが出来ず一〇分程度は現実と夢の間をさまようというがその時間が非常に面倒くさい
私は一時間半の倍数で寝たいので寝る前にはたとえば七時間45フン後に目覚ましをセットするのだが根付くのに30分かかるとそれが15フンズレてしまいそれが非常に気になる
それでそわそわしてなかなか眠れない
変換を意識すると思考が先に流れてしまうので変換が雑になってきている
脳波でキーボードをコントロールできるようになれば変換の成功率はあがるのだろうか
つかrた
ねう
先日ツイッターでこの記事が流れてきて読み、ずっと心に引っかかっていたので筆者さんが読まれることがあるかはわからないですが、一人の異性の立場から気になったことを書かせていただこうと思いました。
大きなお世話と思われるかもしれませんが、筆者さんを批判するつもりも、書かれてあることに対する怒りでも、男性批判でもありません。
>昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。
筆者さんをかつていじめた「女」や、「弱者男性」が「敵」とする「女」以外にも社会には女性が存在しています。
ネット上や現実世界で、女叩きをしている人が叩く女性は上記以外の女性であることが多いように思います。
自分が危害を加えられたわけではない、“ただ自分が憎い「女」”という性が当てはまる、叩いたところで自分に危害は及ばない、自分が傷つくことのない相手を選んでいませんか。
憎い「女」を叩くことで、「弱者男性」と近い立場にある女性(いじめを受けた、容姿に恵まれない、男性に危害を加えられたことがある、貧困でギリギリの生活をしている…)を傷つけているかもしれません。
(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが)
「優しくされたい」「支え合う女」
とはどういうものを望んでいるのでしょうか。
自分と近い価値観を持っている相手と話をして、相手に自分を理解して欲しいのか。
お互いに尊重しあえるような相手と、支え合いながら生涯を共に生きていきたいのか。
自分にとって都合のいい、自分の心を癒してくれて、自分を認め受け入れて生活面でも性的にも望むことをしてくれるアイドルのような若くて可愛い美少女を求めているのか…
とありますが、
「恋愛」や「性欲」を一旦置いて、日常で関わる女性を「女」ではなく自分と同じさまざまな内面をもつ一人の人間として向かい合うことで、
また筆者さん自身が女性や社会に対する考え方や認識を少し変えてみることで
「結婚」はわからないですが、受け入れてくれる女性に出会えるかもしれません。
「おっさんが嫌がるおっさん」を女性は嫌がらないのでしょうか?と、疑問が湧きました。
「男が怖がる男」も怖いですが、「男を怖がる男(筆者さんや女叩きをする男性)」も
(私自身低身長なので性別問わず小学5年生以上なら襲われたら負けると思うので
>男同志の関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。
女を叩いてる時間、そのコミュミティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。
「女叩き」が女性を叩く男性間の共通言語というか、コミュニケーションツールとなって、それをしている間は気持ちが繋がることができるんですよね。
「敵」を攻撃することで繋がる関係じゃなくて、もっと前向きで明るい関係を、同性とも作れたほうが筆者さんの気持ちにも将来にも良いような気がします。
>男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がした
男が怖い男性はたくさんいると思うので、現実で言うのは相手を選ぶと思いますが、ネットやSNSで誰かを攻撃するためではなく、自分や自分と同じ気持ちを持っているかもしれない他人のために、素直な気持ちや考えたことを吐露することはどんどんしたらいいのではないでしょうか。
憎しみを、他人を攻撃する原動力にするのではなく、自分を含めた将来の社会のために使えたらいいなと思います。
余計なお世話ついでに、本読みませんか?
本の世界は負け犬(この言葉は好きじゃないけれど)のために書かれたものや、
世間の言うところの負け犬が書いた本が古今東西山のようにあります。
文学なんてなんの役にもたたない、と思われるかもしれませんが、自分と同じようなことで悩みながら生きてきた人を世界中の様々な時代に見つけることができるかもしれませんし、自分以外の人間の視点で世界を見ることができます。
それによって今までとは違う価値観が生まれるかもしれないし、少しでも筆者さんが生きてゆく力となるかもしれません。
差し出がましいのですが少しだけ筆者さんに私が勧めたい本を…
・整形前夜(穂村弘)
・蚊がいる(穂村弘)
・もうおうちへかえりましょう(穂村弘)
・プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
(アンウォームズリー)
・見える光、見えない光(朝永振一郎)
長々とすみません。
両大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この名称は1917年詩人ギヨーム・アポリネールが、自作の戯曲の装置を担当したパブロ・ピカソの舞台美術を指して言ったことに由来するが、24年アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』において、精神分析的な考察を加えた「夢の全能性への信頼に基づく」芸術の総称へと採用し、以後も指導的役割を演じた。
マニフェスト的にはロートレアモン(イジドール・デュカス)やアルチュール・ランボーの強い影響下にあった「シュルレアリスム」は、当初は文学運動としての側面が強かったが、「オートマティスム(自動記述)」の理念は造形芸術にも強い影響を及ぼし、20世紀美術の一大潮流を形成した。
代表的な人物にルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト(ともに後に除名)、アンドレ・マッソン?、ジョアン・ミロなど。
パリを拠点に活動していた多くの作家は、30年代末にはナチスの台頭によってアメリカに逃れ、アーシル・ゴーキーという最後の後継者を見出した後に終焉を迎えた。
シュールは終わったのだ。