はてなキーワード: 減刑とは
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000242556.html
電車内でたばこを吸ってるキチガイを注意して、高校生が重傷を負った件。記事では、他の乗客が止めようとしなかったと記事にはある。
こういう事件が起きると、毎度のことだが、びびって何もできなかった周りの人を批判するようなマスコミの報道が出るが、辟易する。
加害者が怖くて他の多くの乗客は皆ビビってしまっただろうが、そもそも日本には助けに入って応戦しても正義マンが傷害罪に問われる可能性があるので、
びびってなくてもその後の自分の生活を考えれば、応戦できない。つまり、刑法36条正当防衛の運用範囲が狭いという問題がある。
刑法36条1項には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」とある。
今回の事例では、止むを得ずした行為(相当性・必要性)が認めら得るかは事後で評価され、正義のためにやったのに傷害罪が成立してしまう可能性がある。
もちろん、36条2項により、減刑減免される可能性はあるが、検察官の判断にかかっている。これがアメリカなら、正当防衛は広く認められる。
結局、正義マンがいたところで、正当防衛の運用範囲が狭く、悪人扱いされかねないので、その後の人生を考えると正義マンにはなれない。
日本には、正義マンを育てる土壌がなく、警察も検察も正義マンを求めていないのだから、「他の乗客は止めようとしなかった」みたいな報道は控えて欲しい。
真面目に答えてくれる人がいたので、やりすぎると増田らしくないけどちょっとだけお返事します。あと、全体に増田の言ってることはよく理解できるので、特に異論のないとこは省略するよ。
まず「更生と刑は両立する」のくだりについては、「それは日本の制度がおかしいのでは?」としか言いようがない。わざわざ更生させといて、それから殺す。それに何の意味があるのだろう、って、合理的思考ができる増田は不思議に思わないだろうか。だいたい、裁判でも「改悛の情が明らか」であることが減刑の理由にはなるよね。懲役刑だって、反省態度で仮釈放までの期間が変わる。これは実質的な減刑じゃないかな。駐車違反をネタに「反省したら刑が割引なんてないでしょ」という理屈は、ちょっと納得がいきかねるね。
次に「国家」という仕組みへの不信の話。
国家を信じないなら何を信じるのか、というのは旧きリベラリズムにとっての急所だし。そもそも国家が信用ならないなら、終身刑のほうが不安だ。国家が正しく終身刑をやりとげる、という「国家への信頼」はいったいどこから発生するのか。
実は君はここで、致命的なスキを晒していると俺は思う。
なるほど、立場が変われば見方も変わるものだなあ、と感心しながら読んだ。増田の周りの「旧きリベラリスト」たちは、そこで沈黙したのかなあ。
まず、増田は国家を信頼し、犯罪者を「裁く」目線で物を言ってる(一応言っておくがそれがいい悪いという話じゃない)よね。一方、旧サヨクに共感する私としては、国家というモノにいつ何時理不尽に「裁かれ」「殺されるかもしれない」という目線で物を言ってるんだよ。だから、国家が終身刑を「やり遂げる」ことができないとしても「ああ、やっぱりな」と思うだけだ。終身刑を誤るなら、死刑だって誤るだろう。そして、後者を誤るよりは前者を誤る方が、取り返しがつくだけマシだと思う。だって終身刑を失敗して誤って仮釈放してしまったとしても、誤りが判明したらもう一度収監することである程度取り返しはつくけど、「間違って死刑しちゃったわ(テヘペロ)」だと何をどうやったって取り返しなんてつかないんだから。(ここでも、増田は多分誤って釈放された凶悪犯を想定するだろうね。そして私は誤って殺される無実の囚人を想像するわけだ。これは価値観の問題、物の見方の違いとしかいいようがない。)
ついで、「国家に代わる何があるのか」「それが旧リベラルの弱点だ」と増田は言うけど、現代だって、日常的に人々が信じているのはもっと身近なコミュニティや属する組織なんかであって、「国家」などという漠然としたものによっかかって生きてる人って、霞が関の中にもあまりいないんじゃない? いたらあんなに不正がはびこらんでしょ。ああいう不正って、国家とかそういう漠然としたものじゃなくて、自分の目の届く範囲の狭い狭いコミュニティに殉じるからこそ起きるもんだよね。小さな組織、小さなボス、それに従うから、大きな外から見たら「不正」としか見えないことに手を染めるわけで、彼らがいくら「お国の為」と口にしようと、それは口当たりのいい欺瞞に過ぎないくらいのことは、増田にだって分かってるだろう。
それに、たとえば終戦直後、国家が国家として機能していなかったときも人はそれなりにたくましく生きていたわけで、国家がなけりゃ人はない、なんてことはない。もちろんそれが理想的な社会だったとは別に言わないけど、近代国民国家を〈唯一完成した人類社会の最終形態〉みたいに言うとなると、それは無邪気すぎるんじゃないかなあ。国家に不信を抱くのは、むしろ現在と未来を生きる人間にとっては必須の要件だ、くらいに私は思ってるんだけども。
それから、死刑をする最大の理由はお金だ、って話。増田はそれを「現実的」な立場で語ったつもりなんだと思う。その現実主義を揶揄するわけではないよ。けど、それなら次に述べる四つの点についてどう思うかは聞きたい。
米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため https://www.afpbb.com/articles/fp/2572851
いや、死刑制度を維持するのって、意外とお金かかるんですよ? 「生かしておく方が金がかかるに違いない」というのは思い込みで、文明社会で人一人殺すというのはそんな簡単なことじゃないんだ。日本とアメリカで事情は違うと思うかもしれないけど、見方によっては日本の方が"殺し方"としてはより丁寧であって、それはつまり「よりお金をかけて殺している」ということでもあるんだよね。
さて、そうやって莫大な経費をかけて死刑を執行して、それで社会に一体どんなプラスがあるんだろう。増田も同意してくれたように、そこには見せしめとしての抑止効果もないし、遺族感情なんて不確かなものは宛にならない。つまり、死刑によって得られるプラスなんて、無いんだ。
一方、終身刑であっても、何割かの囚人がそこで「更生」したとする(何割かの更生は期待できる、という話は前にした)。彼らは自らの体験を語るかもしれないし、それが誰かに影響を与えるかもしれない。「更生」という言葉が語るように、それはプラスの効果であるだろうね。事件の全容が「更生」した犯人自身の口から語られることで、社会にあったセキュリティホールを少しふさぐことができるようになるかもしれないし、見落とされていた福祉の穴が埋まるかもしれない。また、道を踏み外しかけた人が、はっと踏みとどまれるかもしれない。何よりも、重大な罪を犯してしまった人でも、心から後悔し立ち直ってもう一度人生を歩もうと思えるようになれるのだ、というロールモデルを示すことは、社会にとって大きなプラスだと思うが、どうだろう。終身刑にだって、制度としての仮釈放はあるんだよ。
前の項目の中にもあげたことだけど、死刑というのは、犯罪の根源についての追及をそこでストップさせてしまう。なぜそんな犯罪が起きたのか、社会はそれとどう向き合うのか。どうすれば類似の犯罪は防げるのか。そういった議論を、全て、「我々の社会とは共存できないモンスター」のせいにして、封じ込めてしまうのがぶっちゃけ「死刑」という制度なんだよね。そういう目線で死刑と言う制度を考えたことはあった? 非文明社会、非文明国なら、それでいいんだよ。というか、それしかできない。たとえば、文明社会から離れた孤島で、30人くらいのコミュニティで原始的な生活を営んでいたときに、原因不明の殺人が起きたとして、明らかに犯人と分かっている奴がいたとする。そりゃそいつを吊るすしかないよな、なにせ原因が分からないし社会の不安を解消する方法がそれしかないんだから。でも、本当は深掘りすれば、殺人衝動を起こさせる風土病が原因だったかもしれないし、殺された奴に原因があったかもしれない。もっと文明が発達して、いろいろと調べる手段があれば、助ける方法があったかもしれないな、と、増田がその島にいたら思うかもしれない。私もそう思うんだよ。現代の「死刑」が、何もかもを明らかにして、完璧に調べつくして、その上で執行されている…というようには見えない。
いや、死刑議論は哲学だ、なんて言を弄するのは止めにして、もうこれいい加減真面目に考えるべきなんじゃないかと思うんだけど、世界で死刑制度の現況を見てみれば、
……という状況なんだよね。でもって、アメリカもさっきのニュースで見たような状況なわけで。で、君、どっちのグループに入りたいねん! て話なんだよ。こと”人権”という視点で世界と向き合う時に、死刑制度を存置しているということは、マイナスに働く要因ではあってもプラスに働くことは一切無いと言える。ここでも死刑制度は明らかに「高く」ついてるんだよ。死刑制度を擁護することは、実質的に人権問題において、中国やイスラムの側に立ちますよと言ってるに等しいわけで、これがリスクでなくてなんなんだろうと思うわけです。
というわけで、増田が「死刑制度を存置するのは、単に経済的合理性のため」という立場を取るなら、以上4点については反論する必要があると思うのだけど、どうだろう。
私は別に「美しい矜持を飾るためにお金払おうぜ」と言ってるわけじゃないし、別に経済的に合理的だから死刑を廃止しようと言ってるわけでもない。私が死刑を廃止した方がいいと思ってる理由は、全く前に書いたとおりだ。でも、単に経済的な合理性を考えても、実は死刑には合理性がないんじゃないかとは思ってるよ。
TPOをわきまえず社会に溢れている性的搾取表現、エロ表現が性犯罪を助長している、というのがフェミニストの言い分。
つまり性犯罪者は「性的搾取表現」「エロ表現」が溢れている環境のせいで性犯罪を実行したということで
介護疲れで親殺しをした殺人犯と同様に情状酌量および減刑の余地は大いにあるはずだ。
そこを大々的にアピールして裁判所から「TPOをわきまえない性的搾取表現に影響されて性犯罪に走った」という判決文を引き出せば
司法の判断が出たという明確な根拠をもって法規制につなげられる。
ツイッターやフェイスブックで「キモオタ」「ネトウヨ」「ミソジニー」「エロ表現の自由戦士」を連呼するよりもはるかに実効性がある。
痴漢をしたのはアツギのタイツ広告の責任、レイプをしたのはスマホに溢れているエロマンガ広告の責任、
この手の性的搾取表現を放置している社会にそそのかされて性犯罪を犯すに至ったのだから性犯罪者は社会構造の犠牲者、
だから減刑あるいは無罪にするべき、という運動を全力で展開する方がいい。
常日頃からエロ表現を潰したい警察・検察は「性的搾取表現に影響されて性犯罪に走った」という判決を裁判所が出しても控訴しないだろうし
性犯罪者とされた側も減刑、もしかしたら無罪になって社会復帰できる。
被害者は責任認定された性的搾取表現を提供している側から賠償を取れるだろう。
もう一つ重要な論点があると思う。それは、犯人のしかも事件直後の言葉をどれだけ真に受けるべきかという点。
減刑を狙っておかしなことを言う人や、世間からの同情共感を狙って理由を取り繕うようなケースは十分ありえるし、
事前に何かむしゃくしゃすることがあって別に女性に限らず傷付けたいと思い犯行におよんだ後になって、従来から頭の中にあった
思想と犯行との結び付けが行われるような、犯人自身が理由を事後的捏造しそれに気付かないようなケースもあるだろう。
しかも当初報道の場合、警察からリークされる偏ったものである。
今回の場合、『犯人自身が「女性を狙った」旨の発言をしており、フェミサイドと言って間違いない』という判定すらまだ危ういと思う。
・犯人の真意はどうあれ「(特定の属性)を殺したかった」と供述することはネットで共感を呼び、第二第三の模倣犯が起きるよ(海外ではそうしてテロの連鎖が起きているよ)
・つまり私達が恐れているのは、ネットの共感の渦が女性を殺したい模倣犯を生み出すことなのです。
・女性としては今電車に乗ることは模倣犯に遭遇するリスクを負うということ
・だから鉄道会社や政治家にこういう事件をNOという声明と事件防止策を求めている
・だから男性の皆様に、犯人の報道から不幸な動機を二次創作して共感するのをやめてほしいと訴えている
■男性の皆様にお願いしたいこと
・犯人のせりふを想像で膨らませて物語化する(私も氷河期世代キモオタおばさんなので我が身に重ねる気持ちはわかりますが共感度の高いネットでの発言は)自重いただきたい。それはあくまで「あなたの物語」です
・ヘイトクライムの犯人は減刑のため、また共感者を集めるために、共感性の高い言葉を使います。よくある不幸をほのめかします。
だから犯人の気持ちがわかるからと言ってあなたは犯罪者予備軍ではありません。むしろ同じような境遇で幸せそうなカップルを憎んでいても、実際に見知らぬ人を攻撃しないあなたはカッコいい人間です。
・幸せそうに見える女性は同じ非正規労働者でパワハラ店長に失敗をなすりつけられてトイレで泣いたのをメイクでごまかしてここで綺麗な顔をしているだけかもしれないし、俺でも簡単に刺せそうに見える清楚でにこやかな美少女は元レディースの猛者かもしれません。特に女性は社会から笑顔と愛嬌と控えめを要請されるので実際より幸せで弱々しく見えがちなのです。
・女性達の恐怖や怒りを「まあまあ」とナメたクソリプでなだめる暇があるなら、こんな事件に居合わせたとき、どうしたら自分の身の安全を確保しつつ通報救助ができるか議論してください
・「あなたの嫁や娘が殺されたら」という言葉で説得しないでください。「女は守られてイージーモード」という妄想を強化します。
…へのコメントで、男は男性ホルモンの影響でそういう事をやりやすい、って意見が人気だ。
もしそれが正しいなら、どうして男にホルモン抑制剤を投与しないんだろう?
女性を敵視してる人や、既に犯罪を犯した人に、ホルモン抑制剤を処方すればすべてが解決する。
飲用の証明を提出すると減刑になるようにすれば、みんな飲むさ。
究極的には脳にインプラントして、攻撃的な気分になった時に男性ホルモン抑制剤を自動で放出する装置をつければ、凶悪犯罪は未然に防げるのではないか。
女性の敵なのに服薬をこばむ人には、社会的制裁を課す。フォロワーは穏やかにミュートし、友だちは静かに距離を置くようになる。自分の居場所が欲しい人は進んで装置を付けるだろう。
決して強制はしない。あくまで自由意志で選択してもらう体裁を取るのがポイント。
小山田さん、小林さんが五輪を外されてしばらく立つが、「小林と小山田は全然違う」という声が少なくない。
など、確かに小林さんのケースは同情できる点は多い。だが一方で、
どの要素を重視して、どちらがより五輪にふさわしくないと考えるかは人によるだろう。
また、たとえ小林さんが小山田さんよりマシとしても、それが五輪を続けるラインよりもマシかも人による。
小林さんを減刑したいのであれば、小山田さんが謝罪文を出したタイミングでトーンダウンすべきだった。
昔の罪に対して誤っていたという認識が確認できた時点で、攻撃を続けるべきではなかった。