はてなキーワード: 体重とは
それなりに整ったハッキリした顔立ちに産んでもらったと思う。
スタイルもそんなに悪くないほうだった。
胸は大きいほうだった。
ファッションセンスは特別よくはなかったけど、無難な感じにまとめてた。
派手な顔なのでそれで十分誤魔化せた。
10代後半から20代前半は男性に好意を寄せられることも多かった。
見た目による恩恵がなかったとは言わない。
でも、見た目が原因で起こる嫌なこともたくさんあった。
電車で痴漢に遇うことは頻繁だったし、路上で変質者に襲われたことも複数回あった。
だいたいいつも多角関係になる。
カップラーメンくらい食べるわ。
ある時、恋人いないって楽だなと思った。
男性と同僚以上の付き合いをするのをやめた。
お洒落も最低限清潔感さえあればいいと思って、ラフな服装にした。
そこまで見苦しくはないと思うけど、男性の目を引くような姿かたちではなくなった。
ナンパや告白はされなくなったし、痴漢や変質者にも遇わなくなった。
余計な人間関係の拗れもなくて、とても気楽になった。
そういう幸せもある。
ずっとそのままハッピーでいてくれ。
歳取って太ってめちゃくちゃよかったという話。
全く呆れたものだな。
身体的特徴を社会が組み上げたくだらん物差しで測って嘲笑うか。
高身長の男はイケメンで低身長の女は可愛く、肌の色は白いほどよく体重は軽いほど優れていると。
巫山戯ろ。
そういったものを下らんと蹴り飛ばせる世界を求めていったのがオタクだろう。
それが今ではオタクの側こそが古臭い慣習を愛で文化だ教養だと囀るか。
痴れ者よな。
痴れ者であることこそが世間に反旗を翻した誇りだと語るお前らこそが自分たちの狭い世界で他者を測る側に回ってなおそう嘯くか。
今のお前らの下らなさは実につまらんよ。
より多くの共感を得、より身内からのいいねを集めることに特化するうちに、目的を違えた劣等種どもよ。
オタクなどというくだらん外付けの名はお前らにこそ相応しい。
今本気でそう思っている。
医師による生活習慣病のリスクが常人の85倍という勧告からダイエットにハマり、筋トレにハマった。
ストレスが肥満の大きな要因という研究を読み元の仕事を辞めて、収入は4割減ったがほぼ定時に帰れる仕事に就いた。
睡眠時間が脂肪燃焼と金肥大に重要ということで日付が変わる前には寝るようにしたし、
カロリー計算の邪魔になるので急遽の飲み会などはすべて断ることにした。
朝の有酸素(HIIT)が効果的とのことなので朝5時半に起きてHIITトレーニングをしてシャワーを浴びて出勤する生活スタイルに変えた。
そうすると睡眠時間が足りなくなるので夜は23時には寝るようにした。
体重は47キロ落ちて、体脂肪率は38.6%から17.2%まで改善した。
初めてジムに行ったときは30キロのバーベルプレスですらヒイヒイ言っていて「体重ある人は結構上がるはずなんですけどね」なんてトレーナーに苦い顔されていたが、今では120キロがバンバン上がる。
これが俺だ。
ジム以外での人付き合いはゼロだ。だが俺には俺の身体がある。健康な肉体がある。
この身体のためなら何もいらない。
小学生の頃からバチボコに虐められ、ついには不登校になった中高時代(とは言いつつ別室登校とかで出席日数かさ増しはしてくれたけど)
大学はまあ、そこそこ楽しかったが貧乏学生だったゆえに体重が20kg近く落ち一時期は生理も止まったしブラックバイトを2つ経験した
社会人第一歩目は派遣会社の常用派遣(「営業候補」って名目だった)ノルマ激ヤバエリアの携帯屋
敬語できるっていうワケわからん理由で初日からノー研修で接客してた
しかも歩合じゃないのに月20万以上端末付属品(sdとかそういうやつね)売らなきゃ人権がない世界
結局残業代百時間近くちょろまかされてて責任者クビになるし派遣会社がそことの契約切るしでまあ大変だったよ
派遣会社なんで、そういうことがあれば別のところ行かせてくれるけど、次に行ったコールセンターではベテランも新人もやめまくってて、ろくに新人教育もうけないまま一年経過
自分都合で就業時間中に着信拒否したり、そもそもタイピングが1分10文字とかいうポンコツばっかりだったけど、たぶん本社の人わかってなかっただろうな
ちなみにその表彰がきっかけで年上ギャルおばさん集団(推定40代)にネッチネチに虐められて精神病んで辞めた
(電話出る度に声高くてキモい、通話時間短くて生意気とか呪文みたいに言われたらそりゃ誰でも病むわ)
結局営業候補から営業になれるのは200人に1人って聞いたのもあって「人生搾取される」って思ってやめた(退職届出す直前まで「期待されてるからあと半年頑張ったら営業になれるかも」とか毎年お馴染みのことを言われたけど辞めたあと同期に聞いたら皆に言うらしい、怖)
再就職先は「コネの子入れるから内定取り消しねって言われて一週間ほど働いてたけど給料すら渡されず解雇された。
雇用契約書サインさせといて内定中で本採用じゃないから、はないでしょうに
まあ、人生そんなもんだよ
ごめんね
「楽しくも辛くもない」かな
現場は朝礼があるので担当者は必ず7時までには現場にいないといけないのだがこれがきつい。担当者は通常の作業管理だけでなくトラブル対応や各種書類作成、会議への参加もあるため毎日深夜残業しないと仕事が終わらない。なのに翌日の朝礼の時間には必ず出勤していないといけない。するとどうなるか。帰宅から出社までリアルに4時間とか5時間くらいしかない。これが日常的になると食事、風呂、歯磨き、着替えより睡眠を優先しないと仕事のパフォーマンスが落ちてしまって毎日を乗り切れない。その結果、俺は体重が10キロ以上減り、髪はいつも脂っぽくフケだらけ、髭は伸ばしっぱなし、服や下着はいつも同じで垢で汚れ汗の匂いで全身が臭かった。常に睡眠不足で脳が悲鳴をあげている。耳鳴りや動悸で体がピリピリと痛い。残業の上限を超えた分の100時間くらい毎月サービス残業していて有給はほとんど全部捨てている。と思えば毎日定時帰りして有給全消化している庶務社員が同じ職場にいて自分だけ地獄に落とされている気分だ。携帯は必ず取らないといけないから24時間手放せず精神が休まらない。部下や職人が急に休むと仕事をフォローしないといけないが自分の仕事をフォローをしてくれる人はいないから自分は具合が悪くても休めない。家事の時間が取れないから自室のキッチンやトイレや床が汚いまま放置されている。趣味なんてもう何年もやっていない。もう何年も帰省していなくてお袋の顔を何年も見ていない。コンビニ弁当じゃなくてお袋の作る温かいごはんを食べたい。小学生の頃に戻りたい。死にたい。
仕事は休みだができるだけいつも通りの時間に起きて生活するように努めた。会社外で連絡を取っていた友人や関係者にメンタル的な理由で会社を休職したことを連絡した。心配するメッセージを色々ともらったが、中には「休みいいね〜旅行とか行くの?」とか、「休んでる間に何かするの?」というようなことを言われて「いや、休養するんで…」とへらへらと答えた。人と接する時はなるだけ元気に、なんでもないように振る舞っているから「休職しちゃった〜てへ☆」というノリで話すので、「全然大丈夫そうじゃん」という反応をされることもしばしばあった。
自分自身、これはサボりではないか、ほら、今元気にできているし、という気持ちがあった。ただ、そのように人と会った後はひどく疲れて、言われたことを頭の中で反芻し、暗い気持ちや自分を責めるような気持ちになった。
できるだけ外に出たほうがいいと思っていたので、休職してすぐに近しい友人と会って飲みに行った。(まだアルコール提供されている時期だった。自分は薬を服用しているためノンアルコールだったが)病気の話をしたり、全然関係ない話をしたりして楽しく過ごしていたが、だんだんと自分が何を話しているのかわからなくなってきて、頑張って冗談を言おうとするが何もいい話題が思い浮かばなくなった。途中トイレに行った時に鏡を見ると、目がげっそりとくぼんで、あまりにも顔色の悪い自分が映っていた。冗談を言いながら笑っているつもりだったが、実は全く笑えていなかったらしい。
休職をして日中どのように過ごしたかというと、まずは部屋の掃除をし、近所に出かけていった。
時間に縛られずにする散歩は不思議な気持ちだった。近所の歩道には花壇がきれいに整えられていて、様々な種類の花が植えられていることに気づいた。それなりの期間ここで暮らしていたのに全く気にしたことがなかった。近所を散歩しているだけなのに、知らない店があったり、以前あった店が新しくなったりしていて、何も見ずに生活していたんだと思った。公園のベンチに座ってぼーっとしていると30分や1時間はすぐに過ぎた。以前はそんな風にスマホも本も持たずにただぼーっとすることができなかった。空がきれいだなあと思ったり、犬の散歩やジョギングをしている人をみていろんな人がいるんだなあ、この中にももしかしたら同じように病気で苦しんでいる人もいたりするのかもなあなどと考えた。
積読していた本が大量にあるのでその中から適当に一冊選んで、出かけられる時はカフェに行って読書をした。ただ、自己啓発系の本(意識高い系なのでいっぱい持っている)を読むと頭痛と動悸がして読み進めることができなかったので、小説や漫画を読むのに切り替えた。日常エッセイマンガを読み、思わずふふっと笑った時に、めちゃくちゃ久しぶりに笑った気がして、なんでこんな面白いものがあるのに、無理して、我慢して見ないようにしていたんだろうと思った。
映画館に映画を観に行ったりもしたが2時間耐えることができずに映画を観ながら寝てしまった。
基本的には外に出かけても16時〜17時くらいには帰宅して、照明を暗くして部屋でゆっくり過ごした。蛍光灯の明るい光や、スマホは刺激が強すぎるのであまり見なくなった。大丈夫な時はNetflixとかでドラマや映画を観ていた。ちょうどエヴァンゲリオンの映画が公開された時期だったので、今まで一度も見たことがなかったがシリーズを全部見ることにした。
日記を書き始めた。初日の日記はノート2ページ分にわたりネガティブなことが書き連ねられていて、当時の自分がいかに絶望していたかということを思い出させる。
「やりたいことや目標があったのに、もうダメなのかもしれない。」と書いてあり、思った以上にメンタル壊して休職という事実に参っていたようだ。
あとは相変わらずTwitterやはてななどで「適応障害」を検索しては自分と同じ境遇の人を探していた。どのくらいで復帰したのだろうかということをずっと調べていた。書かれていることに共感したり、通院が長引いてる人や休職を繰り返す人の話を読んで不安になったりしていた。
一週間後、再診のためまた病院に。
「どうですか、休めましたか?」
「体調はどう?」
「まあ、いいような気がします。人に会ったりとかもしてみました」
「人に会ってんの?疲れるからまだあんまり会わないほうがいいですよ。とにかくのんびりしてくださいね」
てっきり活動的にしたほうがいいのかと思っていたので人と会うなと言われて少し面食らった。どうしても、自分は軽症で、そんなに気を使うほどのものではないと思いたかった。食事は取れているかとか、睡眠はどうだ、薬は飲めているかなどを話して、10分ほどで診察は終わった。
もっと、何か特別なカウンセリングとかをしてもらえるのかと思っていたのでこれで終わり?と拍子抜けした。(カウンセリングと診察は別ということをここで初めて知る)
休職して二週間が経ち、1ヶ月ではとても復帰できないということでさらに2ヶ月休養が必要の診断書をもらう。
通院の日には毎回上司から状況伺いの連絡が来るのがきつかった。新たな診断書を提出して休職延長の手続きをしてもらった。
当時のツイートに「無理すれば働けないこともなさそう」と書いてあるが、今思い返してみるととても無理である。泥酔した酔っ払いと一緒で、大丈夫じゃない時ほど人は大丈夫というものだ。
うつ状態の時は睡眠に問題が出ることが多いらしいが、眠れなくなる不眠だけではなく寝過ぎてしまう過眠なんかも症状の一つらしい。自分の場合は寝付きは悪くないのだが、夜中2、3時間おきに目が覚める中途覚醒の症状が出ていた。休職する前からその傾向があったので、単に眠りが浅いタイプなんだと思っていたが、回復した今、朝まで一度も目覚めることなく眠れているのでやはり病気の症状の一つだったのだと思う。
あとは薬の副作用もあり、昼に異常に眠くなり、初期の頃はよく昼寝をしていた。ちょっと出かけて頭の中が情報過多になるとやはり同様に眠くなり、家に帰って眠った。眠くなったら寝ていい、昼寝もしていいと医者に言われていたのでその通りにした。
気持ちを落ち着けるための2種類の薬が処方され、朝昼晩と服用していた。
ただ、薬を飲み始めてから副作用でお通じが悪くなり、腹が苦しすぎて眠れないことがあった。あまりにもつらかったので市販の下剤を飲んだところ、体重が1kg減るほど出た。そのことから、薬が怖くなって、インターネットで色々と調べて、抗うつ薬に対するネガティブな情報などを見つけ、飲まないほうがいいのではと勝手にやめてしまった。飲まなかった初日は気持ちが落ち着かなくなり、手が震えて頭痛がした。それがまたさらに恐怖を煽り、こんな恐ろしいものを処方するなんてひどい医者だと思った。
自分は軽症だと思っているので、薬など飲まなくても大丈夫だという勝手な思い込みもあった。
次の診察の時に薬を飲んでいないと話すと「えっ!」と驚かれ、薬は悪いものではなく、回復期間を短くするために必要だから飲むようにと注意されてしまった。ひどい便秘になって苦しかったからやめたと話すと、服用量の調整と、整腸剤を処方してくれた。
整腸剤と、あとは自分でもヨーグルトを食べたりなど心がけて便秘はなんとか良くなった。お腹が苦しいからヨーグルトを食べよう、という風に思い当たるだけでも自分は生きようと、生活をよくしようという気持ちが湧いてきたんだということに気づいた。
休職して三週間が経っていた。
続く→ 適応障害と診断されてからの記録④