はてなキーワード: ヤンキー漫画とは
表現の自由戦士やオタクの人たちは、「女子高生漫画広告を見た人が痴漢や女性差別をする」というダイレクトな因果関係など全くないと言う。それはそうなんだけど、論点はそこではなくて、「日経新聞のように公共性の高いメディアで女子高生を性的に表象する」ことで、「未成年の女性を性的に眼差してもいいというお墨付きを与えること」が問題なの。なんでいつまで経っても理解しようとしないんだろうね。
「ヤンキー漫画を禁止すべきなのか」なんていう屁理屈を繰り出す人もいるけど、件の漫画を発禁にしろなど誰も言っていない。今回問題になっていることに当てはめれば、「不良が同級生をいじめている(ように見える)場面を朝日や日軽が全面広告で採用する」ということけど、それはダメでしょという話。
ていうか、オタクの人たちは、満員電車で巨乳が男性に密着するという内容まであるのに、件の漫画が性的な要素がないなどという真っ赤な嘘をどうして平然とつけるんだろうね。表現の自由云々の前に、嘘をやめよう。
小宮氏とCDB氏の「論争」についても、CDB氏が何が論点なのかを分かっていないまま噛み付いているので、小宮氏が議論そのものを拒否するような態度になるのは理解できる。ただSNS上のパフォーマンスとしては悪印象なので、それはどうかとは思うけど。
警察呼んで話した直後は静かになるけど、30分もしないうちにまたドッタンバッタン。
週末には怪しげな車が数台集まってくることもあるし。
管理会社に来てもらったけど、遠まわしに「あまり刺激しない方がいいと思います。」みたいな説明されたよ。やばい。
ヤンキー漫画に出てくる気が弱い先生みたいな台詞をリアルで聴くとは思わなかった。
家賃は23区にしては安いうえ、築年数が古いからってオーナーの意向で10年くらいずっと家賃据え置きにしてたらしい。
周辺の地価が上がってるのにここだけ家賃据え置きってなると、相対的に割安になるから変なのも湧くんだなぁ。って勉強になった。
管理会社も面倒見たくないんだろうな。
喧嘩や暴力は嫌いな人でも、ヤンキー漫画は好きな人はいる。殴り殴られは嫌いなのにボクシングは好きな人はいる。(ルールがあるスポーツを混同するのはよくないかもだが、広義として捉えてくれ)
なので、物語として出来上がっている過去の戦争を取り扱った作品を好むのは、なんらおかしくない。はっきり返答するなら両立する。そういう曖昧さや矛盾こそが人間らしいんじゃないか?
もちろん「楽しんでいいんだろうか……」と疑問を感じるのも自由だし、そこからそういう作品を楽しめなくなる人もいるかもしれない。それもそれでいいと思う。ただ、他の人の好みに口をだしさえしなければ。な。(暴力的なゲームや漫画は悪影響ガーとか騒ぐ人らみたいなやつな)
ま、物語と現実をきちんと分けられる人なら、物語は物語というカテゴリー内で楽しめばいいと思う。
現実に国が国を侵略し、血を流し、流させる。そういう事態に対して、物語とは違う現実に起こっている出来事だとしっかり分けて認識し、憤りを感じたり悲しさを感じたり。それでいいんだと思うよ。
美味み描写でヤンキー化した食材が闘ってる! す、すごい……。
いや奥嶋先生はヤンキー漫画家なのでは? と思い、某BLレビューサイトで検索してみたら、奥嶋先生のBL作品が数点あった。タイBLの『2gether』のコミカライズを奥嶋先生が担当していた。
一見、BLには見えないけれども、ちゃんとBL。何故なられっきとしたBLレーベルの作品だから。そう、BLと非BLの違いは、単にレーベルの違いでしかないのだ……。
作画担当の奥嶋ひろまさ先生はガチでヤンキー漫画家。だが、原作のSHOOWA先生はガチのBL漫画家だ。タイトルと作画担当者の名前を見てから「SHOOWA」の六文字を見ると、すごくヤンキーっぽいというか、「SHOW-YA」と空目してしまうけれども。
不良高校生・赤松愛将(あかまつあいすけ)は、公園に住み着くカレーパン男(初対面の時カレーパンを食っていたのでカレーパン男とあだ名をつけた。)にケンカを挑むのが最近の日課だった。ところがある日、カレーパン男の住まいだった土管が公園から撤去されてしまう。住処を無くしたカレーパン男こと神崎七焚(かんざきセブン)を、赤松は自分の部屋に招き入れるが……。
表紙絵からしてガチのヤンキー漫画以外の何物でもないのだが、中身を見たらやっぱりヤンキー漫画以外の何物でもない。ただ、ひょんな事からなし崩し的に一緒に住むことになっただけの二人のヤンキーが、単に生活用品を揃えに休日のショッピングモールに出掛けたところ、同棲準備に浮かれる恋人同士の絵面になってしまうという、しょうもないギャグ漫画の体がしばらく続く。
そして、これは本当にBLになるのか? という疑念をどっかに忘れてひたすらヤンキーギャグに笑い転げていたら、突然すごく強引にBLっぽい展開に突入。本作が商業BL作品であることを思い出しつつも、それ以前のノリの余韻があるので唐突BL展開もギャグとして笑えてしまうんだが、なんか、正統派ヤンキー漫画の画風そのままでえっちなことを始められると、見てはいけないものを見てしまった感がわいてくるw 青年向けヤンキー漫画らしい裸体絵で、やけにリアルなチン毛の下からライトセーバー(電子書籍的修正。何故ただの白抜きにされなかったのか。)が生えているの、とってもシュール。一般の漫画だったらチン毛までは描かれていても、ライトセーバーまでは描かれないもんな。ヤンキー漫画とBLの融合……は、していないような、絶妙な感じの取ってつけた感のエロシーンw でも後半に行くにしたがって、エロシーン以外の部分でガッツリBLらしい表現になってくるのが面白かった。なのに、いかにも商業BLっぽいような湿気った恋愛模様ではなく、友情と恋のあわいくらいの関係性というのが、小ざっぱりとしていて読みやすかった。
本当にヤンキー漫画を描いている人の描いた漫画なので、ケンカのシーンがリアルで迫力がある。動きの美麗さとかカッコよさよりも体重移動のリアルさに重きを置いているアクション。サラリと台詞に出る、格闘技マニアっぽい蘊蓄。こういうアクション表現は、商業BLにはあまり見られないので、新鮮だった。
商業BLを読んだことのない人にも読みやすいっちゃ読みやすいけど、ここから入るとBLの王道を後から知って愕然としそうなので、読みやすさの割にはBL上級者向けなのかも。
韓国BL。なんかすごい人気がある。本屋に行ったら2巻まで置いてあったなあ。
娼館で生まれ育ったナミンは男同士のまぐわう春画の絵師として知られていたが、現在は絵師を辞め、飲んだくれている。そんなナミンを名家の長男スンホは探し出させて拐い、彼の為に再び春画を描けと迫る。スンホはナミンの描く春画の虜なのだ。ナミンはスンホの暴虐な気質に恐れをなし、しぶしぶ筆を取る。
な、なんか韓国BLまじこわいんですけど……。何でこんなに愛とバイオレンスが分かち難い感じなのかな。といって、私の読んだことのある韓国BLはほんの少しなので、たまたまこわい作風の物だけに当たっただけなのかもしれないけれど。韓国フェミニズム小説のヒリつき感と似たような空気を、ほんのり感じた。
歴史物の韓ドラをちゃんと観たことがないので、伝統的韓服とか物珍しくてわくわくした。半端に服を脱いでいるシーンを見て、へぇ、こういう構造になってるのかあ……と感心してしまった。でも、漫画だし全部を真に受けてはいけないかな?
昼ドラのようにねっちりとしたストーリーと人物描写なので、ついつい続きが気になってしまうけど、読むとメンタルやられそうな気がする。
両方の引きが悪く生まれた。
まず親がどう底辺かというと、中卒で集団就職で色々苦労したらしい。
それで真面目に働く人なら立派と思うが、俺の記憶は何かにつけて怒鳴ったり物を投げたりそういう親だった。
なので家に居ても俺はビクビクしていて心が落ち着かなかった。根本は仕事のストレスで怒りたいから怒る理由を探している、そんな感じだった。応援している野球のチームが負けただけでも物をいきなり壁とかに投げつける。自分に反論されるとキレる。論破されるととにかく暴力で解決して勝とうとする。今の法律ではすぐ捕まるレベルの人間だ。声がデカいから他の部屋にいてもすごく聞こえる。やたら働く事が尊いと説教する。とにかく罵声を浴びせてストレス解消する。手元の刃物を持って思い切り投げつけようとする。言う事もコロコロ変え自分が正しい事を要求する。束縛が強くて自分が出掛けるのを嫌がる。友達と遊んでいても不満をぶつける。俺は中卒で社会に出て働いた、だから偉いんだとやたら社会に先に出た事をアピールする。
友達も居ないし勉強する事自体に有意義さを感じなく学歴も低く人も信じられない精神不安定と言う子供部屋おじさんが育った。
ついでに育った環境も不便な田舎で仕事が多い都市まで一時間以上掛かる。
おかげで仕事を探すのも通勤するのも毎回片道1時間以上掛かると言うハンデを背負った。
当時はそこまで考える力も無く、努力する事が無駄に思えて勉強も疎かになった。自殺も考えていた。
一つ一つなら努力で乗り越えようとも思うがここまで重なると、もう呪いとしか思えないレベルで嫌なしがらみが付いてくる。
もしそこから抜け出すのならやはり勉強して良い大学に入ってそれを機に都会で一人暮らしして全てから脱却するまでやれてたら良かったのだろう。無理だった。
金持ちはその資産で子供に教育を受けさせたり、自社の仕事を継がせたりする。金持ちはより金持ちになり貧乏人はより貧乏になる。嫌ならそれを乗り越えていくしか無い。
クソ安い給料で人に不満をぶつける訳でもなく働いているけど、入っている会社もブラックで差別されながら働いている。黙って働いているがそれでも不満らしい。
上司は仕事も与えられず会社を抜け出してパチンコ行っているが天下りの出向社員で皆何も言わない。それでいて給料はきっちり高い。
皆ストレス溜まっているのだなと思う。
ルックバックの修正については、描くことも自由で批判することも自由で、その上で修正することもまた自由なあたりがややこしいんですよ
本質を言うと、障害とかの話題は教育や受ける人間のリテラシー学習の方でどうにかするべき話なので、描くことが悪い!と言い始めると言い始めると際限がない(月並みですが)。
正直障害者がこういうことをしかねない!という描写はよくないという話は、分かりやすく不良の格好させたキャラがしっかり悪いことをするのもよくないっすねという話になる
で、日本はいつもこういう描写規制の際ヤンキー漫画を絶対棚上げするので、どうも場当たり的というか「話題に乗じて事を為して正義を貫いた実績を得たい」というエゴが見えてならない
確かに全体で統一しましょうねっていうのも危うい方向性ですが、こういう「何を描いてよくて何を描いてはいけないのか」という話は毎回芯を食わない表面的な部分だけで変なジャブを撃ち合うだけで、落とし所も気持ち悪くなる
正直いまネットで元気な30代40代くらいの人たちが「教育に失敗された」集団じゃないかな…というのが自分の結論なんですけれども…
完全に自分語です。それでもよろしければ読んでください。
某鬼殺漫画の大ヒットからオタク以外の人たちの間でもアニメや漫画のブームが訪れたと思う。
世の中は、①某鬼殺漫画→②某呪漫画→③某ヤンキー漫画の流れができているようにみえる。
私は①と②はアニメは放送当時見ていて、漫画は少しだけ読んだ。全力で逆張りしている訳では無いので触れるだけ触れてみようという気持ちで触れ、結局ハマらなかった。ハマらなかった理由に流行ってるからというのはあったと思う。作品自体はとても面白かった。
③だけは違った。連載開始当初から本誌の方で読んでいて、狂おしいほどハマるってわけではなかったけれども本当に面白いと思いながら読んでいた。
それから①と②のブームがきて「次は何が来る?」みたいな風潮になり、そのまま③のブームがきた。物語は面白いしキャラクターはかっこいいし映画はイケメン俳優たちを集めていたし、人気の出る理由もわかる。私も昔はもっと人気出て欲しい!と思っていた。
しかし、いざ人気が出始めると周囲の女子たちも騒ぎ始め、ツイッターでも話題に登るようになり、漫画内のフレーズをネタとして様々なところで聞くようになった。腐女子も夢女子も沢山いると聞いた。
そうなって欲しくなかった。有名になることは嬉しことなのにアニメ化で喜んでいた気持ちがスっと冷めていってしまった。
それからは本誌でもサラッと読むようになり、読むことも面倒になってきてしまった。
ものすごくくだらないけれど、初期から読んでいるし、最初は古参マウントを取りたくもなってしまう気持ちがあったけれどそれすらどうでも良くなってしまった。むしろ作品自体に関わることも面倒だと思うようになった。
純粋な気持ちで楽しく読んでいたはずなのに、こんな風になってしまって寂しい気持ちもある。
これは某五つ子漫画でも同じことがあった。
そして、同じ雑誌の某サッカー漫画の波も来ているのを感じている。
好きだった漫画を心の底から好きと言えなくなってしまった自分が情けなくなることもある。
おそらく、このような気持ちを感じている人は一定数いるのだろうなと思う。