はてなキーワード: メンテナンスとは
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110521
上記エントリを読んで、なんか違う気がしたので、風呂に浸かりながら考えた。
だって外国の製品でも、iphoneってたぶん過剰なくらい多機能だし、ウィンドウズだってゴテゴテ機能がついてて悪趣味じゃん。
http://d.hatena.ne.jp/katoyuu/20110518/hacking
そういえば、こないだどうして、フィクションの中のハッカーはもの凄いはやさでキーボードを叩くのか、って言う話があった。
記事の内容とは異なり、俺はこう思っている。
フィクションの作り手たちは思っている。読者にとって、スーパーハッカーとはあまりに縁遠く、理解のできない職人であると。
サマーウォーズのハッキングが根性で、超絶操作がキーボードがちゃがちゃだったりするのと余り変わらない。
おそらく、それは
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110517/220014/?rt=nocnt
一般人は無知蒙昧であり、一部の理解ある人間たちだけが、本当のものの使い方や価値をしっている。
松下幸之助はこういっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%81%93%E5%93%B2%E5%AD%A6
一般人に対して家電の仕組みを伝え、馴染む道具として使わせよう、
家電の使い手は無知であり、蛇口を開く(スイッチをオン、オフする)以上の操作を期待しない。
という哲学のような気がするのよね。(誤った意味での)お客様は神様的な。
そうした発想からは、家電をユーザが分解して、自分でメンテナンスする、という思想は生まれ得ないと思うのよ。
これは、家電じゃなくて、携帯電話でもポットでも、電子ジャーでもそうね。
「壊れたら新製品を買いましょうよ」というのは、その方が儲かるから、っていうだけじゃなくて、
日本人は一回壊れたものを直して使って、また壊れても使う。
というような、そこまで自己責任を負う種類の人種じゃないと思うのわけで。
本来、たぶん昔の日本人っていうのは、じっくりと道具を手に馴染ませて、それを扱う職人の集団だったはずなんだけど、
逆にそれは自分の知らないことについては何も関与しようとしない無責任者の一団であって、
気がついたら、手に持った職業技術は適当な舌先三寸の営業技術を除いてほぼ失われたものの、
自分の専門分野以外は専門じゃないから、理系じゃないから知らないよ、的な集団になってしまった。
そうしたエスニックグループに向かって、保温ができないポットを売るとかいうのは正気の沙汰じゃなくて、
エアコンが壊れたら自分で分解して修理しろ、といのも本気でいってるとは思えない。
だって、そんなことはどこか遠くの技術センターにいる技術者がやるはずで、一般人の俺にはわからないことのはずだし、
政治なんて十重二十重に囲まれてクローズされた世界のなかでやってるなにやらヒミツめいた活動なわけだし、
原子力なんて専門家のいうことや、誰かが語ってることを信じるしか、専門家じゃない俺たちにはわからないはずだ。
そうやって自分の関与外のことに対して、極端なほどに無知蒙昧を装う。
自分は責任を回避しつつ、他人には無限の責任を負わせようとする。
そんな連中に向かって、エアコンを分解して修理してずっと使えって? それも自己責任で?
それとも、壊れたエアコンを確実に修理できることを企業として保証しますって?
そんなの、昭和のオッサンでなくて、オッサンじゃないけど、オッサンになりかかった俺でもいやだわ。
B「知らない」
A「求められたコードすら書けないのが三流プログラマー。要求された仕様を満たすコードが書けてやっと二流。再利用性やメンテナンスのことまで考えてコード書けるようになれば一流、一流の仕事を人の数倍速くできれば超一流だ。」
B「ふうん」
A「ちなみに超一流よりさらにえらいのが誰かわかるか?」
B「さあ」
こうした言語の話ってさ、いつもいつも狂信者みたいな人とか、単に引っ掻き回すだけの人が現れて
「高級言語なら簡単なことが簡単にできる」とドヤ顔で言うんだよな。
「簡単なことを簡単に書くために、高度な言語サポートがある」といって「簡単な事では問題が起こりません」って言うんだ。
そして、メンテナンス性とかの話をしてたはずなのに、「言語がカバーしてくれる」とか言い出す。
んなわけないじゃん・・・・ドキュメントの不備ひとつで、どんな言語だろうが難攻不落の砦になったりするんだよ。
それは君が、高級言語の機能を活かした質の良いコードを見たことがないだけだと思うよ。
そうしたコードは、たとえドキュメントが皆無でも実装者の意図を推測するのは難しくないし、メンテナンス性が高く、機能追加も容易だ。
アセンブラでも設計さえ確かなら問題ない。うん、そうだね。これは単純に比較の問題だ。アセンブラで堅牢さを実現できる設計なら、高級言語を使えばさらに堅牢に作れる。したがって、特に理由がない限り、アセンブラやC言語を使う理由はない。
ましてや、常に完璧な設計をすることは不可能だ。また、「完璧」な設計は要求変更に弱い。ならば、なおさら堅牢性の低い言語を使って実装する理由はない。
こうした言語の話ってさ、いつもいつも狂信者みたいな人とか、単に引っ掻き回すだけの人が現れて
「高級言語なら簡単なことが簡単にできる」とドヤ顔で言うんだよな。
「簡単なことを簡単に書くために、高度な言語サポートがある」といって「簡単な事では問題が起こりません」って言うんだ。
そして、メンテナンス性とかの話をしてたはずなのに、「言語がカバーしてくれる」とか言い出す。
んなわけないじゃん・・・・ドキュメントの不備ひとつで、どんな言語だろうが難攻不落の砦になったりするんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110409222932
いろいろと言い方の問題もある気がするので、きちんと説明します。
正確には「おそらくちょっとはSEO効果があるかもしれないけど、そんなことをするのは非合理的だからしないほうがマシ」ということです。
以下によくまとまっているので、それを見てもいいかもしれません。
http://www.geekpage.jp/blog/?id=2008/2/19
要はgoogleっていろいろな要素によってランキングを決めているわけですが、その重要な要素の一つが被リンクなわけです。はてなブックマークというのはいちいち個人のページからリンクをはられるわけで、その分では被リンク数を稼ぐことができます。
では、たとえばスパムで大量にはてなブックマークを登録してみたらいかがでしょうか?被リンクが増えそうなので、SEO効果高そうですよね。
しかし、これをやってもたいして効果ありません。なぜなら被リンク元が価値がないからです。自作自演でサブアカつくって数を稼いでも効果ないわけです。これが通用するならたくさんのサブアカウントつくってリンクを貼りまくればいいだけなので、SEOが簡単にできてしまいます。つまり、被リンク自体に価値がないといけ
ません。サブアカウントでいくらブックマークしたところで、さほど効果はないと言えます。
※今現在、仮にあったとしても人工的なリンクで操作が可能であればgoogleの価値が激減するので、いずれ効かなくなります。
では、はてなブックマークを使っていて、価値があるリンクを持っている人にブックマークさせるというのはどうでしょうか?
これは結構な価値がありそうです。はてなブックマークでスパムをやり、ホットエントリーにいれてから、そこから普通にはてなブックマークを使っている人にブックマークさせるという方法です。
しかしこれは諸刃の剣です。はてなブックマークを使っている人にとっては、自分が利用されることは嫌ですし、そんな派手にホットエントリーに入ってればスパム行為はすぐにバレます。さらに、価値があるリンク=価値あるブックマークをしている人ほどそういうことを嫌う傾向にあります。そして、スパムがばれた場合に、今後いいエントリーだったとしてもブックマークされなくなるというリスクがあります。まともなコンテンツを作っている会社であれば、そういうことは避けたいことになります。これをするのに適しているのは、単発で一気にリンクを集めたい時くらいです。
nanapiの場合は、今後も大量に記事が増えていくサイトのため、1つのエントリーのSEOのためにスパムをするということは非合理的ですし、大量にやればやるほどスパムがばれるリスクがあるので、もしやれるとしても、やらないのが合理的な判断になります。
はてなもこういうスパムをされると非常にリスクがあります。はてなブックマーク自体の価値を損ねてしまうからです。だからこそ、はてなは一気に同一のIPアドレスからブックマークをされるとスパムとみなして、ホットエントリーに載せなかったり、アカウントを停止したりしています。
特にサイトごとみなされてしまうと、nanapiのような大量のエントリーがあり、ロングテール的にトラフィックを稼ぐサイトだともったいないことになります。1記事がホットエントリーに入り、少しのトラフィックと少しのSEOのために、他のトラフィックを犠牲にする理由はありません。リスクが大きすぎます。
そこで出てくるのは「ユーザーにもはてなにもバレないスパム方法を考えたらやるんじゃない?」ということです。これであれば、やったほうがいいかもしれません。当然のことながら、インターネットのビジネスの多くが、トラフィックが大量にあればあるほど儲かるモデルのため、どのサイトもSEOをやりたいと思うわけです。だからこそ、SEO会社が大量にあり、ビジネスになっているわけです。
さて、SEO会社は実際にはどのようなことをやっているのでしょうか?いろいろありますが、乱暴に言うと二つあり「サイト構造やコンテンツをSEOに有利なように作り替えるコンサルタント」と「SEOのための良質な被リンクを売る」です。
ここで考えたいのは後者です。後者のための良質なリンクというのを作るために、SEO会社は日々努力をしています。良質なリンクを持ってくるには「自分たちで良質なサイトを作る」もしくは「他の良質なサイトから、リンクを買う」というものになります。どちらも結構なコストがかかります。(GoogleはSEOのためにリンクを買うのはダメといっていますが、それはまた別の話)
はてなブックマークがもしもコスト安く良質のリンクを集められるとしたらどうでしょうか?SEO会社はもちろんそのリンクを欲しがるはずです。バレたらアカウントが止められるとしたら、バレないような仕組みを考えることになります。
で、SEO会社はそれをやっているかというと、やっているところを個人的には見たことがありません。その理由もわかっていて「コストの割に効果が低い」からです。バレないための仕組みを作り、メンテナンスするよりも、数万円でリンクを合法的に買うほうがはるかに効率的だからです。
正直に言うと、そういうことをやってた会社はいくつかあります。2005年、2006年くらいのときにはたまにいました。しかし僕の知る限りみんなやめてしまいました。たいして意味がないとわかったからです。はてなの自動的にスパム判定する仕組みを抜けつつ、ユーザーにもバレないように自然にブックマークをさせる仕組みを作る、というのはコストにあわないのですね。
結局のところ、投資対効果があわなすぎるので、バカバカしいんですね。
一番効果があるのが「はてなブックマークを使っている人が、喜んでくれそうなコンテンツを考えて作ること」だけなんですよ。別に正義で言っているわけでもなくて、ビジネス的にもそれが一番効率がいい。
私は本当に脱原発したいなら原発反対よりもクリーンエネルギー推進よりも何よりも電力自由化を求めた方が良いと思う。
なぜなら現状では、福島原発のような事故が繰り返されようともなお、原子力発電こそが合理的で社会的に正義であってしまうからだ。
産業界は経済的に競争力を確保できる程度の安価でかつ安定供給される電力を望む。
国は有事の際でも、資源を自力調達可能なもの、もしくは備蓄してある程度の期間供給できるエネルギーを望む。
というのも、ABCD包囲網により資源を止められることが第二次世界大戦戦争の日本の開戦の発端の一つになったように、エネルギーを安定供給できなければ戦争か暴動が起きるからだ。
福島原発事故で何人の命が奪われようとも福島を死の大地にしようとも、戦争や暴動による被害よりも損失は少ないと考えられる。
それゆえ、産業界と国からの条件を満たす発電方法は現状では原子力発電の他にない。
電力会社としても、燃料であるウランが石油やLNGと比べ備蓄がきき安定した値段で手に入るため、原子力は計算しやすい。
また、廃炉のコストを考えると原子力は経済的ではないと言われるが、国が原子力発電を安定したエネルギー源の一つとみている限り、
廃炉のコストは私たちの電気代に上乗せされるか税金によってまかなわれるだろうと私は予想する。
電力会社が電気を安定供給するために原子力をベースに持ってくるのは非常に合理的な経営判断といえる。
代替エネルギーとして太陽光発電や風力発電が有望視されるが、太陽光発電はいくら効率が良くなっても天候によって左右され、
風力はメンテナンス性に欠け、またどちらとも大規模化したところで原子力発電の安定した発電量には遠く及ばない。
東京電力が発表するのを止めたという洋上風力発電は原子力発電の発電量をまかなえるのかもしれないが、
電力会社は公益法人であるが株式会社でもあり、そのような冒険せずとも良くも悪くも長年使ってきて技術の蓄積もノウハウもある原子力発電を選ぶのは明白である。
そのため、そこで風力だ地熱だ波力だ海流だなどの他の発電方法があるといっても何の意味もない。
だからこそ電力自由化が必要だと思う。
それは、上に太陽光発電や風力発電は大規模化したところでうまみはないと書いたが、家庭レベルの電力であれば話は変わり十分実用に値するため、
電力自由化と自家発電の規制を取り払うことで、電力を分け合うスマートグリットの普及が進むのではないか。
また、電力自由化により新規参入を可能することで、電力会社の独占状態を崩し、消費者が何から作られた電気かを選ぶことできるようになれば、
他の発電方法に目を向けなければならい状況ができるのではないかと思うためである。
と、居酒屋でくだを巻くように思いの丈を書いてみた。
追記:福島第一原発が収束してないそばから新しく原発作るよーとかMOX燃料でプルサーマル進めるよーとか某電力会社が息巻いているけど、
資源に恵まれていないとされる日本が脱原発するためには、自然エネルギーだろうがメタンハイドレードだろうが
石油っぽいものを作れる変な藻だろうが重水素発電だろうが核融合だろうが、資源が自力調達可能なものを得なければ
脱原発はできないのだろうと、私は思っている。
そういった意味で高速増殖炉はまさに夢の技術ではあるのだけど……リスクが大きすぎて、他の方法を探した方が有意義ではないかと私には思える。
原発でも火力でも水力でも何でもだけど、その恩恵はそのリスクに見合うのだろうか?
電力自由化による停電の問題に関しては、理想的には各々が太陽光発電や風力発電やコジェネレーションなどの小型の自家発電設備を持つことと
その余剰分をスマートグリットで分け合うことで停電が抑えられるという考え。
だから電力自由化したところで小型の自家発電設備やスマートグリットが普及しなければ絵に描いた餅なんだけど、
小型の自家発電設備やスマートグリットが普及するためには電力自由化ぐらいの改革がなければ構造変化は起きないのではないかと、私は思っている。
生えてきた中学生の頃から、少しでも伸びると絡まって不意に痛くなるからと、半月に一度は剃る。二週間もすると一日に一度は絡まった毛に皮膚を引かれ「イテッ」などと声を挙げることとなるためである。うっかり外出先で迂闊に呟くこともある。無論、「どうしたの」と聞かれても答えられない。
剃っているのが恥ずかしいことなのか確認できないこともあり、裸を自分以外の人間に見られる機会は全て忌避すべきものとなる。中高の修学旅行などは地獄だ、生理を装ってでも集団入浴から逃げた。
大学生になってから、告白されても「大学生にもなれば大人なのだから、手を繋ぐに留まらない体の関係がある」という事前知識に邪魔され、突っぱねて来ている。このままでは恐らく、毛を剃っていることを打ち明けられないばかりに能動的な恋をしても何もできないままになるのではないかと危惧している。
二週間伸ばしてみた毛を眺めると、不ぞろいで不恰好でしかも痛いのだし、きちんと剃っておくほうが清潔で快適なのだという思いを新たにする。生理中は剃ることが難しくなるので、不用意に我慢しすぎると剃れなくなり、一ヶ月伸ばし続けることとなる。たまに陰部の内側へ巻き込まれるが、そうすると端にひっかかり毛同士が絡まって引っ張られたときとは比べ物にならない痛みに襲われる。今月も、またそろそろ剃らねばならない。
あるいは伸ばし続けているほうが恥ずかしいのやもしれないが、そのようなことを話題にできるような知人がいないので、幼い頃に見た恐らく剃っていない母しか参考にすべきものがない。小学校の性教育では男女の交合が神聖で安易にすべきものでない、子どもを生むのは生命の神秘であり云々、などと全く参考にならない、実用性に欠けたことを教わったが、陰部の基本的なメンテナンス方法なども教えるべきだと思う。男性が皮で悩むらしいと聞くので、そういった相談しにくいことで悩む人が多いなら国が一律でそういったことに関する知識を授けるべきではないのか。(だいたい、小学校の性教育では子宮に接する亀頭の図などを用意してみせるくせに、実際に何処に入り口があり、どこから挿入すれば互いに無用な苦痛を与えずに済むのか、などはその後も習うことがないのだから、いったい何を教えたいのか理解に苦しむ。)
いっそ、AVでも見るべきなのかもしれないが、「AVを現実と混同してはいけない」とも聞くので却って恥ずかしい人間になってしまうのかもしれない。
「剃る以外の手段もある」「剃ってて当然の人とお付き合いすればいい」など意見を頂いたので、グーグル先生に色々聞いてみます。
スーパーにモノがないのは、別に買い占めの影響だけじゃないと思う。
というより、買い占めの影響よりも他の影響が大きいのではないだろうか。
雪印集団食中毒事件がそうだったように、数時間の停電といえど食品工場や医薬品工場では大事故につながる。
当然、地震が起きたときに製造していた製品は出荷できないし、倉庫の原料も使えるかどうかわからない。
もちろん今もメンテナンス中だろう。
空調や水質が以前と同じ水準である確認をしてからでないと製造できない。
たとえメンテナンスが終わっても、ある種の製品を作る工場では輪番停電が行われる期間はほぼ稼働出来ないだろう。
多くの港が使用不能になっているし、普段このへんを走るトラックは物資を運ぶため東北と長野に向かってる。
そんなわけで、ミネラルウォーターや乾パンだけでなく、生洋菓子とか肉や牛乳もスーパーでは不足してる。
モノ不足を煽るつもりでも買いだめを肯定するつもりではないけれど、単純なパニック買いの結果としての物不足なのか、そうではない物不足なのかは遅かれ早かれわかってしまうことなんだ。
しかし、それを認めてなお、被災者たちのことを考え節約し必要以上のモノは買わないというのが正しいあり方なんじゃないだろうか。
うん、だからね、
機械化で、大量生産でモノを右から左みたいな仕事は減った。→人が減る例
でも、その機械を作ったりメンテしたりするのはやっぱり人間なわけで。→人が増える例
なので、どっちもどっちというか、その場にならないとわからない。
あと、機械を入れちゃうと、生産調整とかが難しくなるというのもある。
オートメーションが進めば、なくなるのは「肉体」労働なのか。
機械だけになって機械を作る機械が出来ても、その機械を設計する人間は必要になる。だから、肉体で労働するわけじゃないが頭を使って労働する人間は必ずいる。
そして、次にメンテナンスが必要ということだけど、そのメンテナンスをそもそも人間自身も行ってるわけで、
なぜ他の人間がいなくてもメンテナンス出来るかといえばそれは自立行動し自分で栄養補給し排泄することが出来るからだ。
とすれば、全てを機械にやってもらうためには自動メンテナンスすることが必要だ。
さらに、知能労働が人間だけのものということでもなくなってくる。
自動メンテナンス出来る機械が誕生すれば、そもそも自分の意志で何かを考えることが出来る機械が登場してもおかしくはない。
その機械を何らかの方法を使って制御し、ある一定の労働のみを行わせることが出来れば・・
確かに教師ロボットなどの知能労働をするロボットは過去のSF作品でよく出てくるしありきたりな話ではある。
しかし、人間そのものが大幅に変わってしまうという作品はなかったかもしれない。
そこで人間がどうなっていくかを考えれば、やはりこれは機械に近づいていく。つまり、機械のような都合の良い肉体を求めていくということになる。
たとえば、視力が落ちない義眼、怪我に強く疲労しない腕や足、睡眠の必要がない身体。
そもそも人間が人間にとって都合の良い世界を作るために必要としたのが機械だ。機械を必要としているのは、人間というよりは人間の脳だ。
だとすれば脳以外の肉体をそっくり人工の、脳にとって都合のいい身体に変えてしまっても問題はない。というより、それが脳の願いなんだろう。
機械が徐々に人間らしくなっていき、人間が徐々に機械になっていく。どこまで行くかは分からない。しかし、今の自分の想像力では、機械が完全に人間になるということは多分ないと思うし、人間が完全に機械になるということはない。
機械が人間になるということは、本来の機械の役目(都合の良い労働力)が失われてしまうし、人間が機械になったら、つまり人間の脳まで機械になってしまったら、それはもう人間とは言えないし、都合の良い身体を欲しがる人間はいても、人間を捨てて機械になりたいと思う人間がいるとは思えない。
でも、人間と機械の微妙な均衡点というのが一体いつまで維持されるのか分からないし、それを維持するという明確な理由が見つからない。つまり、「人間が機械になってはいけない理由」や「機械が人間になってはいけない理由」。
人間が機械になるなら、都合の良い労働力として工場に派遣されても問題はないし、元機械だとしても性質は完全に人間のそれと同じなら彼らを機械とカテゴライズする理由もなくなってしまう。
個人的にこの未来は恐ろしいと感じる。この恐れは、多分自分が許容できる未来の限界点を示してるんだろう。
人間が機械になり、機械が人間になる、こんな未来がいったいいつになるのか想像も出来ないが、もしかしたら1000年以内にやってくるかもしれない。500年以内と言っても早くはないかも。
結局、脳は機械になることを望んでいるんだろうか。
脳の持つ性質は、人間味という言葉からはいずれも遠いし、脳が願ったものを見てみても、そこに人間らしさというものはない気がする。
デザインという右脳の意向が強く反映される部分だけ見れば確かにそこには人間らしさがあるが、ほとんどの部分は左脳の意向に沿ったもので、そこにあるのは無駄がないすっきりとしたデザインだ。
このまま行けば、もしかしたら右脳が完全に左脳にとってかわられ、人間らしさというものは完全に失われるのかもしれない。
たとえば、機能ごとに何を選ぶかという自由はあっても、同一の機能で違うデザインのものということはない。
ファッションを見ると、概ね左脳に支配されていない、つまり時間軸的には過去、文明でいえば未発展のほうがより派手で無駄が多いデザインになってる。
これは、右脳がそういうものを求めていて、まだ言語世界が発達していなかった世界ではそういう華美なものが求められていたのかなと思う。
逆に現代に近づくにつれ、だんだんと右脳よりも左脳がデザインに口を出すようになり、より合理的で、無駄がなく、画一的なデザインが選ばれるようになっていった。
グローバル化もそれに似ている。素晴らしいものが一つあれば皆がそれを真似し画一的になる。萌え絵、ハリウッドの方法論、ファストフード店、郊外型店舗などなど。
このまま左脳が優位になればどうなるか。人々は次第に画一的なものを問題だと思わなくなっていく。
たとえば草食系。必要のないものにはお金をかけない、すなわち安い画一化されたものを購入する世代の出現。
ユニクロがバカ売れする時代。もはや重要なのは「機能的かどうか」であって、個性的かどうかではない。
言語も統一される可能性がある。英語かどうかは分からないが、この勢いでいけばやはり英語が地球標準言語となる可能性は高い。
しかし言語というのはその土地に根差したきわめてローカルな存在だから、もし英語で世界の言語を統一するとなれば、よりグローバルな言語となるため進化が必要になるだろう。
ここで考えられるのが、どうやってグローバルな言語となるために進化するのかということ。
確かに元々ローカルな言語というものは、どうやったってその民族、環境などに影響されやすい。
まず環境を考えるとすれば、実は地球上では既に環境のグローバル化が起きている。それが、自然環境に左右されない都市化という現象だ。
都市は概ね自然から断絶されており、都市間には自然環境ほどの劇的な違いは見られない。どの都市もコンクリートで舗装された地面があり、車が走り、高層ビルが立ち並び、駅やコンビニが点在している。
ということは、実は都市だけを見ればほとんどの都市は似たり寄ったりで、そうなるのは必然なのだ。
次に、民族。これも、実は統一されつつある。都市間の流動が激しくなっている。
日本はそうでもないかもしれないが、アメリカには中国系日本系韓国系インド系ドイツ系・・いくらでもいる。
たくさんの民族が一つの都市で暮らすことが出来るのは、都市が画一化されていてどこにいても大して変わらないからだろう。
かつての江戸とロンドンはあまりに違う。人々が着ている服も習慣も全く異なっていた。しかし、今は不完全ではあるがすべてが画一化されようとしている。
また、混血も重要だ。日本人とアメリカ人を先祖に持つ人間というのは珍しくない。移民がネガティブな問題として取り上げられることが多いためまだ混血というのは多くないかもしれないが、確実に今後は増えていく。地球という広い土地の上で、かつて絶対に交わることのなかった複数の民族の血が混ざるという時代に既になっているのだから。
地球人という考え方が当たり前になれば、次第に言語も統一される。次はやはり宇宙の時代になるんだろうか。
今の自分が不幸せだからって、娘に嫉妬して、娘の幸せをぶち壊そうとするのはやめなさい。
あなたが気に入らないのは、娘が、自分の生き方を否定するような方法で幸せになろうとしていることでしょ。
自分と同じような生き方を娘にしてもらいたい、その上で幸せになって欲しいんでしょ。
結婚を考えるのであれば、包容力のある職業の安定している人を選んでほしい。この人とであれば、一生共に生きていけるという人を選んでほしい。
これ、あなた自身がそうしたかったんでしょ。あなたはこういう生き方で幸せになりたかったんでしょ。
でも、その夢は叶わなかった。だから娘に、自分の代わりに自分の夢を叶えて欲しいんでしょ。
それ、自分がバレリーナを目指してたけどなれなかったから、娘にバレリーナとして成功することを強要する母親と一緒だから。
自分の叶えられなかった夢に娘を巻き込むな。
不幸な人間は、身近にいる人間を自分と同じ不幸に巻き込もうとする。
娘さんを幸せにしたかったら、まずは、自分の夢が叶わなかったこと、今の自分が不幸なことを直視して、そのことを思いっきり嘆き悲しんで消化しきること。
自分の夢を娘が代わりに叶える義務はないのだと、自分に言い聞かせること。
その上で、あなた自身が、これから自分が幸せになるにはどうすれば良いのかを模索すること。
あなたは、自分で自分を幸せにする努力をしないといけない。娘に幸せにしてもらおうとしてはいけない。
でないと、一生娘に纏わり付いて娘を不幸に巻き込むことになる。
人間同士の絆なんて、たとえ親子の絆であっても、思っているよりずっと簡単に切れるよ。
絆は、一度出来上がったらもう壊れないものじゃなくて、継続的なメンテナンスが必要なもの。
親との縁を切る子供なんて沢山いるよ。娘さんは今、あなたとの縁切りを本気で考えてるようだね。
娘さんを変えようとする前にあなた自身を変えないと。今のままだと本当に縁切りされるよ。
よくわからんが、後輩が作ったものを使わなくちゃいけないという理由はどこにもない。
よければ使う、悪ければ、よくなるまで治すか、他のものを使ってもらう。
今回は、ドキュメントに不安があった、1から作り直すにはボリュームが多くて今後の機能拡張に不安があった、
実際ベンチーマークとってみたところ、オープンソースよりも悪く、理由がわからなかったので調査のために比較用に私が書き下ろしたコードと比べても遅かった。
他にもコメント点多数あるしね。
全般的に見て、オープンソースよりも良かった場所が無いんだよね。
おまけに、それをメインで頼んだのなら、戦略としてありかも知れないけど、サブ部品だし。長期的にメンテナンスするコストもない。
この状況下で、後輩の部品を使うことを前提に考えたら、会社内癒着だよ。外注なら、予算撮り直して修正させるか自分で書き直す。それは下請法の問題。
惜しいというのは調査の話だよ。オープンソースがあることを知っていて、なお理由があってやったのなら、その理由を聞いて、なるほど。といったかもしれん。
また、調査して見つからなかったのでも、しかたがないのかもしれん。
調査しないで、作れるから作っちゃいました、みたいなのは、惜しいと思う。
それこそ、オープンソースの2倍早いとか、商品としてうりになるところがあればまた、感想も違ったかも知れないが・・・
時間と予算がある初期開発では作られるが、あとあとの予算がなかったり急だったりしたときに入るメンテナンスで変更が入って、ドキュメントが置いて行かれるってのはよくある話。
だったらそれは最初に書かれた話とは全く関係の無い話じゃん。
最初に確りと「10年もつものを」って作っても、後続が文書保守の予算をケチれば劣化するんだから。
オープンソースでも同じだよ。10年の間にプロジェクトが閉じるかもしれない。
途中のバージョンからドキュメントが雑になったりスカスカになったりするかもしれない。
自分の業務に必要なトコに限ってね。
指示だよ指示、作業指示。コメントじゃない。
後輩が実装しちまってから設計にコメントしてもしょうがないでしょうよ。
僕は貴方の後輩では無いので、甘える余地も義理も権利も無いけれど。
それだけでもう「違うんじゃないか!?」って気がしてならない。
仕事の仕方っていうのは、学校じゃなくて職場に有るものだろう。
まぁOpenSSL並みの物を調べられないで云々という趣旨自体は解る。
元増田の後輩が実際に持ってきたものが、それくらい有名なものなんだね?
だったら指示が悪かったのかもね。
「OpenSSLを使え、と一言言えば済むのに、この仕様書の厚さ・・・
これは俺に作れと言っているな?」みたいにね。
なまじ作れるだけにそういう勘違いをする。
OpenSSLが使えない職場っていうのは具体的に思いつかないけど、
うちはprototype.jsが使えないので、
「無料かつ安定したライブラリだけど使えない」というのは珍しい話じゃない。
無論この場合、後輩は後輩で「これは俺に作れと言っているな?」と勝手に解釈せずに、上司に確認に行くべきだよ。
でも、1から10まで都度、再確認に来られても先輩は仕事にならない。
しかも作っちまう能力はある。そうすると、ある程度は察するのもコミュニケーションの内。
手を動かす前に教えたら良いじゃんって話。
そうじゃない。書いたものを10年間 更新し続けられるか?って話。
時間と予算がある初期開発では作られるが、あとあとの予算がなかったり急だったりしたときに入るメンテナンスで変更が入って、ドキュメントが置いて行かれるってのはよくある話。
まぁ、だからコメントしたわけだが・・・コメントしたことに突っ込んどいて、コメントすること言われても、スゲー困る。
また、甘えないで欲しいんだけど、大学卒業していれば、研究を始める前に他人の研究というものを調べるのは当たり前の行為。
さすがに、有名なものを調べずに作っちゃったとしたら、学士号を持つ人にとっては落ち度だし、仮に修士号だとするとミスだね。
レポート書くときには参考文献とか、いろいろ書くでしょ。大学で習ったことと同じことをして欲しい。参考文献0じゃぁねぇ。
調査して見つからないならともかく・・・OpenSSL波に有名なものを見つけられなかったら、それはそれで・・・
うん、だから、教育コストを掛けて、実地させて、繰り返し、実例で教えているわけだが・・・何が不満なの?
まさか、その程度で減俸するわけでもあるまいに。
10年前の話じゃなくて、今の話をしてるんだよね?
新人が「レビューしてください」つってモノを持ってきた、でも内部設計書が無い、ってのは昨今ありえないな。
ここら辺は、元増田と僕のバックボーンの違いだろう。CMMIとかに会社が理解をもってないと難しいよね。
それに相手は、オープンソースを知らなかったのでしょ?
OpenSSLを知ってて趣味に走ったのではなく、無いと思ったから作ったのでしょ?
そしてOpenSSLが無い世界でOpenSSLを作ったら、それは凄く差別化要因になるでしょ。
それは、オープンソースを組み込む時でも検討する話。作り込み特有の話じゃない。
引継にドイツ語できる奴いないのに、ドイツ語のオープンソース盛って来られたら困るっしょ。
業務的な要素を加味したり、他の部品との組み合わせを考えたら皆無。
あと、ドキュメントは開発時に書き放すものじゃなく、ソースと一緒に管理保守するもの。
レビュー日までに間に合って、レビュアーがOK出すなら、オープンソースでも作り込みでもいい。
それでも、上司の貴方にとって
オープンソースを知ってる事が、そんなに大事なら、
それこそ教育コストをかけて後輩に教えてあげれば良かったんじゃないの?
後輩にはオープンソースを教えていないのに
後輩に向かって「10年後の新人の事を考えて!」って言うのは、ちょっと可哀想。
程度問題だけど
業務できれいなドキュメントが、10年残っているというのをウォーターフォール以外ではあまりみない。
時間があれば、そら、やったほうがいいけど、日本だとドキュメントが更新されていないケースもよく見る。 よく見るんだからそら、対応する。
個人的には、リバースで作られていないドキュメントは、古い可能性があるので鼻から信用しない。ヘッダ見る派
件の後輩にとっては、そうではなかったって事だ!
そんな天才なら好きにやらせた方がいいよ。
じゃぁ、OpenSSLなんて、書いてないで。会社にとって差別化要因になって、金を稼げる方をやってくれ。
書くなといってるんじゃない。それが、どういう会社のメリットに繋がっているのか? 速度・メンテナンス・可読性 ちゃんと検討したか?
という話。
基本的に書いたら、10年ぐらい使われて、10年後には新人がメンテナンスしてるんだから、そこまで考えたか?って話。
うん、それはいいけど、教育コストは考えた? そこまで考えた上で、書き下ろしのほうが会社にとって金を生むという判断ができるようなものなら、
そら、それでいいんじゃない?という話。
大切な事は、他人がメンテナンス出来ないコードというのは、書いた人間が天才なんじゃない。単に他人のことを考えずに書いただけ。そこを考えようという話。
扱っている人が危険を引き起こす可能性に関して、
仮に運転員が悪意をもって原発を操作したとしても、危険な状態になりえないように技術面から制御・設計されている。
よって、運転員の判断ミスや誤操作で原発が危険な状況に陥る可能性はとても低い。
(杜撰なメンテナンスや設計ミス等の人為的ミスで大変なことになる可能性はあるよ。中国の原発はこの点で懸念されている。)
扱っている人(運転員や作業員)に対する危険に関して、
放射性レベルがちゃんと管理されている空間で作業をするので問題ない。
放射性レベルの高い区画に入る必要がある場合は、危険な区画での最大作業時間が法律で定められていて、
その時間を守ってさえいれば、一般的な意味での危険は著しく低い。
よって、大丈夫。
#ifdef XXX
#define false 0
#endif
ならわかる
#ifdef XXX
#define my_false 0
#endif
後発企画への互換性とか考えないんだろうか・・・
大きなシステムで、独自定義が増えれば増えるほどメンテナンスコストがまして行くのに
my1_false my2_false my3_false なんて・・・増やしても仕方が無いだろ 可読性の上でゴミじゃねこれ・・・
え?falseが0じゃない場合・・・
それこそ コンパイラを治せ級の問題だろ いくらなんでも
古いコーディング規約を守り続けるのはいいんだが、世界的な仕様が変わっているんだから、追従はしないと駄目だろ。
バージョンアップされないコーディング規約は 害悪 という意味で。
あとは、#define False 0
#define FALSE 0
は先企画への互換性のために仕方がない