はてなキーワード: ジャニオタとは
ジャニーズのコンサートにおいて1本のツアーで何公演も顔を出している人を指す言葉らしい。
何公演も行くことが悪とされていることを知ってびっくりしてしまった。
今までジャニーズ界隈において「盛り髪」や「ヒール」が悪とされているのはうっすらだけど知っていた。後ろの人が見えなくなるし、危ないからね。これはわかる。
でも、なんで好きなアイドルに何回も会いに行くことが悪とされているのかがわからない。
しかもこれは当たらなくて行けないファンが文句を言っているのではなく、メンバーもMCで遠回しに注意しているらしい。
いや、たくさんの人にコンサートに来てほしいのはわかるよ…わかるけど、わかるけどさあ…。
母がいわゆるジャニオタでツアーのたびに何か所か遠征をしている。お金と、名義を貸してくれる人脈を使ってチケットを手にしている(オークションなど転売は使っていない)。それを当たり前のように見てきた。
だから母のやっていることがまさか悪とされているなんて思いもしなかった。
このことに驚いたのは私がバンギャだからというのもあるかもしれない。ヴィジュアル系界隈では遠征しないと「え、遠征しないの!?」といった反応が返ってくることが多い。まあジャニーズとヴィジュアル系じゃ動員数が桁違いだけど。
2015年11月24日、ジャニーズグループ・KAT-TUNの田口淳之介が引退を発表した。
2015年12月6日、ウエンツ瑛士と小池徹平の音楽デュオ・WaTが解散を発表した。
泣き崩れるファンの声を聞いた。一気に加速するTLを見た。
そしてその中で、何度も同じ単語を目にした。
許さない。
拒絶しないで。
置いて行かないで。
ゾッとした。
自担や推しグループがアイドルを辞める気持ちは痛いほどにわかる。
けれど、許さないってなんなんだ?拒絶しないでってなんなんだ?置いて行かないでってなんなんだ?
自分は好き勝手恋愛したり結婚したり転職したり退職したりするくせに、私たちファンは彼らにそれを許さない。
「○○には熱愛発覚なんてして欲しくないし、結婚なんて以ての外」と言っておきながら
自分は旦那を作り、子どもを産み、仕事を変えたり辞めたりする。
その間に彼ら彼女らが諦めてきたものの多さすら見ないふりをして。
例えば自分の好きなグループのメンバーや、自分の好きなアイドルが結婚したり引退した時、ファンは泣くれど。
「辞めないで」「置いて行かないで」「拒絶しないで」と叫ぶけれど。
果たして結婚や引退は、彼らからファンに対しての"拒絶"だろうか?
彼らはいつだって「これからも応援よろしくお願いします」と言うのに、それは果たして"拒絶"だろうか?
例え引退してメディアの前に姿を表すこともなくなって、芸能人ではなく一般人になったとして
果たしてそれは"拒絶"だろうか?
人気絶頂期に『結婚しないで』と言ってたかと思えば、『いい歳なんだからそろそろ結婚したら』と言う。
彼らが髪型を変えれば『前の方が好きだった』と言う。
彼らが自身の新しい可能性を切り開こうとすれば『○○はそんなことしない』と言う。
かつてはファンだった彼らを見れば『まだやってたんだ』『最近テレビ出ないよね』と言う。
彼らは私たちに決して「結婚しないで」「まだファンやってたんだ」なんて言わないのに。
おそらく、本当に推測の領域でしかないのだけれど、いつだって"拒絶"してきたのはファンの方ではないだろうか。
結婚することを、引退することを、髪型を変えることを、新しい可能性を切り開くことを
『なんでそんなことするの』『なんでそんなこと言うの』と自分勝手で自分本位な言葉で
彼らが変わることを"拒絶"してきたのはファンの方ではないだろうか。
きっと彼らは、たくさんの夢や希望や責任を背負うことでスポットライトの下に立つことを許されたけれど。
「アイドル」として、スポットライトの下で輝くことを許されたけれど。
じゃあ私たちファンは、彼らに何を許してきただろうか?
たくさんのことを縛ってきたくせに、たくさんのことを許さずにきたくせに、
彼らが振りまく無償の笑顔と愛にズルズルと甘えて、自分勝手な理想を押し付けて。
そんな彼らが自分の人生のためにした決断を、『なんで』と"拒絶"してきたのはいつだってファンの方だ。
彼らがスポットライトの下に立つための営業スマイルに必要以上に
多くの理想と偶像を押し付けて、塗りたくって、自分の理想と違う言動をすれば"拒絶"と叩く身勝手さ。
自分たちが勝手に好きになって、勝手に応援して、勝手に理想を押し付けて、勝手に拒絶したくせに。
別に誰に頭を下げられたわけでもなく、ジャニーズアイドルになった彼らを勝手に好きになったくせに。
ジャニオタの心底にある、宗教まがいな信仰心は本当に怖いと常々思う。
私たちジャニオタは、「私は○○のファンだから」という身勝手な信仰心で
時として彼らの足を引っ張るどころかその心を折ることすらあるだろう。
けれど私たちジャニオタが彼らから元気をもらうように、私たちの黄色い声や落とすお金が
彼らの背中を押す応援になっていることも間違いではないと思うのだ。
それはある種の需要と供給のような、ビジネスライクな関係にとてもよく似ている。
お金を積めば会いに行ける、いつだって笑顔を見せてくれる、そういうことを生業として
その「偶像」を勝手に「崇拝」しているのが私たちジャニオタだ。
「偶像」は「偶像」だからこそ尊いのであって、かっ開いて中を見て嘆くだなんてナンセンスだ。
結婚することを、引退することを「寂しい」「悲しい」と思うのは当然の心理である。
けれど「許さない」「拒絶された」と思うのはどう考えてもおかしいと思う。
自分は自分の人生を好きなように歩んでいるんだから、彼らに彼らの人生を好きなように歩ませてやれよ。
今回のV6のコンサートで多ステをしたことを「反省文」として詫びているブログを読み、なんとも言えない気分になりました。もしかしたら、そのブログを書いた方は周りに「そんな入るとか今すぐ詫びろ」と言われたのかもしれません。ですが、「行った」ものに対して申し訳なく思うのってすごくもったいない気がするし、思い出のひとつのうちに「謝罪」が入ってしまうのってすごく悲しい気がしなくもないです。
わたしは関ジャニとV6が好きなジャニオタなのだけど、なんというか回数とかそういうのって個人の価値観にもよるから別にそこまで過敏になって謝罪するものじゃないよなあ…V6だと1公演しか行かなくても満足できる(その1公演に入れないと絶対にいやだけどね)ようなファンだけど、関ジャニに関しては複数公演入ってるし何なら遠征だってしてるわけだし…。わたしは一体何枚反省文を書かないといけないんだろう…。
1つ書いてみるならば3年ぐらい前の関ジャニさんの8周年イベントに当たってそれなりに肩身の狭い思いをしたことがあるのだけど、それについて「デビュー当時からのファンではないにも関わらず応募してしまっただけでなく、皆様を差し置いて当選して大変申しわけございませんでした。でも参加させていただきます。」ってところでしょうか。ものすごく神経逆撫でする文章だな!
はてなブログのジャニオタたちのブログ、当然だけれども注目されるサイトは面白い。
最近なんとなく自分のクソみたいなブログもPV数が増えたり、ブクマ数が増えたりしている。
しかし、PV数が伸びたり、ブクマ数が増えているのは、肝心のレポとかではなく、超絶くだらないジャニオタのどうでもいい日のことだったりしている。
そうではないのだ。
私はジャニーズのタレント達がいかにチャーミングで素晴らしい存在なのかをただひたすら訴えたいだけなのだ。
ジャニオタって変な人たちね、変わってて面白いね、というのはいらん!!
ジャニーズってさすがにあれだけ続いてるだけあっていろんな面でさすがって思うとこあるし!!!
ライブだってあれは音楽ライブというよりは総合エンターテイメントショーなんだよ!!すごいんだよ!!!
って訴えたいわけですよ。
ジャニオタ同士が、誰から誰に降りたとかって話をするのは楽しいのでそのままでいいんだけど!!!
別にジャニーズ興味ない人たちは、頼むから、ジャニオタの生態に注目するんじゃなくて、たくさんの人達を虜にしてるジャニーズという最高に魅力的なアイドル達に注目して!!!!!!
ずっとジャニーズJr.を応援している私が、こともあろうに担降り後同担拒否になってしまった話をします。
ただつらつらと自分の感情を書くので、乱文です。書き捨てです。じゃあ日記に書いてろよって話だけど。すいません。
根底は同担と仲良くやっていきたいですよ。でも、やっぱり出来た人間じゃないわけで。
別に彼のこと「リアコ」とかじゃない。だけど人生の半分以上ジャニオタやってきたのに、今になってどす黒い感情が渦巻いてて、毎日もやもやしてる。
むしろ学生時代当時の担当にリアコだったときの方がみんなで仲良く楽しくみたいな感じだったとも思う。
っていうか二十代前半まで当時の担当にリアコだったよねww付き合いたかったよ結構年下のJr.だったのにさ。
私はちゃんとあなたを見てるよ!とばかりに毎日コンサート入って舞台観劇して同じ演出の同じ内容のものを毎日毎日毎日。
大好きだから飽きない。舞台班のJr.担だったときなんて毎日の殺陣の後の死体の姿勢とかに微妙な差を見出して
今日はここが違いましたね、なんて手紙に書いてた。でも、ファンが増えたらそれだけ感想レポも増える。
自分以外にも彼を見てる目があれば自分は見なくてもいいよねって思っちゃう。
でもそうやって担降りして、元担がセンターポジションついたりドラマとかCMとか出たり、果てにはデビューしたら嬉しいんですよ。
彼のうちわが私含めて数人しかいなかったときから好きだったんだぜ!みたいな感じで鼻高々になってる。
今年の初めに、こんな匿名ダイアリーがアップされた。http://anond.hatelabo.jp/20150209010459
これ、Jr.担ならあるあるだと思います。一部の超絶人気Jr.を除いて。
むしろ出待ちとか行かなくたって認知されるよ、今の私の担当がそうだもん。
アイドルの営業活動の一つに「手紙の返信を書く」ってことがあると思うんだけど
性格がでますよね。筆まめな子、全然書かない子、気まぐれに書く子、溜めに溜めたら年賀状で一斉送付する子…などなど。
個人名は出せないですけど某Jr.の返信見せてもらったらその子の営業能力があまりに高くてびっくりしたのと同時に
羨ましいって気持ちが生まれたを覚えてます。返信の内容がただの付き合いたてのカップルみたいだったからね。
そのときの自分の担当が全く返信を出さない子だったこともあって、新しい世界を見た。
今の担当に担降りしたとき、すぐに手紙を送ったんだけど、たぶんあんまり手紙をもらったことがなかった子だからか、
それとも元々の彼の性格なのかすぐに返信がきた。すごい丁寧だった。プロフィールまで丁寧に書いてくれた。
それがものすごく嬉しかった。次の仕事の時もまた手紙を出す。そして、すぐに返信が来た。
そしたら長丁場の仕事の時、なんと彼は何日かに1回のペースで返信を送ってくれました。私も毎日手紙を書いて劇場に送る。
それで公演中に私を見つけたら「いましたねー」なんて書いてくるんだ。羨ましかったあの頃の私よ、数年後に同じことやってもらえますからね!ww
ますます、好きになって、手紙を書くために公演を見に行ってたと思う。私って返信厨だったのか。
みるみるうちにうちわが増えて、ファンが増えていきました。
それまで彼の名前をいっても「え?誰?何の仕事出てます?」みたいな感じだったのに
SNSで彼の担当がどんどん増えていく。彼女たちが自担くんかっこいい!今日もファンサもらっちゃった!とか言ってるのを一歩引いて見てる私。
結局私は、ずっと同担拒否だったんだって一瞬思ったんだけど、たぶん違う。
たぶん私は新規がすごい苦手で(自分だって降りたての時は新規のくせに)
自分が失ってしまった感情で応援できる新規のファンをすごい遠くの上の方から
こんなことも知らないなんてって見下してたんだと思う。でもその新規のきゃぴきゃぴした感じが羨ましくてきゅんきゅんしたくて、
新しい子を見つけて担降りしてた。
でも今はその時の感情と同じではありません。
じゃあどんな気持ちかというと
それはたぶん、自分の年齢的なものだと思います。今までの担当にあった「リアコ」という感情が
今の担当には全くありません。そうなると、違う感情で彼の一番のファンでいたいと思うんでしょう。
昔だって担当の一番のファンになりたかたった。毎日舞台に通って、もしかしたら万が一にも
繋がるとか特別なファンになれるとか彼女じゃなくてもいいから…そう思ってたからこそ脳内がお花畑で楽しかったのかも。
妄想話とか、永久に出来たもん…自分と担当の星屑のスパンコールを何度妄想したことかw
アイドルを応援しながら、それでも脳内の何パーセントかが今までと違って必死に現実に引き戻そうとしてるからかな。
だから、妄想話とかできゃっきゃできる同担のことをたぶん羨ましいと思いながら恨めしいと思ってる。
年を重ねたことで、見た目の問題(それも大きな問題だけど)じゃなくて、精神的に大人になっちゃったんだなーって思いました。
みんなにズボラだった元担のときにこんな感情はおきませんでしたし…自分の精神も若かったと思うけど。
この話に終わりはありません。
だからオタクをやめるわけでもないし、今の担当から降りるつもりもありません。
書きたいことがやまほどあったけど、ここまで書いたら結構すっきりした。
彼らがスタバでMacBook広げる感覚でブログでミニマリスト名乗ってるのは、概ね間違ってないだろう。
「MacBook好きなのはいいけど、なんでわざわざスタバで使うの?」
「スタバ好きなのはいいけど、なんでMacBook広げてるの?」
そういう指摘が出てくるのは、まあわからなくもない。
俺も「スタバでMacBookとかネタだろ」と思っていたが、本当にスタバでパソコン使ってる人はほとんどマカーだった。
完全にドヤ目的でそうしてる人もいるのだろう。
でも、これって受け取る側の独り相撲であることも多いんじゃないか?
多くの「スタバでMacBook」は、別に意識してやってるほどのことではないのかもしれない。
スタバとMacBookをはじめとするアップル社製品の親和性が高いのは、上手く説明できないが否定する人もいないだろう。
明らかに他人のライフスタイルをディスる目的でミニマリズムを持ち出してくる阿呆は確かに存在する。
今までアニメ見てなかった奴が突然京アニ絶賛し始めたあれと同じだ。
彼らには信念がなく経験が不足していて、ある価値観に触れたときの反応が強すぎるのだ。
ものを知らないので、いま自分がハマってるものが世の中で一番すばらしいと思ってしまう。
これをこじらせると、何かにつけて「あのころはよかった」と自分の世代最強論者の老害になり果てる。
話がそれたが、一部の粗悪なミニマリストの根本はこんなもんである、という偏見を提唱する。
大事なのは、そういう自分の価値観を絶対だと思う人をたしなめるとき、その人の好きなものまで否定するのはやりすぎってことだ。
あるいは、その人と同じものが好きな人間はみんなこうなんだ、と十把一絡げにするのもよくない。
坊主憎けりゃ袈裟まで、なんてたちの悪い思考停止アンチでしかない。
ミニマリストは貧乏なんだとか、ミニマリストは病気なんだとか、批判のやり方としては最悪の部類である。
ミニマリストは群れてて気持ち悪いとか、「なんかあいつ調子乗ってね?」という気の大きい中学生のような発言だ。
亀梨和也を取り巻く全てのものを愛してえ。できねえけど愛してえ。愛するまではいかなくとも、受け入れていたい。
彼の周りのメンバーやタレント、スタッフ関係者はもちろん、ファンも盲目もモンペもアンチも心ない言葉を浴びせる一般人もだ。
アイドルというもの(アイドルの全てを知るわけではないのでここでは亀梨和也と限定したい)のべ何億ものひと目にさらされ、知る人見知らぬ人の数千億の言霊を受けて今を構築していく生き物なのだと思っている。
テレビをつけていてなんとなく見ていた人がなんとなく放つ褒め言葉も、第一印象だけで放つ揶揄の言葉も、誰かが放った何気ない言葉に過敏に反応して亀梨くんを守りたくて怒るモンペも、何かがイヤで亀梨くんのアンチとして批判を続ける人も、世の中にあふれる全ての言葉が亀梨和也のイメージ、世界をつくるのだ。
数えきれないほど沢山の他人の目と言葉の上に亀梨和也は存在しているわけで、否定的意見も肯定的意見も彼をつくりあげる要素になると思うと、その世の中の流れをすべて受け入れて、その中で生きていく亀梨和也を見ていたいと最近思う。
という風に思い始めたのも、2014年のKAT-TUNのツアーcomeHereに参加したことがきっかけのひとつになっていると思う。
comeHereコンサートの亀梨くんのソロの開始時、無音のステージに静かに登場する。その際、高ぶった一部のファンが「かめ!」と声を上げる。静かな会場に響く声はとても目立つし、実際それについて批判する人も沢山いた。
悲鳴をあげさせるのも、それを亀梨和也の世界が崩れる、不愉快だ、と怒りを示す人が現れるのも、亀梨和也を原因としたエネルギーだ。そのエネルギーの中で彼はシンプルにストレートに亀梨和也を表現した。洗練されていて、人の手垢にまみれていて、でも揺るぎがなくて、どこか切なくて美しく、あまりにも生きる人間だった。鮮烈だった。そしてそれをつくったのは彼ひとりではなく、彼の周囲を渦巻くすべてのものなんだろうと感じた。あのステージはファンのそういったエネルギーを含めてできる亀梨和也の世界に思えた。
ジャニオタはファン同士の論争がよく起こるように思う。それがストレスと感じることも多いのだが、全ては「タレントが好きすぎるため」起こるもので、そのエネルギーはアイドルが輝く要素の一つに少なからずなっているんだろうなと思うと、少し穏やかになれる気がした。
http://anond.hatelabo.jp/20150612204320
これを読んだ。途中までしか読んでいないが、言いたいことは分かる。
ここで、嵐の各メンバーのファンの性質を比較してみようと思う。
嵐ファンを学校で例える
独自の秩序にしたがって穏やかに静かに応援する。
おそらく大野が結婚してもそれほど騒がないが、相手次第でウォッチャーに化ける。
真剣に櫻井を尊敬する努力家。尊敬が行き過ぎて貶し愛に発展することさえある。
堅実に見えるが意外にドリーマーなので扱いには注意が必要。
二宮が提供してくれる虚構の世界に片足を突っ込むことでなんとか立っている傷だらけ。
嵐ファンの中で最もコミュ力に長けている。
追記
あぶねえ、トラバ無かったから反応ないんだと思って消しそうになった。
ブクマへの返答
・肝心の、大野ファンの特異性とは?
そうだ、大野ファンの特異性な。
大野ファンはジャニオタの中でも異質。どちらかといえば歌舞伎のファンに近い。
流行り物に目を向けず、技術と伝統を慈しむ、ジャニオタとは全く異なるタイプの人たちが、大野の出現によってジャニーズに興味を持った。
「技術を尊び、流行りものをけなす」というあの心理を、嵐というグループの二人のメンバーを使って実現しようとした結果、大野age松本sageの変な人間が生まれる。
大野ファンのうち、あくまで一部の人だけど、そういうのがいる。
あくまで一部な。ごく一部。大野きっかけで嵐にハマり、穏やかで知的なブログを書く奥様ファンとか、若いジャニーズには目もくれず大野くん素敵!って言ってる少女など、すんばらしい大野ファンの方がもちろん多い。
大野の親世代の女性が、あまりにも麗しい文で綴った嵐の番組観覧レポを、私は何度も読み返した。
(声に出して読みたい日本語だった。すごかった)
・なぜ学校に例えた?
元は二宮ファンの特異性を表現するためのネタだった。「櫻井ファンは真面目系女子、相葉ファンは純粋系女子だけど、二宮ファンはロリコンの変態」っていうネタ。
展開してる間に楽しくなって、少し改変して投稿した。
二宮と二宮ファンの関係は、「二宮の中の人」によって支えられている。
スーパーショタフェイスを内側から操作する32歳独身ゲーマーが、二宮というアイドルを作っている。
二宮ファンはそれを理解した上で、虚構の世界を楽しみ、日々の退屈さを凌ぐ。恋愛感情でも親目線でもない。玄人の楽しみがそこにある。(十代半ばまでの若いファンを除く)