はてなキーワード: 排除の論理とは
違うな。女性の姓を消費したいという欲望の表れではなく、むしろ「特定の属性の女性を排除したい」という意思の表れなのだと思う。
ラノベ表紙に描かれている女は、大抵は美人で可愛い容姿で、スタイルのいい女となっている。
これが何を意味するかというと、「ブスや容姿でスタイルの良くない女を社会から排除したい」ということを表している。
これもあなたの感想ですよね?なんかそういうデータあるんですか?
「新橋ラノベ絵師1000人に聞きました、あなたがブスを書かないのはブスを排除したいから?」みたいなことでもやったの?
>ラノベ表紙の「女性性が強調された女性像」が「作者」の欲望の顕れた「表現」であり、
>その「作者」の表現は、世の中の「男性」の「女性の性を消費したい」という欲望の顕れ、かつ、
>その欲望を満たす「女性のモノ化」であるという認識が、批判者たちにあるからじゃない?
違うな。女性の性を消費したいという欲望の表れではなく、むしろ「特定の属性の女性を排除したい」という意思の表れなのだと思う。
ラノベ表紙に描かれている女は、大抵は美人で可愛い容姿で、スタイルのいい女となっている。
これが何を意味するかというと、「ブスや容姿でスタイルの良くない女を社会から排除したい」ということを表している。
ラノベに限らず、雑誌やテレビなどのメディアにブスが出てこないのも同じ理由。
ふだん差別や人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。
確かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。
しかし、彼ら運動家を否定できる倫理的な根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?
実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。
以下は、ハフィントンポストの記事に対してスターを集めていた上位2つ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/
そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為の道徳性が疑問とされている。
そもそも、この運動は代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体が問題になっているのであって、なにも「女性専用」であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?
また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動の価値を毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要だからだ。
この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間が不安に駆られる状況こそ、Aが必要な証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間が不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性が証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性が証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義が必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?
賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメがスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。
ただ、浅薄なロジックはさておき、問題意識は理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性を裏付けている、というわけだ。
この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関は必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。
なぜ、女性だけが「暴力からの隠れ家」の恩恵にあやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。
つまり、女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性を排除することは、一般成人男性それ自体が潜在的な暴力の行使者であることを前提としているのではないか?
なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。
例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行を所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコやタイ、イラン、インド、ブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり今欧米で流行りのディストピア・ドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。
http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men
「女性トイレやレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両の正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性だけが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等な負担を強いられるべきではない)、代替選択肢の存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性は潜在的な暴力被害者であり、男性は潜在的な暴力行使者である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。
はてブの皆さん、差別や人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から、馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性が世界標準以下の性欲アニマルだから仕方ない」で開き直っていいんですか?
余談だがロケットニュースでは、ニュースのタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。
https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/
「キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後の良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。
はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterとブコメで寄せられた、いくつかの重要な質問に答えます。
手段が低コストであることが、その手段に正統性を付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間の利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者と中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラクな解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。
マシなものがないのではなく、マシなものが鉄道会社に選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ・警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。
これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両は痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両は必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題にしろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源は痴漢です。しかし、ここでは対策の方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法が妥当か)が問題になっているのです。
また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性はお断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。
その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。
もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社の営業の自由も一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的に認知されていることをもって、女性専用車両の存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢の倫理を問題にしろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法だから正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。
ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米のリベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。
アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性や権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。
ただし、代替手段のない公共サービスの鉄道、それも日本の通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性と女性の関係において、暴力的な非対称性が一般的に存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性は庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴの議論にも通じるものがあるかも知れませんね。
それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。
しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分の観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。
これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員や監視カメラをガンガンに配置する(もちろん通常車両もなおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。
これである程度は、無関係な人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的な理由はどこにもないでしょう。
「女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。
いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンスが勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的なディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレや風呂と違って、ジェンダーやプライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。
しかも男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理で対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。
これは、以前Twitterで流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦しみが、特定の属性の排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?
確かに炎上した元ツイートはどうしようもないその人の特性(男であること)で排除している点で差別だと思う。この人からはそんなに感じないけれど、この人を擁護する意見には、それは流石に男憎しがすぎて論理的ではないのでは…みたいなのもちらほら見受けられたし。
でも現実性なくない?とか、犯罪みたいな都合の悪いことを全部男に押しつけて女同士で起こる可能性考えてないのかよ、みたいな反論はあまりにも的外れだと思った。
そもそも元ツイの人は男が全部悪い!という意味じゃなくて、性犯罪の面で、ただ一部の危害を加えてくる人のせいで全ての男の人にビクビクしないといけなくて辛い。いつ何されるか分からないからいつも気張ってないといけなくてしんどい。疲れた。みたいな、愚痴まじりのつぶやきだったはずなのに、え、公用地ですか?インフラは?っていうのが論点になっているのが謎すぎる。そんなの明日会社行きたくねー!爆発しろ!みたいなつぶやきに、爆弾自分でつくるんですか?そんな知識あるんですか?入手経路はどこから?って返すのと同じでしょ。
あと、男全員を悪者にするなよって意見は本当にその通りだと思うんだけど、どうしても女の人は警戒しなきゃいけないんだよ。別に男が嫌いな訳じゃない。少なくとも自分は。自分は恋人もいるし、話してて楽しい男友達もそれなりにいるけど、やっぱり夜道で後ろに人がいたら速歩きで距離取ろうとするし、知らない男の人に話しかけられたら女の人に話しかけられるより冷たい態度をとってしまう。それはやっぱり、一部の男の人に当たり前に危害を加えられるからであって、その人が危害を加えてくる人か分からないから。例えば、街を歩けば強引にナンパされて、断ったら死ねよブスって暴言吐かれて。女性専用車じゃない車両に乗ったら痴漢されて。ヒトカラしてたら男子大学生の集団がいきなり入ってきたり、夜道で家まで送りましょうか?って声かけられたり、3万でどうですか?って急に言われたりして。全部自分が経験したことだけど、電車の中で痴漢されて精子鞄にかけられたり、スカートの中盗撮されてた友達たちも居るから自分はまだマシな方なんだなって思う。こんな一回されるだけで自尊心がボロボロになるような経験が、女子会で笑い話として消費できるくらい日常的なことになっている。
そんなしんどい毎日があるからこそ、多分女の人が男の人を警戒するのは、小学生が変質者避けの為に大人全員を警戒するのと一緒で、もちろんいい人が99%なのは分かってるけれど、目の前にいる人がもし残り1%だったら?と疑ってしまう。本当は男か女かなんて意識せずに暮らしたいよ。こんにちは、って言われたら笑顔でこんにちはって返したいし、夜後ろで人が歩いてたら、純粋に今日もお仕事お疲れ様って心の中で思いたい。たまに街で道を聞いてきたおじさんに、ありがとう、助かったよ。とか言われると罪悪感でいっぱいになる。ああ、なんでこんないい人疑ってしまったんだろうって。人を信じられないってなんでこんなにしんどいだろう。
この件で、男の人はなんで理解できないんだ!というつもりは全くない。だって本人の経験してないことはやっぱり理解しづらいと思うから。自分だって他のマイノリティの人達のつらさは本質的には理解できてないと思うし。でも、この女だけの街のツイートへの反応に、女の人がいつも感じていないといけないリスクのことだったり、行動が嫌でも制限されてしまうことへの言及が全然なくてなんだか虚しくなってしまった。マイノリティがする差別は綺麗な差別、なんて言うつもりはないし、擁護するつもりもないけど、実現性とか排除の論理とかの話をする前に、どうしてツイ主がこんなツイートをしたのか考えてほしかった。少しでもいいから言及してほしかった。皆で関係ないところで叩きあって、どんどん断裂を深めていって。多分ツイッターで議論してる人たちにとっては、この女特有のしんどさは議論する価値もないどうでもいいことなんだなって、別に特筆すべきこともないし心を痛めることもない被害妄想にすぎないのかなって、きっとこのまま無視されて明日も明後日もこんな日々が続くのかなと思って絶望した。本当につらいんだよ。助けてよ。でもこんなこと言ったら、女は何かをしてもらうのを期待してばっかで何にも自分で行動を起こす気ないじゃないか。結局特権階級が欲しいだけじゃないか。って言われそうで言えない。
前原、小池は「小選挙区制だったら、二大政党制になる。二大政党制になって、両方の党の方向性をそろえてしまったら国民の意見を無視した政策がとれる」
っていうのわかっててやったように見えるからな。
だから、消費税で足並みそろえ、それで猛反発出たら、小池が出たが、今度は排除の論理で、日本会議系改憲でそろえようとした。
枝野がこれだけ短期間に体制整えたのは完全に予想外だっただろうけどな。
やっぱ中選挙区制がいいって。小選挙区制で選択肢をなくさせ、そのうえでトップが好き放題するより、仮に自民がずっと続くにしても、その自民が情勢によって、国民の方向に揺さぶられるほうがいいって。
いや、反新自由主義のスタンスを出して、小池の騒動で、新自由主義、法人税減税、フラット税制の連中を追い出したからだいぶ良くなったと思うよ。
むしろ、野田のあたりからTPPだの法人税減税消費税増税なんかの新自由主義色をだいぶ強めていって、民主でも自民でもどちらでも変わらない。むしろ民主のほうが過激になったからね。
だが、その辺の連中は出ていった。
前原、小池あたりは小選挙区制と二大政党制の欠点を知っていて「トップ2党が同じ方向を向いたら選挙民の選択肢がなくなる」ということだ。
小池の排除の論理や、その騒動内の前原の想定内発言とかいうのを見て、ああ、これ確実にわかってやってるなと確信した。
それでも、くだらない中韓あたりを対立軸にしようとして、中韓あたり擁護を民主が担当したが、民主評価できる部分皆無だった。
自民VS前原民進で、消費税増税以外の選択肢がないようにしたが、消費税増税は幾度も景気を落とし続けている。
で、あまりにも反発強かったから、都議選と同じ構図になるようにして、
自民VS小池前原希望で、消費税をあきらめて日本会議系改憲以外の選択肢がないという形にしようとした。
そうやってほおりだした枝野が立って、その日本会議系改憲と新自由主義を対立軸にして立ってる状態。
枝野が立ってヤバいと思って、ベーシックインカムとか内部留保課税とかやってるが、受けがいいのを適当に言っただけでバックや財源わかってないから迷走している。
対立軸があってヤバいと思えば、国民に受けがいい政策を言い出すってことだ。でも対立軸がなければ国民を無視して進めようとする。
『お願い。ADHDの人と残業原則反対派は一呼吸置こう』からの続き。
ここに出ている疑問および答えの一部は、残業問題に関する一連のエントリの内容・コメントから私が拾い上げたものです。
しかしながらこれは私個人の見解として記載するものであり、残業に反対する皆さんの総意を示すものではありません。それぞれの質問も別個で繋がりはなく(一つの質問から連想して私が作っています)一律規制反対派の総意ではありません。
A1. はい、そうです。
ただ、多種多様な環境で実際に全員が残業なく帰宅するなんてことは当然不可能です。何を言いたいのかというと「赤信号は視覚障碍者であれ例外なく止まる必要がある」の例で出たように、「原理原則として残業は一律禁止と考える。原則を守らない会社には罰を与える。例外は「原則」ではなく「補足」で個別に検討する」という"認識"を皆に共有してもらいたいんです。
「原則が禁止」であれば、補足を使って大幅に改悪を行うと「さすがにそれは原則に反するからダメです」とストップをかけることができます。逆に「原則に抜け道を作る」とその抜け道を縛る根拠を持ちませんので反論しにくくなります。ですので「原則禁止」にしておくべきなのです。
A2.「一律禁止」をしない場合、例えばADHDの人は除くなど。ここで危惧するのはその例外を正しくない方法で使われることです。
「おまえ全然仕事できねーな。障碍者かよ。そうだお前みたいなやつは障碍者だ。だから長時間仕事をさせられても仕方ないのだ」
こういう論法を使ってくる会社が必ず出ます。役所が調査に来たら本人に障碍者手帳を無理やり取らせるくらいのことはするでしょう。だから「原則として、(ADHDの人も含めて)一律禁止」にしておく方が安全なんです。
A3. そうですね。今でも基本は「1日について8時間を超えて、労働させてはならない」です。しかし今の原則には抜け道があります。なので現実的には「今ある抜け道を塞いでいく」という進み方になると思います。
例えば労働基準法32条で1日8時間、週40時間という上限を設けていますが、同時に36条が抜け道となっています(36協定。特別条項を付けることで一月に120時間残業することも可能)。ですので「もう少し厳しく、せめて月100時間にしましょう」という話が進んでいます。
また38条・41条を使い、裁量労働者・管理者等の規制を緩めることができます。裁量労働制・コアタイムはうまく使えば多様な働き方を提供でき有用ですが「名ばかり管理職」として悪用もされていますので、対応を考える必要があります。
抜け道を完全には塞げないかもしれませんが、小さくしていく努力が必要です。労基法より厳しい国際基準であるILO条項が一つの目安になると思います。
繰り返しますが「一律でどーん」となんて非現実的な気はします……。それでも「やっぱり抜け道はダメ」「原則禁止」という”考え方” ”認識”をなるべく多くの人が共有してくれることが大事なんです。今はまだ「一律禁止という考え方そのものが正しくない」との認識も少なくありませんので、「やっぱり一律禁止がいい、なぜなら」と理屈をつけていってる段階です。
「残業禁止」という原則を全員が意識し直せば「別に仕事はないけど周りがまだやってるから帰りにくい」という人たちを帰宅させやすくなります。日本人には「建前」「お膳立て」が結構有効です。帰るに帰れない人たちは決して少なくありませんので、それだけでも随分違うはずです。
A4. どうしよう…。破ったら罰則を与える基準が厳しくなることは、意味があると思います(弱気)。訴えやすくなりますし。(回答不足です。引き続き考えていきたいです。ボソッ)誰か助けて
個人の意識、社会の意識含めて、あらゆる手段でそれに対抗する必要があります。今回の残業規制もその一つです。法律をギリギリでかいくぐるブラック会社に社員が集まらなくなるなど綻びが出始めている現在、法をかいくぐる、法を守らない会社をフルボッコにする気概を持ちましょう。(我ながら曖昧すぎる。回答不足)
残業規制がADHD排除の論理なわけないじゃん - bottomzlife’s diary http://bottomzlife.hatenablog.jp/entry/2017/02/27/031107
で産業革命後の労働者改革について触れてくれています。子供が働かなければいけなかった時代から、そうでない時代への移行がありました。日本でも昔は12時間労働が当たり前にありました。そこから多くの社会運動により徐々に改善していったんです。
交通規則でも「信号を守らない人はいるけど、その人に合わせてルールを破るよりはルールを守っていた方が結局自分の利益になる」という認識ができています。やりようはあるはずです。
現実に即した法と、皆が考える理想はズレが出ます。それは別に悪いことではありません。身近で実現可能な目標を立てるというのも大切ですが、同時に、理想・目指す方向というのは分かりやすい方がいいんです。「残業禁止だけど、こういう会社とかこういう人とかあれとかこれとかはセーフ、を目指す」と言われても腰が上がらないでしょう。
A5. 中小企業を10年ほど経営したことがあります(現在はバトンタッチして転職)。一概には言えませんが、そもそも一人分、家族分の食い扶持を稼ぐだけならなんとかなることが多いんです。小さな会社で代表の私だけ夜遅くまで残業しまくっていても労基署にバレるわけがありません。自由に残業できます。
しかし、ここで欲が出ます。「あー、1人で(または夫婦で)残業残業はさすがにしんどいわ」。もうすこし大きな規模なら「二店舗目、三店舗目を出せば、自分はオーナーとしてゆっくりできるかも」ITベンチャーなら「スケールアップして上場したい」等々。
人を雇おう。これは良いことです。そして雇った人に8時間働いてもらって給与を出す。すばらしい。しかし、そこから「社長の俺が働きまくってるんだからお前も働け」となるのは社長のわがままです。(やはり回答不足です)
A6. 違う。社員に沢山働いてもらわないと自分がしんどいからそうしたんだ。社員に沢山給与を払うと自分の会社がつらいから時給900円にしたんだ。その責を社員に負わせるな。
このように管理者としての責任を果たさず、会社としての責任を果たさず、その責を巧妙に働く側に擦り付けてくる輩がいるからこそ規制が必要になる。(回答不足)
A7. これには役員・社員だけでなく、関係会社もろもろみんなの意識を変える必要があります。「やらなくていいことはやらない」「80%の完成度を目指す」などです。(ズレた回答だな…)
「私のところは100%のクオリティーだからこそ競合他者と渡り合っていけるんだ、手なんか抜けるか」等が問題になるか…。Q13でも追記します。
A8. 少子化にストップをかけるには出生率2.1は必要だと言われており、それは残業規制だけでは成しえないでしょう。ただ、次の例を考えてください。
「ウフフ、今日も二人でイチャイチャ// のつもりだったけど疲れた…。今日は寝る」そうでなくとも「お気に入りの動画でウフフ」なんて考えるどころじゃないくらい働いた日があなたにもあると思います。
「終電が満員になる社会で子は増えない」https://togetter.com/li/997974 にも多くの同意が寄せられているように「疲れ」は性生活に大きく負の影響を及ぼしています。
A9. 会社員を辞めて独立する自由もあるし、空いた時間で副業をする自由もある。残業規制には個人の自由時間を縛る力はないんです。自分を高める時間を8時間以上取りたいのであれば、溢れた部分は家でやりましょう。仕事の話ではありませんよ。自分をさらに高めたい人についてです。
A10. 家でやりましょう。趣味で四畳半をシスコのルーターとラックマウントサーバーだけに使ってる人も沢山いるんです。
冗談です。会社が「在宅ワーク」を指示したのであれば、それに必要な機材は会社にそろえてもらいましょう。またはリモート接続を許可してもらいましょう。
会社の指示ではなく「自分のために会社の機材を使いたい」のであれば「会社のルール」に従う必要があります。会社のルールは「社会のルール」に沿って作られます。よって会社の資産を使いたいが社会のルールには従いたくないというのは通りません。
社会のルールはフェイルセーフ、安全側に寄って作られる必要があります。つまり「能力のある人にはもっと会社で働く自由を」ではなく「働きたくないのに働かされてる人を守る」方が選ばれます。
A11. 無茶な要求は聴かないようにしましょう。これには顧客側の意識改革も必要です。でも大丈夫です。残業が減って、皆がいつよりゲームをする時間が増えれば、必然今よりも多くのゲームをプレイし、一つのゲームに集中する必要もなくなるからです。待ってくれるようになりますよ。
A12. それはもう「働く側を守るルール」ではなく「会社を守るルール」です。
そうはいっても色々あるでしょう。ですので「原則」ではなくて「補足」で、そのような人たちについて考えましょう。繰り返しますが、この場合の補足は主に「原則に例外を設けていく作業」となります。これは容易に「抜け道」とされますので十分に注意が必要です。
Q13. 前回最後の一文『「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ』は正しいか?
A13. 次のような経験を例に出します。同僚「〇〇さん、ここが分からないんですけど、教えてくれませんか?」と聞かれた。しかし私はそのとき他の案件で手が離せず(うー…とりあえず…)「こうこうこうすれば動きます。」と回答をした。確かにその場はしのげたが、これでは同僚はなぜそのようにしたら動いたのか理解はできていないだろう。後でフォローする時間がないなら尚更である。みんなにも似たような経験があると思います。
ADHDで職場で苦労している借金玉氏のブログでも「部下がミスをした」「私が怒られた」「上司の指示が足りなかったせいなのに…」とはいったものの「そもそもそんな時間も心の余裕もない」からであり仕方がない。と、似たような事例が発生しています。http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170218/1487428178
時間の無さは、誰かを助ける余裕を即座に奪っていきます。夜22時まで自分も働いているのに、その中に仕事が遅い人がいて後2時間くらいかかりそうだとなったら助けに回れるでしょうか。逆に17時定時がいつものルーチンと分かっていれば、助けようと思う人がきっと出るでしょう。そもそもなぜ仕事ができない人が皆が仕事を終えてもさらに2時間も仕事をする羽目になるのかというと、終わりが決まっていないからです。好きなだけ残業をできるから、会社も好きなだけ残業をさせる気だから、帰れないんです。残業禁止であれば、わざわざ残って助けるまでもありません。次の日に回すんです。(「締め切りがあるんだよ!!!」に反論できないのですが……)
そして、この時間の余裕は上司のパフォーマンスにも影響を与えます。上司が個々の能力に合わせてうまく仕事を振れないのも、上司自身に全体を見渡す余裕がないからです。中小企業であれば、人を雇うのにまず「時間的余裕」が必要になります。社長のワンマンで採用をこなす場合も多いので、社長が「人は欲しいけど、今自分のことでいっぱいいっぱい。もう少し時間が取れたら考える」となると、雇われる人が仕事ができるできない以前の問題で止まるんです。採用の第一歩に入りすらしない。
現在かなりの人手不足です。大抵の会社は首を切ってる場合じゃないんです。「忙しい」→「人員逃げる」→「さらに忙しくなる」の負のスパイラルを逆回転させるなら今がチャンスです。(それでもやはり中小企業にしわ寄せがくる→日本企業のほとんどは中小企業である→不況に逆戻り。等、不安は尽きませんが)
以前、「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったのか?」http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20141114/p1 というエントリが話題に上がりました。
誰がこんな社会をつくったのか?もちろん、こんな社会をつくったのは「私達」だ。システムと「私達」の二人三脚が、現在をつくりあげた。
テキパキしてない店員は御免蒙りたい・愛想の悪い窓口対応にはクレームをつけよう・融通の利かない同僚とは働きたくない--そういった私達の欲望が寄り集まり、競争社会と個人主義の流儀に基づいて具現化したことによって、社会全体を覆う淘汰圧となって私達自身に跳ね返ってきたのだろう
テキパキしていない人、愛想も要領も悪い人が働く場が排除されることで成立するような社会は、たとえ便利で快適でも、理想の社会と呼んではいけないように私は思う。どこかで、新しいかたちで、揺り戻しがあって欲しい。
こんな社会をつくったのは「私達」だ。だからこそ、私たちの意識が変われば、社会の意識が変われば、もう少し誰にとっても生きやすい社会を作ることも可能だと思う。(回答不足)
米国では「完ぺきではない配送方法を受け入れる」という転換がありました。「日本もそうしろというわけではない」と書かれていますが、とても参考になります。http://news.mynavi.jp/column/svalley/697/
世界中から秀才が集まるわけでないし人口も減っている環境下において「有能が揃わないと勝負できない」では話にならないわけで、多様性を受け入れパフォーマンスアップを模索する議論が高まるのは「希望」だと思う。
なるべくならルールや規制なんて少ない方がいいんだよ。子供じゃないんだから自由にさせてくれってのも分かる。だけど、もうずいぶん長いこと自由にやらせてもらって来たんだよ。ここからは http://anond.hatelabo.jp/20170225005434 からの引用なんだけどさ、
なにより、皆「自分で好きに決めたい」と言うくせに「自分では決められない」のだ。
社員は「今日は早く終わった…でも周りが残ってるから…」と流される。
管理者は、部署には能力のある人・ない人どちらもいる。それを管理し全体としてうまく回すという役割を放棄し「できない奴が悪い」と社員に責任を転嫁する。または権限があるのに「でも社員が頑張りたそうだから…強く言って嫌われるの嫌だし」と流される。
会社役員は「社員を過労死なんてさせず、文化的な生活が可能な給与を与える」という基本的なことができない。「社員のことを考えたいが、ある程度もうけを出さないと株主に面子が立たない」と株主のせいにする。
これは仕方のない面もある。人は「社会」というものが存在する世に生まれたがゆえに、乳飲み子のころからあらゆるルールに縛られて成長してきた。あれやっちゃダメ。これやっちゃダメ。だからいざ「自由にしていいですよ」と言われても困ってしまうのだ。日本人は特に。
だから「ルールで決めてしまう」のが多数の幸福に繋がると思う。そして「効率だけを考えるとひずみが~」というが、何も一日3時間で帰れるように効率化しろなんて言っちゃいないんだよ。毎日12時間13時間じゃなく、せめて8時間で帰れるようにしようぜって言ってるだけじゃない。
個人事業主として、または中小企業の社長として、自分のところは現状「残業ダメは厳しいなー」と思うのは仕方がないけど、だから国全体も一緒に不幸なままでいてよってのはないでしょ。
確かに、一律で決めるのは難しいのは分かるんだよ。でもそうせざるをえないくらい現状がダメダメなんだよ。「優良企業」「大企業」が本当に優良で社員のことを考える社会だったらここまで仕事時間に批判は出ていなかっただろう。
でもそうじゃなかったんだよ。結局規制をしない限り会社は社員が過労死しようが意に介さず、日本のそうそうたる企業が「できる社員」を次々潰していく。
中小企業は社員の命を奪っても「会社が潰れたら社員も困るだろ?職がなくて自殺するよりいいだろ?」が通る。社員自身も自分の意志より周りの空気、自身の健康より会社の健康を優先する。怒られたって仕方ないでしょ。
もう20年以上「がんばれば日本はなんとかなります」って、聞き飽きたんだよ。それよりも「数千万人の余暇時間を毎日1時間増やしますのでがんばってください」の方がよほどやる気になるよ。
女はブスで不躾なぐらいな方が話しやすい。世間一般的にはいい女じゃないのかもしれないが、なんか気兼ねなく話せるフランクさが好きだ。
オタクはよく「オタサーの姫はブサイクだ」という。じゃあ、聞きたいんだけど、あんたらのコミュ力のレベルで自分が見とれるほどの美人と適切にコミュニケーション取れる?しゃべりすぎたり、上がったり、黙りこくったりで喋れるほど女に慣れてるの?オタサーの姫に手斧を投げるお前らのコミュ力は?
落ち着いて考えてごらんよ。オタサーの姫で美人で、女らしくてこっちの話やノリを大事にしてくれない子だったら、扱いづらいか気まずいぜ?オタサーの姫=ブスと言うイメージを悪く言ったり、それを聞いて卑下する女がいるから言うが、お前らはそもそもガチの姫は担ぐことさえできない弱者じゃん!
いやさ、さっき久々に女と話す機会があったんだけど、ブスでズケズケ男と喋れる人ってオタサーの姫だろうが、ビッチのなりそこないで飲食とか不動産とかに入っちゃった子だろうがしゃべりやすいなぁ~と。それで気づいたよ。女の子女の子してて少しでも長文になったり説明的なると拒む人よかやりやすい
あと、ブスな女の方が服装だ何だでいちいち気にしないから楽なんよ。今日俺が来てる服なんか多分、キッチリしてくる人に会いに行くなら絶対着ていけないもん。開き直ってるし、ブーメランになりたくないからブサメン男子の市民権を比較的認めてくれる。美人はゴミ扱いだからそこからしておっかないw
そりゃ、僕だって美人とヤりたいし、美人の匂い嗅ぎたいさ。でもさ、実際問題しゃべりやすくて、話が合うようなキャッチボールができて、見かけでさほど差別しないのはブスの方じゃない!ブスのほうが必死に生きてる感じがして好きなんですよ…努力の方向性が違うだけだとは思うけどそう伝わるんだもん
女性からはやれ「セクハラ」だやれ「上から目線」だと言われそうだと自覚してたので、概ね想定内の対応ですな。ただ、お世辞にも美人と言えないブスと抵抗感なく話が弾んだ時に「ブスの方が気兼ねなく話せる自分」に気づいちゃっただもんww
今思ってるのは3つかな。 1、美人の下位互換がブスだと思ってたけど、ブスゆえの強みもあるなぁ… 2、男も意外と理解できてない 3、ブスとなら盛り上がれるけど、美人とは盛り上がれない人は女友達はできても、人肌恋しさは満たされんだろう
どうでもいいけど、僕が「ブスのほうが落ち着く」論を展開してるさなかにフォロワーが4人も増えた。いつもそうだ。薄々思ってたけど「あーこれ言ったら世界の半分を怒らせるだろう」って事を俺に言わせて、後フォローやら、「ぼくに憧れてます」だもん。たまには自分で言ってええんやで? 最終的には10人ぐらい増えました。
補足説明
女性からすごいブーイングを受けちゃったからちゃんと説明する。
男は美人が相手だと、相手が女性だと気を使いすぎたり、美人の機嫌を損ねると(他の人が美人を大切にしてる・評判が波及するから)自分が酷い目に遭う…という腫れ物であり、好かれたい相手なので…すごーく自分を出しにくい。
また、美人も美人で自分が選り好みできる立場、発言力がある立場だと知ってるからやや傲慢。「自分をよく見せるために、相手に気を使う」必要はあっても、「相手をフォローする必要がない」から、わかんないこと・ノリが合わない人・身なりが汚い人を弾く権利がある。
これは男性の場合もそうで、男のイケメンはちやほやされるから「仕事をしない」という証言も聞いたことがある他、ライオンに至ってはハーレムなだけではなく、メスがオスのためにエサまで取ってくるという至れり尽くせりになるそうな…。
一方で、ブスの場合そこまでの権利がないから「合わない相手にも合わせてくれる」可能性が高い。
特に、スクールカーストにおけるメインの中でおもしろキャラ・好きな子がいてモテたかったブスはスクールカーストの上位に混ざっていたいから「気立てがいいブス」というポジションを確立しておとなになるため、社会に出たり、大学でサークルに入っても信頼度の高い位置になることがある。
特殊な事情を伴うのはオタサーの姫で、容姿は特にブスじゃなくても、ブスのような位置づけになることがある。
これは、女子の中で発言力を持てた美人ではなく、モテなかった美人であることがあるため、オタサーの姫はブスというより、ブスという位置づけにされた結果、ブスっぽい処世術を覚えた人である。
しゃべる方男性側の視点としても美人のような権力も排除の論理も自分自身の無理に好かれようとする力みがなくなるからすご~くしゃべりやすい。
ちなみに、男にはこの「ブス」と言う位置づけの人はほぼ存在しない。「イケメン」の逆は「非モテ」と言う位置になる。
非モテはスクールカースト的な社会性から逸脱してしまうため、「好かれるブス」にすらならない。好かれようとしないで内輪で固まるから、イケメンには媚びない。美人には媚びるけど、媚びてるのは敵に回したくないというだけ。
スクールカースト論を語る際、男性と女性の社会性は男は「内」と「外」で区別され、女性は「上」と「下」で区別できる。女性には「内側にいない」と言う選択肢はすなわちいじめや敵視の対象になるからハブられそうなときには「下」になるしかなくなって、「外」にはいけない。
クラスの群れから運動部/文化部の群れ、さらには学外の群れや趣味友へとシフトしていく男の社会性は「内(クラスや運動部の群れ)」と「外(文化部や学外活動の群れ)」に区別され外に行けば付き合い自体が疎遠になるが、女性の場合「外」に行くと女同士になった途端悲惨な目に遭うから「内」に片足突っ込んだ状態じゃないとそもそも動けない。
結果として、非モテはブスのように「異性が話しやすい人」とも思われない「いい人(女子用語で言うどうでもいい人)」になるしかない。
ただ、男の「いい人」をきっちり拒みにいくか、多少なりフォローして「がんばれがんばれ」とするかが、美人とブス、ガチ姫とオタサーの姫、女優とアイドルの違い。
まさに「アリとキリギリス」といったところだろう。
不快だから消えろ、目障りだからいなくなれ。日本の世論は一貫してこういう空気を醸成してきたし、
その中でもネット世論なんてその先端だよね。
何を今さら取り乱しているんだろう。こんな事態当然承知の上だと思っていたよ(笑)
まあこの先悔し紛れに見当違いな敵探しとさらなる逆恨みによる排除の論理を強めていくのも目に見えてるし。
手垢にまみれたニーメラーのなんとかなんて持ち出したくないけどね、余りにも学習能力がないのは救いようがないかな。
ほら、これを読んでるお前、 その顔に張り付いたニヤつきを頑張って死ぬまで維持しとけよ。
「自己責任」
まぁ、店主に差別的な意図があったかは微妙だな。少なくとも、同行の女性が強いショックを受けるような言動があったんだろうけど、店の運営の妨げになる(と主観的に思った)客にきつく当たる類の「頑固オヤジ」は存在するし、店内では彼女だけで乙武氏の姿を見てないわけで、降りていったら相手が「たまたま」五体不満足の著名人だったと。
とはいえ、だ。「頑固オヤジ」を「スタイル」として消費する風潮がやはり歪んだものであることは、今回の一件で明らかになったのではないか。「頑固オヤジ」とはつまるところ、その本質は「排除の論理」だから。それを「社会からの排除」を切実な問題として引き受けている障害者に対して向けたら、相手はどう思うか。
客を選ぶのは、もちろん構わない。しかし、「頑固オヤジというスタイル」が発する攻撃性や排他性、そしてそれに対してリアルに身の危険を感じ取る人々が存在するということを、少しばかり自覚しておくべきだったと、後知恵だとしても言わざるを得ないだろう。
店の事情をきちんと説いて引き取ってもらう、それだけで今回の問題は回避できたはずだ。
もちろん、これは単純に店主の責任に帰して済む問題ではない。「頑固オヤジ」を肯定的に消費してきた我々の態度こそが、一番に問われていると考えるべきだろう。
PS:
乙武氏の反応は褒められたものではないけど、あまり責める気にはならない。だって、女性が泣いて出てきてオロオロしてるところに、その後から泣かせた張本人が上から降りてきたら、ラスボス感が漂いまくりだろうし。
PS2: