「道徳性」を含む日記 RSS

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2017-03-01

[増田社説] 道徳教育子ども感性尊重せよ

 小学校では2018年度、中学校では2019年から道徳教育が「特別の授業」として教科化する。道徳科の指導評価方法も変わり、文部科学省はその在り方の一例としてノートやワークシートを用いた教員子どもとの人格対話を挙げている。

 このような対話では子ども教員に自らの感性価値観普段は口にしない本音などをさらけ出すことになるため、教員子どもの間の信頼関係が欠かせない。しかし、教員もまた一人の不完全な人間であることから、両者の相性によっては子ども人間性道徳性否定につながりかねないと感じる。とりわけ狭い世間に生きる小学生教師の考えを絶対視しやすく、「先生価値観」と「自分価値観」を相対的に捉えることが難しい。そのため、子どもに「自分価値観感性は間違っている」という自己否定的な感情を抱かせてしまうかもしれない。

 また、前述のような対話指導では、子どもが「先生に読ませることを想定した文章」を書く可能性もある。子ども大人世界本音と建前が存在すること、学校で教わる自由平等などの理念大人がかならずしも重んじていないことを知っている。彼らがその矛盾に気づいていながら教員の求める「模範解答」を汲み取り、自らの感想として書き記すということになると、子どもが早くから欺瞞を覚え、言葉を信じない態度を身につけることにもなりかねない。

 もちろん授業中の活発な議論多面的視点を養い、自己他者への理解を深める点で道徳の授業は意義深い。しかし、そこで得たもの子どもひとりひとりの胸のうちで咀嚼されるべきものであり、生徒に感想を書かせて評価するやり方は危ういと感じる。

 教員指導力向上を含め、新しい道徳教育の導入には慎重を期さなければならない。素直な子どもが素直なまま育ち、同時に素直でない子ども否定されることのない社会であってほしい。(N)

2016-03-17

移民に反発する思考

http://anond.hatelabo.jp/20160317035908

少子高齢化の進む日本労働者人口が足りなくなってきてて、近い将来日本という国が偉いことになってしまう、だから政府も経団界も女性活躍移民などを想定してるわけで、「移民に寛容な俺」みたいな道徳性で話してはない

下層の人間としては経済状況を維持改善しつつ、税金を上げて社会保障を厚くしたほうが日本沈没に付き合うよりまし

移民を考えないとじり貧しかないのだが、なぜか「現状のままでずっとやっていける」という感覚をもってしまってる、もしくは考えないようにしてるのだろう

そうなってしまうのは結局

などの先行きへの不安、不信があるからなんだろう

移民による不安回避するために日本ジリ貧化を選択してると言えるのだが、それに気づかないようにしている

問題直視せずあらぬところに批判をし、注目を集め、よりいっそう問題解決から遠ざかってしま

将来への不安が強すぎることが、このような事態引き起こしやすくなるのだと思う

社会改善できるということへの期待を持てるようにならないと、この状況は変わらないのではないか

2015-01-17

そもそも倫理だの道徳性だのの概念について、あるとかないとか素朴に論じてる人はヘアを読みましょう

2014-10-02

我が国は「見て分かる力」を育てるべき

見て分からない人間に言って分からせるのは難しい。こんな言葉がある。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」。五十六ちゃんの名言だ。

見ても分からない人間に教えるのはかくも難しい。「見て分かるでしょ?」で済む「見て分かる人材」がいかに貴重なことか。

「1を聞いて10を知る」なんてまだまだ有能じゃない。「聞かなくても知る」のが真に有能だ。

人生には無数のシチュエーションがある。本で読んだ知識が通用しない時、頭で考えていた通りにいかない時も沢山ある。「言われなくても知る」には知識や思考だけではダメなんだ。

「見て分かる力」が大事なんだ。そんな「見て分かる力」を持った人こそ「地頭がよい」とみるべきだ。


ところで、程度の差はあれ見て知るのは誰でもやっていることである私たち人間は頭で考えなくても見てある程度学習できる。

いちいち全てを頭で考えていたら頭がパンクする。時間もかかる。忙しい世の中にもついていけない。だから多くの知識は見て学ばねばならぬ。見て分かる力は超重要

重要な力だが個人差は激しい。見ても中々覚えられない人から一発で覚えられる人までいる。見て一発で多くのことが分かる人は極めて少ない。そんな人材を我が国は育てるべきだ。


知識だけで役に立たない人間はいくらでもいる。そこで「生きた知識」って言葉が叫ばれる。臨機応変に使える知識。

そんな知識をつけるにはどうすればいいか?とにかく実践?そうじゃない。沢山実践しても要領をつかめないと意味がない。その要領をつかむために見て分かる力が重要なのだ

「身体で覚える」という言葉は窓から投げ捨てよう。馬車馬のように働くのは御免だ。無駄努力大好きなドMでもない限り。

日本美徳の勤労を「無駄のない勤労」にアップデートすべき。国際競争に勝つためにも、そうすべき時代に来ている。今すぐにも見て分かる力を養成せねば。


見て分かる力は従来の学校教育では育たない。知識偏重は駄目ってことで思考を育てる教育が推進されてる。でも、思考偏重ダメなんだよ。

確かに論理的思考力は情報の真偽や矛盾判断するのに重要だ。また、思考力があれば知識の少なさをかなりカバーできる。だから思考力は育てたほうがよい。

だけど、思考力だけでは臨機応変にはほど遠い。いくら論理を構築しても現実に即していないと意味がない。論理性と実用性の間には解決しがたい隔たりがあるのだ。

なのに思考力ばかりが重視されてしまっている。それも本の知識をもとにした思考が想定されており、現場の知識はほとんど想定されない。

そんなことだから、それに反発して「とにかく実践」を連呼する実践至上主義が出てくる。結果、頭でっかち人間体育会系人間を育てているだけで、本当に必要人材を育てていないのである


そもそもの原因は思考への誤解である思考など人間情報処理氷山の一角なのである。それがよく分かってないから思考偏重になる。

人間はいちいち考えずとも見て沢山の情報を処理している。思考はその一部をピックアップして制限された処理をしてるだけ。

具体的には、使用言語、論理性、興味、好み、道徳性常識先入観といった制限を受けるということだ。

そうした制限とは引き替えに良質な情報が得られるかはともかく、とにかくかなり制限される。仮に良質でも微量では役に立たない恐れがある。


そんな思考ばかりを推進せず、まず現場の実物や実態をよく見たほうが良い。そのほうが現実に即した情報が大量に入る。

この手段世間では「観察」や「直観」と呼ぶ。「観察」だと得られるのは生データであり規則性を認識するニュアンスが弱い。よって、ここでは「直観」という言葉を用いる。

教育学において直観は古くから重視されてきた。しかし、教育制度教育現場ではあまり重視されてこなかった。

思考への過剰な信頼が原因である。今こそ我が国はデカルト象徴される西洋近代合理主義を振り払う時なのだ


スローガンは「見りゃ分かる」だ。この言葉をどんどん使っていこう。「ググレカス」(調べれば分かる)や「頭使え」(考えれば分かる)は抑え目にしていこう。

俗に言われる「空気読め」という言葉や、世の会社で言われる「周り見ろ」という言葉もこの亜種だ。じつに妥当言葉である

ただ、「見ようとしないこと」を非難してはいけない。部下が言うことを聞かないのはあなたが部下を「見ていない」からである

また、「見ても分からないこと」も非難してはいけない。誰でもステップバイステップで成長していくのであり例外はない。適切なステップを与えるのは教育者の役目である

 
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