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2020-11-08

子どもごみかぶせて黒染めスプレーの件

そしたら何かぶせたらええんや・・・困惑

ごみかぶせ髪に黒染めスプレー | Reuters

https://jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

について、あまりにも恣意的だなと思ったので今の現場の話をちょっと聞いてほしいと思った地方公務員増田です。

タイトルセンセーショナルに”ゴミ袋”を全面に出してるけど、弁護士会の主張は黒染めスプレーの方ですよね。

以下、ブコメ引用させていただきつつ、上の記事では足りない現場雰囲気を知ってもらった上で判断してもらえると幸いです。

まだこんな学校があるのかよ

はい、たくさんあると思います

記事で3月となっていることから卒業式での頭髪指導の話だと考えられます

卒業式限定で”このような方法をとっている学校は多いと思います

染毛だったとしてそれが校則違反なら停学とかそういうやり方でやるべきで…

という意見もありましたので、最近一般的だと思われる頭髪指導の前提を説明します。

大前提として、”頭髪を加工してはいけない”という校則があります

加工してはいけないというのが大前提ですので、地毛は基本スルーします。

(このご時勢無理できんでしょ、やってる学校もあるみたいだけど…

(髪の毛ぐらい自由にしたらええやん、という意見があると思いますが、校則を変えるには色んな手続きがあって、まぁ校風がどうのこうのとか、割れ窓理論も実際にあると思うしで、なかなか大変なのです。。。ちなみに私も「一回自由にしてみたらええやん」派です。)

なので、教員校則をもとに指導を行うのですが、だいたいこんな流れだと思います

ここで、髪がもともと明るいですよーという話を保護者から聞きます

うちは地毛申請の紙を書いたりはしてないですね。相談に行くこと自体人権侵害だと言われてしまうと・・・ですが、本当に気をつけて柔らかく対応していますよ。もちろん、ここで聞いた話はデータに残しておいて教員間で共有して今後の指導に活かします。

  • 普段生徒を見ていて急に髪の毛の色が変わった生徒への頭髪指導

まずは事情を聞きます。実際に多いのは、「長期休暇に染めて、黒染めしたが落ちてきた」とかですね。その上で、いつまでに染め直すかという相談します。

  • 長期休暇明けなどに一斉に頭髪指導

長期休暇明けが一番変化があるときなので、一斉に頭髪を確認します。長期休暇中に触って、それがきれいにもとに戻ってれば良いのですが、不十分なためもう一回やろうかという話になることもありますね。その場合も、一度努力してきているのですぐにはやり直させず時期を相談してということが多いと思います。基本は”話を聞く”なので。

これが問題になっている部分ですね。

前提として3年生は、卒業式前になると受験のために自由登校となり学校にきていません。なので、上で述べた頭髪指導を行っていない、いわば長期休暇と同じ状態になっているんですよね。受験が続いている生徒はそういうことは無いのですが、進路が決まった生徒は長い休みなので髪の毛をいじります

そして、久しぶりの登校となる予行のときに髪の毛明るいね、式には直しておいてね、その状態じゃ式には出れないよという話をするわけです。(今は触っていなくても、当日にやってくる子もいると思われるので全体にそういう話をします。)

そして迎える卒業式当日。「怒られてもいい!自己表現したい!」と思って髪の毛をいじってくる子、「なんとか自分でやったけど・・・」と髪の毛がまだらになっている子、「どうせ先生がやってくれるから」と予行のまま明るい髪で来る子。この子達を「約束通り式には出せないよ」と言って、出させませんか?

ごみかぶせて黒染めスプレー』は卒業式だけの苦肉の策なんです。

実際、やってる現場に立ち会ったこともありますが、意外に和やかな雰囲気で(3年間の付き合いがあるからだと思います)、なんとも言えない複雑な気持ちになると担当した教員は言っていました。

ってかごみかぶせてってのは自分の子もの髪切るときにやるでしょ。

何人いるかからない生徒対応のために、ちゃんとしたケープ買うお金がどこにあるのか・・・

(ちなみにごみ袋にハサミで切り目を入れて頭を出すスタイルですね)

教員が過労で死にそう。という話と、こういう話が並んでるのを見ると、どうでもいい仕事なくせばいいんでないの?と言わざるを得ない。

私もそう思います

でもなかなか変えられないんですよね。。。

ただ、昔よりはちゃん子どもたちの話を聞くようになったのが変化かなと思っています

このご時勢、なんでも体罰SNS行きなのでまずは話を聞いてっていうのはほとんどの学校で徹底されてきていると思いますよ。

それでまた指導にかかる時間が増えるのですが、こういう職業を選んだので子どもたちのためになることはいくら時間をかけても良いと思っていますが、その他のいらない仕事が多すぎて大変しんどくなっています

こういう指導をやめてしまえば簡単なんですが、子どもの心の変化ってまずは見た目に現れることが多いので、なくなってしまえばそういう変化があった子に話を聞く機会がなくなってしまうのではという危惧はありますね。(警察さんの職務質問も実はこれだったり?)

我々もいろいろ考え悩みながらがんばってるので、あまり罵倒しないで・・・

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

2020-11-07

未来なんてない

両親「この高校に行け」

私 「言われたか受験して合格したけど校風が合わない」

両親「(精神が)回復したら行けばいいから辞めるのは無し」

私 「小遣い(当時月5000円)でものを買うのが恥ずかしいし高校生なんだからアルバイトをしたい」

両親「学生アルバイトなんて貧困層しかやらない

うちは違うんだから卒業後でいい」

〜 何とか説得して通信制へ転校〜

高校卒業2022年3月予定 (23歳)、

社会経験0

未来なんてない。

2020-10-27

anond:20201026003439

東大卒地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。

増田は、「東京国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。

東京国立大学東大の他に、東工大一橋大、お茶の水東京医科歯科大学東京学芸大農工大芸大電通大といったところがある。インカレサークル東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田お茶の水ではないかと思う。

大前提として、東大入試問題比較オーソドックスであるお茶の水学生が、高校予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大入試は、赤本チャート式で行けてしまものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。

入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校中高一貫進学校メリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。

一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大一橋大や外語大であれば、東大本質的入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学学生には自分東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通感覚ならこれらの学生自分東大はいることを想像しない。

増田お茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である

2020-09-25

まれていた学生時代

中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分学生時代まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。

小学校から中学校までは地元公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。

成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。

友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーギャルが多かったか積極的いじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。

オタク趣味もあったかいじめられっ子とも仲良くなれた。

勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験問題なく志望校合格した。

しかった。

高校地元を離れた公立進学校に通った。

公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソ世界垣間見ることができた。

色々自由やらせてくれる校風だったので、部活イベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。

授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学勉強したいことベースで選べたのは特にまれているなと感じる。

地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。

自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベル進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標大学に入れた。

しかった。

大学国立大学に通っていた。

古き良き個性的先生個性的な授業で、毎日しかった。

学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。

友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ

高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分世界地理的に広がった。

公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。

しかった。

人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。

こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境人生を豊かにしてくれているようだ。

昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。

私立中学に行ってたら、地元高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。

でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。

俺って幸せなんだなー。これからもずっと幸せでいたいなー。

2020-09-07

anond:20200906152212

では、なぜダジャレかと言えば、1960年までは、同音異義や掛詞(かけことば)は、「駄」のつかない「シャレ」と呼ばれ、知性や教養ある人が使う、優れた言葉だったのです。ところが、1960年に誰かが「駄」をつけ、シャレを貶(おとし)める風潮が始まったのです。

これは、志を持って捲土重来(けんどじゅうらい)する人を、「浪人」と呼んで貶(おとし)める風潮に似てます。学苑長は、これに憤るのです。だから、「浪人生よ、誇りを持って開き直れ。ダジャレよ、誇りを持って開き直れ」という、裏のメッセージがあるのです。それで、毎年開き直って、ダジャレCMを貫くのです。本当の話ですが、この説明ですら、読めばおかしいでしょう。そうです。みすず学苑校風は、大変明るく、楽しく、面白いものなのです。だから、今までの2倍の勉強時間、3倍の学習量をやっても、ちっとも苦にならず、深刻にもならないのです。しかし、それだけやらないと、18年間連続93.63%の合格率は維持できません。この、明るく楽しい怒濤勉強量が、高い合格率の秘密なのです。みすず学苑CMは、それを表現してるのです。

また、15秒、30秒のテレビCMや、ポスター等では、「何か珍しいCMがあるな、みすずCMだな」と、学校名やキャッチコピーを覚えてもらえばいいのです。短いCMでは、名前存在を覚えて頂くことが、まず大切です。携帯電話会社CMに、意味無くしゃべる白い犬が出てきても、「なぜ犬がしゃべるのか? 携帯電話と犬の一家に、どういう関係があるのか」と、聞くのは野暮でしょう。テレビCMは、関心をもって頂くことに意味があり、それ以上の説明は、新聞広告WEBを見たり、みすず学苑に、直接お問い合わせ下さればいいのです。

https://www.misuzu-gakuen.jp/cm/#q1

2020-08-28

anond:20200828135035

自分でなんとかできる」タイプ高校だと、学校側がいろいろ世話するのはどうなのみたいな雰囲気があるからなあ

自由校風伝統みたいなとこがおおいし、おせっかいは嫌がられそうって感じてしま

2020-08-23

女嫌いが治らない

 「治らない」という病気の語彙を用いることが適当かをさておき、自分の中で「女嫌い」がもはや一つのテーゼとしてあらゆる判断の場面で幅をきかせてくる。どのような言動を取るか、といった直接の状況から、なんらかの創作物に対する評価まで、全てを男性的・女性的に分類し、女性的なものへの称揚があればそれだけで正直ウッとくる。(まあこれ自体別に珍しい話ではないはずだ。元々性二元論から出てきた価値判断だろう。全てに男性的・女性的という分類がなされるのであれば、男性の中のある性質女性であることもあり、逆もまた然りということになるので結構事態は複雑になる)

 とりあえず上野千鶴子なんか読んで素直に啓蒙される女が理解できない。「女嫌い」の仕組みを解明されたくらいで、その論理自分肯定するために援用できるようなその女性らしい逞しさ。自分の中で女嫌いはもっとパブロフの犬のごとく根底に根ざす反射といって差し支えないもので、例えば最も凡庸な例を挙げれば「あっ感情的になっているぞ、女性的だ、きついきつい」というように。それが馬鹿げていますよと言われたところで矯正不可能な域にある。

 そしてこの反射にある一定の信頼を自分でも置いている。結局市民未満のところから出発した性にとって最も困難となるのは、利他を身に付けることなのではないか。「泣いてはいけない」「女の子を泣かせてはいけない」「自立しろ」というように叩き込まれる機会なく甘やかされて幼少期を過ごす女。共同体が温存する性差特権だけはシレッと享受しながら平等の為に連帯したりする近代の女。

 

 匿名ダイアリーからこそ自分語り(なる女性行為)を多少せねばズルいだろう。自分の女嫌いの始まりは、ピンクのもの持ちたくない、男子サッカーしてたい、女同士のおしゃべりができないだとかしょうもない些末な好みの問題もあったが、決定的だったのは男教師から軽めの体罰をくらった時だった。顔を引っ張られてたまたま元々皮膚が弱かった部分から出血して、女クラスメイト複数人メチャクチャ自分を庇ってくれた。ありがたくはあったが、その無邪気な連帯に引いた。男子への体罰問題化されないにも拘らず、私の為だけに教師がタジタジになっているのだ。なんだこの二重三重屈辱は。勘弁してほしかった(体罰は今程でないにせよそこそこ問題化されていた時代だったが、そこに今回触れるつもりはない。私が男子から嫌がらせを受けたという発端が女子達の擁護点だったが、結局双方ふざけて追いかけっこ状態となり、配膳中だったこともあり両成敗された流れなので、当時の校風と状況から鑑みてある程度公正な処罰だったと思える)。男子とつるんでも平等に扱われることは絶対にない。仮にどんなに「リベラル」な箱庭を作って篭ろうと、文脈平等を許さない。

 アンチフェミ男性とつるんで、いかに女が劣った存在であるか聞かされ続けることにーーそして劣っていることを知っている、マシな劣った存在であるという自意識を育てることにーー抑鬱的な安寧を見出していた時期もあったが、そうやって自虐までも他者に委ねることこそ「メンヘラ」なる女性性質だと気付きやめた。そもそも女嫌いの男や、男嫌いの女というものは、自分身体憎悪から遠い安全圏に置ける時点で信用ならないところがある。やるんなら己に対する加害者としての憎悪から始めるくらいの気概が要るだろう。

 

 マジで、勘弁してくれ。本当はジェンダーの話なんかしたくない(その為に増田に来たのだが)。にも拘らず社会生活を送る上で、例えば酒席で脱げと冗談を言われたり、「女の子には難しかたかな?」と話を振られたりする度に、「女だから不当に損をした!」というなんのひねりもない想念が立ち上がって来てしまうことがある。たまたま「脱げ」という語彙が用いられただけで、下品冗談は女以外でも全ての固有の身体を持ちうる人間が晒されるものであるし、たまたま女の子には難しかたかな?」という語彙が用いられただけで、他者から舐められうることは女に限らない。それよりも「女だからフェミニストで当然ですよね?」とすり寄ってくるフェミニスト(男女問わない)をかわすことの方が、いまや困難にして価値があるはずなのだ。少なくとも自分にとっては。

 

 しかフェミニズムに逆張りした時に、そこに立ち現れてくるイメージ吐き気を催す前近代的である。なんてことだ。「女」という要素さえあれば私は近代前近代も全て憎むことができる。では私にとって「女」とは何なのか。おい、お前フェミニストみたいなこと言っとるぞ。やめろやめろ、やめだ。

2020-07-19

暇なので女子しかいない学校について書くね

暇なので女子高、女子大について書く。

創作でも女子校いくか迷ってる人でも参考にして貰えれば.....。

女子しかいない=汚くても放置なんてことは正直まったくなかった。でもそうなとこもあるらしいのでそれは校風という事で。

ひとまず私がどのグループに属していたかというと、

女子高生のとき陰キャオタクグループ

学校としては比較お嬢様より?の学校めっちゃ都心

大学生とき中間比較的明るいグループ

学校としては普通。ど田舎にあった。

女子高生のときの話~

当時、コミュ障拗らせていた私。友達数えるほどしかいない。けれどいじめとかはなかった。無視とかもない。ギャルの子達も親切。バレンタインお菓子分けてくれたり、運動会でははちみつレモンくれたりする。ごめんねなんも返さなくてと今なら思う。

体育の後とかは皆制汗スプレーとかつかうからいい匂い通り越してきつかった。化粧とかは学校厳しくて皆してなかった。(呼び出されて没収とか普通にされる。)

おっぱいもんだりとかないです。人と人の距離感ちゃんとしてた。これは校風かなと思う。やる人いなきゃ皆やらない。スケベナ話はしない。人によるだろうけど、少なくとも大々的にする人はいなかった。

男の先生ガチ恋する人いる。でも基本的先生みんなちゃんとしててそのうち結婚してた。かわいい先生はいじられる。

百合ほとんどないけどあります(当事者)先輩から好かれすぎてとてもこまった。かわいい先輩でいい人だったけど、そういう意味で好きになれたことはなかった。女同士だから嫌とかじゃなくてまぁそういうもんだよね。

変質者も痴漢もでる。ほんといい加減にしろよ💢ってかんじでした。おまえのちんちん見てもなんもおもんないかしまってくれって感じでした。ちんことれろ。

女子大学生とき

女子高生のとき陰キャ拗らせたのを反省し、金髪にして色んな人に話しかけたらめっちゃ友達できたけど後から聞いたら不良かと思った(笑)っていわれた。

いじめとかはない。嫌われてる人もいたけどまぁ.....基本的に自慢話しかしないとかそういう人なので苛めないだけでも大人だなと思う。

スケベな話はしないがおっぱいは揉む。

みんないい匂いした。飲酒とかは20越えるまで結構皆してなかった。高校ときはめちゃめちゃとがってたんだろうなって人はいたけど、大多数の人がゆるいのにつられて皆まととになってた。

男の先生ガチ恋する人はいる。高校先生と違ってちゃらんぽらん先生がいるのでやめとけって皆で止めた。

百合ほとんどないけどあります(当事者)。当事めちゃめちゃ貢がれて困る。でも友達として好きなので仲良くしたくて曖昧な態度だったかなと反省。なんかあげると泣くほど喜んでくれて罪悪感がすごかったがそういう意味で好きになれなかった。今でも二人でご飯いくけど彼女もできて幸せそうでよかった。

変質者、ど田舎でもでる。文化祭とか狙ってくる。ほんとどこにでもいるんだなぁと思った。ちんことれろ。


どっちも比較的綺麗だった。教室も汚す人いれば絶対片付ける人いた。汚しても、あの人片付けられないから嫌とかいいながら仲は良い。

うーん.....女子校楽しかったな.....ともう卒業してだいぶたつが再確認。結局学年によっても雰囲気がまったくちがうので私個人の話なわけだが.....けして女子しかいないから大胆とか、陰湿とかはない。むしろスポ根とかないからそこら辺はゆるかったのかもしれない。

だれかのなにかの参考になれば幸いです。

2020-07-08

ニートを抱える崩壊家族テンプレート

二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。

私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、

兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。

幼少期~小学中学

2人兄弟末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的放置されがちだった。

からしてみれば、自分蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。

しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。

高校大学

このときから、母が兄を厳しく躾けるようになる。

定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。

また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。

そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、

全くもって自立的活動することができなくなっていた。

当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。

結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。

それを見ていた自分は、当然兄を反面教師とする。

高校自由校風進学校に進んだ自分は、真面目に部活学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。

大学社会人

決定的な転機が訪れたのはここである

今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、

就職という、人生の進路を決める大切な局面において、

兄に干渉判断を下すことを回避し始めたのだ。

今まで自分人生無頓着で、重要選択さえも母の干渉を受けていた兄は、

自分人生について主体的に考えることができなくなっていた。

「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、

親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。

一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。

しかし、今まで自分母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、

自然と母から距離を取るようになっていった。

就職結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。

そしてこの物語には、父は一切出てこない。

父は仕事人間であり、躾けどころか子ども相談にも乗ろうとしなかった。

母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。

今まで教育母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、

そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。

まとめ

ニートによる家庭崩壊は、基本的にはこのパターンである

母→干渉癖があるくせに、大切な場面で育児から逃げる

父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない

子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない

子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す

これら過干渉不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。

このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族日本結構あるんじゃなかろうか?

今後

兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、

家族は間違いなく崩壊の道を辿っている。

親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、

そんな兄にいくら財産付与されようとも解決の道は開けないだろう。

そして東京に出て家庭を築いた私は、いずれ崩壊するであろう実家を見て見ぬふりしている。

結局、兄も私も、同じぐらい無責任で、同じぐらいクズ人間なのだ

2020-06-01

ADHD大学進学

私はADHDというヤバめの障害持ちの大学生だ。

1.小学校時代公立小学校入学するが、授業中右手左手ムシキングごっこをすることが忙しく教師の話が聞けない。手紙を前の人から受け取って後ろの人に回せない。ランドセルを忘れて登校する。一年間所属したサッカークラブでは最後まで自分のゴールがどちらか把握できなかった。担任、親と三者面談をして無事公立を退学。ドロップアウトRTAの記録を樹立する。

2.私立小学校時代→2年生からミッション系の私立小学校に転校する。毎週公園で遊ばせたり川遊びをさせる不思議校風の中でのびのびとADHDを開花させてゆく。中学受験のために通った早稲田アカデミーでは理科以外の科目がぶっちぎりのビリで先生に怒鳴られて泣きながら校舎から逃げて退学した。

3.なんだかんだまあまあの中等教育学校に入る。ここでもADHDの勢いは留まるところを知らない。朝会に出れないので出席が足りなくなる。提出物を9割方忘れ、テスト勉強もしないので評定は6年間2、3、2、3たまに1、と死にかけのヒヨコの行進。文法テスト返却の時に6点を取った時は受け取ってすぐ答案を食べた。中等部から高等部に上がる時担任に呼び出されて学校辞めるか?と諭され、ビビって勉強して進級するも高等部でも成績は学年最低レベル勉強サボってやっていたことは昆虫採集飼育とかで、とにかくやりたいと思う衝動性を制限することができない。物事優先順位衝動が書き換える。だから勉強ができない。ここで目をつけてくれたのは所属していた生物部の顧問大学院生を引っ張ってきて僕に生物自由研究をさせた。これが楽しくて仕方がない。実験して解析して発表して賞をもらう。初めて褒めてもらえる経験だった。しか生物以外の成績はカス寄りのゴミのまま。大学になんていけない。しか生物学オリンピックや研究発表の実績で受験できる制度があった。私は受験し、本来の成績では考えられない大学に進学した。今は発達障害インキ理系大学生として生物学を学んでいる。

2020-04-30

anond:20200430110716

ブコメトラバ役所の特徴って指摘かなりあるけど、公絡みの共同体ってなんでこうなるんだろうね。

行事部活を死に物狂いでやり切ったうえで大学受験に臨む」って伝統があるいかにも爽やかな校風の県立名門高校出身だけど、在校生同士の人間関係元増田職場に近かったわ。

地元大人世間からイメージは「あそこに通う生徒は文武両道コミュ力抜群、キラキラ輝く主人公体質の集まり」、崇拝に近い勢いだったけどね。

2020-03-10

お前ら都会人は地方の名門トップ進学校幻想抱き過ぎだ

なんか知らんけどこの手の高校を「ザ・健全人間力最強の主人公養成所」みたいに思ってる奴結構いるよな?

行事部活も全力投球!

そのうえでスマートに難関国立に受かることに価値がある!

旧制中学ルーツの県下NO.1共学!

高校までに恋愛経験積むの当たり前!

政財官界のみならず芸術分野でも著名なOBOG輩出!

かくいう俺の高校はまさにこんな感じの校風進学校地元県の誇りみたいに見なされてたけど、ぶっちゃけると都会の伝統私立ドン引きするほどの管理教育やってたぞ。

なんでか自己を強く持ち、多様性を重んじる生徒が多いってことになってるけど全然そんなふうには思えなかったね。

例えば、将来日本画で食うんだってことで東京芸大一本で目指す奴は周りの同級生から応援されてたけど、大学受験せずに高校卒業したらラジオ局バイトしながら放送作家の夢を目指すって奴は「あいつ終わったな笑」と冷ややかな目で見られてた。

田舎だったからかも知んないけど実像はすげえ体制的で権威主義だぞ。

極端な話、アスリートナチュラルに見下すけど東大卒は大尊敬するみたいな感じの。

2020-01-10

過敏性腸症候群わたし

からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。

小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。

から(2.3歳の頃から)便秘下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。

もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)

トイレへ行くたび両親からはまたか大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。

だが、小学六年生からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。

だが、中学3年生の冬。卒業間近に悪夢が襲った。

ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。

だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。

あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。

全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。

だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。

その日から地獄の日々が始まった。

幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。

友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所密室にいると強烈な腹痛に襲われた。

そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。

私は発狂しそうだった。というか発狂した、泣いた、わめいた。

ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。

出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。

そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。

過敏性腸症候群

お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。

その頃はおそらくあまりメジャーものではなかったが、いろいろな情報ネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。

からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。

怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。

成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。

だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。

今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子八つ当たりを頑張って受け止めていた。

また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。

いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹負担がかかったのだと思う。

卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。

高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)

高校一年生の夏、期末試験の時、初めて教室テストを受けた。

担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。

テストが始まった直後、教室は一気に静まり返った。

心臓が痛いくらバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。

だが、我慢できる。

それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。

気づいたらテストが終わっていた。

その日から私は腹痛で保健室へ行くことは無くなった。

あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。

けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。

昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。

あの高1の期末試験体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。

2019-12-12

https://anond.hatelabo.jp/20191212232249

本当にそう思う。校風が合わないという時点で専門に切り替えるなどするのが最善の選択だと思う。

俺は周囲に合わせる事に気付いて、何とか卒業出来たけど。人間不信けが残った。

元農水事務次官の息子と同じ中学出身だが

元農水事務次官の息子と同じ中学出身かつ同世代だが、何故かASDにはすごく厳しかった。

進学校男子校からもっと自由奔放なのかと思ったが、他人と同じであることを強く求められる校風なんだよな。

いじめられたか家庭内暴力というのは許されないと思うが。

2019-11-24

大学進学時、東京京都のどっちにするか迷ったが東京に行った

おれはおっさんなのでこれはもう前世紀の話になってしまうのだが、

当時合格した大学がそれぞれに一大学づつしかなく、どっちも同じような社会的位置づけ、校風学部だったので、純粋にどっちに住んでみたいか?という観点での選択となり、少し迷ったがあっさり東京を選んだ。

人が多いし町も大きいし現地に知ってる人も少しいるし、東京の方が京都よりは実家に近いというのも理由だった。

他に同じ立場に置かれた人も多くが東京を選ぶのだろう。

東京一人暮らしをする大学生)という、ある意味での多数派になったという実感があった。社会の流れにうまく潜り込んだような感覚があった。

卒業後もしばらく東京で働いて何年か後に地元に帰った。地元転職先での人間関係違和感があった。地元の人たちにはおれが東京暮らしいたことをやっかむ感じがあるようだった。そうだときづくのに少し時間がかかった。

だけどそれは、ない人がそういうのを羨む感覚があったとしても、あったらあったでけっこうどうでもいいものだと段々思うようになってきた。

もし京都を選んでいたら一体どうなっていたのか全く想像がつかない。

まず出会う友人も全く違っているだろうし、影響を受けることも目指す職業就職先も全く変わってしまっているはずだ。もう全くの別人生である

だがもし、大学受験前にもっといろんなことをよく勉強していれば京都行きを選んだかもしれない。

東京親権力 京都=反権力

というイメージがなんとなくあり、自分のことを知れば知るほど反権力志向というか、メインストリームよりわざとオルタナティブな方を選ぶような、みんなが右と言ったら左と言いたくなるような素直じゃないようなところみたいのが根っこにあるというのが生きていく中でやっぱりあるなというのがわかってきたので。

ホント多数派であることなんて特に価値のあることなわけじゃない、というか。

2019-11-13

anond:20191113231752

自分の周りの別の女子校出身者にも割とあるあるで通じたか一般的なことかと思ってたけどそうじゃないところもあるんだね 校風の差かな

2019-10-11

anond:20191011014237

正直、進学率や偏差値の高い学校より

いたこともない宗教系の学校のほうが

現状だとずっとまともで安全なんだよな・・・

宗教系が100年の歴史ある進学校宗教があっても形骸化してる)よりまともだったっていったいどういうことな・・・

子供が二人三人いるなら入ってみてから口コミ自由末っ子にあう校風まで選び治せるけどさあ

2019-10-05

医者がそんなに嫌なら今すぐ医学部中退すればいいのに

中学受験をやらされて校風の合わない厳しめな中高一貫進学校に打ち込まれた私は自分で決めて中退しましたけどね。

でも研究者を目指したかったのは変わらなかったから、ちゃん自分で独学で努力して旧帝大工学部博士まで出て、不安定だけどポスドクで頑張っとるよ。

あの増田は、己の人生において何が自らの命を規定する価値なのか、よくわかってないんじゃないかなあ。

医学部に行けるなんてさぞかし賢そうだし、普通に物性物理とかやればよかったのに。実験系でも医学部ほどキツくはないでしょ周り見ても週何回も徹夜してるわけでもないし。

それとも、高給と医者としての名誉は手放したくないのに気に入らない働き方は拒否したいだけなんかな。ガキならまあしかたないけど。

何のために生まれてきたのかもわからない人間受験マシーンなんかに仕立て上げてしまうと、ああいアンバランス人間が出来上がるみたいでよくないね

まあでも、こちらみたいに被爆3世ながら思うところがあって原子力系の学科に進むもいきなり東北原発が爆発したり、とかそういう生まれ自然災害やら訳わからん不可抗力でいろいろ捻じ曲げられてるじゃないでしょ、自分で状況を変えられるだけの僥倖は手にしてるじゃん。

それでも医学部絶対に辞めたくない、でも医者の働き方をやるのもやだ、さあこのような人間世間はどれほどの生温い視線を注いでくれますかね。

どんな社会派気取りで世間にご高説垂れたところで、にじみでる吝嗇を取繕うような態度はただ己が怯懦を直視したくない弱さの現れにしか見えないなあ。まあそういう卑怯者のつぶやきでも匿名でタレ流せるのが増田の魅力だけど。

2019-09-30

anond:20190930195953

いたことないけどそんな会社あるのかな

メーカーの他社乗用車を買うのは推奨しないって雰囲気ぐらいならわからないでもないが

解約まで要求してくることってあるのかな

車のキー持っているだけで解約まで要求してくる学校意図が全くわからん

無免許運転していた現行犯とかでもない

ただ単に「子供のくせに車なんて生意気」という大人嫉妬のような

どっちにしろ次にどんないちゃもんつけてくるかわからん高圧的な校風みたいだし

学校側の要望通りに退学して転校するのが吉では

2019-09-27

中学時代同級生に謝りたい

中学の頃、仲の良かった男友達がいた。

学校部活動で汗を流した後は毎日のようにI君の家に寄った。

当初は仲良しグループPS2N64で遊んでいたのだが、金持ちのI君の家にVAIOフルタワーがやってきてから一変した。

I君の家には高速なケーブルテレビ回線があった。

I君は勉強ができ、部活動も熱心に取り組んでいる優等生だったのだが

俺がWinMXWinnyエロ動画の落とし方を教えたせいで、彼をオナニーモンスターにしてしまった。

MMORPGなどのネットゲームには興味を示さなかったのが不幸中の幸いだった。

I君の家を訪れるたびに、得体の知れないIEアドインが生えていて、得体の知れない.exeを踏んだ跡が沢山あった。

HDDを持ち寄ってたくさんのエロ動画を交換した。

そんな頭の悪い中学時代受験期に差し掛かり、交流が少なくなってしまった。

地頭の良いI君は都会の有名な進学校へ行った。

俺は地元の三流高校へ行った。

高校卒業あたりで深夜のコンビニで偶然にもI君に会った。

全寮制でエロ動画収集オナニーも満足にできず、堅い校風が合わずに退学したという。

大検を取り、早稲田だか慶應だか覚えてないが、大学に行くと聞いたのが最後の会話だった。

I君が俺のようなろくでもない悪友を持たず、オナニーモンスターになっていなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうか。

元気にしてるかなぁ。ごめんなさい。

2019-07-25

anond:20190724234317

ただ、校風が他と比べても自由大学出たけど、あれはあれでどうかなと思う感じやったぞ

2019-07-06

anond:20190706132051

子供には労基署うごかないのが問題だろ

大人がいったってろくに動かないのに)。

 

ハリーポッターにも描写されてるけど中学生ならまだ義務教育範囲内だけど

高校生に体力と時間無限にあるとおもいこんでる教育者が多い。

夏休み冬休みにまで「補習」と称してボロボロクタクタになるまで子供を使い果たして実質休息日が3日しかない学校がある。

親が校風あわないからあわてて転科(文転など)や転校させたくても「制度上無理です」。

体調くずして休むと教科書さない上でテスト受けさせるいじめみたいな場合もある。

モーレツ社員募集したブラック企業じゃないんだからせめて連携とって整合性をとれと思う。

 

暇で大人人口がない田舎高校生なら

自分原付免許くらいはとったりしてくれる。

(=すきなところにいかせるのに親の送迎をつけなくていい)

自主的になにかやろうと思う暇をこどもにつくれよまず。

2019-06-17

anond:20190617010424

中学生にもなると学校祭とか大人が見てるところでは下品言葉使わないか校風なんてわかんないよ

うふふおほほご機嫌ようみたいな私立ならガイジなんて言う人はいいかもしれないけど

そうでもなかったらどこにいってもそういう奴は一人はいるし、一人いると感染していく

ガイジって言葉を使う子がいるかどうかより、下品な子でも付き合わないとクラス内のカーストが云々の状況をどうにかしたほうがいいよ

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