はてなキーワード: バンジージャンプとは
今年はどこかでバンジージャンプするぜ
例えば意気揚々とバンジージャンプをしに行って、いざ飛び降り台の上に立ったら、周りのスタッフがざわついてて小声で「これやばくね?」「いやでももう無理だしいけるでしょ」なとど話していて、命綱のセッティングも手際が悪いのを目の当たりにした時に、自分の意志でバンジージャンプに来てたとしてもやっぱり止めたいですとなりませんか?
自分で決めて行動しようとしたことでも実行の直前になって色々な要素からやっぱり止めたいとなるのを責めなくても良いと思うんです。そういう行動を許されてもいいと思います。(詐欺的なことはダメですが)
人間は矛盾を抱えて生きていてグラデーションの上を行ったり来たりするものだと思います。(但しこれを加害の理由にしてはならない)
こわくてこわくてたまらない。
そう分かってるのに、Twitterで流れてきた出産のルポルタージュ漫画を読んで泣いてしまう。
少子化が社会問題になって子育てが大変とか、女性の働き方とか、学費が高いとか、「子どもを作れ(ら)ない」理由をよく聞くようになった。
いやいや、育児っていうかその前に、出産がこわすぎる。わたしはどう頑張ってもこのハードルを乗り越えられる気がしない。
10ヶ月も内蔵圧迫されるだけでもこわいのに、陣痛から何時間も(10時間とか!)激痛で叫び声をあげながら、うんこを垂らし、股を切られ、胎のなかのものを自力で出す。
Twitterにいくつもルポルタージュがあがってる。壮絶。同じ出産はなく、どれも戦場のように迫力がある。
人間の出産はとりわけ身体への負担が大きいらしい。二足歩行とか、脳の巨大化とか、人間らしさをつくった進化の歪みが「出産」にのしかかる。
人間はデカくなった脳みそで早いところ出産の負担をテクノロジーでどうにかすべきだった。いまは全然間に合ってない。人工子宮もないしお産の大変さはほぼ変わってない。
妊娠・出産に耐えきれず死ぬイメージがかなり明確にある。確定している痛みがこわすぎて自ら命を断つんじゃないかと思う。
そう話すと「そんなの一時的なものだよ」「こわがりすぎだよ」とさとされる。古くから案ずるより産むが易しと言われてきた。
でも、ちょっと考えてほしい。高所恐怖症でバンジージャンプをこわがるひとや、閉所恐怖症でエレベーターに乗れないひとに無理矢理すすめたりしないだろう。
こわいことや痛いことを避けるのは当たり前じゃないか。
無痛分娩もあるにはあるが、日本の普及率は2割に留まる。そもそも麻酔科の医師が足りていない。無痛分娩する予定だった友達は、破水がはじまった曜日に先生がいなかったので麻酔を受けられなかった。そんなのギャンブルじゃん。
はやく妊娠できない年齢になりたい。出産の可能性ゼロになりたい。子宮の摘出とかは痛いから嫌だ。子宮に避妊用の器具を入れるのも痛いから嫌だ。なんなら乳がん検診のマンモグラフィーも痛いから嫌だし、子宮頸がんのワクチンも痛いから嫌だ。
それを「甘え」だとか「痛いのは当たり前」と思うひともいる。子どもをもったり健診を受けたりするために、痛い思いをする男性がいるか。どうして女性だけこんなに痛い思いをしなければいけないのか。
出産した女性を心の底から尊敬している。男性は命をかけなくても子どもが持ててよいですね。
育児休暇とかそれ以前に、女性だけが妊娠も出産も授乳も生理も避妊もなにもかも辛すぎるのをやめてくれ。
進化したくなかった、卵生に戻りたい。
この件に限らず、さも「自分は相手の気持ちに寄り添える人間です」というツラをして実のところ相手の立場になって考えることがまったくできていない、自分のことで頭がいっぱいの奴が多すぎるんだよな
まじで自他の区別がついてない
ゲテモノ料理を食べさせられる、バンジージャンプを飛ぶ、お化け屋敷を歩かされる、泥のプールに突き落とされる、電流の流れる椅子に座る、まあバラエティには色々あるわな
2.嫌だけどそれが仕事だしお金がもらえるから我慢してやります
3.本当はお金をもらっても無理だけど断り切れずにやってしまうかも
とまあさまざまなわけで
「俺(私)だったら金もらっても絶対に嫌だわwww」って「もし自分だったらどうするか」と想像してみるところまでは分かるよ
でもそこで芸能人がヤダ~なんて言いながら渋々ゲテモノ料理を食べた瞬間、
自分の身に置き換えてのめりこんで視聴するあまり「俺は嫌だって言ってたのに無理やり食べさせられた!!」「私は一般人だからギャラも出ないのにプライベートで無償でやらされた!!」っていう認識に脳みそが支配されて烈火のようにブチ切れてクレームを入れる
いやオマエがやらされたわけじゃないんだしあっちはそういう仕事で合意の上でやったことでそれで金もらってるんだから別にいいだろ
自分が嫌なことはみんなも嫌に違いない、私がやりたくないことは誰もやりたくないことじゃないといけないしやってはいけないとかあまりにも自己中心的すぎる
フェミニズムに染まってそうな女とかマッドマックスのフュリオサを持ち上げてたくせに女芸人が合意の上で丸坊主にしたことにすさまじい嫌悪感を示してるのって偏見にまみれてるのはどちらなんだ
丸坊主にされた女を守りたいんじゃなくて自分が思いやりがない差別主義者だから丸坊主の女の存在を許せなくてスタッフに八つ当たりしてるんだろ
なんのために余計な時間や費用をかけて余計なものを出す必要があんだよ。いちいち台詞考えて手間暇をかけるよりも仕掛けだけ考えてリアクションは芸人任せの方が楽だろ。芸人が「ドッキリかもしれないがドッキリじゃなかったらヤバすぎる」という心理になったら十分ドッキリは成立するんだから。
芸人が裏側を語る機会も増えた今ではドッキリ以外のバラエティの台本について「台本に(ここで一発ギャグ)とか書いてあって出演者に丸投げしすぎだろ」みたいな文句がたびたび出ることもある。脚本家じゃないんだから丸投げしたくなるのもわかる。
こういうのをやらせだと言う人が「どう考えてもドッキリなんだから信じるわけがない」と言うときの「どう考えても」が馬鹿馬鹿しく演出された画面を通しての感想なんだから皮肉なものだ。バンジージャンプの映像を見て「命綱ついてるんだから怖がりすぎ」とか言いそう。
以下コメント付きで御覧ください。
“了承済みだとしても、実際バリカンで坊主にするって、どんだけの心の葛藤があるかって話よ… 水ダウ出れるからって髪の毛と引き換えにOKしたとしてもよ、見てる側としてはただただ胸が痛いだけで笑え
人の心を想像する振りをして、自分だったらのお気持ち爆発コメント。「髪の毛と引き換えにOK」→放送見たらわかるけど元々坊主にしたかったってコメントしてたぞ。
事務所から「テレビ出れるチャンスだぞ」と言われる、リアルパワハラはありやなしや。 “事前に了解している仕掛け人たちの丸坊主姿だが、”
これも憶測ですね…。
あと、出ろと指示されたり、言われて断ることができない状況はパワハラですが、「テレビに出れるチャンスだぞ」まではパワハラではないと思います。
髪の毛と水ダウ出演の価値を決めるのはご本人です。
よろしくどうぞ。
「何が悪いのか」と言う人間は全然わかってない。強い立場の組織が立場の弱い人間に「仕事」と「自分の尊厳」の引き換え取引をしたわけで、ここには容易に強烈なパワハラが起きる可能性があるのよ
出演者からそういう声が出てきたらしっかり味方しますから、不要な邪推は我慢しましょうね。
こういうバラエティ大嫌いの人らって映画やドラマの中で女性が丸刈りにするシーンがあった作品はパワハラでとんでもない作品だと思うの?やってることは完全に同じなわけだけど
ほんまそれです。自分が書くまでもなかったです。
面前DVと同じで面前パワハラも十分暴力。懲罰的丸刈りは人権侵害だし、それを目にした恐怖をバラエティで消費するとか胸糞悪すぎ。/髪型としての丸刈りは全然別の話。演者としてはそりゃそう言うだろうけど。
懲罰的丸刈りは人権侵害かもしれんが、今回は違うよ?ターゲットに懲罰的な丸刈りだと思い込ませる企画だよ?
「それを目にした恐怖をバラエティで消費するとか胸糞悪すぎ。」ここは個人の感想なので否定はしないが、ドラマとか映画なら受け入れられるのだろうか?
受け入れられるとしたら、違いはどこにあるのかよく考えたほうが良いと思う。たぶん無意識で優劣つけてるよ。
擁護ブコメがあるのがびっくりだ。そうだな、「ナチスの制服を着た奴がユダヤ人をひんむいて部屋に押し込んでいく」ドッキリとか成立しないだろ? 演者がプライベートでどうしたかったかとか関係ないよ。
犯罪行為を空気で受け入れさせるのがだめ/丸刈りOKな人を集めたんだから大丈夫と言う人たちは、自殺志願者を集めてビルから突き落とすとかバンジージャンプをさせて紐が切れましたみたいなドッキリでも許容するの?
合意取ればOKなものと、合意とってもダメなもの(犯罪)の区別はつけましょう。そのうえで比較対象の例として上げてください。
なるほど、ジャニーズの売れっ子たちも「一度おじいちゃんに抱かれたいと思ってた。母からも『ジャニーズに入るからには覚悟しているから安心して』と言われた」と言えば抱いた方の罪は許されるのか。
普段はヤラセでもいじめ企画はヤメローと喧しい者も、ヤラセのパワハラには喝采。虚構でも女がハラスメント受けていると興奮して理性がなくなるんだろうな彼ら / DJへの性被害にも大喝采なんだよな彼ら
日本語でええねんで?
これ見て楽しんでいるとわかったら、そうではない人に無言で一線引かれても仕方がない内容では
パワハラで笑うのは悪趣味だし、パワハラを許容する空気を作り出すという意味で罪悪。そもそもダウンタウン自体がパワハラを芸にのし上がってきた訳で時代遅れ。
見てないでしょ?ね?パワハラはダメだよって皮肉の企画だよ?先進的すぎてついていけてないすかね。
企画考えてないダウンタウンへの垂直落下ブレーンバスターdisには声の掛けようがないです。アンチお疲れ様です。
どーゆーところが悪ノリなのでしょーか?ちゃんと考えてちゃんと準備しないとできない企画ですよ。
(これが悪ノリ)
丸刈りの流れも、現場の悪ノリという体ではなく、パワハラという体です。
そんなパワハラする現場では、いい作品できないよね?というメッセージです。
女性スタッフ(に扮した芸人)までボウズにされててそれ見たターゲットのアイドルが泣いてたらしいけど、峯岸みなみが丸坊主にした件とかあるし『まさか芸能界にいたら自分も…?』とか想像しちゃったんだろなーっと
残念なコメントのみんなも、こんな人が多かったのかなと。
too sensitive for this world
呆れの追記
「ドラマとか映画とか」と演技と知らされていない人間の本物の恐怖との違いが本当に分からないの?/パワハラ皮肉企画だからその制作過程でパワハラが起こるはずがないというのはナイーブすぎるでしょ
「制作過程でパワハラが起こるはずない」なんて誰が言ってんの?あなたの頭の中で都合いいように曲解しすぎだよ。気をつけなはれや。
起こるはずもないし、起きてもないなんて誰も言い切ってないよ。本当は裏で起きてるかもね。
ただ、当事者が何も問題提起してすらもない状況で、部外者が勝手な憶測を喚き散らすのは害悪でしかないでしょ。
前半も今回に関しては問題提起できるのは本人/関係者のみですよ。その人がハラスメントや問題を感じたかどうか、が重要になるんですから。
放送すら見たかもわからない部外者が憶測で口出しする行為は、それ自体ハラスメントになり得ますよ。
気をつけなはれや。
ドッキリが嫌いならその感情は否定しませんが、今回に限らないドッキリ全体に主語を広げるのであれば、勝手に撲滅活動頑張ってください。僕はハラスメントが浮き彫りになったら、そのサポート(ハラスメント撲滅)をしっかりしたいと思います。ここでお別れです。
バラエティを全く見ない人間としてはどんぐりの背比べ感がすごい。楽しめなかった人間の口を塞いでも楽しめなかった事実は変えようがないだろ。
面白くないとか、悪趣味だとかは否定してないんだが。感じ方は人それぞれなので。
わかりますか?楽しめなかった事実を変えようとしてるんじゃないですよ?あなたみたいに自分の主張のために曲解して誰も言ってないことを言い出したり、勝手に邪推するのを残念だって言ってんだ!
地獄に落ちるわよ?
#metoo運動等数々のセクハラパワハラ問題を経て、我々は「弱い立場の人間がした「同意」は強制されたものかもしれない」という視点を新たに得たはずなのだが、その慎重さもなく断定する意見には全く同意できないのよ
これまたすごい大型新人が現れたな…。根気強く一つずついくよ!
まず「我々は」って主語大きくするの良くないよ。散々主語大きくして突っ込まれまくった先人の過ちをしっかり活かそうね。「あなたは」ね!
「弱い立場の人間がした「同意」は強制されたものかもしれない」という視点を新たに得たはずなのだが」
meetooの中心って同意なくセクハラされたことが問題視されてたはずだが。だから同意の記録を残ししょう!つって、とんちんかんなアプリが出て最近話題になってたじゃん。
まぁそういうのもあったと思うので全否定はしないですが、「我々は〜視点を得たはずなのだが」って勝手に!我々の!スタンダードにするの!なんなん!
くどいようですが、こういう勝手な曲解を加えて自分の主張をしたいだけの人が多くて残念だす。
最後ね。
断定してるのはどっちだって話ですよ。
出直してきなさい!
「ニホンジンはみんなこの件についてうっすらと知ってて、見ないふりをしてきた。みんなで反省しよう!」
(ここから先は、「一億総懺悔論者」の人たちに対して失礼なことを書くね。そっちが先にやったんだからまあ多少は許容してくれよな!)
1. いや、知らなかったが?
はてブ眺めてると週刊誌のweb媒体とかがホットエントリーに入ってくるし、そういうのが好きな人たちがはてなにはそれなりにいるんだろな。特に昭和生まれの人達の中には、「ニホンジンは全員毎日テレビと週刊誌見てる」と思ってる人もいるのかもしれないが、そんなことないからな。週刊誌が担うジャーナリズムというものの価値は(特に本件では)大いにあると思うが、人によって普段接する媒体は当然異なる。私はジャニーズとか芸能とか全く興味がないし、性的虐待の噂すら聞いたことがなかった。
2. 要するに責任を薄めたいんでしょ?
「私は知りつつ沈黙してた。すまん!」って話ならなんの文句もないよ。むしろ真面目で誠実な人だなぁくらいには思うよ。でもこれを「私達ニホンジン」にしてしまうのは、要するに一人で反省する勇気がないんだろ?むしろ浅ましいわ。
そもそもなぜ「一億総懺悔論」に走るのか?これは要するに、適度な罪悪感で安全なストレスを得て、さらに反省の態度を示すことでそこから開放されることを愉しんでいるのではないか?お化け屋敷やジェットコースター、バンジージャンプ、スリラーやホラー映画などと共通の要素だと思う(この要素がこれらのコンテンツの全てだとはいわない)。さらに加えて、罪悪感というストレスから開放されるだけでなく、「反省できる自分」という居心地のいい自己像まで手に入る。「私はジュリーや達郎とは違う!」
ここまでは否定的な内容を書いたが、「うっすらと知っていた人たちのぼんやりとした懺悔」そのものを全否定するつもりはないんだ。仲間内でシグナリングを反芻しあって集団としての意識を高めていくのは社会性動物らしい振る舞いだと思う。その結果として「いかに偉大な人物や特殊な業界においても性的虐待は許されない」という認識が浸透するなら意義があるといってもいい。だから胸を張って「私は」って言えばいい。逆に主語を大きくして「ニホンジンはみな罪を背負っており、懺悔する必要があるのです!」とか言い出すならカルトじゃん。伝統宗教にもそういう面は当然あるし、信仰の自由はもちろん尊重するが、他人を信仰活動に巻き込まないでくれ。
最後に、BBCの報道をきっかけに告発を聞いて過去に下った確定判決を知った今、私はこのジャニーズ性的虐待事件をしっているし、重大な事柄だと思っているよ。専門性のある第三者による調査で全容を解明して、それを元に被害者のケアや、組織と業界構造の改革を行うべきだろう。再発防止だけでなく、ひょっとすると存命の加害者が新たに出てきてそちらは刑事裁判で裁けるかもしれないよね。
漫画、ハチミツとクローバーの竹本がクリスマスを前に「この空気感、椅子取りゲームのようで苦手だ」という。
次々とカップルを組み、幸福になるさまを見ていると焦り、自分も早く座って落ち着きたいという心理の現れだ。
竹本というキャラクターは母親が看護師の母子家庭に生まれた。孤独と貧困が常に付き纏っていた。父は幼少期に病気で亡くしており、彼を語る上でこの背景は退けない。
しかし私は彼の「椅子取りゲーム」という発言には疑問を呈する。
どちらかと言えばバンジージャンプが近い。
人生では命綱となる紐が何本も用意されている。仕事、健康、貯金、母、父、兄弟、祖父母、友人、資格。
それらが、経年劣化でどんどん摩耗して切れていく。ある時は祖父母という頼りが切れる。ある時は、健康に難が生まれる。
しかしこの綱は増やす事も出来る。例えば環境が変わり友人が増えれば、綱は頑丈になる。細く見えた糸も状況によっては、より強固になる。
あらゆる紐が切れた時、人間は宙ぶらりんとなり寄る辺を失い落下する。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと