はてなキーワード: 模倣犯とは
・犯人の真意はどうあれ「(特定の属性)を殺したかった」と供述することはネットで共感を呼び、第二第三の模倣犯が起きるよ(海外ではそうしてテロの連鎖が起きているよ)
・つまり私達が恐れているのは、ネットの共感の渦が女性を殺したい模倣犯を生み出すことなのです。
・女性としては今電車に乗ることは模倣犯に遭遇するリスクを負うということ
・だから鉄道会社や政治家にこういう事件をNOという声明と事件防止策を求めている
・だから男性の皆様に、犯人の報道から不幸な動機を二次創作して共感するのをやめてほしいと訴えている
■男性の皆様にお願いしたいこと
・犯人のせりふを想像で膨らませて物語化する(私も氷河期世代キモオタおばさんなので我が身に重ねる気持ちはわかりますが共感度の高いネットでの発言は)自重いただきたい。それはあくまで「あなたの物語」です
・ヘイトクライムの犯人は減刑のため、また共感者を集めるために、共感性の高い言葉を使います。よくある不幸をほのめかします。
だから犯人の気持ちがわかるからと言ってあなたは犯罪者予備軍ではありません。むしろ同じような境遇で幸せそうなカップルを憎んでいても、実際に見知らぬ人を攻撃しないあなたはカッコいい人間です。
・幸せそうに見える女性は同じ非正規労働者でパワハラ店長に失敗をなすりつけられてトイレで泣いたのをメイクでごまかしてここで綺麗な顔をしているだけかもしれないし、俺でも簡単に刺せそうに見える清楚でにこやかな美少女は元レディースの猛者かもしれません。特に女性は社会から笑顔と愛嬌と控えめを要請されるので実際より幸せで弱々しく見えがちなのです。
・女性達の恐怖や怒りを「まあまあ」とナメたクソリプでなだめる暇があるなら、こんな事件に居合わせたとき、どうしたら自分の身の安全を確保しつつ通報救助ができるか議論してください
・「あなたの嫁や娘が殺されたら」という言葉で説得しないでください。「女は守られてイージーモード」という妄想を強化します。
小田急線のニュースを見たとき、これは別の世界線の俺だと思った。
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友人にも恵まれ、そこそこの大学に在学し、70人近い部員を抱える部で副部長を務め、順当に行けばそこそこの職に就けるだろう。
俺は、たまたま失うものを沢山持っていたから踏みとどまっているだけで、この犯人とは紙一重だ。
俺に何も無かったら、この犯人と同じ事をしていたに違いない。上手く説明できないけど、確信めいたものがある。
今後事故か何かで全てを失う可能性もゼロではないので、別の世界線の俺ではなく、未来の俺かもしれない。
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この事件は、女性への憎悪を背景としたフェミサイド(この言葉は今回の件で初めて知ったが)であることは間違いないだろうが、本質はそこではないだろう。
仮に、犯人に一切の女性憎悪が無かったとしても、抵抗力の弱い女性を優先的に殺した方が人数を稼げるため、同じ結果になっていたと思う。
問題の本質は、万引きを咎められた程度のことで殺人に踏み切れるほど、彼が何も持っていなかったことではないか。
俺が何も持っていなかったら彼になっていたように、彼も何か持っていたら俺になっていた。
俺と彼の違いは本当にそれくらいで、正直に告白すると、俺は彼と同程度の女性憎悪を持っていると思うし、倫理観もだいぶ終わっている自覚もあるし、めちゃくちゃキレやすい。
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現行の制度は、彼のような人を抑止するには不十分であることは明らかで、これは厳罰化よりも福祉の面からアプローチすべき問題な気がする。
彼の立場で考えれば、ブタ箱で暮らす期間が10年になっても100年になっても大して変わらないだろう。(再犯防止という点でいえば有効だと思う。)
ただ、俺には社会学の素養が一切ないので、どうすれば解決できるのかは分からない。
しかし、一当事者として、未来の犯人として、この問題は提起しておきたかった。
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最後に、これは書くか迷ったが、俺は全てを捨てて暴れられる彼のことを心底羨ましいと思った。
俺がこう思うのであれば、同じことを思う人は少なくとも100人くらい居るはずだし、そのうち10人くらいは何も持っていない人で、1人くらいは彼と同じことをするかもしれない。
模倣犯が現れないことを願う。
ここ最近は匿名メッセージ機能のマシュマロを使って、精神的ダメージを受けるメッセージ(通称:焼きマロ、毒マロ)を送られた人がその焼きマロを痛快に斬り捨ててバズったり、傷ついてる姿に多くの人が心痛めて慰める様子がよく話題になっていた。
焼きマロ……
AIの精度を上げていくことももちろん重要なのですが、最近は「ネガティブOK」設定にして自分宛にネガティブなメッセージを送ることをやめられない人達をどうやって救うかで悩んでいます。#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/IkQ8k7w5iw pic.twitter.com/BiNKpcEPDZ— マシュマロ公式 (@marshmallow_qa) August 24, 2020
宛先問わず悪質な投稿を送る時点で規約違反ではあります。
それを理由にして自分宛であることを公開したり、アカウントを削除することも簡単です。
でもその人達もマシュマロを好きで使ってくれている受信者であり、受信者ファーストのマシュマロとしては切り捨てることができません。— マシュマロ公式 (@marshmallow_qa) August 24, 2020
だからいい道が見つけられないうちは、マシュマロとしてはそういう人達を切り捨てるより、「焼きマロwまたマシュマロAIガバガバだよwww」と言われるほうを選んでいきたいと思っています。— マシュマロ公式 (@marshmallow_qa) August 24, 2020
とはいえ本当にAIの精度が至らないパターンも稀にありますし、そういうパターンを経験して注目を浴びてしまったがために、自ら模倣犯となってしまったパターンも多々あります。
ですからAIの精度を上げつつ、仕様面でも「多くの人が過ちを起こさないし、起こっても無効化」できるよう現在調整中です。— マシュマロ公式 (@marshmallow_qa) August 24, 2020
この書き方から見ると、バズってた焼きマロ関連の相当数が自演であったのではないかと疑ってしまう。
これはAIすり抜けたなと思われる京都風な嫌味メッセージや慇懃無礼なクソバイスもあるが、ここ最近のわかりやすく貶める言葉や直球過ぎる罵倒はAIすり抜けるか?という疑問は確かにあった。
自演してる人はミュンヒハウゼン症候群とでも言うのだろうか。特に最初だけ本物でそのあとに自演にハマってしまってる人もいるという公式の暴露はとても怖い。
まず、『ダークナイト』は、フロイトの「自我・超自我・イド」の図式に当てはめると解釈しやすい映画です。
そもそもジョーカーってなんなの?というと、病院のシーンでハービーに言っていたように、「混沌の使者」(Agent of chaos)です。
ゴッサムに秩序をもたらそうとするハービーやバットマンに対して、人々の怒りや不安(防衛本能)を煽り、本能的衝動にしたがって行動させることで街の秩序を崩壊させようとするのがジョーカーです。
ここでの秩序とは何かというと、「父権制的な権力」を指します。
これは、明治時代など、近代以前の家父長制でも見られる、父親や「家」といった道徳や社会的信用に基づいて人々を従わせる権力を指します。
近代以前の社会では、家長同士の信頼によって地域コミュニティに必要な産業や社会制度が賄われており、それらの秩序を犯した者がいた場合、例え家族であってもその命を差し出す必要がありました。
父親のもたらす権力・秩序が個人の自由に優越していた時代です。
一方、近代の市民革命以降は、主権者が一般市民(国民)に移ったことで、上記の「父権制的な権力」に個人の自由が優先されるようになります。
コミュニティの構成員の間でも格差があったり、それぞれ価値観は異なります。
するとどうなるかというと、それぞれの権利の拡大やコミュニティの方針を決める上で争いが起きるようになります。
この原動力が、ジョーカーの象徴する「人間の生理的欲求・本能的衝動」です。
『ダークナイト』の公開された2009年はアメリカがイラク戦争の泥沼にどっぷりハマっていた時期で、ジョーカーの爆破などテロ行為と合わせて、この映画をイラク戦争批判と見る人もいました。
私はこの映画がイラク戦争批判だとは思いませんが、「人々の防衛本能によって事態が混沌に陥った」という点では共通していると思います。
イラク戦争の発端は、アメリカを攻撃する大量破壊兵器がイラクにあり、「先制攻撃」の対義名分で侵攻、泥沼に陥りました。
この映画でもそうで、人々が防衛本能によって親しい人物を裏切り、ジョーカーに加担することで一連の計画・悲劇は進みます。
終盤もジョーカーが市内に仕掛けた爆弾から逃げるために船に乗り込んだ一般市民が船内の爆破を免れるために、囚人船の爆破との二択を迫られる展開となります。
終盤の二択のシーンは、人々が社会的信頼や道徳(善)に基づいた振る舞いをすることで危機を免れるわけですが、ここでも生存本能を脅かす不安(本能的衝動)と社会的信頼(父権制的権力)の葛藤が起きているわけです。
この二者の葛藤を説明する概念が、フロイトの「自我・超自我・イド」です。
これらの概念は、父親のしつけを通じて内面化された父権制的権力と動物的欲望・本能的衝動の葛藤の間で揺れ動く人間の自我のありようを表すものです。
この三者の関係を表すものとしてよく触れられるのが、ギリシア悲劇の「オイディプス王」やこの寓話を受けた「エディプスコンプレックス」の概念です。
エディプスコンプレックスの概念によると、幼児期の男児は母親との結婚を望むが、父親と結婚しているため、その願望が叶うことはない。この時、男児に母親との結婚をタブーとする父権的な「規範」(秩序)が生まれ、男児は精神的な去勢を経験するとされます。
要は、母親と結婚したい男児の欲望と、それを男児のモラルとして彼の心の中で禁止する父権制的な権力との間で葛藤する男児の自我の揺れ動きを表しているという話です。
実際、この映画では、ハービーは社会的信用を守る地方検事で、ブルースの幼なじみであるレイチェルの恋人役です。
ブルースのレイチェルへの性欲を抑圧し、彼自身が望む秩序を体現する存在で、ブルースの「超自我」の象徴と言えます。
一方で、ブルース自身に目を向けると、幼い頃に両親を奪ったギャングに、自分自身の幼児期のトラウマである「コウモリ」のコスチュームで私刑を加えることで、彼らに自分と同じ畏怖(トラウマ)を植え付けようとしています。
ブルースが「コウモリをシンボルに選んだ理由」と「なぜシンボルが必要か」(逐次制裁では模倣犯が出るため、模倣犯が出ないよう、悪漢を怖がらせる、畏怖の対象となるシンボルが必要と考えた)は、前作の「バットマンビギンズ」でブルースによる上記そのままの説明があります。
つまり、「ブルース自身が彼の超自我(父親の象徴)であるコウモリになろうとしている」という話で、先述のエディプスコンプレックスにある、父親の座につこうとする男児の精神と合致します。
また、ブルース自身の葛藤として、彼は街に秩序をもたらすという公益性とは別に、Mob(ギャング)への個人的な恨みで制裁を加えている側面があり、この個人的な恨みが暴走してしまうのではないか、そもそも自身の行動はただの私刑(リンチ)ではないかという懸念がついて回っています。
ジョーカーが焚きつけようとしているのは、ブルースのこの個人的な怒りです。
ブルースがMobの制止と社会秩序の実現という社会道徳ではなく、個人的な怒りでバットマンの活動を行なった瞬間、彼はただの犯罪者になります。
ジョーカーの目的は、このバットマンの大義名分を取り払い、自分やスケアクロウなどの怪人や、Mobのようなゴロツキと変わらない存在に陥れることです(この企てに成功したのがハービートゥーフェイス)。
取調室でのバットマン・ジョーカーの尋問シーンで“You complete me.”(プロポーズの慣用句です)と言っていることからも分かる通り、ジョーカーはバットマンが半ば自分と同じ本能的衝動で動いていることに気付いています。
(だから、“You and I, are destined to do this, forever.”となる。)
長くなりましたが、パーティーシーンについて。
このシーンでは、老紳士が父権制的道徳を象徴する形でジョーカーに反抗したため、ジョーカーから“You remind me my father, I hate my father!”(お前見てると俺の父親を思い出すんだよ、大っ嫌いな父親をな!)と反感を買います。
ここでレイチェルが止めに入り、ジョーカーが口元の傷の由来を話しているのが、この場面の一番重要なポイント。
ここで何をしているのかというと、レイチェルを象徴的な意味で自分の女にしようとしています。
というのは、上に書いた通り、ジョーカーはバットマンの片割れです。
すると、ジョーカーにもレイチェル的な存在がいてよい、いるはず、という話になります。
それがジョーカーが”D’you know how I got these scars?”で始める「傷の由来の話」に出てくる「ジョーカーの悪妻」です。
レイチェルをこの悪妻に重ねているのは、逸話に入る前に“I had a wife, very beautiful, like you.”と言っていることから分かります。
ではその悪妻がどのような女性かというと、レイチェルのように慈愛に満ちている反面、ギャンブル狂で、口を裂かれた彼女に寄り添おうとしたジョーカーを拒絶した女性です。
ハービーと同じ検事職にあり、貞淑さを象徴するレイチェルとは真逆の存在です。
ジョーカーのしようとしたのは、レイチェルを自分の別れた悪妻と重ね、彼女と同じ傷をつけることで、レイチェルをその悪妻と同じ側に落とすことです。
おそらくこの逸話自体は嘘です。この場面以前にもGambolのシーンで傷の逸話がありますが、別の話をしています。病院のシーンでハービーに「俺が計画して動く男に見えるか?」(”Do I look like a guy with a plan?”)と言っていることからも、彼がポジショントークしない人間であることが分かります。
レイチェルを殺したり、ただ傷物にするのではなく、その前にこの逸話を挟むことで、その傷は彼女へのマーキングの意味を持つようになり、シンボル的な意味でレイチェルはジョーカーの女に堕落します。
彼女はやがてジョーカーにさらわれて殺されてしまいますが、面白いのは、その時ジョーカーが指定した彼女の居場所です(実際にいたのはハービーですが、言葉の上で彼女と結びついていたのが重要)。
ジョーカーは彼女の居場所を“She’s at avenue X, in Cicero.”と指定しています。
Ciceroとは、共和制ローマ末期の弁論家・政治家・哲学者で、彼の政治思想で理想とする統治機構は「共和制」でした。
「共和制」は、国家主権が人民に存する統治機構で、国家元首(王)により支配する独裁制とは対立する統治機構です。つまり、父権的制的権力とは対立する概念。人民の動物的本能に公共善による秩序をもたらそうとするもので、超自我とイドの調和が取れた状態と見ることもできます。
つまり、超自我とイドの葛藤に揺れるブルースが、本来身を委ねるべき安息の場所にレイチェルがいた、と比喩的に表現されているのです。
(その場所にハービー(父親)を置いとくあたり、徹底してジョーカーは底意地が悪い)
とまぁ、パーティーシーンは、これらの葛藤の舞台となる場面です。
直前でスリロ判事・警察長官が殺されて、ハービーが殺されればゴッサムの司法庁崩壊でその王手がかかっていたり、それを阻止すべく大急ぎで対応するブルースと迫るジョーカーのサスペンスだったり、ヒースレジャーのセリフ回しだったりで見所がいっぱいある、個人的にも好きなシーンです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c0cca7fe3d27fb42cbde2518da7e3b1680a01bc
模倣犯が出ても思い出してもらえない模様