はてなキーワード: 拳銃とは
私も解禁反対派だけどね。
ただ、解禁反対であっても、解禁についての議論や啓蒙自体は否定しないという話。
よく大麻解禁の話になると「酒・煙草にだって有害性や危険性があるのになぜ許されるんだ?」という意見を見かける。
私はこの差は何か明確な基準があるものではなく、かなり感覚的な"線引き"の問題だと考えている。
大麻、酒、煙草、あるいは日本では禁止されているがアメリカでは許されている拳銃所持なんかも。
結局、”自由という権利”と”有害・危険性の排除”の鬩ぎ合いの中で、どこまでを許可を与えどこから禁止にするか、どこに境界線を引くかの問題でしかないのだ。
そしてこの線を引く基準は、その社会の人々の一般感覚に依るものであるべきだと思う。
(まあ、現実は利権を握った強欲な権力者の影響が強いので半ば理想論ではあるが)
今は、「酒・煙草はオッケーかな? でも大麻はダメ!」という多くの人々がなんとなくで思っているから、それに基づき許可・不許可は決まっている。
そしてこの感覚が変わってきたから煙草もアウト寄りになってきた。
であれば、逆に多くの人が価値観を変えて大麻をOKと考えるようになったら大麻解禁はアリ、むしろ積極的に解禁するべきだろう。
……あくまで理屈の話であって、今の日本人の価値観を考えるとそういう風に世の中がなる可能性は限りなく低いと思うけど。
ともあれ、そうやって人々の一般感覚で決まること、ぶっちゃけ多数の人が納得するのならどっちでも良いようなことなら、当然そこに善悪は介在するはずもない。
だから、解禁賛成論に対して主張内容に反論するのではなく、主張することそのものを叩く人たちは愚かに感じてしまう。
そういう人たちは自分が気に入らないものは規制してしまえという短慮な考えに基づいて言葉を垂れ流しているだけで、法規制とはどうあるべきかという思考が欠如しているんだろうな。
解禁賛成派の人たちはそういう愚か者の声に負けず、ぜひ自由に意見を述べて、自分の望む方向に世の中が変わるように活動していただけたらと思う。
私は反対派だけど、理の通った主張や心躍る言葉があったら意見を変えるかもしれないし。
以下余談
今回書いたことはあくまで”規制解禁”の話であって、規制を強める場合には多数の賛成だけでなく、より慎重な議論も必要だと思う。
ネタバレ注意 あとDCシリーズとかわからないので映画単体で完結しているとして感想を書きました。
各種感想を見て「ジョーカーは自分を追い詰めた“社会”に復讐する物語である。」のような意見を散見したが、ジョーカーは自分に危害を加えた“個人”に復讐したのであって“社会”には復讐していないと思う。根拠としては
①コメディーショーでピエロのメイクには政治的な意図はないと明言している点、
②リンチしてきたサラリーマン3人、過去に虐待をしていた母親、拳銃を渡すことで破滅に追い込んだ同僚、テレビで自分を笑い者にした司会者といった、あくまで自分に危害を加えた人物しか殺害していない点 の二つが挙げられる。
①を補足すると、ジョーカーには社会現象を起こすつもりは毛頭無く、あくまでも“ジョーカー“を求めたのは世論であると言える。
②を補足すると、ジョーカーはテレビショーで無差別に発砲なんてしていないし、小人病の同僚も警察官も殺していないし、ウォレス(父親疑惑があった人)には殴られたのにも関わらずやり返さず、話を信じて病院に調査に行っている。理性を保って殺す相手をきちんと選んでいるように見えた。この視点から見ると、アメリカでよくある銃乱射犯や、歩行者天国に突っ込んだ犯人とは一線を画して描写されているように思える。(まあ無差別殺人を教唆するような脚本には出来なかったのだろう。橘玲氏の論説によればシングルマザーの家に押し入った後2人を殺している説があるらしいが、そこまで言っていたら何でも言えてしまうのでスルー)
総括すると、ジョーカーは個人的な復讐をセンセーショナルに遂げただけで、それを本人の意思とは無関係に(スクリーンの内でも外でも)周りが社会問題に結び付け、祭り上げているのだと考える。虚構のジョーカーを創り出すのは私たち一人一人なのだ。
多分ジョーカーを見てきた人じゃないと意味が分からないから注意
「愛が欲しい、ハグして欲しいだけなんだよ」とか「誰も俺を見ちゃいない」とか「俺が倒れていても踏みつけるだけだろう。その点あの三人(アーサーが最初に打ち殺したDQNリーマンたち)はトーマスウェインが悲しんでくれるから幸運だ」と、こんなニュアンスの発言が多いジョーカーことアーサーフレック。
だからこそ、思う。
なんでお前、小人症の男性ともっと仲良くしようとしなかったんだよ!!あいつ良い奴だったじゃん!!!
いやわかってるですよ。
上記に挙げたように、発言から誰かに存在を認めて欲しいのは分かるんですが、そのやり方が近所の美人なシングルマザーをストーキングしたり、金持ちなオッチャンに息子を名乗って会いに行ったりと、なんやかんや相手を選んでるんですね。
アーサーの職場のむさいおっさん連中(特に小人症の男性)とか、それなりにアーサーを気にかけて話しかけてくれたりしたのに、アウトオブ眼中なわけです。
これってKKO(キモくて金のないおっさん)問題の、結局KKO自体もKKOに魅力を感じないから、関わりなくないということと同じなんじゃないかなと思いました。
その辺、このアーサーは良くも悪くも人間臭いですね。誰かに自分を見て欲しいけど、その「誰か」は自分が魅力を感じる人じゃないと駄目だということです。
アーサーの家に同僚のデブ(拳銃渡した人)と小人症の男性が訪ねてきて、アーサーがデブを刺し殺したシーン。アーサーは小人症の男性に「キミは優しくしてくれたから殺さない」と言っておきながら、恐る恐る近づいた小人を「ワーッ」と大声でビビらせて、ケラケラ笑います。
このシーンとか、アーサーのさらに自分より弱い人間への見下し、侮りみたいなものを感じます。これって電車でアーサーに絡んだときのDQNリーマンズと本質は同じなんじゃないかなって。
まあ、つまりアーサーも社会的に弱者の立場だったから、「この社会狂ってやがる。誰も俺を見ちゃいない」なんていいながら、自分も例に漏れないよなぁ、なんてそんなことを思っていました。
KKOは愛を求めながら、その相手は割と強かに選別している。そんな自分の中にもある側面を見せつけられて気持ち悪かったです。
私は通り魔に殺された。
突っ伏した私の肉体の傍にはあどけない少年がおもちゃのような拳銃を手に持って立っていた。彼と出会った時、少し危ない気配を感じないではなかったが、まさかこんな子供にいきなり後ろから撃たれるとは予想だにしなかった。
妻と2人の子供を残して旅立つのはなんとも心残りだが、そうなるべくしてなったのなら致し方ない。不思議と怒りも恐れもない。
見上げると、夜空は魂で満たされていた。肉体の目では決して見ることのできなかった大きな流れと波が光り輝いて世界を満たしていた。輝きを目にした私は、突然殺されたばかりだと言うのに大きな安らぎを覚えた。妻に「悲しむ事はない」と、子供たちに「恐れる事は無い」と、今すぐ伝えたいが、時が来れば彼らにもわかることでもある。
私の精神はまだ肉体を持っていたときの形を保とうとしていたが、手のひらからとても小さな光の粒が漂い出て、大きな魂の流れに飲まれていった。なるほどこうして私はそのうち小さなバラバラの光の粒になって、流れとともにこの星で、この美しい世界でまた、生きること、愛すること、死ぬことを繰り返すのだ。
なんという安らぎだろう。目立った不幸のない、どちらかと言えば幸せな人生だったが、この安らぎを知らずに肉体に繋がれて生きる事は、大きな苦しみと悲しみを伴っていたと言わざるを得ない。私が生前に考えていた「人生」とは、その半分でしかなかった。こうして肉体の寿命が終わり、精神だけの存在になって初めてそのことがわかった。まだ肉体を持って生きている家族、友人に、この世界の真の豊かさを伝えるすべはないだろうか?
と、突然頭が痛み出した。そんな馬鹿な。私は光の粒になって大いなる流れに還るのだ。なぜ肉体を持っているかのように痛みを感じなくてはならないのだろう。
私の頭の中で小さな金属の欠片が脈打っていた。あの少年に打ち込まれた銃弾の破片だ。精神だけの存在である私がなぜそんなものに影響を受けるのだ。
ふと気がつくと閉ざされた扉の前に私のような何かが立っていた。少年に命を奪われた時にすら感じなかった猛烈な嫌悪と恐怖が、全身を駆け巡った。今すぐここから離れなくては。しかし、その思いとは裏腹に私はその薄気味の悪い私のような何かにどんどん引き寄せられていった。頭の中の銃弾の破片が強く輝き脈打ちながら、じりじりと私を引っ張っていくのだ。見ると、まがい者の私の頭部にも2つ、鈍くしかし強く輝く何かが見えた。やはり銃弾の破片だ。頭の中の銃弾同士が強く引き合っているのだ。全力で抵抗したが、どうやらその力に逆らえそうにない。
私はじりじりと引き寄せられながら、私のまがい物を観察した。
光の粒で満たされた精神だけの私とは正反対に、どす黒いぬめりが渦巻いてできているようだ 。
粘り気のある真っ黒いうねりの渦の中からかすかな悲鳴が時折聞こえてくる。
「許してくれ…」「来ないでくれ」「…助けて…」「もう来ないで…」
あの少年の声だった。
なるほど、人を殺すと眠れなくなると言うのはこれだったのか。
罪の意識が、慙愧の念が、自分が手にかけた被害者の姿で昼夜を問わず本人を責めさいなむのだ。
少年の黒い悲鳴は強烈だった。どうやらやはり彼は人を殺して何も感じないような根っから狂った人間ではなく、むしろ本来殺人などと言う極端な行為からは程遠い、周囲から押さえつけられ続けた人物のようだ。そのことを実感した途端光の粒である精神だけの私は、私の形をした少年の真っ黒な妄念に完全に飲み込まれた。
私のまがいものを形作っている少年の思いは、「私を殺したこと」の周りをぐるぐると回っていた。
「ざまぁみろ…」「お前があそこにいたのがいけないんだ、お前が僕の言うことを…僕の話を聞かないからだ」「偉そうにしやがってふざけるな…..」「僕を大切にして僕を大切にして」「僕の意思を尊重しないのならお前を殺して僕も死ぬ」「ごめんなさいごめんなさい許して……」
なんと身勝手な、そしてなんと汚らわしい。
苦しいのはわかるがこれぞ自業自得だ。しかしその苦しみも肉体の命が尽きるまでのほんのひとときのこと。せいぜい悩み悶え給え。同情はするが、私の肉体の命を奪った者のために、なにができるわけでもないし、こんなところに閉じ込められる謂れもない。
私は目の前の黒い波を両手でぐっと押し広げて出口を開こうとした。少年の悲鳴がひときわ大きくなった「助けて………!!」
申し訳ないが、私には関係のないことだ。少年よ、君も肉体を失えば今の私のように光になってより大きな光になるのだ。それまでの我慢だ。
しかし私の頭部の痛みはますます激しくなり、力が入らない。なんとも暗黒のうねりが分厚くて、それお押し広げて外に出ることができない。恐怖を感じた。このままなのか?自分を殺した相手の妄念に、時の終わりまで囚われなくてはならないのか?
ひょっとして、この少年が、真っ黒に汚れた自分の想念に苦しめられたまま肉体の命が尽きると、精神だけになっても黒い渦に飲み込まれ、永遠に苦しみ続けてしまうのではないだろうか。
私が閉じ込められている私のまがい物の遥か下方に、膨大な闇がうごめいているのがその証拠だ。少年の肉体と精神をからめ取ろうと手を伸ばしてきているではないか。
閉ざされた扉の中には少年がいて、膝を抱えて泣いていた。その少年の肉体の周囲を、おぞましい鎖のような黒い渦が取り巻いていた。
少年は自分の行為をひどく悔いていた。「殺したひとが毎晩訪ねてくるなんて知らなかった……..」「助けて……助けて…..いやだ…..見たくない」「怖い怖い怖い」「あの人達と別な形で出会いたかったのに……」「もう一度、僕のファンとして僕の目の前に現れてくればいいのに……….」
私に肉体が有った頃、酒に酔って妻子に暴力を振るい続け、当然のように妻子に逃げられたがしかし、復縁を熱望している同僚がいた。私は不思議で仕様がなかった。絶縁の原因は自分なのに、なぜそれを忘れたかのような態度で復縁を熱望するのか。
自分のしでかした事は無かった事にしてやりなおしたい。それが、肉体に繋がれた魂の弱さなのだ。
私がそう思った途端に、わたしを拘束している黒い渦の力が弱まった。私に触れている部分が、光になったのだ。
ふむ。
ならば、是非もない。私がこの場所に呼ばれ、私の形をした妄念に閉じ込められた理由がようやくわかった。
少年は私の頭に銃弾を打ち込むことで私に助けを求めていたのだ。
彼が身勝手な妄念に苛まれたまま死ねば、その魂はどす黒く汚れた渦になりこの美しい星を汚す。そんなことはさせない。私の妻と子どもたちが、まだ長い年月ここで生きるのだ。 精神だけの存在になっても、私は夫であり父親である。
さらなる少年の悲鳴が、漆黒の鎖となって、私をぎりぎりと締め付けてくる。
「僕を褒めて…….僕を認めて……」「生まれ変わるために勉強したんだ……僕が歪んだのは資本主義の学校教育がいけないんだ……..」「…….僕が人殺しになったのは、僕を三回捨てた母ちゃんのせいだ…..」「僕が殺した人たちは、僕のファンなんだ……支持者なんだ…….毎晩ここに来るのは、僕をちやほやしに来るんだ……..」
私に肉体があったら、馬鹿なことを云うな、と叱り飛ばしているところだろう。しかし今の私は、少年の悲鳴と嗚咽でできた黒い妄念に囚われの身。私の形をしたまがい物に、私自身が閉じ込められていて、どうにも抜け出せない。
少年が作ったわたしのまがい物は「なぜ私を殺した?」「私がいったい君に何をした?」「罪を償え」「死を持って贖え」「肉体の寿命ギリギリまで苦しみ続けろ」と、少年を毎晩責め苛んでいた。少年自身の罪の意識がそうさせるのだ。
その苦しみに耐えきれず、私が彼のファンになる、などいった荒唐無稽な逃げ道をも見つけてしまった。
では、戯言にこそ寄り添おう。
実際の私は、通り魔である少年に殺された犯罪被害者だが、彼の希望通りに、彼のファンとして彼の前に現れよう。
以前は、天国と地獄、という考え方が全くピンとこなかった。今はよく分かる。肉体がなくなった時、光として大いなる流れに還ることが天国、死してなお自意識という牢獄につながれたまま生を呪い続けるのが地獄。肉体につながれたまま地上を生きるのは、さながら煉獄の日々だ。
ならばわたしは、少年にとっての、煉獄の炎となろう。私という光で、彼の妄念を内側から焼き尽くし、肉体の寿命が尽きたときに、私と同じような光であるように、少年をきちんと導こう。
たとえどんなに酷いことでも、起きたことは全て最善なのだということを伝えなければ。
私のまがい物と、そこに囚われた私は、依然、閉ざされた扉の前に立っている。扉の向こうの部屋では、少年が膝を抱えてすすり泣いている。
待っていろ、今助けてやる。どんなに時間がかかっても。
私は、私を包むまがい物を動かし、扉を開けてこう言った。
バスケだった気がする。
前期見てた。まぁ普通。とりあえず見る感じ。
頭休めとして気楽に見たいとき用に。
とりあえず見る。
なろう小説。たしかご都合主義。あんまり見たくないけど1話だけ見たい。
前作のOPが大好きだった。ほのぼの系で癒し。脳休めとしてみてた。
絶対見る。
ハーレム系ではなかったはず。
なろう小説。ちょっとご都合主義感は強かった気もするけど、面白かったような。
ハーレム系ではない。
知らないし、名前を聞いたことある気がするから見たい。面白そう。
うーん、どんなのだろう。
とりあえず1話。
たぶん、体格良いんだろうなぁ。
エロ系だと推測
面白そう。でもガールズって点気になる。ロボットものだったら守備範囲外。
面白そう。
1期、2期と見てないけど、見てみたい。内容はざっくり知ってる。
うーん。ギャンブル?
ぜんぜんわからに。
とりあえず1話
最後に読めない字がついてる点でアウト。
続き物で前作を見ていないものなどは見ない。
傘:
作中にてるてるぼうずをぶらさげた傘を振るシーンがある。この傘が黄色いのは2014年香港デモ「雨傘運動」を意識したためだろう。
このデモで傘を用意していたのは、警察が投げ入れてくる催涙ガスに備えるためとのこと。
代々木会館:
作品に登場する廃墟のモデルになった建物だが、「東京の九龍城」と形容されていたらしい。
香港のうち、香港島・九龍以外の部分の地域だ。香港返還は1997年だが、新海誠が自主制作活動を開始したのが1998年頃なので、ペンネームを決めるときに意識した可能性はおおいにありそうな気がしている。
銃:
香港映画といえばガン=カタ...という冗談は置いておいて、私が推すのは武力の象徴という説だ。
島:
主人公帆高が出てきた島は神津島がモデルと言われている。この島が選定された理由としては、都道府県では東京都になること、名前に神木隆之介の神と新津誠の津が入ってることなどが考えられる。
ただ、構想段階では香港島から出てきたという設定も一案としてあったのではないかと想像している。
さて、私が想像する構想段階のプロットはこうだ。2021年、規制が強まり言論が統制されてしまった香港。主人公の森帆高(セン=ファンガオ)は、体制派の父親と折り合いが悪くなり、香港島を飛び出し日本へ渡る。ふとしたきっかけで拳銃を手に入れた帆高。武力があれば故郷の状況を変えられるのではないかと思いつく。表向きは「お守りがわりに」と言いつつ、拳銃を隠し持つが、最終的には愛する人を守るために武力を捨てる決意をする。
ところで、中国政府が香港に対して強気に出られない背景には、てんあんもん事件のときのような世論の悪化を懸念しているからだと言われている。つまり皆が目を向けること、関心をもつこと、それが言論を統制しようとする圧力に対してきっと抑止力となってくれるだろう。