はてなキーワード: 台風一過とは
第一章、第二章とホラー過ぎて怖かった。韓国映画なら祈祷師が呼ばれて悪魔祓いすることになりそう。
予告の映像だとクラス全体、学校全体が何か秘密を隠してる!それは何なんだ!ってスケールが大きそうな話に思えるけど、そんなことなく隠し事してるのは少年2人でこじんまりした物語だった。
で、問題のラストシーン。親と教師が探しにきた時は大雨だったのに、2人が脱出して出てきた時はめちゃめちゃ快晴。これだけなら台風一過かなと思うが、2人が出てきた場所は秘密基地がすぐ見える場所なのに近くにいるはずの親や教師の気配はない。最後は妄想・霊体で駆け回るのかなとも考えられる。火垂るの墓で最後に兄弟が駅をうろつくシーンみたいなことをしているのかなと。
まずニュースにならない。
興津川水系と言って興津川という清流の表水から上水道を取ってるんだが取水口が流木と土砂で埋まった。つまり取り込めないわけ。流石にライフラインなだけあってもう少し上流に予備的取水口があるんだがこいつの送水管が橋ごと折れた。これで万事休す。復旧させるには重機が必要だが水が引かない。道も細い山道であらゆるところが崩落土砂崩れしかかってる。ある程度水が引いて人海戦術で突貫工事しても濁水処理がかなりかかり早くてこの先数日確定、最悪一週間ダメだそうだ。
かなり昔元々この興津川の渇水で計画断水的なことが必要になったことがあって静岡市の安倍川水系ってところから水を引っ張れるシステムをかなりの予算をかけて完成させてるはずなんだが機能せず。ナント海上保安部が巡視船おきつから給水支援に乗り出すほどの大事になってる。給水車も出てくれているが3時に行って4時間待ち宣告をされた人もいる。たった9地点でしか展開できなかったためだ。小学校の非常水開放して長蛇の列ができたり、民家が自前の井戸水開放したり、ビッグ・エスみたいな民間企業が施設開放して助け合ってる。役所に問い合わせたが明日は多少増えるようだが復旧の目処は立たないという。
つーか、これがニュースにならない。なっても一部で断水が起きています。の一言。
おい!静岡市の半分を占める清水区の7〜8割が断水して、コンビニに食べ物も水もなくドラッグストアの棚も空っぽになって給水所に行けない高齢者妊婦乳児を抱える若い夫婦が死活問題で喘いでいるのにツイッタランドで情報発信してる市議さんは一人、情報は市のHPのみ、アクセス集中で開かない。市長も知事も完全放置。超やばい。
巴川系が越堤して街中泥だらけなのにそれを洗い流す水が来ないので台風一過の晴天高温で粉塵になって舞い上がってる。ガラスも釘も転がる道路脇に故障停止した車が放置され水や泥がはけない道には警官が泥だらけになって交通整理や進入停止にしてる。地獄。
なんで報道で流して救いの手を送ってくれないんだ。棄てられた地なのか清水は。気になる人は「清水区 断水」でツイッタランドを検索してください。
一週間断水とか死人が出るんじゃね?助けてください。
住んでいる家から歩いて15分ぐらいのところに砂浜がある。晴れでも曇り空でも、海を見ているとまったく印象は異なるのにどこか気持ちが楽になるので、他にやることも特にないし、暇さえあれば行っている。
今日は台風一過の晴天がまだ続いていて、朝10時ぐらいに浜に着いたら、俺と同じような地元民がけっこう遊びに来ていた。盛夏のような密集した感じではなかったけども、犬を散歩させている人だとか、少年団の水泳教室みたいのとか、俺と同じようなぼんやりした中年みたいな人とかが浜辺に適当に散らかっていて、活況という雰囲気だった。
…
波打ち際で、歩き始めたばっかりという感じの小さい子供とお母さんらしき女性の二人組が遊んでいた。幼児がえっちらおっちら、やじろべえのように左右にバランスを取りながら、右足で地面を踏んだエネルギーを体の左側に、今度は左足で踏んだエネルギーを右側にやるのが見えるようで、そうやって濡れた砂の上を歩いていて、すげーな、と思った。
歩きながら、ちゃんと(というとおかしいが)海の方に向かっていく。
何かしら、原始的に引き寄せられるものがあるんだろうか。まあ、「○○ちゃん、海に行こうか」といって家を出てきたのだろうからはじめからそういう意識なんだろうけど、一つの生命として何か惹かれるものがあるんだとしたら面白いな、と思った。
風が吹いて、水泳教室用に砂浜に積まれていたビート板が舞い上がった。真っ青なビート板が何枚も、白っぽく濡れた砂浜と対比をつくりながら、陽の光を浴びて波打っている海を背景にして幼児の前を舞って流れていった。
子どもは歩くのをやめて、その光景に見入っているように見えた。
もしかするとびっくりして恐怖で固まっていたのかもしれないが、美しいと感じたのかもしれないし、実際、鮮やかな出来事だった。
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そうなんだよ、世界にはこういうことが起きるんだよ、と俺は思う。
俺は30過ぎて世界という言葉の意味が国際的な意味合いでも形而上的にもよくわからないし、それは中年の中でもとりわけぼんやりしている俺自身にも問題があるが、会話がたいして成立しないはずの子どもに向けて語るときだけ、この言葉の正確な部分の一端をつかんだような錯覚を覚える。
それはおおよそのところ、幼稚さをこじらせて自分がよくわからなくなったおっさんのたわ言だが、あえて他の理由を言えば、俺も子どもだったからわかるのだと思う。社会情勢も人間心理のこともわからないが、俺も同じ子どもだったから、ここが美しく印象的なことが起きる場所だということはなんとなくわかる(ということにしている)。
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ちなみに、1~2歳ごろの子ども視力は0.2相当らしい。また、以前、ある絵本の批評を読んでいたら「微妙な色づかいが多すぎて子どもの視覚には伝わらない」というようなことが書いてあった。
こういう具合で、幼児の視界というのは大人が想像するのとは、それこそまるで別世界の可能性がある。ま、そう考えるとやっぱり、上でくどくど書いたことはファンタジーかもしれないな…。
…
乾くのを待ってる間、『ジェイコブス・ラダー』という映画を観たら元気がなくなったので寝た。トータルでは良い休日だったと思う。🦑
○ご飯
朝:フォッカッチャのチーズトースト。トマトとキュウリ切ったやつ。昼:カイワレ大根、ピーマンの塩焼きそば。目玉焼き。夜:豚肉、キャベツ、シメジ、ニンジン、うどんの味噌炒め。おやつ:フルーツゼリー
○調子
午前中は台風がすごかったのだけど午後からは台風一過でいい天気だった。
洗濯物もよく乾く。
明日もいい天気みたいなので、散歩をガチろうと思う。先週雨で断念したのでリベンジだ。
目標は5時起きで始発に乗って電車移動してから散歩。もしくは6時起きで家から散歩のどっちかにしよう。なので今日は早寝。
クレジッタさんを引くことにした。
結果は170連とだいぶ深かった。ただ道中で恒常未所持のタイムトラベルカヤが出たので少しだけ嬉しい。
一応プリコネのガチャはツムギとフェス限を引くルールなのだけど、今回のクレジッタさんは今までにない特別な枠なのでお試しで引いてみた感じ。今後もこういう枠のキャラを引くかは悩んでおく。
ちなみに所属ギルドがちゃんとリッチモンド商工会になってるけど、今後秘書子ちゃんとかも実装されんのかなあ。だとすると、この枠のキャラも抑えたくなるなあ。
○ドラガリアロスト
施設イベントの周回。と言ってもグラブル操作の片手間フルオートだけど。
そろそろルピ不足が深刻化してきた。
ウイークリーミッションの消化と、先日の天井で加入したキャラのレベル上げ。
色々性能見てたけど、バレンタインアグロヴァルとリミテッドイオの組み分けが良さげかな。
バレンタイングリムはリッチ斧二本目より優先しただけあって活躍してもらわないと困るぜ。
○ウマ娘
やっーーーーーーと、ハーフアニバミッションのスタミナ因子2をクリアできた。
配布サポカ集めはモチベの一つなので無事終わってよかったよかった。
Day,0
出発前
ANAのマイルが溜まっていたので、休暇を利用してマレーシアに行くことにした。
なぜマレーシアなのかというと、GWと元号絡みの10連休で韓国に行った時に、「これは非常に国民の同質性の高い国だな」と思い、「次は多様性の高い国に行きたいな」と思ったのと、以前からアジアのイスラム国家に興味があり、ならマレーシアがうってつけなのではないかと思ったからだ。
ニョニャ料理に興味があったのもある。
せっかくだから陸路で行けるシンガポールも行ってみたくなり、さらに予習のつもりで行ったマレー料理屋のママがイポー出身で、激推しされたのも心動かされ、7泊7日の日程でクアラルンプール→マラッカ→シンガポールに入国→クアラルンプールで最終チェックイン→日帰りでイポー→クアラルンプール国際空港から帰国という詰め込みスケジュールとなってしまった。
そんな強行日程なんだが、直前まで緊張感のあるプロジェクトに携わり、出発直前になって台風まで関東を直撃し、出発できるのか心配になったが、台風が巻きで通過してくれたので、フライトに影響はなく、仕事もなんとか終わりが見える形で後輩に留守を引き継いだ。
Day,1
1日目
台風一過の晴天の下、羽田空港国際線ターミナルに向かう。
フライトは23時なので、日が高いうちに向かう必要は本来ないのだが、羽田空港に早めに到着して、ラグビーW杯の日本×スコットランド戦が観たかった。
旅行を計画した時には気づかなかったが、日本の突破がかかる一戦にフライトの日が重なってしまっていた。
旅行に全力を傾けるために観戦を諦めるという選択もあったのだが、いざ大会が始まると、ラグビーの楽しみ方、面白さを伝えたい一心でレビューの投稿などを始めてしまい、おまけに日本代表の大活躍でこの一戦にプール突破がかかる緊迫した状況になってしまい、どうにも観ないわけにはいかなくなってしまった。
羽田空港に早めに行って手荷物預け入れなどを済ませてから、空港に設置されたテレビで観戦してレビューを書いてフライトするというスケジュールになってしまった。
ただでも旅行中は常に記録して旅行記を書きながら過ごしているのに、その上出発前も書き物をするとは、どうものっけから書きっぱなしの旅行になりそうだ。
羽田空港につき、ラグビー観戦にうってつけのモニタのある食事処に陣取ると、一団の外国人がラップトップを持ち込んでウェールズ×ウルグアイ戦を観戦していた。
また、日本戦キックオフが近付くと、モニタに映し出される試合目当てにガタイのいい外国人が続々現れる。
みんな目当ては一緒っぽい。
こちらもモニタはもちろんだが、一応、動画サイトの同時中継を準備して、ダブルモニタ体制で観戦することにした。
この旅行記が投稿される頃には明らかになっているだろうが、日本代表は見事勝利を収め、史上初の決勝トーナメント進出となった。
食堂は大盛り上がりで、レビューにも力が入ったが、そのため出発までがバタバタとしたものとなり、推敲は機内で行う事になった。
あれから10か月が経った。
結局両親は離婚し、父は家を出ていき、見事に家族はバラバラとなった。
わたしは何だか置いてきぼりにされた心境のまんま、モヤモヤとした日々を過ごしていた。
なんとも情けない話だが、深い霧の中にいるような、あるいは泥沼にでもはまったような感じで、どうすればそこから抜け出す事ができるのか、皆目見当がつかないのだ。
そこに台風が襲来。
わたしは、いささか不謹慎だが、それを自分への理由にして、母に電話をしてみた。
久々に話した母の声は、今までになく軽やかな印象だった。
台風前日はスーパーへ買い出しに行き、当日は家に籠ってやり過ごし、今日は友達に会って洪水の話をして来たという。
普段聞きなれないエリアメールが頻繁に来るので、通知音にいちいちびっくりしたわよ、などと楽しそうに話すので、
そうそう、わたしも地震の時は発生が夜だったので、そのあと明け方まで通知音で寝られなかったと、ついノリノリで話にのってしまった。
お見舞いに採れたばかりの南瓜を送るというと、ちょうど買いたかったけど重くて躊躇していたのよ、との返事。
「南瓜大好き」、だって。はしゃいだ声。
わたしは母に救われた。
まず、台風が来る前日の8日昼まで、気象庁は台風が5号を「コンパクト台風」と呼んでいた。小さいが強い台風だから注意と言う意味ではあるが、「コンパクト」の単語が独り歩きしてしまい、国民への注意喚起にならなかった。
それに気づいた気象庁が8日の夕方から「世界が変わる」と言い出して注意喚起と準備を促したが、手遅れだった。台風が来る5時間前にいきなり言われても家の中でじっとすることしかできなかった。
そして台風一過の朝、JRを始めとした各鉄道は大混乱で出勤できない人が大量に発生した。津田沼駅の様子がバズったのも記憶に新しい。この影響で千葉県の職員が県庁や出先機関に出勤できず、台風被害の初動が遅れてしまった。電車が動いてないわけではなかったのだから、情報収集して対策を立てる現場となる千葉県職員を優先的に電車に載せるべきだった。初動が早ければ、被害拡大は防げたはずである。
つまり、台風15号の被害拡大は気象庁と鉄道会社の責任でもある。これは誰も指摘していないが指摘しないとまた次の台風で同じ過ちを犯すだろう。
週明けの朝に台風の関東上陸が予測される金曜の夜、ちょうど月曜に有給をとっていた後輩が言った。
数が限られている有給を消費した日が、実はそれを使うまでもなく休業日になるとしたら、「勿体ない」と考える気持ちも分からなくはない。
でも、きっと状況に左右されず、自分の意思で自分の時間をとって、運命から自分の手にコントロールを取り戻す事が重要なのだ。
笑って答える。
ここ1ヶ月半ほど、将来のための準備、人助け、プレッシャーの強い仕事、突然壊れた自宅のパソコンの買い替えなどで心に余裕がなかった。
この3連休はその毎日から自分を取り戻すため、自分で決めた休業日だ。
この3連休に入れば今週から3週連続3連休だ、その間にペースを取り戻す事を心に決めていた。
土曜、1ヶ月半行けてなかったジムに行き、最近ハマっている認知心理学に関する本を読んだ。
日曜、コレも1ヶ月半行けていなかった足にできたイボの治療で病院に行き、液体窒素をイボに噴射した。
夜、洗濯をする。
テレビつけて、低視聴率に悩んでいると噂のいだてんを見るためにNHKにチャンネルを合わせる。
画面には『の形で台風情報が表示されていたが、まだ雨は降っていなかった。
最近いだてんのあとはTBSに合わせてノーサイドゲーム観るのが日曜の習慣になっている。
ラグビー部のために奮闘する君嶋が宿敵である滝川常務とスタジアムで語らっていた。来週最終回なのが残念だ。
夜半になりベッドに入ると、やがて外から雨音が聞こえだし、漸くとしてそれは激しさを増して窓を打ち付けた。
その激しさに一瞬緊張して目が覚めたが、音というのは激しいものでもその程度が一定ならなれるもので、まどろみに落ちていった。
翌朝、何度か目が覚めたが、その度に二度寝、三度寝を楽しみ、有給の月曜に床から出たのは午前9:30。
台風が通り過ぎたあとの日差しは強く、彼女が巻き上げてきた南洋の風で空気は暑かった。
1時間程、ジムワーク。まだ完全に調子は戻っていないので強度は上がらないが、そのかわりインターバルを短めにとって負荷をあげる。
徐々に戻していこう。
ジムを出て、タンパク質補給の為にペッパーランチでステーキを食う。
肉を焼きながら、会社の連絡用SNSを見ていると、台風の影響で交通機関は混乱、駅は入場規制で、3時間足留めを食った同僚がやっと会社にたどり着いたようだった。
「なあ、見たろ?これで有給取ってなかったらえらい事だぜ?」
週前に愚痴った後輩に心の中で声をかける。