はてなキーワード: 偶像とは
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
人間的な生々しさを排除した売り方が好きな人間が一定数いるからジャニーズもAKBもファンがつくわけで、生身感を出したいならアイドルじゃなく活動するんだと思う
よくできた偶像を演じきれないならアイドル的売り方をしなけりゃいいと思うけど、育ててくれて売り出してくれる事務所のプロデュースに依るものだから、人間味をちょい出した彼女らが急に意思持ち出して反抗して来たみたいに感じるファンもいるんだろうな
書くかどうか凄く迷っているので、匿名のこちらで書かせて頂きます。
先週、ジャンプルーキーで、特別支援系地下アイドルユニット☆ハッピー障害児ガールズ1~3話を読み、感銘を受けて、それについてツイッターでツイートを幾つか投稿しました。
自分は主にオタク系の感想ツイートをしていますが、民俗学が好きなので、本漫画の感想として、柳田民俗学が天皇を偶像(アイドル)として日本を巨大な家族として捉え、それによって、そこに含まれない人々が日本の共同体から排斥された、非柳田民俗学が指摘した問題について書き、排斥された人々である障害を持つ子供達が天皇を目指すというのは、アイドルの包含からハンディを持つ人々が排除される矛盾に対して、排除された人々が自身が偶像となることで止揚を目指す意欲的作品と評価しました。
そうしましたら、それを投稿して次の日あたりから、ツイッターの通知欄が0になり(自分はフォロワーが数千程度でして、通知欄が1日20+ぐらいに毎日なっているのでおかしいと気付いた)、調べたら、シャドウバンというのが行われていることが分かりました(シャドウバンチェッカーで確認)。
すぐにツイッターのヘルプサポートに連絡しましたが、「ツイッターは投稿に問題があると判断した場合はそのアカウントに制限を掛けます」という明白に定型文のコピペ返答が来るだけでして、仕方なく、上記のツイートは全部消して、なるべく平穏なツイートをするようにしていますが、それでも直らないので、ツイッターに触れないようにしています。
シャドウバンされる前の数日の自分のツイートを見直しましたが、天皇について触れたツイート以外はあたりさわりのないツイートで、ツイッターが明示してくれないので分かりませんが、天皇について触れるとセンシティヴな危険な表現とみなされてシャドウバンされるのではないかと思います。学問的に、きちんと礼儀を持ってツイートをしましたが、日本語の「天皇」と「障害」というワードが同じツイートの中に入っているだけで、AIのフィルターに引っかかり、シャドウバンになるのではないかと推察します。
こういった形で、おそらくはツイッターのアルゴリズムにも菊タブーが存在するということに非常にショックを受けています。一週間以上経ちましたが、いまだに、Search Suggestion Banだけ解除されない形です。
気温が下がりエアコンなしでも快適に過ごせる朝夕の時間帯に、近所から男性の裏声で会話する声が聞こえてくる
夏の暑い盛りや冬の凍えるような日には窓ガラスによって遮断されていた声が、この時期の心地よい風を入れてくれる網戸を通り抜けて聞こえるのだろう
まるで男性が考える女性のような上目遣いな声と内容と抑揚は、女性になりたい男性、過去の表現でいうところの「オカマ」な風合いを醸していて、聞き苦しい上に率直に気持ちが悪い
誰かと会話をしているような内容なのだが、聞こえてくるのは近所付き合いを拒絶するアラフォー男性が一人で暮らす部屋からで、彼の風体を知っていることもあり、気色の悪さに拍車がかかる
もしかすると何かしらの配信サービスで生配信をしているのかもしれない
そうなると、ボイチェンなどで声を加工していたりするのだろう
そして、正体を知らない画面越しの誰かは、声や会話と画面に表示されるイラストなどから可愛らしい女性を想像し、少なくない金銭を投じているかもしれない
と、書いている時に「今日はもう眠くなっちゃったぁー!次はまた火曜日か水曜日かなぁ?それじゃあみんなバイバーイ!」という裏声が聞こえ、代わりに秋の虫の声が響き始めた
姿形を想像力で補って、都合のよい偶像を生み出して、月曜日の仕事への活力へしている人もいるだろうが、ひどく手荒い詐欺を見ているようで、さらに嫌悪感が募る日々だ
アイドルが熱愛発覚して炎上、アイドルを推していたファンの絶望の話。
登場するのは「君」と「私」。「君」というのが男性アイドル。「私」がそのファン(オタク)。
“君のイヤホンがまた絡まっている“
→君のイヤホンとは「私が所持している君専用のイヤホン=私が集めている推しアイドルに関する情報」
それが絡まるということは「推しの情報について、理解し難い情報があった」
“重い髪が揺れる反重力”
私は今まで推しの一方の面(偶像としてのアイドル)しか見ていなかった。その推しの別の面(生身の男性)が見えてしまう。
綺麗だけれど、別の面を見るのが怖いから振り返るのを止めたい。
“君が思うよりも夜は長い”
→アイドルが思っているより、ファンのオタクはダメージを受ける。
“反重力? なんてね嘘だ All you need is money もう詮索しないで”
→アイドルの別の一面が見えるのはいいことだと思ったけど、そんなことなかった。ガチ恋していた。
どうせアイドルはファンのこと金だと思ってるでしょ。そうだよ、だから「生身の男性」ではなく「偶像のアイドル」でいてよ。
“私もまだ何も知らないの?”
→アイドルについて調べ尽くしていたはずだが、アイドルが偶像ではなく「生身の男性」であることをまざまざと突きつけられる。
私「も」と言っているのは、世間が推しアイドルの交際情報を知っていくのと同じ粒度で、自分も推しの交際情報を知っていくから。
世間よりも詳しいと思っていたのに、自分は世間と同じくらいしか推しアイドルを知らなかった。
“君の前では笑顔でいたかった ブルーライト反射する眼球が 見えない君を探す”
ネットを探して、自分が好だった頃の(交際発覚前の)アイドルを探す。
でももういない。
“君のイヤホンはまだ絡まっている”
“バカなフリしてどこを見てるの 君囲む鉤括弧 愛してるってそれ誰のこと 勝手すぎて今更遅い”
→電車の中刷広告で炎上が取り上げられる「人気アイドルグループXXの『苗字名前』熱愛発覚! お相手は某人気モデル?」みたいな記事?
“痛いの痛いのが飛んでかないんだ 君が思うほど優しくはない”
→ファンはアイドルが思うほど心が広くない。熱愛報道で心が疲れてしまった。
→清廉潔白を求めるわけではないけれど、せめて嘘をついてほしかった。一人の男ではなく、アイドルでいてほしかった。
“君に似た顔の化身が笑う声を聞いた”
→おそらくアイドルの結婚の記者会見。アイドルは笑顔で結婚指輪を見せる。
推しが死んだ。
死んだ、というのには語弊がある。彼はただ私たちには観測できなくなっただけでこの世界に生きている。名前を出していいのか分からないのでぼかしたが、先日活動を終了した某vtuberのことである。
私が彼を観測し始めたのはちょうど活動終了を発表した頃で、リアルタイムで追っていたのはわずか数週間にすぎない。グッズだってボイスだって僅かながら出ていたものを集めただけで、推しと呼ぶにはあまりにも些細なものかもしれないが、便宜上推しと呼ばせてもらう。
そのほんの短い一ヶ月の間に私は彼に落ちた。配信もリアルタイムで追える時は追っていたし追えなくてもアーカイブを見た。彼を描く真似事までした。けれど彼は逝ってしまった。生きる、という言葉と無数のアーカイブだけを残して。
正直居なくなったことに実感はわかなかった。私は新規のオタクだから彼のチャンネルには無数の未視聴のアーカイブが残っていたしそれを見ていればまたたくまにおすすめが彼のアーカイブや切り抜きで埋まった。初めての彼に触れることはそう難しいことではなかった。
それと同時に私は中の人にも興味を持った。vという文化の中で中の人の話をするのはタブーと言われているが、私は彼の中身に興味があったからだ。彼の中身は一ヶ月ほど活動をしておらず、それから稼働し始めた。新しいアーカイブ、新しい情報。中の人とvは違うのはわかっていたが、それはそれで楽しかった。
だけど最近になって彼の引退後の動画が二本立て続けに公開され、彼のいないまま誕生日を迎えた。新規の彼はもう摂取できないという悲しみと、けれどやっぱり動く彼は可愛くてひたすらに筆をとった。そして誕生日が来た。
私も数日前から用意をして、投稿して、無数の作者が彼を描いて、楽しかった、楽しかったはずなのに。彼の箱内の人物は誰も彼の誕生日に言及しない。辛うじて一つだけRTされたイラストがあったのみだ。彼の誕生日は確かに祝われている。しかしそこには祝われる対象であるはずの彼が存在せず、主役不在のまま私たちは祭りを続けた。
何をやっているんだろう、と思った。彼はもういないのに、一体何にすがろうとしているんだろう。新規の私でもこんななのに、昔から界隈にいた方は辛かったに違いない。実際、青鳥のTLでは喜びや感謝と共に彼が居ない苦しみや悲しみが吐露されていた。
ぷつんと糸が途切れたのは、中の人と呼ばれる人が配信を始めた時だった。私はそこに居られなくなり携帯を閉じて一人悶々としていた。中の人がいるのは初めからわかっている。インターネットの海に彼は存在しない。わかっていた、わかっていたはずなのに。
多分私が彼が死んだのだと理解したのはその時だったように思う。生きると言った彼を死んだと表現するのは不謹慎だし許されることではないのかもしれないが、彼はもうここにはいないのだ。私たちが祝っていた彼の誕生日はなんの晴れやかな日でもなかった。
とりあえず、私は中の人を追うのを辞めようと思う。そもそも、中の人に彼の偶像を求めるのが間違いだったのだ。彼は彼でしかない。中の人は中の人でしかない。わかってはいたはずなのに、わかっていなかった。
正直、あんなにたくさんあるアーカイブも、今もまだ亡霊になってしまう私たちや、これから彼を知る人にとって惨いと思う。あれがなければ私はとっくに彼を探そうとするのを辞めていた。だけど彼が好きだから消されたら困る。あまりにも矛盾している。
明日には前言撤回しているのかもしれないが、とりあえず決意を込めて。匿名だからとタブーに触れてしまったかもしれないのは本当に申し訳ないと思っている。誕生日おめでとう。素直に祝えなくてごめん。ケーキは勝手に食った。
俺は二人のトークの面白さと動画の展開が面白くて見ていたんだけど、ふとツイッターで検索すると二人のファンアートが滅茶苦茶あった。
けれど、オモコロのMADを見たときも同じ感情を抱いたが、実際の人間をまるでアニメのようにキャラクターとして扱うのを見ると、そういうことじゃないんだよな、となる。
なぜなのか。
オモコロや匿名ラジオではキャストは自分と目線が同じなのに、キャラクター化することで偶像化して一段上の存在になるように思えるからである。
もっとわかりやすく言うと、一緒に酒飲んでるけど横で聞いてるイメージが、「推し」としてステージ上にいるのを見てるイメージとなってしまう。
そこでは、面白さだけでなく、可愛さのようなものが求められているような気がする。
でも公式でもそういう層に狙ったグッズ売ってるし、ファンイベントでなんの奇を衒うでもなく青春アミーゴ歌い始めるのも最早そういう層狙ってると思う。
そう思って以来、本編ではそんな匂いはしないにも関わらず、匿名ラジオ見ててもそういうことが頭に浮かんで素直に楽しめなくなって悲しい。
俺は可愛さは求めていないぞ、と一人で思っても空しい。
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②愚民が見つけ祀り上げる
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⑦飽きてまた別の教祖に縋り付く
このムーブに対してどういう対応をすれば良いのか未だに答えが見つからない
⑤まで行ったとしても⑥が無いなら許せるかもしれん。⑥があるから⑤も許せなくなる。
⑦も厄介でマジョリティーになりたがる人間がいる以上この輪廻は抑えられない
⑤に関しては公共物に結びつかれると成すすべがなく、電車の中吊り広告になんてなられたら不味い。
現に山手線に乗りたくなくなっている。今月末に定期が切れるため別の路線で乗車を試みる予定だ。
ただ過剰反応すべきでないことも分かっている。無視が一番。ただ全員が無視すると愚者の世界になってしまう。
結局これは山上みたいな人間が毎回現れてくれるのが一番いいのかもしれん。日傘男とかいう半端な人間がチャンスを奪ったのかもしれんが。