はてなキーワード: メソッドとは
自己肯定感なんてつけるのは全く簡単で毎日「俺はえらーい最高!」「今日も概ねよく生きてました!」「なんかいい感じー」って呟いていれば身につくんだよ。
むしろ問題は別のところにあって、この手法で身につかないってのは、このメソッドそのものがダメなわけじゃなくて、その当人の中に「自己肯定をする(しすぎ)はまずい」みたいな、変なストッパーがあるせいだよ。
そのストッパーがあるせいで「よくできたー俺最高!」ってつぶやく(自己催眠)の効果が十全に現れないってのもあるし、もっと手前の問題として「よくできたー俺最高!」って呟く高位そのものをバカバカしく感じたり、くだらなく思えたり、危険に感じたりもする。
おそらくこういう書き込みをすると、「そういう変な自信をつけると足元をすくわれる」とか「暴走してまずいことをしでかしたらどうする?」とか「自己批判は成長に必要だ」とか賢しげなレスがつくと思うんだけど、じゃあ、いい年した成人になったのに何をするにも自信が持てなくて、自責の念で一歩も動けずに、布団の中で芋虫みたいにまるまって、どうしてこの世に生まれてきちゃったんだろう? って泣きながら仕事をするでもなく、かと言って自殺も出来ずに、履歴書の空白だけを延長していくような人生において、そういう「賢いアドバイス」が何をしてくれるかって言えば、「黙ってそこで死ねよ」以上の声ではない。
そもそもその「自信持って生きてはいけない」「謙虚でなければいけない」「天狗になるな」「和を乱すな」みたいなのが、日本の社会による幼少時からの同調教育だ。繊細で真に受けちゃうタイプの人間にとって、現代日本では自己肯定感が欠乏する方が当たり前だよ。
だから、変な罪悪感なんて持たずに、「本日はなかなか良いことしました」「昨日よりましでした!」「ちゃんと手を動かしたぞー」って毎日呟いて生きていいんだよ。天狗になったら大バンザイだ。天狗になっていいんだよ。他人を褒められる天狗ならもっと最高だ。周囲の人間を褒めて生きていけばいいよ。
あと、上記のような理屈なので、他人を否定ばっかする人(そういうコミュニティや社会)からは、距離取ったほうがいいよ。自己肯定感を増やす速度よりも、減少する速度が大きい環境では、当たり前だけど、自己肯定感の増加を観測することは出来ないよ。そういう意味でも、毒親 with 実家暮らしとか脱出すべきだよねー。
「話の広げ方」なんてメソッドがあるのか??
俺自身はメソッドというものはもってないけど、振り返ればどこいってもそこそこ盛り上がるのは自分のなかでテッパン的な話をすることだなー。
その子相手じゃなくてもいい感じに広がった例みたいのをストックしといて使いまわすのがラクかなーと思うよ。
その場合、自分の領域で自分発信の話をすることになる。幅広くストックしておけば女の子の興味とかさなる話題があるかもね。
巷に氾濫してる恋愛ノウハウ系の情報(「好きバレ」は絶対NG的な)に踊らされてた。
出し方は考えないといけないだろうけどなー。
好きバレしすぎは重くなるからな、特に思いつめる系の経験値低いやつにはNGと言っておくのが正解なのかも知れん。そういうやつはどうせバレる。
ただ、ガールズバーというシチュエーションで隠しすぎるのは不自然だと思う。人物像というか行動原理が一貫してるというのは安心感を生むよ。
第一印象は間違えてない…と思う…意図はさておきLINE聞かれたのはこっちからじゃなくむこうからだから。(大した判断材料にならないけど)
相手が興味ある話題はわかってるんだけど、自分ではどうしても面白いと思えないもので、いくら調べて情報仕入れても付け焼刃的で不完全燃焼にしかならず、結果話も広がらず盛り上がらない。
「話の広げ方」なんてメソッドがあるのか??
これは恥ずかしながら目からうろこ。
巷に氾濫してる恋愛ノウハウ系の情報(「好きバレ」は絶対NG的な)に踊らされてた。
出し方は考えないといけないだろうけどなー。
遠回しにお前の顔が怖いというメソッドすこ
機会価値への投資に保障を求めたり安定を求めると諦めしかないぞ。
生まれてくる子供が将来大成功して金持ちになるかその全く逆かはわからないが莫大な投資をするだろ。
それを見抜いて中絶したりすることは正しいのか。
占いと刺して変わらないメソッドなわけで、実質判断する本人の運次第だと言える。
他人がどうなるかは特に問題ではない、他人がどうなっている状態に自分がどういう関係でそこに存在するかという時点を見極めて投資をするその機会に価値をもつのが占いなわけで、まさに当人の運次第ということだ。
他人がどう動くかをきちりと言い当てることができるほどに運がよいならその見抜く願力は頼りになるかもしれんが、自分のなり振る舞いだけで手一杯の人間はどのような状態であるときはどう過ごすかを方針だてることが最適だろう。
よい人脈が足りていないと感じるのであれば運がないのに自分の背中を安易に他人にあづけないことだ。
人脈に恵まれていると感じるのならば人に任せる領分を自分でわきまえることだ。
自炊派で、そこそこ満足感のあるものを食いたいが、めんどくせえ。
豚バラの切り落とし:100gもあれば充分
キムチ:お好み。多めが旨い。
タマネギ:小半個
ニンニク:ひとかけ
コショウ:ホールが10粒もあれば最高。なくても成り立つがあれば香りが面白い。
酒:適当。大さじ2杯くらい?
砂糖:小さじ半分〜1杯。重要。甘くなるまで入れる必要はないが、全くいれないと味が単調になる。
醤油:小さじ半分だけど雑でも良い。極端な入れ過ぎだけは気をつける。
準備
タマネギをくし切り
もう焼くぞ
1:サラダ油にニンニク、ショウガ、コショウを入れて火にかける
3:焦げない程度に火が通ったらバラ肉投入
4:バラ肉の表面が大体白くなったら、酒、砂糖を入れてキムチ投入
5:火が回ったら、味を見て、塩味が足りなければしょうゆを、コクが足りなければトウチジャンを入れる。
6:出た汁をすこし詰めて、一混ぜして完成。
ストライクゾーンを外れても「ちょっと甘すぎた」とか「すこし単調だな」位で収まる。
「葉野菜の漬け物を豚と合わせる」メソッドは以外と応用がきき、
ディズニーはキャラクターに近い見た目やバックグラウンドを持ったタレントを起用する傾向がある。
バイプレイヤーであることが求められる舞台俳優は、個性が弱いから選ばれにくいのだろう。
ディズニーのキャスティングがこうなるのは、メソッド演技法といって、自らの経験や感覚と演じるシーンを照らし合わせる方法論がハリウッドでは主流だからかもしれない。
anond:20180211004603 の続き。
ラジオに出演した時のMCからはその作品傾向を「追い詰められて感情大爆発。号泣して、気がつく、みたいな。そのパターン多い」と評されていた。
【参考】
過激に盛り上げて泣かせ(感動させ)にくる作風であるのは間違いないだろう。わかりやすいのだろうとも思う。そして、そうした「感動商法」やそれを良い話として「子供に押し付ける」ことに嫌悪を示す人もいる。
【参考】
【参考】
「このママにきーめた!」は胎内記憶を持つ子供との会話から生まれたと当人も言及しており、その子供と出会った経緯には「胎内記憶教育協会」が関わっていると見られている。この組織では子どもたちが語る胎内記憶の調査研究に基づき、赤ちゃんや子どもたちと一緒につくった教育メソッドで、大人も子どもたちも共にしあわせになる「胎内記憶教育」(人生最初のお腹の中から始める教育法)」を推進しているそうである。
【参考】
なお、この組織の代表である池川明氏は一般財団法人「親学推進協会」の特別委員も務めてる。「親学」についてはその考えが「非科学的」として批判の声も多い。
【参考】
内閣府子ども・子育て支援制度「すくすくジャパン」に関わっているという情報があり、調べてみたところ、シンボルマークのイラストを描いているということだった。
【参考】
経緯は以下のようになっているが、スピリチュアルな傾向のある彼と政府とのつながりを懸念する声もちらほらあるようだ。
「総合評価方式により選定された代理店に複数案の作成を依頼。専門的な意見を聴くため、コピーライターのこやま淳子さん、シンガーソングライターの新沢としひこさん、アートディレクターの永井一史さん、子育て支援に取り組むNPO法人代表の松田妙子さんをメンバーとする検討委員会を開催。併せて幅広い意見を聴くため、一般の方を対象にした調査も実施。一般調査の結果等も踏まえ、検討委員会での議論を元に内閣府において決定。」
何であれ悪人が罪を償って社会復帰する事は悪いことじゃないと思うんだが
もちろん、ヤンキー先生みたいな例は俺も糞だと思うんだが、実際は過去を鼻にかけることも無くまっとうに働いてる人もいるわけで、なんかそういうのまで親の仇のように叩きまくる流れは正直引く
あとよく言われる「世間は更生したヤンキーには甘いのに引きこもりの社会復帰には冷たい」みたいな意見だけど、俺の見た範囲じゃ更生ヤンキーに優しい人は更生引きこもりにも優しいことが多いよ
そもそも日本全体に現状が立派であろうと過去の過ちがあるかぎり絶対に許さないみたいな空気が蔓延してるようにも思う
レールから外れた人を復帰させるってのは引きこもりでもヤンキーでも同等なんじゃないかな…
最後に多分こういう反論があると思う「ヤンキーは世渡り上手でお前の言う本当に落ちこぼれたやつは少ない」おそらくそれは認知バイアスです
自分が子供のころ見ていたコンテンツは、ほとんどがジャンプメソッドだった。
強い敵が現れて最初は負けるんだけど、特訓して凄い能力を身につけて倒す。
ドラゴンボールもドラゴンクエストもキャプテン翼も幽遊白書もGS三神も
スポーツもファンタジーも恋愛ものも「修行(努力)→成功」っていうライン。
今は自分はダメで未熟だけどすげーー修行すればすげー成功を納める。
って刷り込まれて信じてたように思うし、
今でも自分の行動理念のどっかに染み付いてるんじゃないかと思う。
でも、不景気とかやりがい搾取とか格差社会とかで、努力が報われなくなった。
修行したら夢が叶う物語を信じて、討ち死にした人たちを見て、信じられなくなった。
転生先で俺 TSUEEEという物語で育った人らは、どういう行動理念になるんだろうね。
N予備校のプログラミング入門Webアプリの有料コースまでやってみた
プログラミング経験がなくても大丈夫!みたいな体で書いてるが、絶対無理。
オブジェクト指向の説明もないまま、ガンガンオブジェクト指向プログラミングさせてたり、
環境構築でBIOS立ち上げる必要があったり、よっぽど主体的に取り組まないとまずついていけない。
動画はあまり見てないが、テキストの解説はお世辞にも丁寧とは言えない。
ただ実践的な内容ではあるので、初級者が次のステップを目指すにはいい教材だと思う。
むしろそういう教材は貴重だと思うので、
> N予備校で学びを始める際に、プログラミングの前提知識は一切不要です。
みたいな誇大宣伝さえなければ良かったと思う。