はてなキーワード: ビッグハットとは
一部の報道機関より出馬の動向が報じられると、レギュラー番組を放送していたテレビ局は番組を終了しホームページ等もすべて削除した。ラジオ局は松山を降板させて4月からの新番組のパーソナリティを一ヵ月前倒しで後任にした。
3月21日、松山は会見で出馬表明し、「信州を誇れる場所にしたい」と決意を語った[17][18]。
同年6月22日、第26回参議院議員通常選挙が公示される。コンサートツアーの最中であった松山千春は三四六の応援に駆け付け、ビッグハット前で「大空と大地の中で」の一節を歌った。その後、松本駅前の街頭演説でも歌を披露し、喝采を浴びた[31]。松山千春の歌の披露は公職選挙法違反の疑いがあることが、新聞各紙および週刊文春[31]、各種スポーツ紙によって報じられた。また、22日の公示日は、妻の網浜直子と大学生の息子2人[32][33]が東京から駆けつけ、演説会後には、女性を中心とする松山のファンらが一家を囲んで握手攻めとなった[10]。
この辺りから各社の多くは「杉尾と松山が横一線」と報道。松山が抜け出す勢いがあった。演説会場には、陣営がチームカラーにしていた黄色の衣類を身につけた人が多く集まった。大半が三四六のファンで、1日に100件ほどの電話をかけることも厭わなかった[12]。網浜は公示日以後は松山と分かれて県内の支援者を回り、選対幹部は「家族の絆から応援の熱伝導が起きている」と手応えを口にした[10]。勝機と見た党本部は大物議員を続々と投入した[2]。7月4日には岸田文雄首相が長野入りし「日本の明日を切り拓くことができるのは、自公政権と松山三四六しかいない」と街宣車から訴えた[34]。
- 2012年8月、松山は過去に知人の結婚式で会った女性(前述の女性とは別の女性)と再会。連絡先を交換し、当時定宿にしていたホテルサンルート長野のレストランで女性と会食した。食事後、松山は上層階の自身が泊まる部屋に女性を誘い、避妊具を装着せずに性交した。女性は妊娠し、同年10月24日、松山は人工妊娠中絶同意書に偽名で署名した。松山の事務所は週刊文春編集部の質問状に対し、「人工妊娠中絶同意書に『秦純一』との署名をし、捺印し、現金15万円を渡したのは事実」と回答した[35]。
- 2010年に松山は東京都江戸川区に自宅を新築。その際に空調や電気などの機器購入を長野市内の業者に依頼。代金は1400万円だったが、最初の500万円を払った後は請求に応じなかった。未払い金900万円を踏み倒した松山は裁判で訴えられ、敗訴した[36]。
2誌の記事により一気に潮流が変わった。7月6日夜、松本市内で個人演説会が開かれ、演説会の終了後、記者が松山に質問。2誌の報道内容については事実と認めたが、「今は選挙に集中させていただきたい。すみません」と答えた。同日23時過ぎ、松山はツイッターを更新し「この度の報道に関しまして、選挙後の然るべきタイミングで取材対応したいと考えております」と書いた[37]。杉尾の応援演説のため、7日に佐久市を訪れた立憲民主党代表代行の逢坂誠二は「選挙というのは人を選ぶその評価なのだから、今ここでそのことを明確にしてもらわなかったら、逃げだ。卑怯だ」と批判した[38]。そのほかでも、松山のコメントに対する風当たりは強かった[2]。
与野党激戦区の応援で全国を回っていた安倍晋三は、7月8日夕方に長野駅前で街頭演説をする予定であった[39][注 3]。自民党は週刊誌報道を受け、7日、安倍の長野入りを取り止め、遊説先を長野から奈良に急遽変更した[39][41][42][43]。同日12時50分頃、自民党奈良県支部連合会は、奈良県警察にその旨を伝えた[44][45]。同日午後、9日の岸田の長野来援もキャンセルされた[2]。
チェコと日本でスポーツと聞くと、きわめて個人的ではあるが思い出すエピソードがある。
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もう何年も前の話になるが、勤務先にチェコの大学院生のK君がインターンシップで来たことがあった。
留学している訳ではないので、日本の滞在期間は短いインターンの期間中だけ。
K君は囲碁が趣味だと言うので、実家にあった碁盤を会社に持って行って昼休みに対局してみた。
簡単に負かされた。私は級位者だが彼は初段くらいはありそうだった。囲碁が普及していない欧州ではおそらくは相当な強豪だろうと思った。
「いつもネット対局しかしないので、本物の碁石と碁盤を使うのは初めてです」とK君は言っていた。
そんなK君が貴重な週末を使って、一人で新幹線に乗り長野へ旅行するという。
「えっじゃあどこ?」「エムウェーブです」
「えっえっえっエムウェーブ!!!!????」
名前を聞いたことがあっても、その場所がスケート場だとは知っていても、実際に行ったことがある人は少ないだろう。
思わずどもってしまったが、K君は学究肌でインドアタイプの好青年。とてもスケートを好んでやるような人物には見えない。
長野駅に降り立ったK君は、外国人観光客が必ず行くであろう有名スポットはガン無視してエムウェーブの建物の前まで直行し、そこで撮った自撮り写真を本国の友達に送った。
すると彼らからは
「SUGEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!」
という称賛の声が大量に返ってきたという。
そしてK君は、エムウェーブ以外のどこにも寄らずにまた新幹線に乗って、滞在している宿泊施設まで帰った。
この話をしたときのK君が、とても嬉しそうだったのが今でも印象に残っている。
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以下はK君によるエムウェーブについての説明と、後日私が調べた結果から事実関係を再構成したものである。
1998年の長野五輪は、チェコにとって分離独立してから2回目のオリンピックだった。
チェコのアイスホッケーの代表が、この長野市内にあるエムウェーブで戦ったのだ。(追記あり)
当時のアイスホッケーの強豪国はNHL選手を多く抱える米国とカナダ、それからロシアの3国。
ところが予選を勝ち抜いたチェコ代表は決勝トーナメントでも快進撃を続け、準々決勝で米国、準決勝でカナダと難敵を次々と倒していく。
そして決勝で当たったのが、チェコにとって何かと因縁のあるロシアである。
因縁の理由は長くなるのでここでは説明しないが、気になる人は例えば「プラハの春」でぐぐってみるといい。
本国では国を挙げての大騒ぎとなった。
長野五輪では、アイスホッケーの決勝戦は北米への中継を想定して試合時間が決められた。欧州では早朝だ。
急遽、首都プラハの市民広場に大スクリーンが用意された。2月の寒い日だったが、夜明け前から何万人もの市民が集まってきた。ちなみにプラハの人口は120万人。
チェコが優勢だ。貴重な先制点を挙げた。
1-0のまま第3ピリオドが終了した。
https://www.youtube.com/watch?v=YtbtqMHe7to
この一戦はチェコでは語り草となった。
プラハ市内に「Nagano 1998」という名前のスポーツバーが開店したくらいだ。
この店はその後も長らく営業を続けていたが、残念ながらコロナ禍で閉店してしまったようだ。
ここまでの話は、私もK君に聞かされるまで全く知らなかった。
長野五輪でチェコが優勝したのは当時のNHKのダイジェスト番組で見たような記憶がかすかにあるが、その後完全に忘却していた。
チェコのTV局が野球中継をするのは今回のWBCが初めてだそうだが、Nagano 1998がもしまだ営業していれば観に来る客も多かったのではないだろうか。
日本でこのエピソードをご存じの方が一体どれだけいるだろうか。
追記: アイスホッケーの会場はエムウェーブではなくビッグハットだったらしい。K君は確かにエムウェーブと言っていたが、それが事実かどうかまでは調べてなかった。彼が会場を間違えたのか、会場の名前を間違えたのかは今となってはわからない。間違いを指摘できない日本人も含めて笑ってくれ。
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笑って笑って
ダークソウルっていったらあれだ。俺にPS3を買わせた作品だ。
当時、自分は「PS2で十分でしょう。PS2の方が面白いゲームいっぱいあるし。」とか言っていた。てか、当時はそういう奴がいっぱい居た。
俺がPS3をはじめて触ったのは大学生になって大学の友人が大学の近くに居を構えて、働きたくないと考えて進学したバカ5人が20歳を越えて、そのワンルームで毎日のようにくだらく集い、馬鹿騒ぎをしていた頃だ。
友人が「めちゃくちゃおもしれぇゲームを買った。」といった。それが、今年の二月に惜しまれながらオンラインサーバーが閉じたデモンズソウルというゲームだった。
4人はその友人のプレーを見つつ「何回も同じ死に方してるんじゃないよ」だとか、「お前ほんとゲーム下手だな」と笑いながらプレーをしていた。
彼は、ガンダムVSガンダム NEXT PLUSで5人の中で自分の次に強かった。なのでアクションゲームは得意なのはずなのだが、彼が操るキャラクターは慎重で、おおよそスタイリッシュとは言えない動きをしていた。
彼は「なら、増田くんがやってくれ。このゲームがどれだけ難しいかわかる。」と言われ、夜中の1時、酒も廻りに回って周りがグダグダしていた時刻に自分は友人からノーアドバイスでキャラメイクを開始した。忘れもしない。
選んだのは「貴族」だ。レイピアを持っているのが気に入った。自分は当時の2chコピペで「レイピア」を「レイパア」というのが流行ったせいでレイピアが好きになっていた。
ゲームを開始する。説明を読みながら進める。青目の騎士を戦う時、友人はなにも言わない。拡散の尖兵と戦う時、友人は「お前はこいつに負ける」と言い出す。自分は「馬鹿なこと言っちゃいけない。このゲームの本質はわかった。モンハンのようなアクションにみせかけたターンバトルだ。」といううちに自分は尖兵に一発を喰らって負けたのだ。友人は笑っていた。
そこから、酒の酔も冷め、起きているのは自分と友人で金曜日の夜から日曜日の昼までひたすらにナビ友人、プレー自分でデモンズソウルをして、一周終わらせたのだった。
その友人から「デモンズソウルの続編がでる」と聞かされたのは社会人になったばかりの頃だった。
働きだして初任給を貰った時、「これだけあればPS3とダークソウルが買えるのではないか」と考え、働きたくない思い全てをこのダークソウルに託して初仕事をこなしていったものだ。
サービス開始したダークソウルは、まさしく「ダクソ」であった。
デモンズソウルの良さが全て失われたオンラインシステムに憤慨した。
まず、オンラインプレイなんてできないレベルでサインが見えない。そもそも発売後1週間はオフラインプレイ強制だったはずだ。間違いない、自分は2日目あたりでオーンスタインとスモウというダークソウルの難関と呼ばれるボスで、レイピアと弓を巧みに使い、いや、実際はスモウが倒れた後のオーンスタインが柱に引っかかり、遠距離雷しかしてこなくなったおかげで、弓でチクチクとダメージを与えて勝った。「オンラインプレイさえあれば」と何回も思ったものだ。このオーンスタインとスモウに3日間進行をストップさせられたのだ。友人はその頃「病み村が越せねぇ、しかも戻れねぇ、詰んだ」と言っていた。
友人に「手伝ってくれ」と言われてレベルをあわせたキャラを再度作り、サインを書くがマッチングまでによくて15分かかる。
それでも、自分がダークソウルをひたすら何周もしたのはストーリーが良かった。
一周目は楽しむことすらできなかったストーリーだが、情報が揃ってきて、NPCの腹の中がわかると、自分の作ったキャラクターの世界が広がったようでワクワクした。
ちなみに一番好きなNPCはローガンだ。彼はおおよそオビ=ワン・ケノービめいた賢者として書かれるが最後は神の智慧を身に着けて、服を脱ぎ去り狂ってしまう。しかし、主人公に分け与えた神の智慧により一撃で討たれてしまう。可愛そうで一番ダークソウルらしいキャラだと思う。ダークソウルでは、主人公に友好的であればあるほど狂人となってしまうのだ。悲しいね。
全く飽きる事もなくやりこんでいたらその一年後、DLCがでた。いや、まずは先行でPC版(DLC内包)がでた。
日本ではおま国で変えなかったが、ロシアのシリアルをロシアの販売サイトで買い認証させて無理やり始めた。PCでは、慣れないXBOXのコントローラーを使い、☓と○が逆なのを有志が作ってくれたmodで解消し、これまた有志が作ったmodで画質を上げてプレイした。
正直言って震えた。DLC部分だ。正直に言うと、オーンスタインとスモウは、上述の経緯から完全に自分のトラウマであり、敵であった。四騎士の物語は考察を読むが「シフがかわいそう(小並感)」ぐらいの感想しか抱かない程度に敵視していた。
深淵歩きのアルトリウス。DLCは彼にスポットが当たった。DLCをやり終わった後、自分にあったのは深い四騎士への愛情だった。
あんだけ敵だと思っていた四騎士も、結局は自分がいいと思うことをしているに過ぎなかった。アルトリウスはウーラシールを深淵から救うため、オーンスタインはそうやって得た平穏を守り、グウィン王の意思に従った。キアランとゴーはなんかしてた。
よく考えたら無数に借り続けたオーンスタインとスモウ。オーンスタインが死んだ時、スモウはためらいなくオーンスタインの力を吸い自分を強化するが、オーンスタインはスモウが倒れた時、そっと駆け寄り、兜で顔は見せないが悲しむようにうつむく。そして、意を決して力を奪い取るのだ。王女の間へ行く資格をプレイヤーがもつか試すために。
アルトリウスは主人公が相対するとき、完全に深淵に取り込まれ、左手を失った狂人として戦う。その強さは凄まじいもので、今まで属性武器や呪術に頼った人間ほど苦しめられる耐久と素早さをもっていた。オーンスタイン以上である。しかし、彼とシフの関係。深淵歩きの逸話、そして、DLCをクリアした後のシフとの戦いでプレイヤーの心は「フロム許せねぇ」という域まで生き身体は闘争を求め、ACの新作が出た。
完全に四騎士、特にオーンスタインとアルトリウスに心を奪われた自分はコスプレキャラを作り、わずかに拾われる可能性がありそうなDLCエリアにサインを出しまくったものだった。
ダークソウル2のファンには申し訳ないが、自分はダークソウル2が受け入れられなかった。
四騎士、特にアルトリウスとオーンスタインの扱いが「お前らコイツら好きだろ?サービスして提供してやる」といったような雑な扱われ方されたのが一番うんざりしたが、自分が思想を巡らせたダークソウルの世界が完全にフロム側にいいように利用されたような気がした。
ゲーム内容は面白かった。多くの武器に多くのアクション。大味で迫力のある魔法と、ステータス重視のアクション性ははっきりいって面白い。ダークソウル2は好きな人がいるのも頷けるほどゲーム内容はよいからだ。
でも、ブラッドボーンは好きだ。ダークソウルと共通点を見出すなら、ブラッドボーンもダークソウルと同じく、主人公に友好的であればあるほど後半にひどい目にあうのだ。正直、主人公以外救われていない。これがフロムのやり方なんだなと安心した。
ダークソウル3は2よりマシだ。
まだ、四騎士が匂わせる程度で済んでいる。なんというか、自分みたいなめんどくさいファンに配慮してか、批判を避けるためか、四騎士はフレーバーとなった。しかし、ダークソウルにガッツリと関わる「火継ぎ」の続きが書かれていて、ダークソウルをプレイすればしているほど、自分が冒険した結果が隅々に表れていて心を打たれた。
最後のボスのBGMがグウィンアレンジなのは今思えばあからさまかなとおもったが、ゲージを終わらせて、火継ぎの歴史と戦ってる前半では流れず、グウィンのような力を手にしたボスと戦う後半で流れるのはそんな事考える余裕もなく、感動でしかなかった。何百回とパリィで殺してきたグウィンはパリィを拒否してきたがまさしくグウィンだった。
はっきりいって最高だ。多分、2や3をしたあとに全くプレイしていなかったが、2や3をプレイした後だからこそ、このダークソウルの物語はまるでダークソウル内では歴史に確実に残るような大事な演出がされているが、3からみるとたったちょっとのことなのだ。たったちょっとだが、無ければ3の世界はなかった重要な事なのだ。ダークソウル全体の世界で見ればものすごくものすごく小さな事。
そして、戻ってきたのだ。
アノール・ロンドのソラールが座っている篝火に到達した時、びっくりしたのはそのサインの多さだった。そして、サインを書くと数秒で拾われる活気。P2P方式のオンラインからサーバー方式のオンラインになり、ダークソウルが完成したのだ。
もうなにも言うことはない。完璧なダークソウルだ。自分がダークソウルに不満を持っていたことが解消された。
今後、SWITCH版がでる。
SWITCH版ではじめてダークソウルに触れる人もいるだろう。
そんな人が、自分が勝手に思惑して、勝手に魅了されて、勝手に妄想を爆発させた(俗に言うフロム脳)世界を初見で、しかも最高の環境でプレイできるなんて羨ましすぎる。
きっと自分みたいにオーンスタインを恨みに恨んで心が壊れる寸前まで行く人はいないだろうが、あんな思いはしなくてもいいのだ。最終的には自分はオーンスタインを愛しているし、きっとしゃべるNPCであったならローガンを越えて一番好きなキャラと言うほどだろう。まぁ、でもやっぱローガンが好きだ。
最後に、ローガンについてフロム脳を爆発させてこの増田を終わらせたいと思う。
再び見て思うのは、多分、ローガンはプレイヤーの時間軸の人間ではないということ。小ロンド遺跡に鍛冶屋のリッケルトがいるが、彼は「100年前にヴィンハイムにいた爺さん、ビッグハット ローガン」の話をする。
いや、このダークソウルの世界の人物は全員不死なので、爺さんが不死になり、100年間正気を保ったまま冒険をしていた事で辻褄は合うが、リッケルトやグリッグスが100年間生きているような器に思えない。また、ソラールが白サインを「100年前の伝説がいたかと思えば」というような話をして、その時間軸を合わせるために白サインがあるという話をする。一見すると、ゲームシステムを保管した説明に思えるが、実際はダークソウル世界では伝説的な人物なのだと思う。
事実、ダークソウル3ではローガンの残した影響は大きい。結晶魔法はローガンが作り出した魔術だが、結晶の古老はローガンのように結晶魔法を使い、しかもビッグハットをかぶる。ローガンのスクロールには結晶魔法について書かれている。
ダークソウル3ではダークソウルの四騎士は匂わせる程度といったが、下手をすれば名が忘却の彼方へ行ってしまっているのに対して、ローガンだけははっきりと残っている。つまり、ダークソウルの時点で彼は伝説的、または伝説的偉業を残した事が伺える。そんな人物が正気を保っている時の話を聞けるなんてものすごいことではないだろうか。最も、ダークソウル3の時点で名前を残しているキャラは結構いるが…(ハベルや、ファンサービスではあるがパッチなど)
*ちょこっと加筆・修正
バンクーバーオリンピックで盛り上がってるが、98年には長野で冬季五輪があった。自国開催というのはやはり盛り上がる。ワールドカップも然り。
で、自分も長野五輪には1日だけ観戦に行った。アイスホッケー。アメリカvsカナダの試合を見たかったが、さすがに人気カードなのでチケットは売り切れていた。そこでカナダvsスウェーデンの試合を見る事に。ちょうど土曜日で休暇をとる必要もなかったし。チケットはゴール裏で15000円くらいだったと思う。まだ社会人掛けだしの自分には交通費含めいい値段だったが、オリンピックだし仕方ないと思った。
開幕する前の長野五輪はいまいち盛り上がりに欠けていたような気がする。でも開幕すると一変。スキージャンプやらスピードスケートやら、それはそれは盛り上がった。直前になって他のゲームのチケットも欲しいと思ったがその頃には既に売り切れており、あとは現地のダフ屋頼み。
当日、開通間もない長野新幹線でひとりではじめての長野に行った。試合は夜だったので、まずは街をぶらぶらした。チケット買えれば午後の試合を観ようと思ったが、意外とダフ屋はいなくて、いてもやはり値段が高くて手が出なかった。駅前でスポンサーのテントを覗いたり、善光寺にいったり、「おやき」を食べたりした。寒いながらも街は日本人、外国人入り混じってカラフルで 華やかな様相だった。
会場はビッグハット。駅前からシャトルバスが出ていた。駅まで戻ってさらにぶらぶらしていたところ、郵便局の露天が出ていて記念切手などを売っていた。外国人もいたがどうやら局員さんが言葉がわかってなかったらしい。片言の英語で通訳をしてあげたところ、無事買えた様子。お礼にピンバッチをもらった。SUOMIと書いてある。要するにフィンランドのこと。嬉しかった。
ビッグハットには少し早めに着いたので、ビッグハットの前にあるNHK長野放送センターで展示品など見て時間をつぶした。現地の人とも触れ合いがあった。ボランティアをやられているとかで、本番は見れないが練習とかリハーサルを見たとかお話を聞いた。ビックハットもNHKも新しい施設。オリンピックに向けて街や道路も整備されたという。そして別れ際、折り紙で折ったマスコットをもらった。今でも家にあるはず。
時間になったので、ビッグハットへ。ほとんどの観客は日本人だが、地元チームを応援するカナダ人やスウェーデン人もいたし、演出はNHL風で、まるで外国のようだった。席の近くに座っていたカップルとお話した。既に何試合か見ているそうだ。普段、知らない人とはあまりしゃべらない人見知りな自分だが、そうさせる高揚感がオリンピックにはあった。
ハーフタイムか試合前か忘れたが、周囲が騒がしかったので何かと思ったらフィンランド代表のスター選手、ティム・セラニら選手がゴール裏で観戦してた。セラニしか知らなかったもので選手が何人いたかは不明だけど。サインや写真を求めている人がいたので自分もサインをもらいにいった。そういうことは普段しないんだけど、やはり高揚していたんだろう。セラニは快く応じてくれた。ちなみにセラニはバンクーバーにも出場している。
残念ながら試合の内容は覚えていない。観に行く事が目的だったので何となくそれで満足しちゃったのかも。
試合が終わると既に22時近くで、シャトルバスで長野駅に戻る。そこからは夜行列車で東京に戻ってきた。夜行列車というのも初めてで、なんか楽しかった。
オリンピックは競技だけではなく、人との交流や街の至る所でのイベントも含め楽しかった。その後、日韓W杯やドイツW杯も現地で体験する事になるが、世界的スポーツイベントに参加することは本当に楽しい。若い頃にそういう体験が出来てよかったと思う。将来、日本でこのような機会があれば、是非皆さんも参加してイベントを楽しんでもらいたい。もちろん、外国に観に行ってもいいと思う。
以上、12年前の思い出。