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2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160915153258

自然かつ適切に通過しないとどんな形でも手を加えようとしたら逆効果だよ

中二病概念流行ってそれらへの逆張りが主流化したのが昨今の高二病全盛の原因だから

2016-08-22

シン・ゴジラは、アンチがどれだけ騒ごうが大傑作の地位は揺るがない

いやー、シン・ゴジラ、最高だったね。

邦画最高傑作と言っても過言じゃない。

というか、今までの邦画監督たち、何してたの?昼寝でもしてたの?ってレベル

 

さて、本題。

最近、大絶賛のシンゴジラに対して、逆張り冷水ぶっかけて評判を貶めようと

画策する中二病(むしろ高二病か)患者ネットを騒がせている。

彼らは、必死シンゴジラのアラを探したり、あるいは非論理罵詈雑言

浴びせて、涙目抗議活動を繰り広げている。

だが、そんな投稿は、当たり前だが全て反論され、徹底的に叩き潰される。

当然だ。

 

なぜなら、シンゴジラは「名作」であることが確定しているからだ。

なぜか?名作というのは数の論理で決まるからだ。

少数派が評価しても、多数が評価しなければ、その作品はせいぜい

「隠れた名作」、あるいは「カルト的人気」といった形容しかもらえない。

しかし、多数派評価したらどうか?

これはもう、「名作」「傑作」としか呼びようがない。

なんせ、批評家尊敬され、批評家意見が最重要視された時代が過ぎ去った今、

内容そのものの良し悪しで名作かどうかを判断することは不可能からだ。

 

勿論、個人個人自分勝手判断で「これは名作」「これは駄作」と定義することはできる。

しかし、それはどこまでも主観的であり、客観的評価に進むことはできない。

客観的評価とは、結局のところ、多数の評判によるしか無いのだ。

 

こういうと、観測範囲が狭い、シンゴジラ評価しないコミュニティもあると反論

受けそうだが、観測範囲が狭いのはどちらかな?

シンゴジラ評価するコミュニティと、評価しないコミュニティでどちらの規模の方が

大きいか、小さい脳みそでも考えればわかりそうなものだ。

2chのようになんでも叩くようなコミュニティを挙げても意味が無いので注意してくれよ。

 

よって、少なくともネット上では明らかに多数派シンゴジラ肯定である以上、

これが客観的評価になる。

「傑作」であることは客観的評価なのだから、声高に叫んでも問題はない。

さらに言えば、客観的評価である以上、多少は「アンチ」を貶めても炎上などするはずはない。

「この作品は知性が無いと楽しめない」とか「この作品の良さを分からないなんて残念だ」

とか「この作品批判する奴らは、恋愛描写が入らないと楽しめないスイーツ脳バカ

とか言っても、Togetter発言をまとめられて炎上などしない。

なんせ、多数派から

 

逆に、少数派であるアンチ」や「批判派」、これは黙っているか自分個人的感想

あることを強調した上で、批判はそうとう柔らかく、皮肉っぽくなく、婉曲的にマイルドに、

文章読解力が低い人間には肯定に見えるくらいの勢いで感想を述べなければならないのは当然だ。

なんせ、私達「多数派」が不愉快な思いをしたなら、それをまとめブログまとめサイトに載せ、

叩きコメント殺到させ、炎上させなければならないからだ。

なぜなら、客観的評価を乱した上に、多数派を怒らせたからだ。

 

からアンチいくら騒ごうがその意見否定されるし、その意見シンゴジラ地位

変えないし、ただ惨めな目に遭うだけだ。

 

からアンチは目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、

口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ。

2016-08-13

ねえ、どんな気持ちでその文章書いたのwwww

http://anond.hatelabo.jp/20160813163007

ファーwwwwwwww

恥ずかしwwwww

これが高二病ってやつですかwww

ねえねえ、これどんな気持ちで書いたの?

釣りのつもりとか言ってごまかしながら書いたの?

ねえ、どんな気持ちで書いたのwwwどんな気持ちで書いてたのwww

2016-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20160721160739

俺も横だがトラバ主は「院二病」を「高二病

タイポしたんだと思うぞw

http://anond.hatelabo.jp/20160721160238

からだが、中二病とか高二病とか気にする時点で同じムジナなので増田も頑張れ。

2016-01-26

中二病よりも高二病のやってることの方が迷惑行為だとわかる世の中にいつなるのだろうか。

2015-10-08

高二病に陥ったはてなアイドル

俺はエセオタクがきらいなこじらせオタクだー

え、何見てるのかって。

ジャンプだとワンピースじゃなくてナルトとかデスノートだよ。

ワンピースでウェーイしてるやつ見るとイラつくんだ

あ、だからって俺がナルトとかしか読んでないと思うなよ。お前らみたいな

ぬるいやつのためにわかやすい例を出してやってるんだ。

アニメだったらエンジェルビーツは許せない、ごちうさうまるちゃん見てるやつ見るとイライラするね。

僕は攻殻機動隊を三回は見返してるよ。押井作品なんかみてるせいでこじらせて彼女いないけどね。

あーエセオタク入門とかこじらせオタク入門って記事書こうかな。

でもガイナオタクが怖いからなあ。あいつらみたいなオタク教養主義の奴らはきらいだ

2015-09-13

なぜガッチャマンクラウズは下セカに負けたのか

同じようなテーマではある。

しかし直接的に描こうとしたゆえに逆にゲルサドラや空ちゃんといったギミックに頼ることになり、その結果せっかくアニメなのに抽象的になり感性に直接訴えかける力を失ったクラウインサイトにたいして

婉曲的に描こうとしたゆえに逆にえげつないくらい直球なアンナ錦宮や科学者さんという直感にわかやすマジキチキャラを生み出せすことに下セカ。(いただきの白やこすりちゃんは超つまらないキャラだった。原作は9巻まで出ているが1巻がピークだったら嫌だなぁ)

どちらが「面白いアニメであったかというのはもはや語るまでもない。

と、10話までは思っていたけれど10話にしてようやく盛り返したのは嬉しい。

私はすっかりリズムと同じ感覚で醒めた目で見ていた。ここまでの展開はわかりきった結末であり、爾乃美家累の浅はかさや国民のアホさを冷笑するくらいしか楽しみがなかった。高二病だった。

だが、クラウズは私がこんなものだろと決めつけていた結論よりは少しだけ先に行こうとしている。

空気のおそろしさ」を描くだけで満足するのではなく、その空気私たち制御できるというテクノロジー意思の形を示し、未来を描く、という課題が示されようとしている。

ただし、この問に対する答えははじめちゃん主導で導く場合はこのアニメ評価はやはり上がらない。

あくまで爾乃美家累の決断として、Xが述べたように人間サルより勝ることを提示し、リズムが納得するという形を取ることは必須条件である

作者のオナニー的な話のために、はじめちゃんとカッツェ、爾乃美家累とリズムの相剋という物語必須構造すらないがしろにするならやはりこのアニメは駄作であったと断じるにいささかかのためらいもない。

困ったことに、爾乃美家累があきらめから立ち上がったからいいではないか、格好いい戦闘シーンで空気と戦ってるからいいではないか、という展開になるおそれがちょっとだけある。格好いい戦闘シーン、結構なことだ。しかしその要素はほかならぬこアニメに求められているものではない。きっちりと納得行く結末を期待したい。

2014-09-30

アホには一生理解出来ない「グラスリップ」という隠れ名作アニメ

唐突な当り前の孤独を見てすぐに想像できた人はそのアニメを正当に評価出来る人だ。

逆に全然想像できなくて透子の母親が発した自分若い時なった事がある発言もすぐ理解出来ない人は、無理解なだけ。

要するにリア充だとか、中二病高二病の類を青春時代に発症した事がない人、つまり中学高校に行ったことがないひきこもりニートには難しいのだろう。

単なる統合失調症なだけだ。

それをさも自分の眼は可笑しくない、グラスリ監督は頭がおかしいと論じるのは自らアホである事を証明しているに過ぎない。

アホは一生ブヒブヒ言うだけで良いんだよ。

それこそ、この手の高尚なアニメは見ない方が、無い頭を捻って知恵熱起こしたりアホさ加減を思い知って不快な気分にならない分、君のためにもなる。

2014-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20140403181056

今の日本ネット高二病全盛の時代ですから

自信は悪、出る杭は打つ、はみ出してはいけない、叩ければ何でも良い。

そんな感じ。

2013-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20130910114912

30歳?

余裕で若いじゃん

40過ぎなめんなよ

高二病大学生が「いやー俺おっさんだわ、おっさんなっちゃったわー」って言ってるのと似たようなもんだよ

2013-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20130830154744

という、反論するのも面倒な正論まで絡めた、高二病的早熟アピールがウザいって話だな。

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