同じようなテーマではある。
しかし直接的に描こうとしたゆえに逆にゲルサドラや空ちゃんといったギミックに頼ることになり、その結果せっかくアニメなのに抽象的になり感性に直接訴えかける力を失ったクラウズインサイトにたいして
婉曲的に描こうとしたゆえに逆にえげつないくらい直球なアンナ錦宮や科学者さんという直感的にわかりやすいマジキチキャラを生み出せすことに下セカ。(いただきの白やこすりちゃんは超つまらないキャラだった。原作は9巻まで出ているが1巻がピークだったら嫌だなぁ)
どちらが「面白い」アニメであったかというのはもはや語るまでもない。
と、10話までは思っていたけれど10話にしてようやく盛り返したのは嬉しい。
私はすっかりリズムと同じ感覚で醒めた目で見ていた。ここまでの展開はわかりきった結末であり、爾乃美家累の浅はかさや国民のアホさを冷笑するくらいしか楽しみがなかった。高二病だった。
だが、クラウズは私がこんなものだろと決めつけていた結論よりは少しだけ先に行こうとしている。
「空気のおそろしさ」を描くだけで満足するのではなく、その空気を私たちは制御できるというテクノロジーと意思の形を示し、未来を描く、という課題が示されようとしている。
ただし、この問に対する答えははじめちゃん主導で導く場合はこのアニメの評価はやはり上がらない。
あくまで爾乃美家累の決断として、Xが述べたように人間がサルより勝ることを提示し、リズムが納得するという形を取ることは必須条件である。
作者のオナニー的な話のために、はじめちゃんとカッツェ、爾乃美家累とリズムの相剋という物語の必須構造すらないがしろにするならやはりこのアニメは駄作であったと断じるにいささかかのためらいもない。
困ったことに、爾乃美家累があきらめから立ち上がったからいいではないか、格好いい戦闘シーンで空気と戦ってるからいいではないか、という展開になるおそれがちょっとだけある。格好いい戦闘シーン、結構なことだ。しかしその要素はほかならぬこのアニメに求められているものではない。きっちりと納得行く結末を期待したい。
ガッチャマンクラウズの良さは主人公の恵体だけ