はてなキーワード: 高二病とは
当人たちのことではなく
もうとにかくマイノリティがマジョリティに「これまでとは違う主張」をして「勝ち取る」って行為をしたいだけの人たちが騒いでるだけに見える
こういうのは大昔からあった
なんか知らんが「抑圧してる敵」の像を作り出して、それと戦うのが大好きな人達
多分それでオナってるんだろうが
例えば昔の学生運動の様子とか見て「こいつらキメーな」ってのと同じように今のLGBT界隈は見られてると思う(あるいは無関心か)
正直、戦後の女性の自立とか、黒人の差別とか、そこら辺まではついていけるんだけどLGBTは完全に蛇足だ
問題の程度が他に比べて小さすぎて、敢えて薪を焼べて燃やして遊んでるように見える
まあ、いっそ遊ぶのはもうどうでもいいんだけど、それを利用しようとする輩がくっつくともう気持ち悪い
彼らの事、嫌いじゃないよ。
初カキコ…ども…君も、カルミカミ君も、その他沢山の名コピペを生んでくれたどこかの誰かも。
中には胡散臭くて作り話臭い物もあるけど、個人が書いてるししゃーない。
文体はどうあがいても素人だが、出来事の真偽はどうあれ、これほど『物語』として見た時に素晴らしいものがあるだろうか。
まあ本人たちにとっては洒落にならん失敗話なのだが、その失敗談が良い意味か悪い意味かを問わず、誰かの笑いになるんだ。
稀に『ああこれ俺もやってたわ…』みたいなのがあって気分が下がることもあるが。
中二病は痛々しいが、この通り『笑い』を生んでくれている。
こう考えれば案外、中二病も悪いもんじゃないなと思えるし、現在進行形の中二病に対して生暖かく見守ってやるか、という気持ちにもさせられる。
あ…高二病は……、えっと……、
分かる
嘘の表情、薄っぺらい演技が気になると恥ずかしくなるよね
唯一舞台演劇はその場の言葉のやり取りだからわざとらしさが少なくてまだ見続けてる
その内に小説も思考の爪痕が見えるようなのは恥ずかしくて読めなったりした
音楽も声の軽さ、音の配置の稚拙さに気付いたら恥ずかしくて聴けなくなった
昔ストラテラとピラセタムを毎日オーバードーズしてた時はノルアドレナリンが異常に高まったのかなんなのか、全ての細部の嘘っぽさに気付くようになってしまったよ(多分細部への異常な注目というより精神異常の割合が高い)
結局、そういうのからは逃れられないから全ての創作に感謝するしかないと分かった
悪いとこよりも良さを見つける努力をしないと高二病みたいな皮肉屋になってしまうから
その演技臭い恥ずかしいわざとらしさを味や面白さと思うようにすると、少しは楽しめると思うから
まあ積極的に見るのはごめんだけど
という十代のチラシの裏
「北朝鮮は安倍に脅されてミサイルを撃ってるみたいな展開を想像する人はいないんですかね」
「みんなして同じ方向を向いて、金正恩を攻撃してるのを見て本当に怖くならない?」
とか言い出す奴を見たらお前もアホだと思うだろ?
断言できる根拠がないって点では同じなのに
たつき監督が「人気が出たのは俺のおかげなんだから」といって無茶苦茶な要求をして、
カドカワが泣く泣くお断りを入れた、みたいな展開を想像する人はいないんですかね。
もしくはカドカワが難色を示したからネットに暴露して、みたいなのとか。
みんなにはそんなことはあり得ないって断言できる根拠があるのかな。
カドカワ自体が今までに何度もそういう悪を行っていたっていう、
決めつけではない確固たる実績がある、とかだろうか。
何にせよ、今の結果を見るにカドカワはたつき監督に何を要求されても
「はい」と頷く以外の道はなかったということだね。
それだけ監督の力は大きかったんだろうし、大きいことを成し遂げたと
(少なくとも世間にはそう思わせるだけのことやった)ということだろう。
本当に監督ご愁傷様です、って感じではあるんだけど
みんながみんなして片方を善、片方を悪と断じて
ああだこうだ言ってるのを見ると、どうにもモヤモヤする。
みんなと違うこと言ってる自分カッコイイ、という気持ちがないとは言わない。
ただなぁ……みんなして同じ方向を向いて、悪者を攻撃してるのを見て本当に怖くならない?
余談。
監督ご愁傷様、と書いたけど。
一番ご愁傷様なのは、どんな形になったとしても
2期を本心から楽しめなくなってしまった視聴者なのかもしれないね。
ほんと誰も得してない。
ハマったのは5年くらい前だけど、今でも続いてる。真くんが好きだ。
かといって、いわゆる男の娘が好きなわけでもない。
まあ与えられたら与えられたで抜きますよってスタンスではあるんだが。
他方で、いわゆるショタにもピンとこない。
確かに生意気なのは好きなんだけど...いわゆるショタ系に多いストレートな生意気さはやだ。
「ツッコミポジ」程度の理性ある生意気さ、とでもいうのかなー。
ボーイッシュでちょっと影のあるアニメキャラ(ラブプラスの凛子とかAチャンネルのトオルとかまどマギの杏子とか・・・年齢がバレるかも)
がもともと好きで、その延長って感じなのかなあ。
自分がなれなかった自分を見守っているのが好きなのかもしれん。
一応補足すると、俺がホモフォビアと近いのは重々承知だ。不快感を抱いた人がいたら申し訳ない。
とはいえ、俺は無理に線引しておのれをノーマル側に置きたいわけではなく、少し自分の欲望を掘り下げてみたいってところなんだよな。
※※※追記
なんかほそぼそと反応があって嬉しい。ありがとうございます。返信をいくつか。
ただ他方、名前がつくとそちらに寄せたエロ同人が出てくるという・・・実利がね!
>>男がオナニーする時、自分が女性という心理で抜く人も多いと聞いたので、それほど珍しくもないのでは。
無論、たとえばおねショタでは俺はおねえさんサイドにつく。
ただ、ショタがしっかり男を好きになってくれればなあという思いがある。
俺=女というわけではないんだよな。近いんだけど。
>>キャラクターの性格的な類型の分類よりも、キャラクターの置かれている境遇とかシチュエーションのほうに自分を投影するような感覚なのかしら
そうかも。
俺は妙に高二病(もう死語?)こじらせてて、たとえば理不尽な環境にもあえて順応するのがカッコいいと思ってたんだけど(痛すぎだな・・・)
そこでしっかり中二病やってる子を見ると自分がなれなかった自分を見てるようで愛おしい・・・という感じかな。
>>ちょっとマセた生意気な感じが好きとか?/内面より黒髪ショートスレンダーみたいな見た目が好きなんじゃねえのという気もするが。
>>杏子がいるなら見た目だけで決めてるわけでもなさげだぞ。 /結城晴とかはどう?グっと来る?もう少し性格悪い方がタイプか?
>>陰のある女キャラが世間にささやかな反抗なり抵抗をするために男っぽく振舞うのを上から見てニヤニヤしてるなら広い意味でのSだと思うが、女装少年もありならMなのかも。
どっちもあるなー。
これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブの若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。
情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり、他人の多種多様な生き様や頭の中をヴァーチャルに追体験できるようになっていくほど、そうなる。
あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。
現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。
情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間の知識欲ははかりしれない。
ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報を客観的に見るようになる。
言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分の思想や行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。
感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識に距離を置くようになる。
自分の世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分は空っぽでいい。そうなっていく。
はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。
「自分の主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。
自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。
たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己の空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢で上から目線な発言をするようになる。覚えがあるだろう。
自己を主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。
それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタな視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。
他人、企業、社会、そういった観察対象の生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。
できることなら人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。
それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。
そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。
あまりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。
もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、
そして「実体験」の価値が相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。
だから何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報を摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。
「労働者」になりたくない。
「親」になりたくない。
「男(女)」になりたくない。
「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。
ひとつひとつを見れば、中二病か高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。
けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、
それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。
その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。
その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。
中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。
そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。
吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。
そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。
それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。
みたいなのもう古いと思うんだよね。
今の時代だとオッサンがアニメ見てても何でも無いというか、むしろいい年こいてアニメガーゲームガーとか言ってる人って何十年高二病やってるのっていう状態じゃん。
そうなるとオタクであることを「ヤバイwww」とか言うのはもう無理だと思うんだよね。
というかさ、ネットの発達によって世界中のヤバイ奴らが真贋玉石入り混じって可視化されすぎてもう「ヤバイ」にかつてのような力は無くなっている。
この時代に未だに「ヤバイ」によって自分の立ち位置を手に入れようとすることがもはや虚しさしかない。
そして、そんな次の時代はもう始まってるのに多くの人が取り残されているのが恐ろしい。
ネット上のコミュニティに居ると、他の信者が一瞬でキモくなる事がある
ではどういう時に気持ち悪くなってしまうのか、改めて考えてみる
1.過度な帰属意識を持ち始める
まるでそれの製作者や当事者であるかのように振る舞う瞬間、傍から見るとキモい
何勘違いしちゃってるんだ、お前は別に制作者の家族でも関係者でもなく、いち消費者だよ
と教えてあげたいが、大抵思考がそっちに逝っちゃってるので話が通じない
ちなみにこれは昔からある
スポーツチームの監督か、それより上位の目線で物を語るおっさんがそれだ
2.○○→すごい 俺→すごい
どっかで見たことある構図だが
1の帰属意識のあとにこれが来る
例えば、対象が売上で1位になったとか、権威ある人に評価されたとかになった際に
帰属対象を褒めることで自分自身が気持ちよくなるようなケースだ
傍から見ると、結果的にナルシストに見えるのだからそもそもキモいのだが
自分の成果ではなく、他人の成果を用いてナルシストをやっているように見えるので輪をかけてキモくなる
3.他と比較する
1,2の後にこれが来る
それを協調し始めると周りから煙たがられる(これについてはキモいというより、ウザがられると言ったほうが正しいよね)
全部ひっくるめた上で評論家のような振る舞いを見せた瞬間に、キモさが爆発し
凄まじい臭気を帯び始める
ちなみに、ここまではまだキモさの序章だと思う
よりキモいのは、1→2→3→4を、間違った情報や浅い考察でやり始めるときだ
自分のほうが情報について詳しい場合、得も言えぬ気持ち悪さを体験することになる
その際は、片方が片方をアンチ呼ばわりするが、アンチ認定してる人が大抵浅い方だ。
なぜかと言えば認定というのは結局、情報の判別がつかなくなった時にする最後の手段だからだ)
不思議なことに、これをやらかすのは若い層に多い(高校生〜大学生くらいの時期)
歴史上の偉人を見ても、何かの派閥に肩入れしたりするのがこの年頃なので、そういう時期なのかもしれない(高二病や大二病?)
蛇足だが、これらの心理をうまーく言葉に落とし込んだのが「サポーター」だと思う
「あなた方は関係者ですよ」と言ってあげることで、「あなたは臭い信者でいていいんですよ」という免罪符を与え、強力な宗教組織っぽい何かを作ってしまう
とはいえビジネス的にはうまくいくので、スポーツでは上手く活用できていると思う。
最近この強烈な信者臭を感じるのはやはりコンテンツ業界なのだが
コンテンツ業界が「サポーター」という単語を使わないことを祈る
鼻が曲がってしまう