「高二病」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 高二病とは

2013-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20130722121833

誤った手段でも雇用が増えているから許容する?

正しい手段で雇用を増やせ、ってだけだよね。

「そんなのは理想論で、現実にはブラック企業を容認するしかない」。

はいはい僕ちゃんは賢いですね。

高二病高校生までにしてくれよ。

2013-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20130721200614

元増田だけど、あんなこと書いておきながら投票はしてきました。

投票しないやつは糞!!」っていってる中二病を叩いて喜んでいるただの高二病です。

2013-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20130608205201

だな

ネフローゼ以外は普通の人にもよくあることだし

悲劇主人公を気どってるところが、まさに高二病

悪魔の生まれ変わりだから、こんな体なのだ」とか言い出したら中二病だったけど

2013-03-23

35病

http://anond.hatelabo.jp/20130323124047

中二病高二病大二病社二病を乗り越えて患うのが35病だと思う。30代後半から徐々に発症する。

若者のだったつもりがいつのまにかおっさんおばさんの仲間入り。こんな症状が出たら罹患を疑うべき。

正直、頭が禿げるとか加齢臭がするとか脂肪が増えるとか肌が荒れるとか、そういうのは年齢とともにやってくるものなのでしかたがないことだと思う。

でもこういう「会社や店で横柄な態度のおっさん」が年寄りになると、最終的に菅直人石原慎太郎田中真紀子みたいなジジイババアが出来上がるのだと思う。

若いころ「武満徹を殺せ」なんてビラを巻いていた坂本龍一も、今ではすっかり説教クソジジイになっている。

35病の厄介なところは、中二病などと違って年齢を重ねれば重ねるほど悪化していくところだ。

最近女性だけでなく男性向けにもアンチエイジング流行っているそうだけど、年をとりたくなければまずは見苦しいおっさんおばさん言動と行動をやめるべきだ。

かく言う俺も今年で34だ。街で見苦しいおっさんおばさんを見かけると「俺もそのうちああなるのか」と非常に憂鬱になる。

追記

「それ年齢関係なくて、そういう奴は若くてもそんなだ」というご意見を頂いている。確かに石原慎太郎坂本龍一富野由悠季若いから尊大な嫌なやつだったと思う。

でもこの人ら、年齢を重ねるごとに尊大さが悪化して説教クソジジイになったじゃないですか。これって年齢とは決して無関係とは思えないんですね。人生経験がかえってマイナスに働くというか、成長ではなく老化していくというか。

この文章からにじみ出ていると思うけど、俺も子供の頃から世の中を斜めに見る嫌な子供だった。それが嫌な若者になり嫌な大人になった。このままいけばきっと嫌なジジイになるのだと思う。三島由紀夫が45歳であんな死に方をしたのは、そういうジジイになるのが嫌だったからだと思う。

追記

http://anond.hatelabo.jp/20130330190713

35病のサンプルとしてリンクしておく

2013-03-09

2014年3月就職活動戦線に赴くはずだったのですが

このところ急に春めいてまいりましたが・・・

就職活動も半ばとなり、皆さん面接対策に勤しんでいる限りかと思われます

はい。僕はというと、「JIN -仁-」の再放送見ながら涙を流しています

自己PRは完成していませんが、龍馬ペニシリンモノマネなら負けません。

就職活動なんて適当にやってりゃ、順風満帆にことが運ぶと思っていたのですが、、、

やれやれ3月にして大学三年の僕は戸惑いをあらわにすることとなりました。

仲の良い同級生にして戦友であるはずの彼らは文字通りの東奔西走を繰り返し、中には内定を獲得した猛者すらあらわれました。

当初、IT企業SEプログラマ)やメーカー商社の営業を目指していたのですが、会社の説明会に足を運ぶたびにその思いは薄れていきました。

あれ?思ってた感じと違う。スーツ着て毎日こんなつまらなさそうな仕事しないといかんの?サラリーマンなんてクソだー

就職活動愚痴に関しては腐るほどありますが、今回は省きます入社する前から脱サラです。

ただ、僕は悩みました。2月ぐらいで行き詰まりました。

俺って社会不適合者なんだなって実感が湧いちゃってどうしようもなくなりました。

現実に目を向ければ向けるほど不満や意見、こだわりが溢れだし、高いプライドと相まって僕の頭はイケダハヤト一色。

から一旦目指していた企業エントリーや説明会を全て無視し、就活前線を一時離脱しました。

今は何をしているかって?

家でごろごろしたり、ヒトカラいったり、読書したり。春休みPM2.5を満喫しています

僕は俗にいう意識高い系の学生をバカにする意識もっと高い学生です。厨二病を嘲り笑う高二病みたいなね。

ただ、破天荒なのは頭だけで行動が伴わない。

行動が伴う人間学生起業したり、まったく違う道をみつけて人生を謳歌するんでしょう。ただ僕にはそれができない。

今の就職活動社会全体に深い憤りや欺瞞を感じ、就職活道という社会への一般道を直進できない。僕のサイドブレーキはかかったままだ。誰かしごいてくれ。

リクルートスーツに身を纏うたくさんの車が僕の横を通り過ぎていく。サイドミラーバックミラーも省かれたその車体で、前へ前へと直進していく。

どの車もガソリンメーターは半分を過ぎてて、たまに後方確認したかと思えば車内を振り返っただけ。自己分析のためにね。

僕はハザードランプをつけて立ち往生だ。今更発進しようと思っても誰も割り込ませてなんてくれやしない。

虚無感というか就職を前にして達観してしまったように落ち着いてしまった。

今回こんなエントリーを書かせてもらったのも、こういった学生が他にもいるんじゃないかと思ってのことだ。

はい就職前線異常ナシであります

2013-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20130205044104

「僕はスヴィドリガイロフの儚い美学共感するよ。彼は豊かに暮らしているように見えてその実、生の孤独を見つめているんだ」

おいしっかりしろ、これはファッションじゃない。中二病だ。

高二病かもしれないが、少なくとも自覚的でない病のたぐいだ。

2012-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20121106144920

定義から言っても他人の言動から過剰な中二病認定を行うのは高二病

立派な重症患者です、ご愁傷様

http://anond.hatelabo.jp/20121106133612

http://anond.hatelabo.jp/20121106115649

既に指摘されているように、人類の敵というギミックを持ってきて人類批判するタイプの作品においては、読み手が「人類の敵」側の理屈共感するようにその作品自体が作られているわけだから元増田みたいな感想を抱くことはそれほど特異というわけじゃない。

かつ、物語の体裁上は「人類の敵」なる読み手自身と対立してしかるべき立ち位置に位置付けられた思想なので、それに共感するということに違和感があったりするのは別におかしなことではない。

そしてそれを匿名表現する行為別に自意識過剰産物とは言えない。

違和感のあることについて表現し、そのレスポンスを受け取ることで認識のひずみを治そうとするのは自然な心理であって、何かのアピールであるとは普通解釈できない。

っていうか、逆に君たちが高二病すぎると思う。他人のアピール(に準ずる行為)に敏感なお年頃なんだね。

でもそろそろちゃんと大人になりなさいよ。高校生には増田は早いよ。

2012-02-29

物事を細分化して、それぞれを深く考察して現象に解釈を与えるのが学問だとするならば、社会問題って学問じゃ解決できないような気がする。

なんて言うか、たくさん言葉を使って、切り分けて輪郭をはっきり捉えていくに連れて、どんどん元々の有り様から変質してしまっていると思えて仕方がない。

放射能云々でカンニング竹山放火した人たちやら瓦礫受け入れに反発する人たちってのは、もっと単純な理由から反応しているんであって、難しく考えても意味はないんじゃないかな。

人間が死を恐れる理由と似てると思う。なぜか、よりも先に、怖い、がある。だから通じないし、解決できないし、面倒くさいんだ。

そもそも解釈を与えるのが学問だと仮定したんだから、解決なんてできないって端から結論は出ているわけで。

からといって考えることをやめてしまったらうんぬんかんぬんではあり、困難な物事にぶつかったときに考えることと知識としての学問は必要なんだろうけれどもさ。

どこが分水嶺なのかは人によってまちまちなんだろうけど、争っている人、火病ってる人がいるのを見ると、傍観者としてしか関われないなあって思う。

いつ当事者になるともわからいからこそ、安全場所にいるうちに対策を考え、できるのならば矯正したり排除すべきなんだろうけれども、それもまたどうなのかなって思うしなあ。

私の安全を確保するために、あなたを排除します、なんて論法は通じないだろうし、ともなれば共生するか、住み分けするかしかないんだけれども、そんなに簡単なことでもないし。

概念としての住み分け共生は可能だろうけれど、実生活でとなると問題は立ちはだかるわけで、そういうことするのは途方もないからなんか面倒で、好きにやってなよって思ってしまう。

楽だし、ある意味では賢い処世術なのかも知れないけれど、常にいつくるともわからない危険に晒されているわけでもあって、だとすればその危険回避するためにいよいよコミュニケーションを閉ざす必要も考えなければならなくなって、なるほど傷つかないための非コミュなる分類もあり得るのだろうななどと思い至るわけだけれど、そう言った非コミュにはそもそも発言権なんてないだろうし、ますます悶々と思い悩むしか方法はなくなって、相談しようにもその窓口へ行くまでに精神的な敷居ができてしまっていて、そう言った状況下において増田2ちゃんは甚だ住みよい住環境提供してくれているのだなあと気が付かされるわけなのであります

ものすごい自己愛と表裏一体の自己嫌悪が渦巻いているような感じなんだなあって思って、それはつまり厨二病にも通じるのかも知れないし、高2病にも通じるのかも知れないし、大二病にも通じるのかも知れないし、要は内向的ナルシストしかないのだろうなと、やっぱり前にも達した結論に帰結するわけで、ほらみろ考えるだけ無駄だったじゃないかと思う一方、なんで厨二病に然り高二病に然り、二年次に掛かる概念なんだろうと思って、いやいや違うぞ、そもそもの起源が中『二』であっただけでそこには何も意味なんてないんだよって考えつつも、三年制の学校における二年生の自由さ、気楽さ、目的も意義もない自己反芻の多様さを想定すると、あながち関係がないとも言えないんじゃないかとなどとも妄想が膨らみ、なんて言うか、二っていう数字はとてもいいなと、零と合わせて素敵な数字だなと感じていることに気がついた折に、数字意味を見出す働きってどこからくるのだろう、社会から人間からかとか無謀な問題を提起してみたりして、そんなことどうでもいいやないのと思い、でもきっとどこかしらにはそういったもの研究した文章が残っているんだろうなあ、すげえなあと感心する次第なのであります

頭の中で文章をうんたら考えるより、浮かんだ文章をそのまま書き出している方が楽しいなって思うのです。もちろん、ひどい文章、無残な表現、ぐだぐだとして読みにくい構造になることが多いでしょう。反対に、短すぎたり、突飛すぎたりしてついていけない文脈になっていることだって多いことでしょう。直前の文章における、逆説の使い方が適切なのか、もっといい言い回しはないのだろうかととか考え始めると、わたしの場合は根を詰めすぎてしまって訳がわからなくなるのです。だから、あんまり気負い過ぎないほうがいいのだと思う。こうやって、意味もなく、意味のない長文を書きたれているこの時間こそが至福であり、なんていうか久々に楽しくて止まらなくなっているのです。

読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。それが一体誰なのか。わたしが想定した架空の誰かなのか、どこからともなくやってきていつの間にか培われてしまった常識というものなのかは知りませんが、とにかくまあ面倒で、厄介で、鬱陶しいわけなのです。無論、悩んでいる最中にそんなことに気づいているわけがありません。気づいていないのですが、とにかく苦しいわけです。産みの苦しみってやつとは違いますもっと煩雑な、ごちゃごちゃとした混沌が頭を塗りつぶしてしまうのです。

からなのだろう。分析したつもりになって悦に入って何がしたいのだろう。修造さんに叱られるかも知れないけれど、やっぱり色々思ってしまうなあ。全てにおいて理由があるなんて限らないのかも知れないけれど、大抵の物事については確かに理由や動悸があるはずだもの。例えば衝動的にこの文章を書いているのだとしても、その衝動はどこから来たのか、なぜ生まれたのか、どうして依然としてとどまるところを見いだせないのか、考えることはできるし、一応の答えを当てはめることは可能だと思う。

問題は、その答えに納得できるかどうか、その答えが適切であると認められるかどうかなんだよなあ。認められないんですねえ、わたしは。優柔不断から。そうなのかな。もっと正しいものがあるように感じることが多い気がする。自分で出した答えに正しさが見いだせず、そもそもに於いて自分の中に確固とした正しさを確立できていない人間が、正しさについて悩むなんて馬鹿げてる。でも、正しさについて確固とした答えを持っている人って脆いと思うなあ。固いだろうけれども、ダイヤモンドみたいなものだと思う。無論、それだけの輝きと価値を合わせもってはいるのだけれど。

ダイヤモンドにもなることができないクズ石が何を語るのかという自虐が出てしまう。いやいや、クズ石ですらないかも知れない。では一体何なのか。わからないなあ。卑下する必要はないのかも知れないけれど、自分が何なのかなんて誰にもわからないんじゃないかなあって思う。例えば学生とか、どこどこの社員だとか、夫だとか、身分を示す言葉はたくさん纏っているだろうけれど、その言葉を纏っている本体は一体何なのかと問われたたらみんな答えに窮すると思う。デカルトかって感じ。デカルト知らないけど。

知らないことがたくさんあって参ってしまうわ。こんなくっそくだらないチラ裏書き散らして恥ずかしく無いのって、それ一番言われているから。

2011-08-01

中二病中二病足りうるにはどういう環境に育てばいいのか

ネット中二病という単語を目にしたのは高校生がはじめて。

その特徴をもとに自分はどうだったか反省するとそれは小学校中学年の時分だった。

周りを見てもそんなかんじだった。

どちらかというと高二病の方が中学生自分表現するのに適切だったと思う。

僕は育ちがいいかと言われればそんなことはない。普通の市立小中学校を出て普通の高校に通い、普通より少し偏差値の低い大学に入った普通人間だ。

交友関係は、貧富様々。2Kに四人ぐらしするような家庭から医者の息子まで様々だった。学外にも友人がいたし、部活の延長上他県の生徒とも知り合いがいた。

流行に敏感だったかというとそうでもない。ジャンプ中学二年生あたりから読み始めた。ちょうどテニスの王子様青学氷帝学園決勝戦手塚の腕が壊れたあたりだ。

まあとにかく、そういう中二病に当たるような人は中学生の時には見なかった、ということだ。

どこにいるのだろうか、彼らは。

2011-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20110526194145

自分は他のアーティスト様とは違うって言いたいんだろうけど、

それって結局ただの高二病から

2011-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20110310094441

言ってることはせいぜい高二病の範囲だなあ

はてなキーワードクリックするといいよ)

ラノベ作家を目指せばいけるんじゃないか

2010-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20101124164740

理想現実をごっちゃにするのはナンセンスだし、現実が常に理想よりも優先されると考えるのは単なる高二病

2010-07-16

議論がすれ違っている所を目の当たりにした

中二病高二病は相反するものだと未だに誤認している人が多くて驚いた。

高二病は「中二病に対して中二病を発症した状態」だろう。つまり中二病高二病

その証拠に中二病高二病を同時に発症している人は結構いる

(例:自分の中で中二な妄想するのは平気だけど他人の妄想を見聞きするのは耐えられない)

相反しているなら同時に発症することは出来ないはずだ。

某所で定義についての論争が紛糾していたので気になった。

全く関係ないけど、「枕に顔埋めて足バタバタ」という表現を考えた人は天才だと思う。

いかにも「思い出すと恥ずかしい」という雰囲気が出ていて凄い。

2010-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20100626154643

悪いことはいわないから入っておけ。

そいつらは君の創作活動にはなんの役にも立たないかもしれんが、

君が大学卒業する役にはたつ。

ぼっち大学卒業すんのはいろいろ辛いぞー。ノートとか。

 

そして大卒という肩書きは、仮に君が違う道を選ぶときに役立ってくれるだろう。

高二病発症してないで仲間はつくっといたほうがいいよ。

友達の友達とか、結構面白いつながりがあるから。

2010-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20100614102305

ううん、普通に死ぬほどキモイだけです。中二病だの高二病だの言ってるお前も彼ら以上にキモイですはい

http://anond.hatelabo.jp/20100614101019

中二病を批判する高二病ってかんじですね。

そしてそれを批判するオレ大二病。w

2010-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20100607152318

中二病で非現実世界観の虜となり、

高二病きれいな現実世界観の虜となり、

大二病政治社会ドキュメンタリーに傾倒し、自分の近い未来を夢想して、

社二病ですべてを受け入れ、さらに自分の終着思想を人に強要する社蓄の完成

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