はてなキーワード: 精神年齢とは
つまりよお「子供とえっちなことする」漫画を書いても道徳的にセーフなようにキャラの年齢だけ引き上げたってことでしょ?
いやはや、これで自称フェミニスト(正直アレがフェミニストと呼べるものなのかは私も疑問だ)に対して反論しきれていると思うとは理解し難い。
だってさ、単にキャラクターの上辺の年齢だけ上げてることは誰の目からも明らかな訳じゃん。
年齢に相応しいレベルに成長してるのはおっぱいの大きさだけで、体つきや顔つきも子供のソレなんだろ?
まあねえ堂々と「ごめんなさいそれでも僕たちは架空の子供でオナニーしないと実際の子供に手を出しそうなんです……」って頭を地面に擦り付けるなら許すよ。
だって、それは人間としてとても理性的な感情のコントロール方法だと思うから。
でもそこで変な誤魔化しをはじめて、言い分を全部照らし合わせると矛盾が出てくるってのはどうかと思うなあ。
20代最後の盆休み。大学入学からもう10年以上経つ。私自身をとりまく環境は数年に1度大きく変わるのに、私自身は何ひとつ変わらん。
大学は実家から通って、親父が仕事クビになって奨学金貰って学費稼ぎながら勉強して、大学院から違う大学行って貧乏一人暮らしを経験した。シンプルにキャパオーバーで、ずっとうすぼんやりと死にたかったことを覚えてる。のち無事に就職して縁もゆかりもない土地に来て仕事して、そろそろまた違うところに転勤。金こそ困らなくなったが、ずっと学生時代の金銭感覚だし、奨学金返すのキツイし、友人こそ居ても恋人はおらん。大学以降での友人も、そこまで深い付き合いにならず、引っ越したらそれっきりが多い。そして何より、焦りというものが全く無い。精神年齢が18歳で止まってる感覚。
来月で30歳。そこそこやりたい仕事もできてる、転勤はあれど納得はしてる、給与に不満はない。でも恋人もおらず、深い友人づきあいもせず、一生家賃5万で適当に過ごしていくんだろうか。学生時代に欲しかった安定した収入を得て、それを何年か続けることもできて、なんか仕事も好きになってきて、人生に余裕が出てきたからこそ、生き延びる以上の何かを考える、考えてしまう暇が出来てしまったのか。院生一人暮らしで死なずにすんだのも、学生のうちに一人暮らししてみたかったというモチベーションがあったからだ。仕事をやってこれたのも、自力で生き延びるという成功体験が欲しいというモチベーションがあったから。今、何もモチベーションにつながるものがない。
生き延びることは、多分出来る。生きることを、やりきる自信がない。あのうすぼんやりと死にたかった感覚は、余裕のなさという環境ではなく、自分の根源的な何かである可能性が見えてきた。
自分の根源的なものなら、どうにか折り合いをつけて生きていくしかない。肯定は出来なくていい。来月で30歳。次は30歳と1ヶ月を目標に生き延びよう。
かもしれない、というか当にそうなのだが。
特徴の一つとして「周囲から見ると何を考えているかわからない」が挙げられ、この障害を知らない人からしたら、ただただ取っ付きにくいタイプの人間だと思われがちで、少しでもこういった障害があることを多くの人に知って貰えたら、という願いを込めてここに書くことにした。
端的に言うと、他人に興味関心がなく社会的関係を育みたがらず一人でいることを好み、感情表現に乏しい。
以下の項目の4つ以上が当てはまるとこれに診断される。
殆どが後天性のもので育った環境や人間関係の縺れ、うつ病などの経験を通じてこのような障害が生じてしまうらしく、他の人格障害である「回避性パーソナリティ障害」「妄想性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」なども併発していることが多いらしい。
また、一見して感情的に冷めていて無関心であるように見えるが、実際には非常に感受性豊かで何か大きく感情が揺さぶられるとすぐに泣いてしまい、それを"恥"だと認識している為、他人の前では見せたがらない。
他人にどこまでも寄り添う正義感を冷ややかな目で見たり、同調して特定の人物を叩きたがる傾向のある現代社会(特にソーシャルネットワーク)においては豊かすぎる感情の露呈はやや「変わり者」と見られる風潮があり、それを"回避"するべくして無関心を装っているのかもしれない。
ここからは私の話をする。
両方において少しやりづらい点は、他人に興味関心をあまり持てない故にコミュニケーションにおいてやや近寄りがたいと思われがちなところだ。
その上、他者との対立を望まず、「波風立てない優しい人」を演じている為に、一般的に社会的弱者と呼ばれるような方や精神的障害を抱え悩んでいる方、主に年下から懐かれやすいと感じている。
そう思うのは、もしかしたら私自身の精神年齢が低いからかもしれない。
表面上では波風立てずに他の人の意見に賛同・同調したり、話が進展しない時は自分から立候補して意見を出すなどしているが、そもそも「自分の本心での考え方」が意識下にあり、その大凡がその場の空気に逆らう考え方や批判的な内容なのだ。
勿論同じ世代の人間と会話をすれば本心から同意・納得するのだが、こうして自分の本心を隠して「いい顔」をすることによってメンタルの弱い子相手には「自分はこの人に肯定されている」という気にさせてしまうのだろう。
普遍的・平均的価値観の人間からすれば私のようなタイプは「本心では何か考えがあるのにそれを表に出そうとしない」ことが感覚的に伝わって近寄りがたく感じているのではないだろうか。
また、上の項目に関しては、性的活動に対する興味と親しい相談相手以外の全ての項目が当てはまった。
家族に育てられ今もなお健在だが、今まで一度も「親孝行をしよう」という気持ちが持てなかったのである。
大人にもなれば自分の誕生日を祝われるのも気が引け、両親の誕生日も自分から祝うことはなくなった。子供の頃は、社交辞令としてそれを受け入れていた節がある。
誰にも打ち明けていなかったが、自分はなんて薄情な娘なのだろう、と何度も自分を責め立てていた。一般的に親子は仲良しであるという理解があったからだ。
シゾイドパーソナリティ障害の多くは、小児期の育ての親に冷たい態度を取られたり育児放棄をされるなど、なんらかの切っ掛けがあり他者との交流を拒むようになるらしいが、私の場合そんな大それて分かりやすく暗い過去は持ち合わせていない。
せいぜい、躾の為に押し入れに閉じ込められたり、大声で怒鳴られたりしたぐらいでそれが自分の今後の社会性に繋がっているとはあまり考えられなかった。躾だと分かっていたから。
むしろ自分の友人が悲しい過去を背負う人たちばかりで、自分は親に愛されて育ったのだと実感したぐらいだ。
何故人は喜び、悲しみ、笑い、傷つき、怒るのか?
その理屈を探るべく、クラスメイトに様々なアクションを起こし(聞こえは悪いが決して悪意はないもの)経験を得て人間が何をされたらどう感じるのか、どんな過去があればどの解釈が生まれるのか等々、自己陶酔気味に理解を深めていった。
今よくよく思い出して考えてみれば、若干サイコパスの素質はあったのではないかと思う。
自分自身の成長が遅く、それらを"恥"だと感じて回避するようになったのは高校の途中ぐらいからだった。
私はその頃ようやく、自分自身の性格が酷く醜いものだと悟り、表に出さないよう気を付けて生活するようになった。
ちょうどバイトを始める時期でもあり、結局若さ故に大人とぶつかっていくことになるのだが。
思い返せば、こうした気付きや自覚から、トラブルメーカーである自分は常に一歩身を引かなくてはならない、と抑圧を始めたことでシゾイドパーソナリティ障害は生まれたのだろう。
社会に出てからも若い時は大人とぶつかり最大のトラウマを抱え、しばしのうつ病闘病期間の末にある特定の人種との関わりがアレルギーになるなどしたが、もともと感受性と被害意識が強い為、感情を表に出せばどうなるかは火を見るよりも明らかだ。わざわざあの内容を書くほどでもないだろう。
長々と書き綴ったこの身の上話を誰が読みどう感じるのだろうか?
出来れば、私と同様に「何も感じない」で終わって欲しい。ただ、シゾイドパーソナリティ障害というものが存在すること、それを患う人間がどんな人間であるか、だけ分かってくれたらいい。
インターネットには批判をすることが好きな人間がしばしばいるようなので、私がコメント欄を開くことはないし、肯定的な意見に全身全霊で耳を傾けることもないだろう。
なぜここに書いたのかという経緯を最後に綴る。
他者への興味関心が薄く、打ち明けてどうこうされたい相手もいない。(相談相手はいるが、解決できないと私が結論付けた問題を提起したくない)
カウンセリングや心療内科の先生にすら、これらの障害・過去を「私」と結び付けられることが"恥"だと感じている。
受診したところで、気持ちを落ち着ける薬を処方されるだけなら、むしろそれだけでいい。
だけどたった一度だけ、どこかにこの思いを落としておきたかった。
残念ながらこの障害を抱えていることに対して「辛い」「悲しい」等の感情は持ち合わせていないが、心の奥底に眠る承認欲求と抑圧前の煮えたぎる反社会的な感情が私の手を動かしたのだ。
そこはこっちも熱くなって間違えたわ。すまんな。謝るわ。
精神年齢が低い人間は、もっとちゃんと言うと、自己中心的で相手を慮れない、想像力がない人間のことだな。今度からそう言うようにするわ。
増田があまりにもかわいそうなのでぱっと思いついた対策を書いてみるね。
Twitterはいまのアカウントを放置して別垢つくってフォロー関係整理したらいいんじゃない?
固定のつながってる人や仲いい人にはDMしとくとかで。
転生後をしばらく雑食に特定されないようにする必要があるけど鍵にしとくとかで…(しばらくでいいと思う、なんとなくだけど害悪雑食は飽き性だろうなというのを感じる)bioに固定派以外はブロックしますくらい書いとくのもいいと思う。実際ブロックするかは置いといてね。
新しくフォローするときは相手が固定とbioに書いてたり自称してても、いいね欄や返信ツイートもできるだけ見てからフォローしたほうがいいよ!
サイトの方はお気に入りブックマークとかされてたり履歴から来られる可能性考えると難しいな…。
これはやるならツイッター転生とセットがいいと思うけど、サイト自体に原作ある程度読み込んでたり、調べたりしないとわからないネタや、年齢やリテラシーである程度足切れそうなネタのパスワードつけて、そういうのを面倒くさがる奴を中に入れない読ませないくらいしか思い浮かばない…荒らしがいるのでとか理由つけて…(害悪雑食派の実年齢/精神年齢は低そうに感じる)
パスワードかけたからといって連絡先をのっけるのもだめ。きっと凸ってくるから。無視できるならいいと思うけど。
ただこれうっかりすると固定派も見れなくて諦めちゃうんだよね〜悩ましい。
ブログのコメントは、そういう機能があればだけどコメント反映を承認制にしたらいいんじゃない? 同カプ常連のコメントだけ承認して表示するようにしとけば流れはそっちになると思うよ。
害悪雑食がなんで載せないのとか怒り出すかもしれんのがあれだけど…。そこはもうよくわからないフィルターがかかってコメント届いてませんとか言ってしまえ。
雑食だけにコメントをさせなくするのは難しそう…。NGワード指定しまくるとか?
書いててなんで増田がここまでしなきゃいけないんだろって気持ちになってきたよ。でも闘争をできる限り避けて平穏を勝ち取るにはやるしかない…。
実況者はゲームの上手い友達でそして注目もされているから作法は大人でなければならない。中身に熱量があるならなお良い。
炎上は注目を集める手段だ、その対処を見て参考にしようと人々が集まる。
なんの参考にもならない炎上の対処はその片鱗を見せた瞬間から名前すら見られなくなる。
だから実況者は最初ゲームがそれほど上手くなくても、漢字が読めなくても、最悪ゲームがそれほど好きじゃなくてもいい。
炎上しない程度のバランス感覚を持って、炎上したとしても対処の仕方が上手ければそれでいい。
そして徐々にゲームが上手くなったり漢字が読めるようになったりゲームが好きになったりするなら尚良い。
VTuberはガワがいいからそのドラマの入り口に立たせやすいけど、実況者は純粋な注目度でしかその入り口に立てないので、話題のゲームや奇抜なゲームプレイ、ワードセンスを動画付きで褒めてくれる人間がいれば注目されやすい。
オタクに年齢は関係ないと思うし、せっかくインターネットという文字だけの世界にいるので、好きなことしてるときくらいはっちゃけたいとは思うのだが、やっぱりこの歳になっても学生の頃のままのノリなのはいかがなものかと、私の中の常識人ぶった部分が囁いてくる。
・
少し前、数年来のフォロワーたちに弾かれた。
上も下も歳の近い、私生活のあるあるも共有できる女オタクたちである。
別にブロックとかはされてないのだが、わかりやすく言えば彼女らのオタ活において「用済み」になってしまったのだ。
理由については「まあそうなるだろうな」という出来事があったのだが(別にトラブルではないしむしろ私は何もしていない)
だからってここまであからさまに扱い変えるか〜!?!?と腹が立ったので、私も自分から積極的に彼女らに絡むことをやめた。
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別に付き合いの長いフォロワーは私を弾いた彼女らだけではない。
面白おかしくTwitterでお互いの推しについて語る相手はまだいる。
一番歳の近い子でも、同時に同じ中学高校には通えない差である。
歳下ばかりのコミュニティに、歳上の自分が同じノリで混ざるのはどうなんだ。
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「しっかりした頼れる大人」でならなければいけないという義務感だけはあるのに、それが全くできないからだ。
ふとしたときに我に返ると、自分がどう見られているのかめちゃくちゃ気になってしまう。
あー歳とりたくない。歳上に囲まれたい。
結婚するなら10歳上までセーフだけど1歳でも歳下だったらどんなにイケメンでも躊躇する。
直接指導する後輩を持った経験そのものが乏しいのだが、やはりうまくやれたことはない。
それくらい歳下と接するのが苦手である。
・
インターネットは幸い顔が見えないので、お互いの年齢を気にすることはあまりない。
さらに私は学生期間が一般的な人より数年長かったので、歳下が社会人やってるのを見てもまだ「大人」になりきれていなかったのだろう。
なのでこの数年はあまり気負いせず今いるコミュニティの歳下の子たちと交流できていた。
しかしいよいよ社会人になると、自分が「いい大人」であるという事実がぶっ刺さるようになってしまったのである。
ただただつらい。
・
30代〜オタクの幼稚さについて書かれた増田を幾つか読んで思うのは、30代以上でも10〜20代前半のオタクのノリを続けてる人間が精神的に幼いのは当たり前だし今更だろってこと。
オタクコンテンツはモノによるけど対象年齢10〜20代として作られたものがほとんどなんだから、そんな「対象年齢外」のものを既にもう自分が対象年齢外になってると気付かずに楽しんでる時点でオタクの精神年齢が幼いのは当たり前なんだよ。
女児向け/男児向けコンテンツをオタクが楽しむ時に 自分がコンテンツの対象年齢外だと認識した上で楽しむのが当然なのと同じで、
学生〜20代向けコンテンツを30代〜のオタクが楽しむ時も、自分がコンテンツの対象年齢外だって認識を持つのが自然のはずなんだよ。
自分が「成人した人間」であるって認識が無いまま、心だけは10〜20代のまま若くキャッキャと騒いでる。
この話は何も30代〜に限定される話じゃなくて、学生でも「高校」「大学」になるにつれてブツかる話だと思う。
オタクが「陽キャ」「一般人」と揶揄する人種は、何もアニメ/漫画/ゲームと無縁な訳でも そのコンテンツ自体を馬鹿にしてる訳でもなく、彼らは人生のステージに合わせて適宜新しい趣味を見つけて卒業してきただけ。
けど多くのオタクは、その新しいステージへの転換を、無視して/気付かないフリをして、留年し続けてきた。
別に、対象年齢外のコンテンツを楽しむこと自体は悪いことじゃないけど、対象年齢外のものを楽しむなら楽しむなりに「自覚」が必要になる。
もう既に「大きなお友達」なんだ。
どうしようもない
対象年齢のままでは居られない
オタク界隈の中では長くコンテンツにいることが美徳とされるけど、一般社会ではそうじゃない
あーあ
あーあ…
俺はいろんなTwitterの界隈にいた経験があったんだけどTwitter初心者の人がどこの界隈に入ればいいかを勝手に決めちゃうね
ブロガー界隈→基本的に短命で4ヶ月もしたら3分の1は入れ替わってる、アフィカスばっかりの中身ないサイトばっかりだからつまらない、馴れ合いが多いのがすごいキモい
YouTuber界隈→マウントの取り合いで気持ち悪い、馴れ合いみたいなところを感じるのはブロガー界隈と一緒
YouTube界隈→YouTubeを見て感想を言い合う界隈、基本的に新しい動画の発掘ができたり、良い界隈なのだが稀に見ている人でマウント取るなどのキッズムーブをする人がいる。全体的に精神年齢が低い
ガジェット界隈→ゴミ、ゴミオブゴミ、Twitterの恥。Antutuというベンチマークアプリで出る性能のスコアでマウントを取り合ったり、ブランドでマウントを取るなどのYouTube界隈と同じような中身のない界隈という印象を受ける。基本的にどこかおかしい人がいる感じだし触れてはいけない
FPS界隈→厨二病キッズと自称姫(ネカマ)の界隈。レートなどでマウントを取ったり、とにかく中身のない
ソシャゲ界隈→最高。ゆるゆるダラダラしているのが特徴の界隈、基本的にはレアキャラ出たら裏山とかおめとか精神年齢低くてもそんなにキッズムーブする人がいない界隈、多分大人が多いんだと思う
俺はいろんなTwitterの界隈にいた経験があったんだけどTwitter初心者の人がどこの界隈に入ればいいかを勝手に決めちゃうね
ブロガー界隈→基本的に短命で4ヶ月もしたら3分の1は入れ替わってる、アフィカスばっかりの中身ないサイトばっかりだからつまらない、馴れ合いが多いのがすごいキモい
YouTuber界隈→マウントの取り合いで気持ち悪い、馴れ合いみたいなところを感じるのはブロガー界隈と一緒
YouTube界隈→YouTubeを見て感想を言い合う界隈、基本的に新しい動画の発掘ができたり、良い界隈なのだが稀に見ている人でマウント取るなどのキッズムーブをする人がいる。全体的に精神年齢が低い
ガジェット界隈→ゴミ、ゴミオブゴミ、Twitterの恥。Antutuというベンチマークアプリで出る性能のスコアでマウントを取り合ったり、ブランドでマウントを取るなどのYouTube界隈と同じような中身のない界隈という印象を受ける。基本的にどこかおかしい人がいる感じだし触れてはいけない
FPS界隈→厨二病キッズと自称姫(ネカマ)の界隈。レートなどでマウントを取ったり、とにかく中身のない
ソシャゲ界隈→最高。ゆるゆるダラダラしているのが特徴の界隈、基本的にはレアキャラ出たら裏山とかおめとか精神年齢低くてもそんなにキッズムーブする人がいない界隈、多分大人が多いんだと思う