はてなキーワード: 精神年齢とは
さいきん、オタクじゃない人も漫画やアニメを見るようになった。そのおかげか、オタクの外見レベルは格段に向上したと思う。
メイクや服などいろんなことに気を遣う人も増えた。母に言わせると、どこにオタクの人がいるの?と街を歩くと言われるくらい。
最近、萌え絵が嫌だとか気持ち悪い。おしゃれじゃない、に近い事も言う人も出てきたとSNSを見ていて思う。
確かにセーラームーンとかピカチュウとかブランドの服とコラボしたりしてくれているおかげで、普段着にも使えるバッグや服、メイク用品が出て見ていて楽しい気分にはなる。
でも言わせてほしい。オタクにとってのオシャレは一般人のオシャレとは違う。
なにがっていうと難しい。どう定義していいか、おしゃれじゃない私がいえるかわからないけど。
あまりにも一般寄りのオシャレになると、オタク心がそそられない。
悪い言い方になると、一般からするとちょっとダサいのがイケていると思うのもオタクなのだ。
だから逆に考えると一般寄りのオシャレにすると、オタクにとってダサくなる。
それなのに、最近はやたらオタクグッズをオシャレにしようという流れが出ている気がするんだ。
萌え絵ばかりあって飽きた、とか別の種類の絵が見たいとかはわかる。
でもオシャレな絵ってなんか違うんだよな。
私の考えが古いだけ?最近の若い子についていけてないだけ?私は精神年齢は幼いけどさ。
私は赤地とか白地とかにピカチュウが浮かび上がっているのは可愛いし、普段使いしてみたいかもと思った。
今日、道を歩いてたらなんかダサいって通りすがりに言われたんだ。流行りおさえた格好にしたんだけど、オタクとしてダサかったのか一般人的にダサかったのか好みじゃなかったのかすらわからん。
本当はコロナで暇になったのでお金はたいて骨格診断してみようかな、って思ってたんだけど、まだいけてない。
資生堂のメイク教室、奮発して行こうと思ったら予約ボタン押せなかった。
一般のメイク教室に行こうと、生まれて初めて調べたけど全部オンライン。
youtube見ながらやってみたけど、youtuberが持っている感覚がまるで伝わらず別のメイクになるだけだった。
話が逸れた。
だからあんまりオシャレを狙うとオタクの需要から外れるじゃんってこと。
最近萌え絵とかに文句を言う一般の人が増えたけど、一般受けデザインにしてオタクの需要を減らしたいのかな?って思ったんだよ。
もちろん、性的な~とか色々思うところはあるんだろうけどさ。
先日海外遠征をしていたグレート-O-カーン選手(以下「オーカーン」とする)が新日本プロレスに復帰した。
久しぶりの登場に歓喜しこれからの新日本プロレスの更なる盛り上がりを感じずには居られなかった。
そんなオーカーンのTwitterは本人の強面っぷりとアニメオタクっぷりを隠さないギャップ、本人のTwitterの使い方の上手さでバズっている。
https://mobile.twitter.com/great_o_khan
それはいい。
だがオーカーンの更なる趣味でバーチャルYouTuberの追っかけというのがある。
バーチャルYouTuberは素人以上プロ未満の連中としか言いようがない。
新日本プロレスのファンよりバーチャルYouTuberを優先しているように思えてならない。
彼がTwitterで個人を識別してるのは同業のプロレスラーと木谷社長、そしてバーチャルYouTuberくらいだろう。
新日本プロレスのファンはオーカーンを見ているがオーカーンはファンを見ていない又は軽視しているように感じる。
自分たちと大差ない素人連中のくせにオーカーンと対等に話してるのはシンプルに嫉妬せざるを得ない…そういう精神年齢3歳レベルの人間のお気持ち表明でした。
成長することが怖いし、変わることが怖い。以前にも同じことで悩んでいたけど数年同じ環境に身を置いていて、今また自分の生活が大きく変わろうとしてるからまた怖くなった。
井の中の蛙大海を知らず、って言葉があるけど、大海を知るために今までの環境が全部変わるぐらいなら井の中の蛙でいいやって思う時がある。
自分にとって知らない人だらけの空間はそれだけで大海だし、社会に出るってことが怖くて仕方ない。自分の世界が広がるのが怖い、みたいな感じ。
自分に数え切れないほどのコンプレックスがあることも分かってるし、メンタルが弱いことも理解してる。けれどいつまで経っても外食は慣れないし、年相応にちゃんとした人間だって自覚なんかない。今でも精神年齢が小学校低学年の気持ちでいるから、こう、年相応の対応を求められる場面がめちゃくちゃ苦手だ。畏まった話をしなきゃいけない電話とか、面接とか、接客とか、その他諸々。正しいことじゃないと失礼になる、みたいな場面でめちゃくちゃ自分の行動と他人の目が気になって、どう言えばいいんだとか今の失礼だったかなとか、心配になって仕方ない。だから新しい環境って苦手。
知らない人も苦手。もっと言えば、知らない人だったけど今から何かしらの関係を築いていかなければいけない人たちが苦手。たとえばふらっと寄ったコンビニの店員さんとか、旅先で会った人とか。その先一生関わることのない人ならまだマシに話せる。でも学校のクラスメイト、バイト先の人、かかりつけになる病院の先生、みたいな、その後の関わりの深さはともかく今後しばらく関わる人っていうのがめちゃくちゃ苦手。毎日自分に関わった人から自分の記憶が消えて、毎回初対面になる方が変な緊張しなくて済む。
ともかく、成長していく=そうやって関わる人間が増える、だから怖い。何気なく関わっている人間全員に思考があるって冷静に考えたら不気味。そんな生き物がこの世に何千どころか何億といるんだから怖い。そんな社会に踏み出していかないといけないことが怖い。成長って怖い。
増田は年齢を重ねれば普通に覚えていく年齢なりの距離感を綺麗さっぱりつかめないまま萌えに突き進んできたんだろうな
激うま絵師なんてけっこうな確率で年を取っている。上手くなるまでには月日が必要だからだ。
増田が激うま絵師、もしくはジャンルで伝説の字書きレベルの腕を持つのであれば、誘えば大喜びで若い子はのってくると思う。多少会話が痛くてもだ。
憧れのXXさんとお食事!となる。しかし避けられているところを見ると、特に憧れの対象にもならない描き手なのだろう。その場合は別に年齢が若くても対応は余り変わらないと思われる
「あ、じゃあ今度いっしょにいこうよ~」とか返す
誰しも見てるSNS上で、そんなこと言われたら、反応に困る。いいか。食事に誘うのはそれなりに親しくなってからではないと難しいのだ。SNS上で喋ってるレベルの人と二人で食事に行くかっていうと違う
これは年齢関係ない。もう一度言うが、年齢が高いから断られるのではない、飯の食事に、「おいしそー」と言われたら普通なら「おいしかったですよ!おすすめです!」と返すのがそつない返しだ
おいしそう、って行ったくらいで、いきなり食事に誘われるのはちょっとしんどい
その点で増田は珍しいタイプでもある。人は年を重ねると、あまりジャンルを移動しない。それはいつも新しい情報を手に入れるほどの余裕もなければ暇もなければ気力もないからだ
よって、十年くらい同じジャンルにいる人も多かったりする。そういう流れの仲で、五十過ぎてもぽんぽんジャンルを移っている増田は珍しい。年を取っているのが珍しいのではなく、年を取っても最先端少年漫画ジャンルを渡り歩く人が珍しい
最先端ジャンルには当然若い人が増える。なので増田が浮くのは当然である。逆に増田が今まで通り過ぎてきたジャンルを振り返ってみたら、そこには同年代の人たちがいるだろう
年を取ったおばさんは、ジャンルを何度も移動しているが、だいたい前前ジャンルあたりで出来た友人と今もまったり交流していたりする
萌え話をする人も現ジャンル内ではできるが、プライベートまで喋るような仲良し友人は同年代で、別ジャンルにいたりする。増田はそういう友はいないのか?そういう友がいないから若い子ととキャッキャしているように見えるが
増田にそういう友がいれば、「あんたちょっと気をつけなよ」と言ってくれたかもしれないし、同年代の友の立ち居振る舞いで察することもできたかもしれない
「年下ならいくら下でも話しやすいのになーなんてこと思ってた」
当たり前だ。
増田は、普通の50代オタクより遙かに感性が若く、情熱も若い。年齢がどうあれ、精神年齢が若いので、同年代と話していて楽しいわけがない。同年代のオタク達とは感性が違う。それは別に悪いことではない。だが高齢オタクがレアなのに、その上
増田がどのような生活をしているのか知らないが、54まで年齢差なりの距離感を学ばずに来たのはある意味凄い。普通は社会に出てどこかで学ぶ
増田はひょっとして、専業主婦の金持ちおばさんか、独身お局会社員なのかな?と思った
そんな自分も高齢オタクだが、誘われない限りは若い子とは遊ばない。チケットが余ってしまった、などの時にチケット無駄にするくらいなら、と若い子を誘うことはあるが、この場合断られることはない
同世代のオタク友達とはリアルで遊ぶ。若いジャンルの子とはTwitterとイベントで喋る程度だ
相手が気を遣っているのが分かるし、こちらもそれ以上踏み込みたくない。一緒に飯食ってたら、まるで親子じゃん。
年を取るとオタク仲間は減る
この5つくらいあるハードルを乗り越えた、もしくはハードルがなかった人間しか残らない
残ったとしても若い頃の情熱は既に失われており、描き手になるともっともっと減る
末永く続けて欲しい
で、ぶっちゃけていうと、若い子は陰でこそこそ言ってたりするよ。「年取ってまでオタクやってるの痛いし」とか「三十代まででしょ」とか「思ったよりあったらおばさんでびびったw」なんて言っているのは小耳に挟んだことがある
なので、できるだけ上っ面以外は関わらないのがお互いの幸せなんだろうなと思っている
乙武やパラ選手、カナー自閉症などの人達は生得的な困難だけど「生きてるだけで辛い」とかじゃないぞ。
アインシュタインやエジソンやビルゲイツの類の成功者たちも「生きてるだけで辛い」とか言ってないし、ALSでもそんな奴は多くない。
「辛い」っていうラベリングは文化から後天的に学習した心理的なもの。
だからメンヘラよりも酷い境遇の、死ぬレベルの虐待児童・やまゆりレベルの障害者でも「辛い」と訴えることがない。
これを言うと我々の先天的な乙武レベルの脳障害を理解してない!!とボコボコにされるが
自身の面倒をみろと政府に要求するようなメンヘラは、後天的な問題だ。
トイレトレーニングしてもらえなかった子どもは俺のオムツを変えろ!と泣き喚くしかないのだ。
同レベルの能力・精神年齢の人達でも実家の太さ時代の良さで成功安定しているのだから、俺にも下駄を履かせろ俺をジャンプさせろっていう主張は一理ある。
ひたすらに辛い。今周りから妬み嫉みが止まらない。その原因が自分のくせであることも解決方法も少しばかり分かってきているが、それでも辛い。何年間も自分を嫌ってきた人が居てなんか分からないけど辛い。もう少しで見た目を少しばかり変えて、今までやってきた癖に終止符を打ってみようと思う。ただ、髪の毛を止めたりして、なんか言われないか心配である。それでなお妬み嫉みが来るなら尚更嫌だ。自分がADHDで、周りを困らせている。ひたすらに前向きに生きようと、どうしようもなくても生きてみようと思っているのに、心が痛い。心臓が、喉が、奥に引く感覚がする。なんだろう、これ。恐怖と焦燥が合わさったような蟠りがある。
見た目をとりあえず変えてみよう。あいつらは見た目だけで判断している。判断材料がそれしかないからだ。会話もろくに交わせないので(コミュニケーションを自分からとることが出来ない、しようとしない。)それだけで少し変わるかもしれない。ドンキに行こう。ダイソーに行こう。4000円程しかない。髪の毛を止めた経験も、クソでかい鏡もないし、どうとめれば正解も分からないが、やってみよう。
現在27歳、数年以内に同い年の公務員の彼氏と結婚予定。わたし自身は大学を中退したあと派遣事務でのらりくらりと働いている。
そもそも結婚しないのもする理由がないからで、子供を作る未来がないからである。
国家資格を持っているタイプの公務員である彼氏は、たぶん同級生たちよりは貰っていると思うし、わたしも派遣でボーナスはないにしろ、それなりに貰っている。それでも子供を育てられる十分なお金を稼いでないし、今生活している以上の労力を子育てなんかに裂けないと今は思っている。
精神年齢が私より低い友達は、子供のまま子供を育てているようだけどそんなこと私はしたくない。今のところ子供を作ることにメリットを見いだせていない。大学なんて出させられる気がしない。