はてなキーワード: 白痴とは
どうも何もないだろ。「リモートワークは新しくてえらい」という白痴のような信仰でモノを捉えるのをやめろ。何が起こっているのかを素直に見つめて頭で考えろ。
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→ タナカは美形ではない中年のおっさんかつ厨二病。タナカにハーレムなんかない、タカナの仲間は性別以前に人間ですらない。もちろんモン娘でもない
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→ 見た目と言動は賢そうだけど、その実、ただのサイコパス幼稚園児野郎が主人公。下記はお気に入りの一節
砕け散っていく闇の中、おぞましいほどに輝かしい笑みを浮かべるリゼ・ベイバロン。
臨界点へと達した独善的思考はもう止まらない。誰に願われたわけでもないのに、リゼはひたすら未来に向かってこれからも暴走し続けるだろう。
ああ、彼こそまさしく人間性の破滅的極致。都合の悪い現実を一切認めず、考えず、幸せな夢の中に完結した『全盲白痴なる魔王』として、ついに覚醒の産声を上げる。
ネットで吠えてる女性はよくその「寄り添う姿勢」を純粋に正しいことだと信じていそうな節があって、寄り添えるだけの想像力や理解力のある自分をものすごく自負してる感じがあるが。
男からするとそういう姿勢は、健全な社会を構築する上で完全にポジティブなものではなく、むしろ若干有害な要素になりえると懸念するものなんだよ。
誰かが寄り添わないとやっていけないような人間が発生している時点で、まずよろしくないわけ。
誰もが主体的に自分で自分のことをなんとかできるように育っていかなきゃならんわけで、寄り添いを肯定しすぎると世の中の小難しいことやセンシティブなことに向き合うだけの能力がない、白痴で温室栽培な人間ばかりが増えていくことになる。
現代でもわりと新しい分野のこと、たとえば情報セキュリティだとか詐欺対策だとか、そういう分野では、寄り添っていくだけでなく啓発して自ら賢くなっていこうとする方向で集団を育てていかないと、手が回らなくなっていつかはにっちもさっちもいかなくなる。
対人コミュニケーションの問題とて基本的には同じことなんだよ。
本当に問題があると思ったら自分たちで声をあげるべきだし、上げられる環境であるべきで、何か腐敗していて声すらあげられない状況であるならそういう時はちゃんと介入していくけども。
そうでない限りはその人が声をあげなかったならその判断を尊重するべきだし、外野がとやかく言ってしまうと自分たちのことに自分たちで責任を負う感覚がないまま自分のアタマで考える能力のない大人になってしまう。
女性は歴史的に、すでに出来上がってる社会の中でなるべく争いを起こさないように生きていくことが生存戦略だったから、こぼれ落ちた人々に寄り添って、自分たちの中に取り込み正常化させていくことを男性よりも肯定的に捉えるかもしれないが、
男性のように安心して暮らせる社会を闘争のなかで勝ち取って築き上げてきた遺伝子の直感によるならば、獅子の子落としのような厳しさの有効性も理解しているわけ。だから男性というのは過度に干渉をしない。
干渉をしないことで、人々がたくましく生きられることを信じているんだよ。
こちらがそれを信じなかったら、そもそもたくましく生きられるような筋道すら存在できなくなってしまうだろう、パターナリズムに塗りつぶされて。
私は過去に負けたと思った女達の生活をSNSで覗き見るのが辞められない。負けたというのは好きな男を手にいれた女だとか、奪おうとした好きな男を持ってた女だとか。別に彼らを愛しているわけでも、現在手に入れたいわけでもない。ただ、何故、私が選ばれなかったのか知りたいだけだ。彼女等の日常を細かく監視して真似出来るところは真似したい。私に無い感性が彼を虜にしたのでしょ?と思うので積極的にコピーしていきたい。
彼女達の事はわりかし尊敬しているのだ。私に無い部分を持っている女。それだけで存在が妬ましい。妬んで妬んで仕方ないから真似してやる。そして、彼女たちの素敵な部分のみを総合して、私になりたい。
彼女等が、不幸になればなるほど私は正直嬉しい。幸せだとか、充実していると悔しい。単純に粘着室で腹黒なこの精神をどうしたらいいのか。
「あいつは生真面目で堅物そうだから下品なネットスラング(性的なことを意味する俗称など)なんて知らないだろう」って親から底辺を受け継いだクソな小中学生が飲食店の店員や学校の先生にブサイクなニヤけ面しながら仕掛けるとかあるよ
意味知ってますけど?って言ったところで今度は「何だよ!処女じゃないのかよ!(なぜか女は性的な知識を男に教わる形でしか得ないと思っている)」「性的な知識があるなんてド変態なんだあ!セックスOKってことだよね!」って斜め上の解釈をされるだけ
ああいうのがおっさんになって新入社員に同じことをするんだろうね
無知シチュ萌えとか白痴萌えっていうの?ちんちんからせっけん出るマンをリアルでやるなよ
あとめざましテレビでちいかわのことをよく知らない女子アナがナガノの闇に困惑してるのをスタッフや視聴者がニヤニヤしながら見てるのも根っこの部分では同じことだと思う
建設的じゃない×間接的自分語り×自分と意見が違う×喋り方がキモイ=見るだけでストレスになる他人の感想
インターネットを繋ぐという行為時代にある程度のIQが必要だった時代のネット掲示板であればこのレベルのストレス感想は多くなかったけど、今ってスマホをショップで店員に言われるがままに買ってるだけの半分白痴みたいな人でもガンガンネットに書き込むでしょ?
それどころかそういった白痴みたいな人ほど一日中インターネットに繋がっていて、一日中自分の文章ばかり読み書きしてるうちにドンドン同じような言葉しか喋れなくなるし、自分がすぐに理解できない他人の意見はノイズだの敵意だのとしてしか受け取れなくなって壊れていくというか。
一昔前の今のインターネットはどんどんオープンになってどんどん繋がるのが理想とされていたけど、今は逆に適度な人数の気の合う仲間同士で小さくまとまった方が幸せだって再び気づいた状態だと思うんですよね。そこにはエコーチェンバーみたいな問題もあると思うんですけど。でもエコーチェンバーが一番酷いのは自分が平均的だと感じる集団が実は偏っていたというパターンでしょ?つまりは最初からこの集団はこういう方向に偏らされているという集団をいくつか作ってそれぞれに所属するのが良いと思うんですよね。1つの集団への依存が一番危険なわけですから。
そう考えると上辺はオープンで実は極めて閉じた世界、はてなみたいのが一番怖いのかなって。この話題になるとはてなはそもそも閉じた村だからって皆口にはするんですけど、その言葉が凄い空虚に聞こえるんですよ。だってそういう割には自分たちこそが世の中の平均的な意見の代弁者である中庸だって顔してるじゃないですか。偏った世界にいる田舎者だからって口にしておきながらその実は違うよ君こそが普通なんだよって言われたがってる顔してるんだなと。そういう人達と一緒に語るのに向いてるジャンルもあるんだろうけど、娯楽の感想って今はそういう人達と一緒には語らないほうがいい気がするんですよね。
ブックマークコメントってのは本来はタグ機能の亜種でしかない。
個々人がブックマークするに当たって管理のために残すコメントでしかなかった。
でも10年前は今みたいになんでも100文字に圧縮して語ろうとして滅茶苦茶なレッテル論や茶化しに走るだけの連中ばかりじゃなかった。
何故か。
それは「具体的に言及したいときは自分のブログに記事を書いてそのURLをコメントする」という文化があったから。
特定の話題について本気で語ろうとする連中は皆なにかあるとこぞってブログに記事を投稿してそれをバチバチに投げつけあった。
主戦場はブクマじゃなくてそれぞれのブログであり、あくまでブクマはそこに誘導するためのリンク集でしかなかった。
それがいつからかブログなんていちいち投稿しているよりも適当に100文字で下記散らかして絨毯爆撃的にスターを集めたほうが気持ちいいって考える連中の巣窟になっていった。
あんまりにもその有様が酷いものだから、はてなブログをメインで使ってたユーザーは他のSNSへと逃げていって、ブログ記事への誘導もそっちでやるようになった。
結果として今ブクマカとして元気にやってる連中の大部分は100文字以上の文章を書けない白痴の群れと化した。
こう言うと「あの人がいる」「この人もいる」って名前が挙がるわけだが、同じ程度の投稿頻度を持っているブクマカのうちでそうやってブログも一緒に使っているユーザーの割合を考えてみて欲しい。
昔と比べて驚くほどに少なくなっているから。
不射の射の如く技を極めてその必要がなくなったというわけではない。
単に楽な方へ楽な方へと進んでいくうちに能力が退化していっただけなんだ。
でも今のはてなで楽しく遊ぶにはソレで十分なんだな。
だがな、それは酷く幼稚で知性を感じさせないクソの投げ合いに落ちぶれているんだ。
既に便所の落書きでさえなくなってるんだよ。
いや、分かってないのはお前だよ。
その機能もない無敵で無感情な宇宙人ならタコピーの存在やあの振る舞いにSF的なスジも通る
だが実際のタコピーは殴られると傷を負うしごく自然に怯える機能もあるわけだ
それならそもそもどんな環境で過ごしてきててもとっくに痛みや怯えや暴力なんか理解してるはずだろ。
ついでに言うとタコピーは地球で普通に虫を食ってるらしいんだ。
生き物を殺して食べる発想も機能もある。それも地球で学習したの?まりな殺しで?
そういう風には描かれてないし俺は単なる設定ガバだと思う。
んでその後も肉体的な痛み以外にはとことんとんちんかんな反応繰り返すのになんかしらんけどしずかにとりすがって泣くようになるよね。
しずかの困難や悲しみが暴力への恐怖以外なにもわからない(どういう風にわからない、どういう理由でわからない、もあやふやのガバ)
なのにそれを理解する機会もなくなんか泣く。作中になんの流れも必然性もない泣きの場面。
暴力も殺しも怯えも備わってるのに文化がないってどういう設定なの?
俺は作者がなんも深く考えてないだけだと思う。展開都合のためのまだら白痴異星人。
それで納得できるんだってことは事象として理解してるしそう書いとるやん。
誤読だ!じゃねえんだよ。おめーよりはちゃんと読んで考えとるわ。
もう答えは書いたよね。
バーーーーーーカ。
粗雑なエサみたいな作品を作るインセンティブばっか強化されるんだよな。
「文化が違うからこういう行動なんです」って説明はちゃんと架空の別文化の一本スジ通った価値観やそうなってる背景を創作して提示できたときにはじめて使えるの。
そういうのなんもなくただ変な行動や作者のやりたい展開に都合のいい行動をするだけならそれは単にレベルが低い創作が異星人や異文化を万能言い訳にしてるだけ。
それで満足納得するのはエサ食いのぶたさんだけ。
プーチン大統領はどうやら狂ってはいないようだとの観測がある(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN09E5J0Z00C22A3000000/)。
しかし、結果として狂人のような決断をして狂人のような行動をする人を狂人ではない"はず"と期待するのは正しいことなのだろうか?
そのときプーチン大統領は人々が予想するような「まともな行動」を選択するのだろうか?
というような「まともな行動」をすることを期待してよいのか?
そして、そのあとは中国のお情けの元、以前ほどには立派には思えなくなってしまった自国と自分自身の権威に満足して大人しくしているのだろうか?
将来的には常識的な行動を取るはずだ、
と期待することは正しいのだろうか?
現在、米国が参戦しない「言い訳」としてロシアと事を構えれば核戦争が始まる、という理由がある。
しかし、プーチン大統領の暴走がウクライナ戦争後にも止まることがなければ、いずれは直接対決をせざるを得ない。
そのときに情勢は今よりよくなっているのだろうか?
そのときになれば核戦争を回避できる冴えたやり方が見つかっているのだろうか?
そういった心配をせずともプーチンは近々に失脚するから問題ないのだろうか?
さらに言えば、ポストプーチンがプーチンよりまともな人間であると期待するのも虫が良すぎる。
西側寄りの民主的な平和主義者が政権を奪取するのを期待するとか白痴に近い。
こんな事を考えていると思い切って、いま対決するのが正しい選択なのではないのか?
そんなふうに思えてくる。
思ったところで何がどうなるというものでもないのだけれど……。
違う。民主主義社会では、すべての国民が賢くなっていこうとしないと、温室栽培のパターナリズムによって国民も白痴化するし、国も腐敗するんだ。
国民各自が過剰に自主規制しようとしてしまうほどにお利口で体制に寄りすぎると、国はそれに甘え、恣意的な運用をしはじめ、法のアップデートもされず、腐敗が起こる。国民による自発的パターナリズムがそれを誘発してしまう。太平洋戦争を開戦に向かわせたのもそれが一因だ。
国民を裁くのはあくまで法であるべきで、国民による自警団であってはならないんだよ。本来は、法的に曖昧なラインを攻めていくくらいの態度の方が、アップデートが促され、民と官の綱引き関係が保たれる。より明瞭で怯え隠れる必要のない秩序に繋がる。
風営法だとか、パチンコだとか、技適だとか、アップデートされない時代遅れなまま恣意的な運用をされている法は多々あるが、ここでは関連深いわいせつ物頒布等の罪で考えてみよう。
まあ面倒だからwikipediaとブコメ、ニコニコ大百科を見てほしい。
このへんを読んで俺の言っている問題意識が伝わればいいが。
俺は腐女子文化に興味はないが、最大限尊重され守られるべき文化の一つだとは思っている。こそこそしていてほしくはない。ゾーニングどうするか問題のようなものも、隠れているうちは表現者各自の裁量に委ねられてしまい、不要な負担が表現者にかかってしまうだろう。そういうのは良くない。やり方を洗練させ、法を時代に追いつかせ、社会をより風通しよくしていくには、隠れずに前に出していかないと。