2022-04-22

anond:20220422114847

ネットで吠えてる女性はよくその「寄り添う姿勢」を純粋に正しいことだと信じていそうな節があって、寄り添えるだけの想像力理解力のある自分ものすごく自負してる感じがあるが。

からするとそういう姿勢は、健全社会を構築する上で完全にポジティブものではなく、むしろ若干有害な要素になりえると懸念するものなんだよ。

誰かが寄り添わないとやっていけないような人間が発生している時点で、まずよろしくないわけ。

誰もが主体的自分自分のことをなんとかできるように育っていかなきゃならんわけで、寄り添いを肯定しすぎると世の中の小難しいことやセンシティブなことに向き合うだけの能力がない、白痴で温室栽培人間ばかりが増えていくことになる。

現代でもわりと新しい分野のこと、たとえば情報セキュリティだとか詐欺対策だとか、そういう分野では、寄り添っていくだけでなく啓発して自ら賢くなっていこうとする方向で集団を育てていかないと、手が回らなくなっていつかはにっちもさっちもいかなくなる。

対人コミュニケーション問題とて基本的には同じことなんだよ。

本当に問題があると思ったら自分たちで声をあげるべきだし、上げられる環境であるべきで、何か腐敗していて声すらあげられない状況であるならそういう時はちゃんと介入していくけども。

そうでない限りはその人が声をあげなかったならその判断尊重するべきだし、外野がとやかく言ってしまうと自分たちのことに自分たちで責任を負う感覚がないまま自分のアタマで考える能力のない大人になってしまう。

女性歴史的に、すでに出来上がってる社会の中でなるべく争いを起こさないように生きていくことが生存戦略だったから、こぼれ落ちた人々に寄り添って、自分たちの中に取り込み正常化させていくことを男性よりも肯定的に捉えるかもしれないが、

男性のように安心して暮らせる社会闘争のなかで勝ち取って築き上げてきた遺伝子直感によるならば、獅子の子落としのような厳しさの有効性も理解しているわけ。だから男性というのは過度に干渉をしない。

干渉をしないことで、人々がたくましく生きられることを信じているんだよ。

こちらがそれを信じなかったら、そもそもたくましく生きられるような筋道すら存在できなくなってしまうだろう、パターナリズムに塗りつぶされて。

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