はてなキーワード: 発達障害児とは
発達障害で生まれ落ちてただでさえ生きづらいのに、親(のどちらか片方)も高確率で発達障害だから家庭で習い倣うべき定型の常識をインプットできないのが落伍者の連鎖に繋がってるような気がする
母親発達障害✕父親定型ではお母さんに振り回され続けることになるし(俗に言うメンヘラ(語弊がある)✕理解のある彼くんタイプ)
父親発達障害✕母親定型でもカサンドラで家庭不和の機能不全に陥りがち
普通がわからない我々にとって社会的に生きる一番の近道は身近な人を模倣することなのに、生まれてから一番近くにいるスタンダードまで往々にしておかしいと来ればまともに生きるハードルさらに上がるよなあ、と
子供が二人いるが上の子が発達障害だ(検査済、療育通うが手帳持ちではない)
家の場合は3歳の時に保育園から町の療育センター行けと言われ何回か通った後に医師による診察を経て発達障害と診断された。その後大きい病院に半年周期で経過観察しつつ普通に保育園に通っているが来年は小学校で正直どうなるかは未定。
モンテッソーリ教育とかしている園だったらすんなり受け入れられるだろうが大半の幼保園は難色を示してくる。特に人員が少なかったりする園は遠回しじゃない言い方で転園を進めてきたりする。儲けが変わらないので言うこと聞く手のかからない子を多く受け持ちたいのだと思う。下の子も発達障害では無いが身体の成長が少し遅いため上の子とは別の園に半ば強制的に変更させられた。
他の園での対応とか見ていると上の子が今も通っている保育園が異常だとなんとなく思うようになったが、上の子の診断を受けた時は正直絶望した。幸い妻がアンミカ並みのポジティブシンキングなのでそれに甘えたのと新型コロナで在宅が増えて嫌な思いをあんまりしなくなった。公費で療育通っているがやはりプロは上手で傍目から見た良い子ではないが一般的な子供になったと自分では思っている。ただ最終的な判断は医師に任せたい。
発達障害の子供の親は大概幼保園の先生に冷たい仕打ちを受けると思うし診断出た時は無茶苦茶自分を呪うと思うが、実際月2くらいの支援センター通いが数か月続いた後に市区町村の決まった流れに乗って本格的な支援を受けられるようになるので少しの間だけ頑張れば住んでる街に助けてもらえます。なので知識のない友人やネットで検索するより役所の窓口で「幼稚園(保育園)で発達障害じゃないかって言われたんですけど」って言った方が早いよ。どうせ園も紹介状みたいなの書いてくれるからスムーズよ。
一番駄目なのは「ウチの子は健常者だ!」って思いこんで色んな園回って押し付けて普通の生活させようとすること。支援センターと医師の診断結果出た後でもそれをすると確実に子供の将来は暗くなるよ。
ギフト的な発達障害児だったら「普通の学校に通って通り一遍の教育を受けさせるより、才能に合ったところへやって伸ばしてやる」とかあるだろうけど
このA君みたいな「箸にも棒にもかからない様な発達障害児。いや寧ろ人格障害というか精神障害」って感じの子の場合
親が太いってんなら「家から出さずに生涯を終えられる様にしてやる」べきだと思うんだよねー
座敷牢じゃないけどさ
本人のQOLはそれほど損なわずに人生を全うさせられるだけの財力とかがあるんだろうからさ。やりゃあいいんだよ
あー…ほんと、こんな人非人な発言しないで済む様に、良いお薬が一日も早く誕生することを願ってるわ
ついでに認知症老人を根絶させるお薬もな
私はだけど、子どもを産んだことを後悔している。
他の要因もあるだろうけど、発達障害の子どもが産まれて、家庭が崩壊しました。」
というツイート、自分の意思で産んでおいて何故か子供に責任を押し付けるという点で本当に最悪だと思うんだけど
批判意見に反論している人が言う、Twitterで自分の意見を言うくらいいいだろって理屈、
https://news.yahoo.co.jp/articles/96f03821dedaf7d270db7546e41ff7082d083fce?s=06
このニュースを読んで、学校の対応に疑問をもった方も多いだろう。
このケースについて要因を断言することはできないが、似たようなことが以前の勤務校にあったので、書いていく。
まず大前提として、私は既に教員を何年も前に退職し、今は会社員として人並みに働いている。
また、特定されないよう内容にはフェイクを混ぜている。参考程度に聞いてほしい。
某所の中学校。
私が裏口入学の中の人をやらされたのは、新卒一年目のことだった。
私学適性検査(私立教員就活のセンター試験みたいなもの)の点数がかなり良かった私は、偏差値も立地も給与もいい感じの学校に就職でき、担任も任され、まさにこれからといった感じであった。
母校でもなく、地元を遠く離れ、同期に同郷や同大学の先生はおらず、今思うとアウェーではあったのだが、当時は特に気にならなかった。
何より生徒が賢かった。振れ幅は勿論あるが、素直で真面目な良い子が多い。
生徒との関係もおおむね良好で、どたばたしつつ充実した毎日を送っていた。
入試準備の時期になると、作問者に抜擢された。大役である。手当も出る。
隣のクラスの先生にも「新任ではなかなかないですよ、期待されてるんですね〜」なんて言われて、責任を感じながらも喜んだ。
作業は大変だったが、作問も入試も滞りなく終わった。ここまでは良かったのだ。
採点の日が来た。
配点と採点基準は事前に提出しているため、それに従ってつければ良いだけなのだが、なぜか私だけ別室に呼び出された。
呼ばれたのは狭い部屋で管理職の教員が二人おり、私が席につくと一人がドアの前に立ち塞がるように立った。
完全に怒られると思った。問題に大きな不備が見つかったのだと思った。
固まる私に、管理職は「いや〜入試無事終わったね!ははは」みたいな感じで、朗らかに話しだした。
あれ?怒られないのか?と思っていると、管理職は封筒から受験生の回答用紙を一束取り出し、
「ちょっとこの束だけ先に採点してみてくれない?あ、回答用紙に直接点数書き込まないでね」
と言った。
よく分からなかったが、私はその通りにした。
採点が終わると、管理職は点数のメモを見ながら何やら考え込み、おもむろに回答用紙の目隠しを外した。
目隠しというのは、記名欄を隠しているものである。つまり公平性を保つために、採点者から見てどれが誰の回答かわからないようにしているものだ。
私はビックリした。えっ?それ外して良いの?
顔に出ていたのだろう、管理職は私を一瞥すると「あ〜良いから良いから笑」と手を振った。
そして名前を確認して1枚の回答用紙を引き抜き、「これなんだけどさあ」と私の前に置いた。
男の子の回答用紙だった。削られていない、潰れた鉛筆で書いたのか、筆圧が高いのか、凄く太い線をしていた。字は汚い。
記述は必要以上にいらないことまで長文で回答しているものの、覚えてくれば答えられるような一問一答はことごとく間違えていた。
そして、試験時間中に紙をゴシゴシと擦ったのか、ところどころ変に黒くなり、破けていた。
「この子、点低いよね?」
管理職が言った。採点ミス?と思ったが、明らかにこの子の回答には点が高くなる要素がない。
私が黙っていると、管理職が口を開いた。
「この子、この教科が得意科目らしいんだよね、この子が合格になる感じにね…採点基準変えて欲しくて」
耳を疑った。え?何言ってるんだ?と思うと同時に、まずい、この子裏口入学?どうしよう、不正だよな、と思って動悸がした。
しかし、私は自己防衛に走り、適当に返事をして、その通りにした。
その子が合格するような採点基準に変えるというのは、ほとんど換骨奪胎だった。
一問一答の比重は著しく下がり、記述は余計なことを書いていてもとにかく意欲があればOKみたいな感じになった。
同じ束の中でも、点の下がった子がいた。字のきれいな女の子だった。逆に点が上がったラッキーな子もいた。
平均的にはそのままの子も多かったが、私が最初意図した試験とは違う結果になっていた。
そして全体の採点が終わり、家に帰った。
夕飯を食べながら、入試の日に保護者誘導で見かけた女の子のことを思い出した。
本校が第一志望なのだろうその子は、お母さんに抱きしめられ、絶対大丈夫!頑張って!と言われ、お父さんに大きく頷いて、お守りらしきものを握りしめて会場へ向かっていった。
あの子の点が下がっていたらどうしようと思った。
それから合格発表、新入生登校日があり、入学式を経て、新年度の始まりまで、誰にも不正のことは言わずそしらぬ顔して過ごした。
そして新年度、授業を受け持つ生徒の名簿を見た。
ヤバい子だったらどうしよう。しかし、新入生登校日にも入学式にも特に変な話は聞いていなかったので、大丈夫だと思い込んだ。
結果、ヤバい子だった。(以下、Aと呼ぶ)
床に寝る、騒ぐ、叫ぶ、殴る、人を突き飛ばしながら走る、窓から物を落とす、トイレでおしっこスプラッシュ、下半身を露出して女子を追いかけ回す、ゴミをぶちまける、他のクラス(なんと、上の学年にもだ)の教室にいきなり入って因縁をつける、考えうる悪行は一週間でほぼ全てこなした。
授業中も凄かったが、私の教科は自称得意科目なのもありまあまあ真面目に聞いていた。
それでも授業中に立ち上がり、他の子の筆箱を取り上げてぶちまけるくらいのことは平気でやった。目眩がした。
危険な道具を使う技術家庭ではほとほと困り果て、家庭科の先生は泣いてしまった。
すぐに教員のシフトが組まれ、Aくんには常に教員が一人以上つくことになった。私も何度かついた。
前述の通り、素直で真面目な子の多い学校だ。異質な彼の噂は瞬く間に広がった。
面白がる子もいたが、幸い同調する子は少なく、みな教員に協力的で、何か起きると何人もすっ飛んできて教えてくれたが、残念ながらAくんのクラスは学級崩壊に近かった。
担任している子たちには、あのクラスの授業をやってるなんてと哀れまれた。
Aくんの親はどんな連絡をしても悪びれなかったようだ。
そりゃそうだ、裏口入学させるような親なんだし。
Aくんの学年内では、教員も生徒も色々な理不尽があったと思う。
物を壊された生徒は多数。
職員室でAくんの学年の教員が管理職に怒鳴られているのを何度も見た。
教員内で情報共有はなぜかされなかった(生徒指導部ではしていたのかもしれない)が、意外と生徒たちの方が詳しく、生徒づてに色々な事件の話を聞いた。
職員室では、なんであんな子がうちに入ってきたんだという話が頻出するようになった。
「裏口入学なんじゃないか?」と言われるたびにどこからともなく出る台詞が、「でも、実際得意教科でガッツリ点とってるんだよなあ」
冷や汗が止まらなかった。
その内、Aくんがクラスでこんなことを言うようになった。
「ここの理事長は俺の手下なんだ、俺に楯突いたらお前ら退学だからな」
男子は真に受けなかったが、意外と女子が真に受けて怯え、教員への不信感をつのらせた。
たぶん、Aくんの保護者(もしかしたら年齢的に祖父母かもしれない)が家でAくんに言ったのだろう。
不正の結果ヤバいことが起きた人なら分かると思うが、こうなるともう本当に怖くて仕方なかった。
バレる夢を何度も見た。げっそりしている担任に申し訳なかった。何より生徒にバレたらと思うと恐ろしかった。
俺が殴られたのは、私が追いかけ回されたのは、物を壊されたのは、授業をまともに受けられないのは、先生が不正を許したからだと恨まれるのが怖かった。
ここは母校でもなく、地元でもなく、同期に同郷や同大学の先生はおらず、何より忙しすぎて親睦を深める余裕はなかった。
よくしてくれる先輩はいたが、皆裏口入学なんて当たり前だと思っているかもしれない。
先輩たちもみんな通った道なのかもしれない。
今思うと考えすぎなのだが、当時はそんな風に考えていた。
作問担当に決まったとき、「期待されてるんですね」と言われたが、なんのことはない。
どこかにチクるツテの無い私はうってつけだったのだろう。
で、まあこれだけが理由ではないのだが、他にも普通に忙しすぎるとかやっぱり地元に帰りたいとかもあって、しばらくして私は教員をやめた。
先生方とはそれっきりだが、生徒とは今も連絡を取り合っている。
このことを、機会があって母校の恩師に愚痴ったところ、慰められたが微妙に言葉を濁された。母校でもありそうな感じだった。
多少は清濁併せ呑んで働くべきだったのかなと思った。
以上である。
【追記】
本文中に発達障害という言葉は意図して使いませんでしたが、コメントを見ていると逆に良くなかったと思うので追記します。
私はAくんの保護者に会ったことがないので深く触れませんでしたが、裏口入学を依頼する親と受け入れる学校が悪いのは明らかです。
子どもは得てして欲望剥き出しの生き物です、親が提示した裏口入学に分別なく飛びついても責められません。
冒頭に貼った記事の児童も、Aくんも、親さえまともならどこにでもいるただの「支援が必要な子ども」に過ぎなく、これ自体に善悪はありません。
発達障害には天才も含まれるとのコメントをいただきましたが、それは当然として、他の圧倒的多数を占める「平凡な発達障害児」と比べてもAくんの問題は明らかです。
たしかにAくんの障害は(おそらく)重度ですが、この場合は「裏口入学をさせるようなクズ親に育てられたこと」と「重度の発達障害を持っていること」が掛け合わさって問題が生まれています。
発達障害と一口に言っても程度や種類は様々で、それぞれ色々な生きづらさや問題を抱えていると思いますが、Aくんを取り巻く問題はその中でも外れ値です。発達障害全体の話題として捉えられるのは本意ではありません。
また、発達障害の方に、自分もAくんのように周囲を困らせていたのかもしれないと思わせてしまうのも申し訳なく、本意ではありません。
発達障害児の親は「退園するよう追い詰められた」という言い方をする
いや自分の子供が他の子供にけがをさせて、自分の子供が加害者なんだから親が被害者ヅラするのはおかしいぞ?とおもう
でも発達障害児の親の立場だったら「せっかく入れたのにやめさせられて悲しい」と涙がでてくるよな
私の子供も発達センターに通っていて、私が住んでる地域は公立の幼稚園がなくて、私立の幼稚園しかないのだが
発達センターに通う子供たちの一部はどこの幼稚園も合格できなくて
お母さんが必死で我が子が通える幼稚園を探して……という姿を見た
お母さんが必死になって連絡とって入れたとしても、幼稚園で子供が他害しまくって退園になるってつらすぎるだろ
最初から保育園や幼稚園に通わず療育センターに通う生活というのも
私だったら受け入れるのに時間がかかるわ
4歳になるが、全くに近いほどコミュニケーションが取れない。
犬だって呼べば反応するのに、それ以下。
返事はおろか、名前に対して振り返りもしない。
コミュニケーションはあるにはあるが。常に子供のほうから。極めて一方的。
ちなみに、言葉はパパママすら言えないから、手をひいたり指差しでの要求。
たぶん知恵はある。
数字、ひらがなカタカナ、アルファベットを理解してるようで、絵本やテレビで覚えたフレーズをパソコンでタイプしてる。
shiftを押しながら入力すると大文字が出せるとか、そういう仕組みは理解しても、人と人の約束ルールを全く理解しないし、する気がない。
どんなに怒鳴られてもなにふくかぜで、叩かれたりつねられたりしても、痛みで泣くが、次の瞬間にキャッキャ遊び出す。
どうしたらよいのだろうか?
成長したら学習してマシになっていく可能性はある。その間にこじらせなきゃいいんだが……
健常者にはプリインストールされている「人との関わり方」っていうソフトが発達障害者にはプリインストールされてなくて同じものを自分でで構築していくしかない状況なんよ
健常者も人間関係で悩むにしろ、発達障害者はもっともっと手前でつまずく。自閉症の赤ちゃんが母親とアイコンタクトが取れないとか、抱っこしても石のように重い(他者のだっこに応じて自分の姿勢を抱っこしやすく変えることができない)とか、他者を他者として認識するというところから自閉症者はつまずいてしまう
そういう子だって成長するにつれてだんだん「人と自分って違うんだな」と分かっていくものだけど
最初からそういう知識がインストール済みの定型児に対してはハンデがある
こういうことを右も左もわからんガキの状態で1から習得していかないと行けないから大変
ある程度は知識で補えるけど、ハンデがあるのは明らかなので成長途中で色々失敗や挫折しまくって発達障害自体より精神疾患がやばいことになる
そうならないよう発達障害児にうまく人間社会のルールを伝えて折り合いをつけてソフトランディングさせようっていうのが療育
こんな感じ
2000年: DSM-Ⅳで診断基準が緩くなり発達障害ブームが起きる。ADDの概念によって見過ごされやすい目立たないタイプもいると理解されるようになる
2004年: 発達障害支援法が出来て発達障害支援職ブームが起きる。補助金詐欺、過剰診断が指摘されるようになる
2007年: 乱用が問題視されていた医療用覚せい剤(リタリン)の新型(コンサータ)が日本で認可されるも、診断と処方を求める者の増加は続く
自殺した彼は2000年生まれで、ADHD診断が降りたのは18歳(2018年)。
すなわち発達障害ブームの真っ只中、スクールカウンセラー・発達障害児の支援職・放課後デイサービスの担当者・大人の当事者らが血眼にして「発達障害の疑い」をかけまくっていた時代に子供時代を過ごしている。
かつての診断基準は幼児期から症状が出ていることが発達障害(=先天性で治らない)の条件だった
しかし2013年に思春期以降から症状が出始めることに基準が変わったので
養育環境/生活習慣の問題、思春期の情緒不安定など後天的で治りうるものも発達障害と呼ぶ。
彼の脳には自殺に値する先天性で治らない障害があったのだろうか??
滝川一廣「診断とは何かということです。医師が風邪と診断するのは、自然科学です。疾患が起きている体の場所、起きる仕組み、病気の原因が共通しているとき、同じ種類の病気だと診断できる。しかし精神障害は、外から見たその子の行動の特徴を分類し、引き出しに入れることにすぎません。自閉症の引き出しに入る、あるいは知的障害の引き出しに入ると。精神障害の診断は医学的診断ではありません。社会的判断です。」