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はてなキーワード: 大谷とは

2020-06-06

anond:20200606120947

種として必要とされる男性もいるな。

養育費は貰えないけど、イチロー大谷の子供が産めるってなったら手を挙げる人はいっぱい居そう。

2020-05-09

ペル5見終わった。相変わらず奇想天外世界観

それにしても最初、なんでベルベットルームじゃないの?と思ったらそういうことだったのか。

考えてみればイゴールの声も違うもんね。

津嘉山 正種は相変わらず渋い声だけど、流石に迫力がなかった。お幾つなんだろうか。

淡々とした演技と言われればそうなんだけど。それとも違う気がする。老い…。

その点、秀ちゃんは意外と声が若かった。若返った?

この作品キャストたちはみんなとても良かったが、保志さんが秀逸だった。あと大谷さんも。

なんとなく、気楽に、見れる良い作品だった。

2020-05-03

なぜ反PCR派の自称医師たちは実名を名乗らないのか

https://news.livedoor.com/article/detail/18205971/

この記事に出てくる自称医師は反PCR派のようだ

>――テレビに出ている「専門家」の強い主張の一つが、「とにかくPCR検査を増やすべき」というものでした。これはどうなのでしょう? 

>これは絶対に間違いです。少しでも専門知識がある人は、全くこれを望んでいません。

他国日本が違うのはこの点で,本当に医師が疑った例にの検査をやっている点で感染の広がりをコントロールできていることは確実です。

 賛成反対が分かれるのは学問の話だから良い。大いに議論すれば良い。

 しかし、この期に及んで「本当に医師が疑った例にの検査をやっている点で感染の広がりをコントロールできていることは確実です」と、感染の広がりをコントロールできている事は確実だなどという事実誤認も甚だしい点で、果たしてこの自称医師は本当に医師なのか。疑わざるを得ない。

 この自称医師と同様に、とりわけツイッター情報を広めている反PCR派の中において、医師と名乗るものの、実名を出すケースが驚くほど少ない。

 新型コロナウイルス感染拡大の初期から活動を活発化させた「EARL医学ツイート」や「オタ小児科医」など、特に名前を出したがらない。

 反PCR派で名前を出しているのはドクタードルフィンこと松久正氏と、ハッキリと反対とは言わないものの、否定的ニュアンス公式声明を出した神奈川県医師会くらいである。


 それと比べると、PCR拡大派は東京都医師会の尾崎会長をはじめ、宇都宮の倉持仁氏、池袋大谷義夫氏など、非常に多くの実名公表医師が居並ぶのを見比べると、果たしてどちらがより信頼を置ける情報発信元なのか、一目瞭然ではないだろうか。

 この反PCRを主張する自称医師たちよ、本当に自分意見絶対の自信があるというなら批判を恐れずに自分名前を出し、場合によってはテレビに出演して思い切った主張を展開してみてはどうか。

 

2020-02-28

わーわー言うとりますが

玉川

早期検査をするメリットですね。

まず一番。

いまおっしゃっていただきましたけども重症化を防ぐという。

今回取材をしてわかったんですけれども、例えば、いまアビガンって言う薬が注目されてますね。

インフルエンザの薬というふうなことで、限定的な認可された薬なんですけど。

ちょっと副作用心配等があるので他の(抗)インフルエンザ薬が全部効かなくなった時には使いましょうと。

インフルエンザ薬がもう無理だ」ってなったときに使いましょうってことで備蓄されてたんですけども。

このアビガンっていう薬もやっぱり早期、軽症の段階で使うということだと、軽症者を治す効果があるんじゃないかというふうに今言われてて。

で、これから治験が始まるのでまさにこのアビガン使うとしても軽症の段階で使わないとやっぱり意味が薄れてしまう、というようなことですね。

それからレムデシビルなんですけど。

これも中国なんかではもういま治験が始まっているんですが。

これはもう一つその肺組織の損傷を改善させるっていう効果もどうもあるらしいということなんですが。

しかするとやっぱりこれも軽症から使ってもいいかもしれないんですよね。

で、でどういい人を軽症から治療対象にしなければいけないかというと、ハイリスクグループ ですよね。

から高齢者だとか、それから基礎疾患を持っている人。

これウイルス治療)の鉄則ですよね?岡田先生

岡田

あと、妊婦さんとか。

まぁ妊婦さんはアビガンダメなんですけども。

やはりそういうハイリスクの方になると思います

玉川

そうですよね。

からやっぱりその薬を使う、これから候補になってくる薬を使う、という意味でも軽症から始めなきゃいけない。

で軽傷から始めるためには軽傷で判らなければいけないということなんですね。

それともう一つメリット

検査をして感染を確定させることで感染者を自宅待機させて他人への感染拡大を防ぐと。

例えば今政府が言ってるのはなんかちょっと熱があるなとかそういうような段階は病院に行かないで家に入ってくださいって言う。

4日間というの話ですけど、これがそもそもをよくないんじゃないかって僕ずっと思ってたんですけどこれどうですか?

岡田

もしもほかの病気だった場合重症になるかもしれませんし、「コロナかもね?」ぐらいだってちゃうかも知れないところがあると思います

玉川

そうですね。

から例えば自分のこととして考えても、「あれ、ちょっと風邪がもしれないな」と思ったら、言うほど外へ出ない動機づけにはならないと思うんですよね。

だけど診察をして「あなた新型コロナウイルス感染してますよ」って言われたら、これは人にうつしちゃダメだっていうのが人情ですから、やっぱり家にいるっていう動機づけにもなるし、会社にも言いやすいですし、あらゆる意味でその感染を広げない、っていう意味でその軽症の段階で診断をしなきゃいけない。

からこの(メリットの)1番、2番、両方とも十分なPCR検査体制がなければいけないわけですね。

今では全然足りないです。

こんなことできない。

さっきその例えばある一定地域を限ってこの地域の人全員にPCR検査をしてどれぐらいの感染率なのかを調べる。

これだって例えば100とか200、PCR検査必要なわけですよね

岡田

万、万。

玉川

万ですよね。

そういう意味で言うと全然足りないんです。

で、聞きました私厚生労働省に。

そのどうなってるんですかと。

もうやっぱり厚生労働省聞かなきゃいけないな、というふうなことで、なんでこんな増えないんだろうと。

なんで保険適応できないんだろうっていうのを聞きました。

そしたらこれ回答。

「より多くの検査可能となるよう力を尽くしています

検査実施していない民間検査会社にも検査受託の働きかけを行い PCR検査用キットの配布を進めています

また大学病院PCR検査のできる病院にも同様に PCR検査用のキットの配布を進めて…」

僕ね、もうすでにここで疑問なんだけど。

なんで国からこれキット配布しなきゃいけないのかと。

別に入手できるものだったら民間独自にやればいいと思うものを、国がこれを配ってるってこと自体が僕はもう意味がわからないですね。

もうすでに。

羽鳥

これ国は配んなくても別にいいんですかね?

岡田

あのプライマー設計っていうのがあるんですけど、それも多分民間でもできますし、プライマーだけやってあとはあの民間でって言うんでもある程度できると思うんです。

ただ精度管理だけ1回やればいいかなって思います

玉川

から最初だけ、その助走のとこだけ国がやったらあとは民間で十分できるはずなんですね。

それをずっと「配る、配る」と。

厚生労働大臣民間レベルが上がらなきゃいけないとか言ってるんですけど。

まあ従前から行っているように民間レベルは高いです。

でこの後

「…今後感染状況の推移を踏まえながら、PCR検査保険適用について、必要対応臨機応変に行なっていきたいと考えております

あの厚生労働大臣もその僕は順番が逆だって言ったんですね。

その準備が整ったら保険適応を考えますと。

そうじゃなくて増やすために保険的をすると、保険適用をすれば自律的に増えていきますよ、ということずっと言ってるんですけど。

そこは岡田先生どうでしょう

岡田

もっともだと思います

大谷医師

私、おととい保険会社検査会社の方に聞いたんですけども、もし保険が通ったらオーダーがいっぱいてるでしょうからPCR機械別にまた今ももちろんあってフル活用すれば1000件以上できるんですけど、もう一台買ったっていいですよね、ぐらいにおっしゃってました。

そしたらもっとできるってことですね。

玉川

それはその発注が来ると見越してことですね。

大谷医師

発注が来ればもっと買います

玉川

そういうことなんですだから民間ということはやっぱりちゃん投資したらそれに見合う利益が出ないとダメですからね。

2020-02-23

[]anond:20200223192527

上月城主となっていた寺元生死之助は、陸路から進軍してきた松永軍を相手に防戦していたが、

そこに海から尼子勝久軍勢が到着したので、生死之助はさっと搦手の門を開いて迎え入れた。

生死之助は、鹿之助に対して何事か策を献じたあと、逃げ帰ったていで富田城に戻り、

松永弾正と尼子勝久とで一万余りに攻められては太刀打ちできず」と申せば、

九郎左衛門毛利を頼るしかあるまいと五千の援軍を借り受けた。

元気づいた九郎左衛門は手勢の八千人も連れて城外に陣を構え、そこに尼子勝久の軍が攻めかかった。

九郎左衛門の兵は、先鋒の鹿之助を取り囲んだが、あっというまに蹴散らされ、城門の内に退がるよりない。

城に籠もられると、さしもの鹿之助も攻めあぐねて、その日は退却となった。

翌朝、尼子勝久軍勢を率いて富田城に攻めかかり、

「悪逆無道の尼子九郎左衛門、はやく馬より下りて首を渡せい」と呼ばわると、

九郎左衛門も「小倅ごときに討たれる九郎左衛門にあらず」と前に出てきて采配を振るう

さらに鹿之助が「こののち三声と叫ばぬうちにその方の生命は寂滅する」と挑発すれば、

九郎左衛門さらに怒り「三声は愚か千声万声でも発してみせるわ、我を生け捕る者があるか」と叫んだ。

その声が終わらぬうち、傍に立っていた寺元生死之助が「汝を生け捕るものはこれにあり」と応えるや、

九郎左衛門を馬上より引きずり下ろしてあっというまに縛り上げてしまった。

鹿之助が下知をかけると、八勇士はいさんで敵陣に突進し、

その隙に生死之助は九郎左衛門を抱えて尼子勝久の陣中に転がり込む。

毛利家の河野四郎は薮中茨之助と戦って斬られ、同じく毛利家の来島太郎は荒波錨之助に首を引き抜かれた。

九郎左衛門配下赤星軍八は皐月早苗之助と、田原兵次は秋宅庵之助と戦っていたが、やがて討ち取られた。

その他の勇士たちも各々活躍し、ついに大勝利と相成ったのである

尼子勝久が城内に乗り込むと、生死之助が縛り上げた九郎左衛門を引っ立ててきた。

勝久は「いまぞ天罰の蒙る時節到来」と自らその首を打ち落とした。

兵たちは勝鬨を上げ、民百姓も多いに喜び、尼子家の再興を祝したのだった。

一方で、勝久の父・尼子義久は毛利領内に囚われていたが、

ちょうど正親町天皇即位があり、毛利元就も上洛して献納品を奉ったところ、

義輝公の母君から尼子と和睦して義久を返してやってくれ」と頼まれた。

やむなく元就は頷き、これで尼子毛利は和睦して、義久は丁重に送り返された。

義久と勝久はついに親子の再会となり、また忠臣義士らを集めて労い、

とりわけ功のあった十名、

山中鹿之助

大谷古猪之助

寺元生死之助

横道兵庫之助

早川鮎之助

皐月早苗之助

高橋渡之助

秋宅庵之助

薮中茨之助

荒波錨之助

ここに彼らは「尼子勇士」とされた。

その後、尼子家は万代に渡って栄え続け、尼子のために働いた者はみな立身出世を遂げて幸せ暮らしたのであった。

[]anond:20200223192328

一方、兵庫之助の死体を背負った浮舟は、同じく遊女をしている妹の浮橋のもとに身を寄せた。

浮橋にも愛人の薮中茨之助というものがおり、彼の世話で家を借りてそこで暮らしていた。

ある日、浮舟の夢のなかに不思議な老人が現れ、「白鰻を食べさせれば兵庫之助は治癒する」と言った。

そこで茨之助が白鰻を探していると、川岸百姓たちが集まって騒いでいる。

話を聞けば、白鰻が取れたので売れば十両になるが、他の百姓らは白鰻は神様から逃がせと言うので争いになっているという。

しからばと茨之助は、集まった百姓には一両、白鰻をとった百姓には五両を渡し、半ば奪い取るように白鰻を持って帰った。

それを兵庫之助に食べさせると、すぐさま悪血を吐いて目を覚まし、ひと月もすればすっかり回復してしまった。

兵庫之助は、浮舟を茨之助に任せ、鹿之助を探すために中御門宗教をたずねて京へ上った。

宗教卿へと面会する前に身だしなみを整えねばと床屋へ入ったところ、なんとその床屋は秋宅庵之助であった。

再会を喜んでいる二人のもとへやってきた虚無僧は、何を隠そう高橋渡之助である

この二人は上月城を退去したあと、九郎左衛門暗殺しようと付け狙っていたが失敗し、京まで逃げてきたのだった。

また宗教卿と面会し、皐月早苗之助と会ったことで、鹿之助や古猪之助の消息も知り、兵庫助は大いに喜んだのだった。

さて尼子勝久も、そのころ義輝公の草履取りが鹿之助であることに気付き、

義輝公にそのことを話すと、義輝公・松永弾正はともに驚き、早速、鹿之助を呼び寄せた。

鹿之助は「松永弾正から将軍尼子再興の奏上をしてもらおうと仕えていたのだ」と述べ、涙ながらに尼子再興を訴えた。

松永弾正は感心して、あらんかぎりの軍兵をもって助力しようと約束し、義輝公も松永弾正に勝久の補佐を頼んだのであった。

そこで鹿之助は、兵庫之助に「浮船は京に呼び寄せたほうがいいだろう」と言ったので、

兵庫之助は、茨之助のもとに向かい、浮舟・浮橋を京へと送り、茨之助とともに再び鹿之助と合流した。

ここに尼子勝久山中鹿之助のもと、横道兵庫助や大谷古猪之助らも集い、

松永弾正の三千の兵は陸路から、鹿之助たちは将軍から借りた三千の兵を率いて海路から富田城を目指して出発したのである

御座船の錨が不思議と重くて持ち上がらずに困っていたところ、「南蛮鉄の徳蔵」という大力無双が一人で引き上げてしまった。

そこに近づいてきた一艘の小舟から、ひとりの男が船に乗り込んできた。

怪しい奴とばかり徳蔵が、引き上げたばかりの錨を振り回すと、向こうの男もその錨を掴む。

互いに錨を引っ張り合うも、双方負けず劣らずで決着がつかない。

鹿之助が男の顔をよく見ると、まさしく海に身投げしたはずの早川鮎之助であった。

鮎之助は淡路の岩屋に流れ着き、そこで回復したので漁師をしていたところ、鹿之助の挙兵を聞いて駆けつけてきたということだった。

また鹿之助が、徳蔵の素性を聞いたところ、父は大友家に仕えていた武士で、その父が死んだあと浪人していたが、

海賊を退治したことで褒美として貰った船で商売をしていて、このたび尼子の御座船となった次第だと言う。

それならばと鹿之助は彼を召し抱え、「荒波錨之助」という名を与えたのだった。

[]anond:20200223191957

九重姫は、侍女とともに丹波国境まで逃れ、たまたま見つけた施行宿に泊っていた。

しかし、実はその宿は丹波太郎という人買いの罠であり、九重姫たちは売りものとして部屋に閉じ込められてしまった。

そこに躍り込んできたのが誰あろう大谷古猪之助である

古猪之助は、鹿之助の両親に近況を報告するため信州まで旅しており、いまになって戻ってきていたのである

あっというまに丹波太郎を退治した古猪之助は、九重姫たちとの再会に驚き、それまでの事情を聞き出した。

古猪之助は、ちょうど相木森之助から九死に一生を得るという霊薬を授かっていたので、

それを水とともに鹿之助に嚥ませると、見事に鹿之助は息を吹き返した。

古猪之助は、京へ逃れるよりも有馬温泉養生したほうがよいだろうと進言し、

九重姫も同意したので有馬で四ヶ月ほども過ごしたところ、鹿之助はすっかり回復してしまった。

鹿之助は京へ上り、中御門宗教九重姫らを預けた。

そして「尼子家の再興のため三年の雌伏をする」と告げ、

自らは姿を変えて、将軍足利義輝執権である松永弾正久秀のもとに潜り込んだ。

鹿之助は「早助」と名乗って下働きをしていたが、一年もすれば松永弾正にすっかり気に入られていた。

あるとき、義輝公が銀閣寺で酒宴を開いた際に、にわかに雷鳴が轟き、庭に火の玉が落ちてきた。

火の玉が大暴れしているのを見た早助は、すぐさま庭に飛び込み火の玉を掴んで殴りつけた。

すると火の玉が消えて、現れた雷獣が逃げ出そうとするので、早助はまたぶん殴って、帯で大樹にくくりつけた。

その活躍を気に入った義輝公により、早助は将軍直参草履取りへと取り立てられた。

さて、京には若君・勝丸もおり、兆殿司の教えを受けて文武に優れた若者に育っていたが、

あるとき殿司の描いた勝丸の似顔絵が、義輝公の妹の白縫姫の目に止まり

それに惚れ込んだ白縫姫が恋煩いで床に伏せるにあたり、

義輝公も勝丸の素性を調べて、これならば妹婿に相応しいと認め、二人は結婚することになった。

義輝公が烏帽子親となって、勝丸は元服し、尼子勝久と名乗ることとなったのである

[]anond:20200223191324

ある日、京の中御門宗教から上月城書状が届いた。

その内容は、明石海賊から大江山山賊への手紙のようなもので、なんともわけがからなかった。

その二ヶ月後、また宗教から書状が届いて、

「先日の手紙の返事がないので、そちらに九重姫を送ったがやはり音沙汰がない、姫は到着したかとある

鹿之助は驚き、明石海賊九重姫をさらたかと合点して、その退治に出かけることとなった。

船頭を雇い、海に出てしばらく進むと、向こうから来るのはまさしく海賊の船だと船頭が言う。

鹿之助がその船に乗り込むと、なんと船底より大谷古猪之助・早川鮎之助・横道兵庫之助が現れた。

古猪之助が語るところによると、まず事の発端は大江山山賊宗教卿の手紙を奪ったこである

それを読んだ山賊は、鹿之助から使者なりすまし九重姫を誘い出し、そのままねぐらに連れ帰ってしまった。

古猪之助は、鹿之助が仕官したという噂を聞いて約束を果たそうと播州へ向かう途中、大江山山賊に捕まりその手下として働いていた。

そこで九重姫と出会って事情を聞き、姫をつづらに入れて逃げ出したところ、今度は舞子の浜の宿でつづらを海賊に奪われたのだと言う。

兵庫之助のほうは、大坂の店に送ったはずの浮舟が、まもなく兵庫之助を慕って追いかけてきたので困っていたところ、

九重姫と共に浮舟も海賊さらわれてしまったので、同じ宿に泊まっていた古猪之助と協力して救い出そうとした。

二人して海賊棟梁に襲いかかったところ、その棟梁というのが実は鮎之助であり、同じく鹿之助の家臣であることが判明したのだと言う。

鮎之助はと言うと、やはり鹿之助のもとへ向かう途中で海賊に襲われたので、その棟梁返り討ちにしてやった。

そうして棟梁に成り代わっていたところ、他の二人と出会ったのだと言う。

鹿之助は納得して、この三豪傑を連れて帰って尼子義久に紹介し、また九重姫と正式結婚をしたのだった。

[]anond:20200223190101

森之助と更科姫は諏訪ヶ原をよく治めていた。

あるとき夫婦山中で道に迷い、たまたま村上家の武芸指南役・井上九郎と再会した。

村上家を出奔したのち隠居していたとのことで、喜んだ森之助は、鹿之助を鍛えてもらえるよう頼みこんだ。

井上九郎のもとで五年ほど鍛えられ、鹿之助は武芸百般に通ずる立派な若武者となった。

その頃、信玄はすでにこの世を去り、武田勝頼が後を継いでいた。

馬場美濃守は己の死を覚悟し、もはや武田家の滅びは避けがたいので城を退去せよと森之助に伝えた。

まさに長篠の戦いにおいて武田大敗を喫し、馬場美濃守が討ち死にするに至り、北条家の軍勢諏訪原城に押し寄せた。

森之助は馬場美濃守の言うとおりに城から去ることにした。

城にはただ更科姫と鹿之助だけが残り、母子北条軍勢をさんざんに打ち破ったあと、二人は落ち延びていった。

ところがその途上、更科姫と鹿之助の夢枕に、承久の乱で亡くなった中御門宗行という貴族の霊が立ち、

鹿之助は見どころがあるので、自分の子である中御門宗教を頼っていけば立身出世は間違いなしである、と告げた。

更科姫は、これぞ霊夢であろうと鹿之助を励まし、鹿之助は惜しみつつも母と別れてひとり京へ向かうこととなった。

東海道を進む鹿之助は、その途中の村にて、盗みをして焼き殺されるところの大谷猪之助という怪力の若者を助けた。

猪之助によると、いまは落ちぶれ、母のために盗みに手を出してしまったのものの、元は武士の息子であると言うので、

鹿之助はいずれ身を立てたのちには家臣として迎えると約して、二人は主従の契りを結んだ。

その猪之助が、鹿之助へ料理を振る舞おうと、大きな古猪と格闘してこれを退治したので、

鹿之助は激賞して、彼に「大谷古猪之助」と改名するよう言ったのであった。

2020-02-05

anond:20200205174021

大谷の才能で、8割の力で150キロぐらいの球投げて、日本で2億ぐらいもらいたい

2019-10-29

野茂イチロー活躍は鮮烈だったけどそれからは良くも悪くも凡庸

昭和の頃には存在した「MLBはすごい」という幻想が薄れつつある。

結局のところ日本活躍できる選手MLBでもそれなりに活躍できる。

実力が違うというよりは環境適応できるかどうかが大きい。

大谷筒香あたりがMLBに憧れを抱く最後世代になるか。

今後は単に「金払いがいいか出稼ぎに」くらいの感覚になるだろうな。

2019-10-27

常識クイズ!どれだけ分かるかな?

  1. 川島 田村 →(    )
  2. 川島 城野 →(    )
  3. 橋本 中野 →(    )
  4. 河本 井口 →(    )
  5. 河本 井上 →(    )
  6. 石田 井上 →(    )
  7. 太田 田中 →(    )
  8. 遠藤 田中 →(    )
  9. 山根 田中 →(    )
  10. 清水 和泉 →(    )
  11. 清水 竹内 →(    )
  12. 三村 大竹 →(    )
  13. 村本 中川 →(    )
  14. 中川 中川 →(    )
  15. 千原 千原 →(    )
  16. 田村 田村 →(    )
  17. 設楽 日村 →(    )
  18. 徳井 吉村 →(    )
  19. 徳井 福田 →(    )
  20. 中西 西田 →(    )
  21. 中山 松野 →(    )
  22. 西本 浅田 →(    )
  23. 松本 浜田 →(    )
  24. 松本 島田 →(    )
  25. 松本 加賀屋→(    )
  26. 萩本 坂上 →(    )
  27. 増田 岡田 →(    )
  28. 濱口 有野 →(    )
  29. 兼子 北野 →(    )
  30. 板倉 堤下 →(    )
  31. 高田 小森 →(    )
  32. 光浦 大久保→(    )
  33. 後藤 福徳 →(    )
  34. 後藤 岩尾 →(    )
  35. 伊達 富澤 →(    )
  36. 塚地 鈴木 →(    )
  37. 天野 鈴木 →(    )
  38. 三浦 鈴木 →(    )
  39. 中田 藤森 →(    )
  40. 石塚 石井 →(    )
  41. 石塚 恵  →(    )
  42. 石橋 硲  →(    )
  43. 石橋 木梨 →(    )
  44. 内村 南原 →(    )
  45. 岡村 矢部 →(    )
  46. 宮迫 蛍原 →(    )
  47. 山崎 山里 →(    )
  48. 小木 矢作 →(    )
  49. 浜谷 神田 →(    )
  50. 大谷 大地 →(    )

2019-10-19

ロッテファンですが

これまでチームがどんなに頑張っても集められなかった注目を、しかネガティブな注目をドラフト1位のくじを引き当てたことで集めている。

みんな無邪気に若者の表情から都合のいいことを読み取り、無邪気に心配し、無邪気に煽っている。

たったの3日だけど、色んな意見を目にして、俺の心は限界を超えてしまった。乙武くんの「佐々木くんは不安なんだと思う」という発言で完全に決壊した。

 

ここ最近までのロッテ投手育成がひどいチームで、高卒右腕のエース伊良部とか村田兆治時代まで遡る。高卒エースを育てられない球団として認知されている。

基本的社会人出身投手プロ適応させることに長けているチームで、ジョニー黒木小林雅英清水直、薮田安彦渡辺俊介最近では石川歩まで、生え抜き投手の中心が社会人出身投手なのはよく見る光景だった。

ただ、ここ数年は高卒右腕を育てられるようになってきたチームで。高卒3年目、ドラフト6位の種市篤暉は8勝をあげて大ブレイクした。奪三振率は10.41。この数字最多奪三振タイトルを狙えるレベルだ。

そして高卒5年目、奥川くんの先輩にあたるドラフト3位の岩下大輝が今年先発投手として台頭して5勝をあげ、すこし年は離れるけど、侍ジャパン守護神を務めたこともある西野勇士が低迷からようやく抜け出した。彼は育成ドラフト指名された。

この3人に共通するのは、150キロストレートを平気で投げること(西野怪我前)。ロッテといえば、どんな投手入団後はストレートの平均が140キロ前半になることでおなじみのチームだった。でも今はもう違う。この3人以外にも、150キロ近いストレートを投げる投手は珍しくない。

高卒6年目、ドラ6の二木康太の育成がうまくいってからロッテ高卒右腕を積極的指名するようになった。そして結果を出している。今年のルーキーでやはりドラ6の古谷拓郎も2軍で6勝をあげている。まだエースはいないけど、高卒右腕にとって、近年のロッテは非常に良い環境なんだよ本当は。

 

このことを知ってか知らずか、みんな佐々木の将来を心配している。ロッテ高卒エース村田兆治まで遡るから、仕方のないことだとも思う。

でも、もしロッテ指名したのが奥川くんだったら、ここまでああだこうだ言われていないはずだ。佐々木くんのポテンシャルがあまりにも凄すぎて、ロッテには無理だとみんな思い込んでいる。

でも、そんな事を言ったら、あれだけの逸材をモノにしたのは大谷を育てた日本ハムだけになってしまうよ。佐々木くんのくじを引いた楽天にも西武にも、佐々木くんのような体格の選手をしっかり育て上げた実績はない。そもそもこんな人はめったに出てこない!

私は、みんなが無邪気に口にするロッテに対するネガティブ言葉を目にしすぎて辛い。ロッテはこれからのチームだ。佐々木くんを育て上げることで、種市岩下西野活躍をもってしても拭い去ることができない悪評を吹っ飛ばそうとしているチームなんだ。

私はロッテファンの中でも特にメンタルが弱い方なので、心の平穏を維持するために、当分の間はロッテに関する情報をなるべく見ないようにして生きるし、自分ロッテファンだということは隠すことにした。

今回佐々木くんを指名した球団の中じゃ、日本ハムの次にいい環境だと思うよ。

2019-07-26

anond:20190726154754

言うほど格下か?

直接対決で明確に日本の方が格上だったのって、大谷が投げてた時だけじゃん。

韓国には160キロ投げるピッチャーなんか居ないか大谷が投げりゃそりゃ勝てるだろうけど

大谷はもう国際大会なんか金輪際出ないだろうし、そうなると日本韓国に実力の差なんて殆ど無いんじゃね?

2019-07-25

吉本興業伝説マネージャーという人を見て

吉本問題もろもろで吉本興業伝説マネージャー大谷里子という方がテレビに出ててコメントしてる。

この人会話がまるでできないんだけど、昔ながらの日本組織出世するのってこういう人だよね。

なんらかの信念があるんだろうけど他人はそれを全く理解できない。

そして、その信念に対して自分の中で強固なロジックが構築されていてその一部だけを自信満々で話すから他人意味がわからない。

でもなんか弁は立つし、ごちゃごちゃとうるさいから「わかった、わかった」となってその人の意見が通る。

そして物事の推進力と行動力はあるから無茶苦茶に周りを巻き込んでなんとなくうまいこと進んでいく。

結果、本人の中での信念がより固められていって周りは手をつけられなくなってしまう。

2019-06-21

anond:20190621162537

別のスポーツ選手に優劣をつけることは出来ないけど。

そのスポーツトップクラスの中で活躍出来てるかどうかは八村が試合に出るようになれば明らかになるだろうから

日本人アスリートとしての格とやらが大谷とか田中と同じレベルになったかはその時に評価されるでしょ

ドラフト1位はドラフト1位でしかない

八村選手NBAドラフトで一巡目指名を受けたことについて

正直バスケはあまり興味がないのでどれくらい凄い事なのか分からないが、今まであまり日本人トップ集団に入ることがなかったスポーツにおいて、一巡目指名と高い評価を受けることは日本スポーツ技術向上を表している面もあって非常に好ましいニュースだと思う。


一方でこのニュース

日本人アスリートの格としては大坂・マー様・ゆづきゅん錦織大谷の次くらいには一気に躍り出た感ある

というコメントが出たことがすごく気になった。(一応言っておくが、この話題について、この人のコメント特別気になった、というわけではない。)

前々から野球が好きで大谷翔平選手評価の時にも、こういった「ポテンシャル期待値」と「結果を出した選手」を同じように評価して並んだとか言われていた事があり、前々からちょっと気になっていたので、この際にちょっと書く。


自分が『ポテンシャル』と『結果』を別に評価して欲しいと思うのは、トップあくまで結果の世界である事、そして期待値というのは色んな誤謬が混じっているという2点からだ。

ポテンシャル誤謬に関しては我々はあまりに目に見える情報特に単純な運動能力過大評価する傾向があるように思える。)

少なくとも自分が好んで良く見ている野球世界ではドラフト1位が必ずしもトップ選手になれるわけではないし、ドラフト下位が活躍できない訳でもない。大学高校と言ったアマチュアで素晴らしい成績を出した人が必ずプロ活躍できるわけではない。色んな要因があってその中で”結果を残し続けた”人がトップアスリートとしての名誉を手に入れることができるんだと自分は考えてる。だからまだ、数年にわたって結果を出しているような選手比較は出来ないと思う。

恐らく一番適切な言葉は「ドラフト1位は確かにすごい事だが、それで結果を出した人と比べてしまうにはあまりにも時期尚早だ。」あたりになるんだろうか。


いくつか余談。

年棒ベースで4億も貰ってる!というなら錦織はその10倍(40億)近く、マー君は5倍近くは貰ってるはずだし、(彼もまた評価するには年数が足りないが)大谷制度上の問題がある。それに4億以上の年棒貰ってるスポーツ選手なら数は少ないが日本野球界にもいるし、年棒ベースでの議論ちょっと難しい所があるのでは?と思う。


そもそも別のスポーツ選手を比べることがナンセンスだ」というのは非常に同意する一方で、ナンセンスから話題にするべきではないというのは同意しかねるところがある。そしてこの手の雑談みたいなのはナンセンスで良いのだという気持ちもある。

元がナンセンス話題からまり熱くならないように心がけたいが、他の人にどう見えているのかは自分では分からない。


個人的によく見るスポ―ツは野球テニスなのでその感覚プロと言っているけれど、フィギュアスケートそもそもプロ概念がだいぶ違って羽生選手プロじゃなかったりするので、バスケットボール(NBA)における「プロ」の感覚については正直全く知らない。各スポーツの「プロ」や優勝と言った言葉結構違って面白いので、詳しい方は返答する形で教えてくれたら嬉しく思う。

最近ボクシングベルトや大会制覇の意味自分で思っているのと若干違う事を知った。ボクシングでは3つか4つか団体があってルールも違って色々大変だったりするらしい。)

2019-06-19

プロ野球選手になりたいということは

大谷を3回に2回は抑え

大谷の投球を芯で捉え外野まで飛ばし

足も50メートル6秒

140試合エラー1桁

このような人生目標を掲げるということで

今日野球少年達は頑張るんだろう

偉い

2019-06-14

還暦すぎた母親

大谷打者一本にしたほうがいいんじゃないかねえと言ってた

でも本人は両方したいかしょうがないよと返した

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