はてなキーワード: 出家とは
1の家臣でござる。
この度は殿がかように愚かしき板を立ててしまい、家臣一同お詫びの
言葉もござりませぬ。
殿は先の戦での大敗以来すっかりお心を病んでしまい、昼は村娘をかどわかし、
夜ごと酒を召しては家臣に斬りかかる毎日でござる。
奥方様は病で倒れ、折からの飢饉で民は飢え苦しみ、近隣諸国の大名はこれ幸いと
家臣の中にも殿に翻意をいだく者が多く、このままではお家存亡の一大事に
なりかねませぬ。
しかし、ご安心下され。間もなく殿には出家していただく手はずにござる。
殿が寺に向かう途中に手練れの者をひそませ、殿のお命を頂戴する算段が
整っておりまする。その後は殿の甥にあたられる茂名の上(もなのかみ)様を
殿として迎え我ら家臣一同忠勤を尽くす心づもりでござる。
皆様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今しばらくの
辛抱でござる。なにとぞ、なにとぞ殿の此度の所業をお許し下さいませ。
http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
作者の意に反して商業展開したなら俺も怒るが、なんで読者の思い入れのために作者がボランティアせなあかんのよ。
なろうが書籍化マンガ化した時に「イラストがイメージと違う!」と思う事はあっても、
そこはイラストレーターの「分かってなさ」をぶっ叩く事はあっても作者を責める事はできまい。
それは読者として一線を越えている。
「現実とお話を等価・あるいは近いレベルで考えて生活している」
に至っては、だから何やねんであって、マジなら自らの異常性を告白してるだけだし、そもそもマジじゃないだろう。
現実とお話が等価だったら火垂るの墓鑑賞後は世を儚んで出家してもおかしくはない。
賭けてもいいが、あなたは映画館から涙ぐんで出て来てインタビュー受けてる女性と同レベルであり、ワニの死より安倍総理の一挙一動の方が気になっているであろう。
そもそもグッズのために本編の展開を変えたというのならいざ知らず、
本編終了後に出たグッズなんて作品本体と関係ない存在であって、それこそ嫌なら無視すりゃいいだけのオプションに過ぎないだろう。
綾波の邪神像がどこぞで発売されたとして、それに対して「俺の綾波に何をする」的な反応する人を見たら貴方はどう思う?
今の貴方の姿がそれだ。
だいたいアブドゥルだって、皇帝と吊られた男戦で死んだものが、読者人気に押されて死んでなかった事にされたキャラであって、
それこそ「死を不誠実に扱う」の最たるものではないのか。
彼より不誠実に扱うとなったら、死亡シーンを忘れたかのように続編で登場するヤマトの乗組員くらいしか例があるまい。
はっきり言うが、貴方はワニの死を悲しんでいるのではない。
ワニの死で悲しみたいだけだ。
要するに盛り上がりたいのだ。
良い気分で盛り上がりたがってた所に、水を差されて怒っているのだ。
よく聞くのはロリコンでマザコンのモテモテ主人公の話っていう要約だったけど、そんな話だったっけ?
イケメン設定も幼年期にあるだけで、成人してからはあんまりイケメン設定って出てこなかったような記憶。
それより、不倫の話としての印象が強い。
他人の女寝とって孕ませてしまって(他人ってか異母兄弟で帝のなんだけど)なんやかんやで左遷(バレたのかどうかは作中で明言されなかった気がするけど、どうだったっけ?)、赴任先でも現地妻作って、事もあろうに都に復帰するときに妾として連れてきたんだけど、出来た妻だからそれを許して大円団、と思いきや、寝取り托卵はするくせに自分の妻には子供が出来なくて、すげー若い第二夫人を娶るもの、過去のイケメンも歳を重ねると小汚いオヤジ、第二夫人はイケメンに寝取られ孕ませられる。
第二夫人は流石に妻の意識で別れたいって言い出して出家すんだけど、「生活費の仕送りはしろ」「子供のと自分の子として育てろ」って異母兄弟で帝の兄貴に釘を刺される。
コイツ知ってるだろ。
献血のアレ
もうね、分かってるだろうけど水着と巨乳は男性めっちゃ釣れるの。裸もオッパイも嫌いな男性だっているかも知れないけど、広告業界からすれば切り捨てて良い人数。そういう人向けの時はそういう人向けに作る
誰かが言ってたけど、男性に対しての水着と巨乳みたいなのが女性には無い。あるけど注文が多いし多岐にわたる。だから女性向け同人の世界は広大なんだと思う。男性向けはまさにクリムゾンみたいな流行りがパコればOKくらい単純
だから今回で水着や巨乳が使えなくなると非常にキツい。マジで水着と巨乳以外男は見ない。AKBみたいなブスが服着てたらで町中で目が止まるか?水着だから止まるんだよ。顔はその次。止めてもらわなきゃ駄目、頭の中を一瞬でも広告内容で埋めなきゃ駄目。なのに水着も巨乳も駄目だと超きつい。女性向けの手間が男性にも来て手間ダブル。それならみんなYoutubeの無理やり広告に移行するけど、あっちも規制入りそう
お願いだから水着と巨乳は使わせてくれよ。劣等感の塊みたいなフェミ共は孤島に籠もって出家でもしてくれよ。たぶんあんたら向けの広告は何処にもないよ
https://www.google.co.jp/amp/s/www.sanspo.com/geino/amp/20191003/acc19100319320001-a.html
モラルに問います、とツイッターで調べる。視覚障害者が駅のホームから転落。人身事故が起きた。ブルーシートで隠して作業を行なっていたが、そのブルーシートの隙間からスマホを突っ込んで撮影する猛者が現れた。そこで駅員さんがモラルに問います、ってアナウンスした、って話らしい。
昨晩、トレンドに入ってるのを見かけて、ふと気になって押した。ネットニュースのリンクを貼って、様々なツイートをしている人たち。
ツイッターで語る人たちと盗撮した人たちとマスコミ、一緒じゃね?と最初は思った。
でも、それは極論。
盗撮する人たちはモラルのないダメな人たちなのだろうか。純粋にその一点で考えたい。
盗撮という言葉に悪いニュアンスが含まれるので、撮影者とする。
・撮影した映像を見て、面白がる(快楽を得る)ため。これは喜びに限らない。怖いものを外野から眺めることで、恐怖を得ることを目的にするエンタメ(ホラーetc)もある。
・ジャーナリスト的使命感。隠されたものを隠されたままにしておくのは危険。相互監視社会では全てがオープンであることが理想。もし、ブルーシートの中で遺体を雑に扱ったりしていたら、指摘する必要はある。また、亡くなられた方の姿も1つの重要な情報である。周囲の人身事故に対する思いも変わるし、飛び込み自殺への抑止力になる可能性もある。
・純粋な知的好奇心。電車に轢かれたら人はどうなってしまうのか。遺体の処理はどのように行われるのか。わからないことはモヤモヤする。僕はこれに一番共感できるかな。なぜ撮影してしまうのか、とかわからないことはモヤモヤするし、そのために調べたり考えたりすることは心地よい。僕自身も不謹慎でモラルのない人間なのかもしれない。こんなこと誰にも言えない。ポイズン。でも言ったら、それはそれでポイズン。
次に撮影者をどうして止めたり、断罪する必要があったのかについて。それに関して誰もが撮影しだしたら秩序が乱れるから、というのが1つ。独占禁止法ってのがあるっぽいし(詳しくはわからんけど)。撮影取材報道をマスコミの特権にするのは違う気もする。みんながやりたいことやったら文明社会が崩壊する。けど、それが民主主義なのかな、滅びるなら滅びればいいんじゃね、とも考えるけど。自分は死にたくない。
ま、でも大前提として、超えてはいけない一線を超えたってのはあると思う。ブルーシートにスマホを突っ込むのは、周囲から見るとインパクトあると思う。じゃ、外から写真一枚パシャリならセーフ?写真動画がNGで、文章でツイート、LINEする程度にするべき?写真NGでも、イラストなら?と疑問は絶えない。
モラルに問います、深い言葉だ。僕にしっかりとしたモラルはないけど、問い続けなければならないのかな。いつか断罪される恐怖に怯えながら。
思い返す渋谷ハロウィンで車をひっくり返した事件。僕の世をしのぶ仮の姿はコミュ障で隠キャだからああいうことになることはないと思うけど。調子にのってしまうところがあるから。イケてる感じだったらヤバかったと思う。コスプレして、練り歩いて、フリーハグして、夜が明けたらゴミ拾いする。そんなバランス感覚は凄すぎるし、僕には無理な気がする。
怯え怯え生きている。自分が周囲に不快な思いをさせてないか、ビクビクしている。その反動で、内弁慶な面があって、親しくしてくれる素敵な人たちに失礼な態度をとってしまう自分が嫌いだ。
いつか信じられるモラルを手に入れられるのだろうか。なんか信仰を持ちたい気分。出家するべきかも。とか言ってもギャグ。宗教に怯えながらも、アウトローにもなりきれない僕。そんな僕が案外好きだったりするからタチが悪い。
私の部屋はエレベーターから一番遠い場所にあるので出家・帰還時に10個ほどの部屋を通る。
そのうち5部屋ほどが猛烈に臭い。
清掃員・韓国人・老人がそれぞれに特有の匂いをドアの隙間から垂れ流している。
その頃、私の入ってきた部屋は少しかび臭く、備え付けのエアコンを使った直後に植物園のジャングルコーナーのような香りが漂い慌てて清掃をしたものだ。
春も終わり、私の仕事が忙しくなってくると部屋が散らかるようになり、ある休日に排水口の不織布シートを取り替えようとしたら余りに強烈な匂いがした。その匂いを嗅いだ時にふと、あの空き部屋からする匂いが同種のものだと気づいたのだ。
きっと前の住人が出し忘れた生ゴミが今もあの部屋に残っていて、管理人がそれをかたしもしないからこんな匂いになっているのだ。
冬の間からずっとウンコ臭かった清掃員の部屋の前を通るときよりも、その空き部屋の匂いの方がここ最近は強くなりだした。
その匂いをどうしても嗅ぎたくない私は、エレベーターを出てすぐのおしっこ臭い老人の部屋の前で思い切り息を吸い込み、ダッシュでその部屋の前を駆け抜けるようになった。
これから夏も本番になる。
まだ入って半年の私には荷が勝ちすぎる。
天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。
ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。
マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。
ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である。
木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624)
もう一人の重臣、滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。
さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。
その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。
「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」
そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報が錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。
突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前は冷徹な言葉を投げかけた。
「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊、越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」
「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」
木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方と講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。
一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京の東山越前守から直接、正確な情報を書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。
実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。
まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢を摂津と山城の国境、山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢と対峙することとなった。
「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」
木村内匠、答えて曰く、
「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」
「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」
銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。
「やばっ!御館様!」
突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。
ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。
こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分の主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉な人生である。
明智光秀が山崎の戦いで敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに殺されたため、明智光秀が織田信長を殺した理由が永遠の謎となった。
どうすれば本能寺の変が謎にならずに済んだのか。
晩年側近などに本能寺の変について漏らしたらOK。ただし勝者が作る歴史だ。
御伽衆に加えられて本能寺の変について話す機会があるかもしれないが、逆賊として処刑されるかもしれない。
明智光秀は豊臣秀吉よりも年上のようなので長生きする必要がある。
そもそも仏教とは、本来は簡単に出家と還俗を行き来できる宗教である。
出家とは、信者が僧団(仏教集団)に属して共同で修行生活を営む状態である。出家信者は基本的に外界との関係を持たない。在家信者から幾ばくかの支援を受けながら修行を続けるのだ。在家信者は出家信者への支援により徳を積むため、相互に関係が成り立つ。
つまりは出家信者とはアウトサイダーの集団である。社会から放逐された人が出家する話は仏典にいくつも存在する。ただし、在家信者との関係が良好でなければ集団を維持できないため、僧団は過激・排他的にはならない。また、出家信者はいつでも還俗して在家信者に戻ることができる。(だいぶ変容している日本仏教でも、出家と還俗はしばしば行われてきた。おんな城主直虎とか)
このシステムはとてもよいと思う。俗世で生き辛さを感じた人間が仏教に救いを求めると、俗世から遮断された集団で戒律のもとに生きることができる。修行が合わなければ還俗して在家信者として生きることができる。そしてどちらにせよ徳を積むことになるので、世間的に格好がつく。外面が良いというのは救いにもつながる。
日本仏教は葬式仏教化して久しく、熱心な在家信者も少なくなっており、このような古典的な僧団が成り立つ余地はないのかもしれない。だが今の社会だからこそ、気兼ねなく僧団に参加できるようにできないだろうかと思う。俺もそういう救いがほしい。