はてなキーワード: 三つ子とは
最近はXでもワーママ叩いて群れてキャッキャしてる専業主婦多いよね。
寂しくないと思うだろう?
ところがどっこい。
うちの母は子供溺愛系に見えて
自分ファーストなので仕事してなくたって子供第一になんかできない人だった。
家ではテレビ禁止、夜20時就寝、お菓子禁止、ジュース禁止。無駄に厳しかった。
母の話に戻そう。
母は社交的で外部の教育系勉強会があれば出かけていくタイプの人でアクティブだった。
お母さん遅いねって言われながら待つ。
みんなが14時過ぎに帰る環境で16時までいるのは
とても苦痛だ。先生たちも16時まで預かるのになれてない環境だったしね。当たりは厳しかった。
遅れた時はもっと早くお迎えに来てって何度も言っても
(今なら大問題だろう)
帰っても鍵がなくて家に入れずに玄関に座って待ってた。
なんだかんだで園には行きたくなくて
その度に母は大きな病院に連れて行き、
近所の小児科ではなく、大学付属病院のような大きなところ。医師がただの風邪と言っても私が大嫌いな採血をしろと要望した。
それにまつわる様々な行動にはむしろ嫌悪感がある記憶が多いから、むしろ働いてくれたほうがよかった。
育てた」とよく聞かされたけど、記憶がないし、
悪いけどその後のあれこれみても失敗してると思うわ。
向いてない人はやったらあかんと思うわ。
そんな向いてない人に密着育児されても
適性がないと思ったら保育園に入れた方が
私は専業主婦に育てられたけど、
話してみたことがあるけど
いい母やってた自信があるから認めないし
むしろ認めてもらえず傷つくだけ。
私も悪かったってよりも
すごく頑張ったはずだが?みたいな反応なのだよ。
70年代専業主婦で子育て適正ないやつに大多数が育てられたであろう世代は、盗んだバイクで走り出したり
学校の窓ガラス割ってたんだろ?うまく育ってないじゃんって思う。
そんな感じなので
変な自信があって始末におえないよ。
私は働いてくれてた方がよかったと思ってる。
予感はしてたが、近所のTSUTAYAで漫画レンタルが終わる。最近はよくある話らしい。
40代後半。普通に漫画が好きだ。子供の頃は毎週、週刊少年ジャンプを買っていた。小学校の頃はこち亀を、中学校に入ると横山光輝の三国志を集めた。合わせて100冊を超える単行本が今でも実家にある。
20代後半に1年だけ仕事で海外に居た。行きの空港で、機内の暇つぶしにとスピリッツを買った。滞在先は田舎で、日本人のいないところ。仕事も人間関係もそれなりにうまくやっていたし、インターネットは既にあったので日本の情報にも困らなかったが、寝る時、必ずそのスピリッツを読んでいた。ベッドに寝転がって、紙の漫画をめくる。一年間、同じ雑誌をめくり続けたが、当時は変だとは思わなかった。繰り返し読む漫画が楽しかった。
結婚して子供もできると雑誌も単行本も欲しいものを厳選して買うようになった。スペースが無いから。今の本棚にあるのは、よつばと、もやしもん、プラネテス、エマ、乙嫁語り、ママはテンパリスト、かくかくしかじか。ちょっと読んでみたい漫画がある時は、妻と子供が出かける時に漫画喫茶を使っていたが、そこも数年前につぶれた。
コロナ禍で子供達が家で暇そうにしてたので、TSUTAYAで初めて漫画レンタルをしてみた。誰が触ってるかわからないのが嫌だったので、それまでは避けていたが、一度借りると気にならなくなった。なつかしのドラゴンボール、ジョジョから、最近のワンピース、ヒロアカまで。黄金時代のジャンプ漫画を子供達が楽しそうに読んでるのが嬉しかったし、今の少年漫画が読めて私も楽しかった。毎週土曜に数冊借りてきて、リビングのソファーに置いておく。それを家族が、それぞれ好きなものだけ読む。ソファーで読んで、布団に寝転がっても読む。その習慣がコロナ後もずるずる続いた。今はダイヤモンドの功罪を借りつつ、「話がきつい」と娘がいうので、舞妓さんちのまかないさんも借りて中和している。
近所のTSUTAYAで漫画のレンタルが終わることを店内の掲示で知って、呆然とした。理屈はわかる。電車内ではスマホで漫画を読む人をよく見るし、私もたまにPCのブラウザで漫画を読むことはある。小説は完全にスマホに移行した。しかし、漫画をスマホで読む気にはなれない。やっぱり紙がいい。ソファーに置いてある漫画をみんなで回し読みするのがいい。寝転がりながら紙のページをめくりたい。タブレットでもできるのはわかる。でも、やっぱり、紙がいいのだ。なぜか、と聞かれると、三つ子の魂、というしかない。
理屈はシンプル。紙の漫画がいいんなら買えばいい。場所がないならオンラインだ。今後はそうするだろう。別に世の中に不満があったり、怒ったりしてるわけではない。ただ、これまで時代の流れにはついてきたつもりだっただけに、今回は「あなたの世界観は明確に時代遅れですよ」と言われた気がして、ただただ呆然としている。
遠矢姫華かわいそう、がんばってたんだね……って同情してる人が多いけど
勝手に父親が育児に協力的ではなくて、ワンオペ育児で追い詰められて、寝不足で冷静さをうしなって、衝動的に三人殺した事件だと思っていた
しかし、遠山姫華の殺人のやり方はまったく同情できるものではなかった
確実に殺せるように冷静に行動してるところに殺意が現れまくっている
三女、次女、長女の順番に手をかけて、確実に簡単に殺せる順番を考えてる
三女は一度息を吹き替えしたのに、もう後戻りはできないからと二度殺され、
やってること殺人鬼じゃねえか
苦しんでる娘たちの顔を見なくて済むように娘たちの後ろに回って殺すの卑怯すぎる
どこまで自分に都合の良いように行動するんだろう
道具なんか使わない
三つ子の母親が11ヶ月の次男を自分の手で殺した事件を思い出せ
周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。
ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。
まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。
そしてリベラルな思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。
どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。
これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。
ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。
周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、
地域社会から自分の存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。
よく現代病などとして、最近は花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。
これはもちろん、科学や医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし
昔からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、
一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。
で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。
もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし
倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。
だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。
自分もとある身体的ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力と
周囲の助けもあり、大学も卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)
クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。
ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会の奴隷かつ、労働者の奴隷でもあるのだ。
はたまた巷にいくらでも溢れている成功者の自伝本のように、努力が足りない、
などという世迷い言をいいたいわけではない。
この努力、というものを、子どもに押し付けたいか?ということだ。
これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事の分別がつく、聖人君子が求められる。
厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか。
トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか。
で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある
さらには、経営者、責任者、政治家の責任重すぎやしないか問題。
今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と
終わりのない他責思考と、昇進拒否や退職代行のような責任回避思考が蔓延している。
そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。
ただ、それすらも今は…
だって社会と法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから。
だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。
そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。
人間は社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。
そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか。
ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。
産まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。
そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。
何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。
何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか。
だからこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。
時には殴ってでも止めないといけないこともある。
刺し違えてでも、社会に迷惑をかけないように体を張って止める。
それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任を社会にだけ負わせるな。
今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。
そういう意味で、精神的な子育てのハードルは上がっているのは間違いない。
ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。
躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。
大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義の現代にそのようなお人よしはいない。
社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。
いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。
子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。
一つだけ伝えておきたいのは、別に世界も社会もあなたの敵ではないということ。
そして、今は未曽有の危機、第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。
もっと言えば、明治維新と第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、
大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。
産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。
そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任を押し付け合ってどうする。
別に指をくわえてみてたって構わない。
けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。
別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。
あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております。
25歳のお兄やんお姉やんが夜、仲良く三人で布団に寝転んでいる様子を見て、こんな立派なおっきいのを全部産んだななんて信じられなくなるよ。
うちの子供、三つ子なんだけど、寝てるのを見たときとかふとした瞬間に「え、こんな3人も!一気に産んだの?私が???」っていまだになる。もうすぐ2歳なのにまだ思う。そして写真を見返していき、胎盤の写真も見て、こんなのが胎内に!!!と考える。三児の母か……としみじみ思ったりもする。ちいさくてかわいい人達。不思議。
【追記】
思ってた以上に反応があってびっくり!ありがとうございます!
三つ子は三卵性なので見分けはつくよ。
でも、寝顔とかふとした表情は似てて不思議。
「そっくりだね!」って言ってくる人もいる。
母体の限界で1ヶ月くらい早産になったんだけど、長男1700g台、長女2000g台、次女1900g台で生まれて、成長曲線上よりですくすく成長してます。
三つ子の魂百までなので無理