はてなキーワード: ムードとは
昔は「生きる意味に悩むのは俺がまだ精神的子どもだからだ」「人生経験を積めば自ずと答えが出る、見つかるはずだから答えを探すのが生きる意味だ」
みたいに考えて生きてきたわけよ
ところが逆でした
色々知識が増えるにしたがって
俺が生きる意味なくね?という考えが強くなっていきだけでした
ンフw
笑うしかないわ
そうでしょ?
家族、子どもっていう分かりやすいものが出来れば全ての行動が肯定されてくる
でも、モテないんだよな俺
いや正確には付き合えるけど全く長続きしない
人に興味がない
興味持とうと頑張ったよ?俺
心にもないけどすごいとか尊敬するとか可愛いとか一緒に遊ぼうとか
作り笑顔もがんばったよ?
学生のころムードメイカーを自称しちゃうほど周りの空気読んで笑わせたり
誰かを楽しませるのに頑張るやつだった
誰かの笑顔見れたらホッとした
俺、必要かなって
何をしてほしいのか考えてうまくいくのが楽しかったな
でもそれもだんだん疲れてきて
笑わせる相手が恋人だったりたまに会う友人だったりお客さんだったり
笑顔疲れてきたよ
もう疲れた
笑顔いい
本性は狂犬そのものなんだ、昔それで親を怪我させてからずっと閉じこめてた
自分が怖いんだ
自分を愛せないんだ
でも誰にも教えられないんだ
誰が肯定できるんだ
俺でも肯定できないのに
結婚したら救われるのか
本性出せば喜びを共有できるのか
自分を恐れて認められないのに素直に笑えるのか
俺の仕事は俺じゃなくてもできる
自分のために生きるのも、飽きた
収入増えても楽しくない
周りはよくやってる俺だけだ
俺だけどうしようもない虚無感に襲われて俺だけ笑えない
心から笑ったのがいつなのか思い出せない
俺の生きる意味って
今は親を悲しませないように生きながらえることだけだ
こうやって考えることだけが生きていられる
心は冷えきって頭でばかり考えてる
親が死んだらその時は
週末に広島に行ったけど。交流戦地元開催日だったからもあるんだろうが、とにかく、駅周辺店舗の店員が結構な割合がカープのユニフォームやそれに似せた赤い何かを着ていて、本当にビックリした。こんなの他で見た記憶が無い。
広島空港のグローバルカウンターでもユニフォームを着ているんだよ。何がグローバルなんだろう?意味が判らんが、とにかく広島カープ応援は必須らしい。
街中に赤い服を着た人がいて球場に向かっている人もいるんだけど、そうじゃない人もただ普段着に近い形で着て街に繰り出している人が多い。とうかさんでお祭りムードだったのもあるだろうが。
おしゃれな大画面モニター付きのバーみたいのでも録画の(?)広島戦が流れていて、とにかく街中でカープ押しなのがビックリしました。
広島市外だとそんな過剰さは無かったけど。
プリライが2日間終わってうたプリ最高モードが漂っている中、私はモヤモヤがおさまらない。きっとこのモヤモヤを理解できるのは私と同じ境遇の人たちだと思う。
リストバンド列で大変な目にあった人もいるだろうが、私の意見も長いが少し読んで考えてみてほしいと思う。
私は1日目のみに参加したのだが、サイトの注意事項をきちんと確認して、リストバンドを早めに交換して開演の1時間以上前に着席していた。
それなのにリストバンド交換に手間取り開演時間に間に合わない人多数、その為開演時間は遅れ、さらにはじまったと思うと2曲歌うと謎の休憩。そしてMCほぼカットのぐだぐだ進行。構成もあまりよくなく本編の終了がよく分からない。
1曲1曲それぞれの演出はとても素晴らしく、出演者の方々の気持ちも伝わってくるようなパフォーマンスでとても良かっただけに本当に本当に悔しい。
今回のリストバンドの件で運営がとても叩かれていたりTwitterで謝罪しろという心無いリプライも多数見かけた。
サイトの注意事項のところにはきちんと
開場:14:00
開演:16:30
①会場内が広く入場後も席まで移動に時間がかかるためリストバンドを発行する。
②会場内は広いため余裕を持って来て欲しい。
という内容が明記されていた。
これを参加者はきちんと読んで理解してから来ていたのか私は疑問だ。
①入場後も席まで移動に時間がかかる
→開場してから身分確認しながら入場してもらうと開演までに席につけないかもしれない。そのため事前にリストバンド交換を行う。
②会場内は広いため余裕を持って来て欲しい
→そのままの意。
これがどうして読み取れないのか。
この注意事項を読んで理解していたら開場までにはリストバンド交換をしないといけないことくらいわからないのだろうか?
私は13時ごろにリストバンド交換をしに行ったがC駐車場に着くと、
・「リストバンド交換のみの人はまっすぐ左側のテントの方に向かってください」とアナウンスがありそれに従う。
・テントに行くと列もあり「紐の幅いっぱいに広がって詰めて進んでいってください」と案内がありそれに従う。
たったこれだけのことで15分ほどで交換できた。
その後は開場まで会場敷地内でご飯を食べたりしていたが、周りを見ると腕にリストバンドをつけずに露店を開いていたりご飯を食べている人もたくさんいた。その時点で少し不安はあったがみんなそこまで馬鹿ではないだろうと思っていた。そんな私が馬鹿だった。
・入場前にリストバンド交換を早めに行うこと。
・リストバンド交換を終えるとすみやかに入場すること。
・開演時間間際は入場が大変混雑すること。
・開演時間までに入りきらなかった場合、演出の都合上入場規制を行う可能性があること。
このアナウンスをきちんと聞こうとした人はどのくらいいるだろうか?
たしかに運営のスタッフは足りていなかったかもしれない。しかしきちんと注意事項を読んで理解して考えて早めの行動をとった人はどれだけいるだろうか?
考えて動いたならば開場時間以後にリストバンド交換に行こうとするだろうか?
仕事や仕方のない用事でその時間にしか来れなかった人もいるだろう。その人たちはやむを得ないと思う。
しかし早くから会場敷地内にいて開場してからリストバンド交換しに行った人は何を考えていたの?30000人が動くことを考えられなかったの?
2日間終わって感動ムードにつつまれているが私と同じ境遇の方はどんな気持ちだろうか。
私のプリライは1日目しかなかった。初めてのプリライでとても期待していた。MCだって本来の時間分もっと聞きたかった。途中で意味のわからない休憩などはいらないライブが見たかった。遅れてきた隣の人にパフォーマンスを目に焼き付けるのを邪魔されたくなかった。出演者の方にガラガラに空いてる席を見せたくなかった。リストバンドの件を謝らせたくなかった。悔しくて悔しくて仕方がない。
さらに付け加えると、入場すると「ライブが終了すると退場規制があるため終わってもそのまま席に座っていて欲しい」というお知らせがあり、ライブ終了後も同じ内容のアナウンスが流れた。
しかし全く話を聞いてない観客は我先にと動き階段は埋まっていたし、まずは落ち着いて席に戻ってくれとアナウンスがあっても全く戻ろうとしていなかった。これもとても残念だ。
ライブ前から注意事項を読んで会場でもアナウンスをきちんと聞くことを徹底して欲しい。
Twitterで訴訟アカウントというものを見かけたが訴訟する前に自らの行動を思い返してみてはどうだろうか。
1曲1曲それぞれのパフォーマンスは本当に本当に素晴らしいものだった。2日目のレポを読んですごく感動もするしうたプリが大好きだって思うけど、それだけにどうしてこうなったのかという気持ちが拭えない。うたプリが大好きだからこそ残念でしんどくて泣いてしまいそうになる。このモヤモヤはどうしたらいいのか。助けて欲しい。
だってそうでしょ。
ピルには避妊以外の効果もある。それは確かだけど、何で先に生理痛対策が出てくるのさ。
彼氏と2年付き合ってきてエッチの回数も重ねてきた中で、コンドームを切らしていてエッチが出来なかった(そして買いに行く頃にはムードが冷めていた)ことも何度かあったし、
生理が少し遅れて不安になったことも何度かあった。そういうわけでピルを飲んでもっとお互い気兼ねなくエッチをしたいと思っていたのに彼氏のその反応。
そりゃあたまには私の方からエッチを誘うことくらいはある。でも、『もっと貴方とエッチしたい』とは言いづらい。
女子というのはそういうものだから、「ピル飲もうかな」と遠回しに伝えてみたのにこの反応。
結局のところ彼氏も「女に性欲はなく、男が求めるから”仕方なく”相手をしている」という考えから抜け出せていなさそうだ。
そう考えると、別れた方が良いんじゃないかという考えが頭をよぎってくる。
…という釣りでした(2018/06/25)
下記の映像を観てほしい。
「Performance No. 67」
https://www.youtube.com/watch?v=lsCudRq00NU
Adana's Childrenというアカウントが、2017年に入ってからアップした動画の様なのだが…この映像に登場する、司祭の様な格好をして、青い髪を持ったRayRayは一体何だ?Raymondがアップしているどの動画にも、こんなRayRayは登場しない。
Adana's Childrenは他にも奇妙なRayRay動画を数本アップしているが、この謎のパーティ(?)の映像が最も不可解だ。これは一体何の光景なのか?
そして、Adana's Childrenは「soup torture」をアップしていたadanaと何か関係はあるのか?
どちらのアカウントもRaymondのものである様に思えるのだが…確証が無い。
そして、「Performance No. 67」に映る光景のカルト的なムードは、「freaky soup guy」「soup torture」よりもっと、異様でフリーキーなものに思える…。
(終わり)
会社員生活も6年目に入ると、連休明けを経験するのも6回目になる。自分は「いろいろ経験してきてるし、もう五月病とか関係ないな」とタカをくくっていたのだが、意外と仕事が手に付かない。というか、昨日までそのようなことを意識すらしていなかったような気がする。数年前にいわゆるブラックな働き方をしていて、憂鬱な気持ちが血圧や心拍数や頭痛になって現れることもなくなったのに、なぜかスイッチが入らない。なんなら連休中も仕事をしていたのに。
自分ですらそんなことなのだから、身近な人も同じだ。それはもうすぐ2歳になる娘も例外ではなかった。もう1年以上も通っている保育園の連休明け。いつになく別れ際に粘ることときたら。かわいいなと思いつつ、しがらみや責任と戦う世界にまだ入っていない子供たちですら、休暇ムードから日常に戻ることに抵抗があるのには驚いた(どちらにせよ気の赴くままに動いたり休憩したりできるじゃないかと)。
Facebookの投稿を見ても、同級生の会社経営者が連休明けの従業員の様子に対して、苦言とまではいかないものの思うところを書いていたり、ぼく自身もおそらく例に漏れず五月病だからということにしてドーナツとおかわり自由のコーヒーを手元に置きながら仕事を始めようと思うと、店員さんの接客する声や表情もどこかマイナーキーのような雰囲気を帯びている。つまり少し暗いと感じられる。
飲食店は休暇・休日関係なく営業しているから、会社員とは少しくらい違うのかなと思ったけれど、必ずしもそんなことはないのかもしれない。
ちょっと周囲を見渡すだけでそんな様子なので、日本中どこもかしこも五月病が蔓延しているんじゃないかと思えてくる。
昨日いつも通りの顔をして一緒に定例ミーティングをしたクライアントも、地下鉄の改札横で(ドーナツ屋の店員さんとは違って)普段と変わらず「おはようございます」の大きい声を響かせている駅員さんも、そしておそらくぼくの上司も、妻も、その上司も同僚も、みんなが程度の差はあれ五月病だったとしたら。ポーカーフェイスの巧拙だけの問題な気もしてくる。
生活の一部としての休息とは別に、休暇は必要だと思うけれど、それが終わるたびにみんながどんよりした気持ちになるのは、結局マイナスなんじゃないかとも思う。少なくとも自分自身は仕事の効率が落ちてしまっていて、それが頭で分かっていてもうまく制御できない。恥ずかしながら。
例えばみんなが時期を微妙にずらしながら休暇に入ったり明けたりすれば社会全体が五月病になるのを避けられるのかな、とか思うけれど、日本人のメンタリティ的には「みんな一緒に」休暇に取ったり仕事に戻ったりしないと周囲の人がどうしているのか気になって落ち着かないような気がする。そう考えると、五月病が蔓延することはある種不可避なのか。
彼とは、同棲期間を経ずに一緒に暮らし始めて3か月あまり。よく新婚生活どう?楽しい?って聞かれるけど、予想以上に夢も希望も無かった、あるのは現実だけだ。相手の生活リズムに入るストレスもあるし、私の勝手につき合わせているだろうというのも、自覚してしまえばかなりストレスだ。言葉尻をとらえるような些細な言い合いが増えた一方で、会話の量は一緒に住む前よりも減った。
こういうストレスとかはしばらく実家に帰るとかして距離を置けばよさそうな気もするんだけど、実家はなんだか追い出しムードで、泊まりたいといえる雰囲気でもない。帰る場所であるはずの新居には、逃げ場のなさを感じる。そうこうしている内に、夫というよりも大きな子供と暮らしているような気になってきて、ここのところは性的なスキンシップに拒否感を覚えるようになってしまった。今は好きも愛してるも言えない。たまに優しくされるのも辛い時がある。
ちなみに夫はこの結婚生活についてどう思ってるのかというと、うまくやっていると思っているらしい。思わず真顔で嘘でしょって言ってしまった。大らかな人ではあるが、いささか能天気すぎはしないか……?いっそ羨ましい。
こんなのは最初だけで、1年も経てば慣れるのではないかと信じているが、同時に1年も我慢しなくてはいけないのかと絶望的な気分になる。もしくはこれが一生続いたらと思うと、正直気が滅入る。少し前まで、私の人生と引き換えにこの人の人生が手に入るなら安いもんだ、位に思っていたはずなのに。
そんな生活の変化というストレスが、今、 “楽な方”へ流れていっている。自分の理解者というストレスフリーな相手。いまだに絶ち切れない、別れた人への未練だ。
実際に私がその人と結婚しなかったのは、タイミングが悪かったとしか言いようがない。散々泣かされたしいろいろなことがあったが、人生で一番幸せだったのも我儘な私が一番他人のことを考えられたのもあの人だった。もちろん結婚や将来のことも。
今となっては思い出が美しい、っていうのはよくわかる。思い出補正ハンパない自覚はある。麗しすぎてもはや現実味がない。
その相手とはしばらく連絡を取っていなかったのが、ひょんなことから、今はたまに話をするくらいの仲。婚約したとか結婚したとかは言ってあるが、たまにその気があるようなことを言われる。
もちろん相手の言うことを完全に真に受けてはいないし、本気にはしていない(つもりだ)が、いつまで経っても「もしかして」という期待?願望?が抜けきらない。多分、いまだに別れたことに対して納得ができていないからだろう。
感傷だとかマリッジブルーだとストレスだとか、そういう不安定なものからくる現実逃避だとは思っているんだけど。
あの時はダメだったけれど今ならもしかして、という可能性に縋りたくなってしまう。そんなのは心底夢物語で空想でしかないんだけど、分かってるんだけど、相手がかつてなく受け入れてくれるから、それに気を良くして。
スピード離婚した友人が「自分は結婚に対して覚悟と忍耐が足りなかった」と言っていた意味が、今すごくよくわかる。私には結婚は早かったのかもしれない。それにつき合わせているのかもしれない夫には今から、申し訳なさがある。
今、結婚した女友達から結婚したかったと言われた増田の話を読んで、なんとも言えない気分になった。そのブコメの数々が刺さる。
正直、結婚式という儀式を踏まえたらもう少し心境も落ち着くかもと思ってたんだけど、そういうこと言えちゃうものなんだ……多分あれは決別とかじゃない。実現しないだろうと分かっているだけの泡みたいな本音だと思う。でも私も同じようなこと思うんだろうな。地雷とかなりたくないんだけどな。
今日も、実家に帰るべきかもしれないと思いながら新居に帰る。冗談交じりではない話し合いを、その内しなければならないんだろう。
戦争か紛争か制裁かテロかは知らないが、朝鮮有事のリスクが高まっているのに、反戦ムードが出てこないのが恐ろしい
リアリスト気取る人たちは、将来のこと色々考えたらここで叩くべきでしょの論調
戦争なんて起きるわけない、または半島でドンパチあっても関係ねーって思っている人たちは、本当に無関心か、ただ、ないない笑、って言っているだけ
あのさ
戦争は本当に起きるかも知れないと本気で思った上で、そしてそれをなんとか留まらせたい、戦争は困る、みたいな空気ってもっと出てこないのか?
リアリストは戦争やむ無し、平和ボケは戦争なんてない、ってさ、おかしいよね
「特殊部隊、金さんの首取ってこい」「金さんの側近よ、奮起してくれ」の声は多少あるけど、こっちの考えの人にもっと声を大きくして欲しい
「ほら周さん頑張れよ、トランプも周さんのケツ叩けよ」みたいなのでもいいぞ、たぶんあり得る最善の回避法はこれだと思うし
開戦 (休戦終了) やむ無し、みたいな論調はさ、一般市民としては違うで
おかしいで
朝青龍の優勝がかかる一番であっても、場内は対戦相手の魁皇の応援一色のムード、誰も自分を応援してくれないと朝青龍はやるせない気持ちになっていた。
そんな時、2人の客が朝青龍を応援する声に気づいた。朝青龍は自分を応援する人がいてくれることに感激した。
そして魁皇を盤石の相撲で寄り切って7連覇を決める。勝負が決まった後、図ったように目の前にその2人の客がいて、たがいにガッツポーズをして応える。懸賞を受け取る朝青龍は号泣していた。
照ノ富士は、そういった自分を応援してくれる人の姿を、見つけられたのだろうか。
これを書きながら、なぜか涙が止まらない。
東京暮らしの増田です。Switchの「据え置きのゲームが外でも遊べる」ってコンセプトにかなり惹かれて発売日に無事ゲットしたんだけど、しばらく時間が経つにつれて、こりゃ東京じゃSwitch売れないなと思うようになった。
もちろんゼルダは素晴らしすぎる出来でハマりまくっている。超優秀な時間泥棒だと思う。でも、だからこそ東京じゃもう「携帯できるゲーム専用機」は売れないんじゃと思うようになった。東京のカフェなどでは、ゲーム機をプレイしている人はほとんど見かけない。多くの人はパソコンで資料を作成しているか、本で勉強をしているか、読書をしているかだ。東京の人は地方在住の人に比べて圧倒的に学習意欲が高い。たまに地方のスタバに行くが、勉強をしている人は学生以外にほとんど見かけない。ここが東京と地方の大きな違いだと感じる。ボリュームのある据え置きタイプのゲームをプレイする時間が、東京人にはそもそも残っていないのだ。
東京には街全体に「社会人になっても勉強をするのが当然」というムードがある。そんな中で「ゲーム専用機」で外でゲームをするという状況が受け入れられるとは思えない。学生には受けるかもしれないが、そもそも時間のある学生はわざわざ外でゲームをプレイする必要はないし、それこそ東京の学生はカフェなどで勉強していたりする。この「ゲームをする暇があったら勉強したほうがいい」というムードがある限り、東京ではSwitchはブレイクできないんじゃないかと思う。悲しいかな、東京では社会人が公共の場でゲーム専用機をプレイしていること自体がNGなのだ。
正直に言う。
そこら辺の女よりイヤラシイAV女優たちの方が何倍も興奮する。
ていうか、もう普通の女では満足できない。
それならAV動画を観ながら自分でヤッテればいいではないかと思われるかも知れないが、やはり肉感的なものも欲しい。
しかし、普通の女では色っぽさもイヤラシさも感じないから行為の最中には「ムードを盛り上げるため」と言って俺の好みのAVを流している。
お気に入りの動画を観ながら下半身は生の感覚が味わえるHは最高だ。
ただ彼女には悪いと思っている。
今の一番のお気に入りは希島あいりの動画を観ながら、その動画の進行に合わせながら高めていき動画と一緒にフィニッシュすることだ。
でも、視覚的には希島あいりなので、まるであいりとHしているような感覚になれる。
こんなんじゃダメだとは思いつつも、俺はAV女優以外の女では勃起さえしない。
これからどうして行こうかと悩んでいるが、どうしようもない。
こんな男は俺だけなんだろうか。