はてなキーワード: テストステロンとは
>自分から見ると優秀な白人女性って、名誉男性になる+人種由来のハイスぺを活かすことで有能になってるようにしか見えないんだけど
フィンランドは女性が女性のまま男性並みに活躍してるってことなのかな
まずコーカソイドの女はアジア人の女より筋肉とガタイが違う。澤穂希が日本中探してもなかなかいないのと同じ。
筋肉量が多いとテストステロン値も多いんで男性的、合理的思考が得意になる。体力ももちろん強い。
第二に、フィンランドではそもそも国民の数が少ないので、密度の濃い高い教育や自分で学ぶ教育姿勢が身につく。日本みたいに詰め込まれてなんぼではない。
パートのような対面販売や受付ならともかく、日本の企業社会と日本の女は世界一企業社会で働くのが向いてないのに、無理に進出させられている。
男性の特徴は、政治的に正しくない、現代の社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和と平和を乱さぬよう生きるべし。
みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。
ヒトのオスって、そこまで不快で危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。
この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。
いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快でしかたない。
どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。
私の頭の中の物知りマンもこう言っている。
「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって、男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから。
問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ」
でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。
それを個人差だと、個人で責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。
つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。
ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。
それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。
でも私はこう思う。
男が仕事や友人だけではなく恋愛相手からの承認も強く求めるのは、しばしば暴力的で攻撃的で非道徳的で不快で社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか。
一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。
私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認と恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。
男性の特徴は、政治的に正しくない、現代の社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和と平和を乱さぬよう生きるべし。
みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。
ヒトのオスって、そこまで不快で危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。
この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。
いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快でしかたない。
どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。
私の頭の中の物知りマンもこう言っている。
「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって、男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから。
問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ」
でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。
それを個人差だと、個人で責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。
つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。
ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。
それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。
でも私はこう思う。
男が仕事や友人だけではなく恋愛相手からの承認も強く求めるのは、しばしば暴力的で攻撃的で非道徳的で不快で社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか。
一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。
実際のところ女性が俎上に上げる男というのはそんな奴ばっかだから。
女性向けアンケートがよくいうNG男性のトップが「店員に高圧的・タメ口」だが、数的に言ってそんな人間滅茶苦茶少数派だ(地域差があったらごめん)。
しかし女性は「NGな男性」ときかれるといつもそれをトップに上げる。
これはNG度合いが高いというより、よく視界に入る、つまり女性はそういう男に注目するということ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/951765345030742016
ここでいう「肩を叩く」「お茶に誘う」(どっちも結構図々しくウザい感じに、というニュアンスだろう)も同じだ。
ウザい感じに肩を叩かない男の方が圧倒的に多い。
女性の目は常にそういう男の方へ向いている。
肩を叩かない男のことを「あの人は肩を叩いてこないね」等と話題にすることはない。
であれば、そういうテストステロン的なウザい行動を繰り返すというのは
女性の目を集めてモテるために限れば結局最適な行動なのだろう。
Q.「女性にモテたい男ほど女性に嫌われるようなウザい行動をするのはなんでか?」
高圧的・セクハラ的ウザ男性とそれにクレームを付ける女性というのは
単なるちちくり合いコミュニケーションをしているといってもいいだろう。
以下は最近グーグル社員が社内でダイバーシティに反する差別的?文書を開示したという理由で解雇された騒動において、問題となった文書「Google’s Ideological Echo Chamber」の日本語訳です。底本は米ニュースサイトMOTHERBORDが入手したPDFを利用しています。この案件ははてなでも注目されたようですが、その反応をみるにほとんどの人が原文を読まずにコメントしているようなので参考のため翻訳してみました。訳者は別に英語を仕事にする人でも特段英語能力の高い人でもないので、この日本語訳自体を引用して何か言及するのは恥をかく可能性があるので薦めません。また誤訳の指摘は歓迎です。なお、参考リンクについてはグーグルの内部ネットワークに繋がるもの以外は全て記載しましたが、ウィキペディアにリンクしている部分は参照している記載が削除されてしまっていたりするので、この文書が作成された7月あたりの版を読む必要があります。
バイアスが多様性と社会的包摂についての私たちの考えをどのように曇らせるか
私は多様性と社会的包摂に価値を置くし、性差別の存在についても否定しない。ステレオタイプを利用することも認めない。私たちが集団における登用ギャップを解消しようとする時、必要なのは集団レベルにおける分布の違いに注目することだ。もし、このことについて誠実な議論ができないのであれば、私たちは真に問題を解決することなどできない。
心理的安全性は相互尊重と受容によってつくられるが、不幸にも私たちの恥ずべき文化と欺瞞は残響室の外にいる人間を尊重しないし、受け入れもしない。
そのような公的反応にもかかわらず、私はこれらのとても重要な問題提起に対してグーグルの同僚たちから多くの個人的賛辞をもらった。彼らはこの問題提起には同意するが私たちの恥ずべき文化と解雇の可能性のために声をあげることも擁護することもできない。このような状況は変革されるべきだ。
人は一般に善良な意図を持っている。しかし、私たちは皆自覚のないバイアスを持っている。感謝すべきことに、物事を鵜呑みにしない人々による開かれた誠実な議論は私たちに見えていない物事を照らし出し、私たちが成長するのを助けてくれる。それが私がこの文書を書いた理由だ[2]。グーグルにはいくつかのバイアスがあり、このバイアスに関する誠実な議論は支配的イデオロギーによって沈黙させられている。ここからの記述は完璧なストーリーではないが、グーグルで是が非でも語られるべき視点だ。
グーグルにおいて、私たちは人種やジェンダーに由来する無意識のバイアスについてとても多くのことを語る。しかし道徳的バイアスについて議論することはまれだ。政治的指向は実際には深層の道徳的選好の結果であって、すなわちバイアスなのだ。社会科学とメディア、それからグーグルの圧倒的多数が左派寄りであることを考慮して、私たちはこれらの偏見を批判的に吟味すべきだ。
左派バイアス | 右派バイアス |
---|---|
弱者への共感 | 強さ/権威の尊重 |
不平等は不正のせいである | 不平等は自然であり正しい |
人間は生来協力的である | 人間は生来競争的である |
変革は良い(不安定) | 変革は危険だ(安定) |
開放的 | 閉鎖的 |
理想主義的 | 実利的 |
どちらの側も100%正しくはないし、どちらの視点も機能する社会、この場合は会社に必要なものだ。極端に右派的な会社は反応が鈍いかもしれないし、あまりに階層的かもしれないし、外部を信用しないかしれない。対照的に極端に左派的な会社は継続的に変化するだろうし(愛されているサービスを非難する)、あまりに関心を多様化させるし(コアビジネスを無視するか、恥ずべきことと思う)、あまりに従業員と競争相手を信用しすぎる。
事実と理性だけがこれらのバイアスに光を当てられる。しかし、多様性と社会的包摂の話になると、グーグルの左派バイアスは恥によって反対者を沈黙に追い込むことによって固定化される政治的正しさの単一文化を作り出す。この沈黙は侵食する過激派と権威主義的ポリシーに対するあらゆる歯止めを除去する。この文章の残りで、私は社会的成果の違いは差別的取り扱いと平等な登用を作り出すために実際上の逆差別を義務付けられる権威主義的要素によるものだという極端な立場に焦点を合わせる。
グーグルにおいて、私たちはいつも黙示(無意識の)、明示のバイアスが女性を技術職と管理職から疎外していると語られる。もちろん、男性と女性はバイアスや技術や職場を異なった形で経験するし、それを私たちは認識すべきだ。しかし、それだけで全ては説明できない。
平均して、男性と女性は多くの点で生物学的に異なっている。これらの違いは社会的に構築されたものだけではない。
なぜなら:
注意:私は全ての男性が全ての女性と以下のように異なっているとは言っていないし、違いが”正しい”とも言っていない。私は単に男女の選好と能力の分布がある程度生物学的な理由により異なっており、これらの違いは技術職と管理職において平等な女性登用が見られない理由を説明するかもしれないと言っている。これらの違いの多くは小さいし、重要なことに、そこには男性と女性とで重なり合う部分がある。そうであるから、これら集団レベルでの分布から男女個人について言えることは何もない。
(チャート画像)(https://video-images.vice.com/_uncategorized/1502146696203-Screen-Shot-2017-08-07-at-65310-PM.png)
下段:人々を集団的アイデンティティに単純化し、平均が代表だと仮定することはこの重なり合いを無視する(これは悪いことであり、私はそれを認めない)
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長すぎたのか投稿できなかったので分割。
これはブクマに書かれてる通りやっぱ性欲減退のせいじゃね。テストステロンが出なくなったのでは。
俺35だけど性欲衰える気配が全然無くて困ってるくらいなんだよね。
性欲はある。
テストステロンが、だとかもっともらしい理屈をこねてる増田とか
女も性欲あんねん増田とか、家族とできない奥さんを持った増田とか、
読んでいろいろ考えてみたのだけれど。
例えば射精したいだとかの性的な行為を通して発散できる欲求なら勝手に発散してろという話だし
欲をはらすのに他人が必要であるなら、ちゃんと欲があることを表明し頼むべきだ。
なんなら、そこらへんナンパ野郎にのっかってもいいし風俗にいってもいい
ただ、そういったことをすると、特殊な環境でない限り、軽蔑されるし信用を失う
いや実のところ、常日頃から性欲を表明していれば
人に不信を与えるのは他人を使って欲を解消したくてしょうがないのに
人にお願いしたくないし、それがあると表明するのも嫌だけれど察してほしいという態度だからだ
ちゃんと表明して解消して、それがあることが当たり前でなきゃいけない
それ以外の態度を取っている状態で性欲について何を語っても
(あるいはそういう関係性とセットとなると考えられる恋愛を語っても)
なんの意味もない。
といわれても困っちゃうじゃない。
もちろん実際欲のない人はいるけど、欲のない人は欲のないというポジションで語ればいいわけで
欲がないと嘘をつく(若しくはあるのに気が付かない)ってのはやっぱり程度が低いよ
若いころは、さぞ性欲旺盛だったんでしょうねってだけのはなしで
それで誰かを傷つけたり、自分が罪悪感をもっていたというなら
そんなもの一生解消されませんよ。
つーかしみじみと語るくらいに人生を過ごしているなら、
いい加減そんなもののを世の中のこととして消化するな
性欲がなくたってやってることは変わらない。自分が自分が自分がじゃないか。
あと、女性の性欲に関して
押し倒された方がとか、求められてる感とか言ってるブクマカよ
他のトラバにも書いたけど、テストステロン増やしたいのは多分スポーツ選手。筋肉増強剤としてテストステロン摂取するとドーピングだけど、生活習慣で増やせたらドーピング違反にはならないからね。
それだけテストステロン値が高いならスポーツ選手としてはうってつけだろうに。
精神障害による犯罪者や犯罪を起こす可能性が高い者については、措置入院という強制的に医療を受けさせる制度が認められているわけだが。
http://anond.hatelabo.jp/20170608022259のツリーを見ていてテストステロンを減らす療法は海外じゃあるようだけどどこまで進んでんのかなと思ってテストステロンでぐぐったら
「テストステロン 増やす」と言う予測検索が真っ先に出て来たよ
増やしてどうするんだよと思うけど、増やしたい人の方が圧倒的に多いらしい
んでいちいち例外を持ち出してどうする
強制的に受けさせるべき、だなんて一切言っていないのに何故そういう話になるのか。
強制的どころか、受けたいと思う人がいたとしても受けられる環境にないのが現実でしょ。
親の同意は必要なわけだが、「親は治療を受けさせるべきで、受けさせない親は医療ネグレクトの毒親」と言う概念が成立していて広く行き渡っているから
「まともな親」であれば皆受けさせるし、受けさせない親は批判されるわけで。
同じように、テストステロン過剰についてもそれは「疾患」や「障害」であり治療対象である、と言う概念を成立させる、
現代日本はそこまでの段階にすらなっていない。
自分ももっとテストステロン過剰(とか、性犯罪を犯してしまう人とか)をきちんと治療する流れが確立されてほしいと思うけど、そうならないのには色々理由がある。
まず、治療っていうのは基本的に本人が望んでいないとできない。
この場合は対象が子供だから親の同意で治療が行われているだけ。
たとえ受刑者に対してであっても、強制的に治療を行うことは禁止されている。
なら同じくテストステロン過剰も「社会に適応できない」「犯罪を起こす」って意味で治療対象になるべきなのに
それは絶対に認めないのは、「テストステロン過剰であること」が、「男らしさ」であり、男のアイデンティティと一体化していると考えるからなのかな
これは実はある意味では近い。
というのも、テストステロンというのは男性にとって(女性にとってもなんだが)不可欠なホルモンだから。
たとえば女性の多くが経験する更年期障害というのはホルモンバランスの乱れによって起こるのだけど、これは男性にも起こる。
テストステロンが不足すると不眠・疲れ・集中力や性欲の低下などの症状が出るし、明確に体調に悪影響を及ぼす。
ADHDの薬も結構副作用が強いことで有名だけど、ここまでではないのではないかと思う。
こういう治療を強制的に受けさせるということになると、ちょっと面倒なことになるのは分かってもらえただろうか。それこそ冤罪とか。
まあでも一番は無理解かな。
暴力犯罪者はテストステロン値が高い、ってのは実際統計であるらしいね
薬物療法が普通に認められてるし、むしろ治療しないで周りに危害を加える事を放置するのは悪、とされているわけだが。
こちらは本人が家に閉じこもったり自殺したりするだけで、他人に危害を加える訳ではないのに
なら同じくテストステロン過剰も「社会に適応できない」「犯罪を起こす」って意味で治療対象になるべきなのに
それは絶対に認めないのは、「テストステロン過剰であること」が、「男らしさ」であり、男のアイデンティティと一体化していると考えるからなのかな
その為なら周りに性暴力振るっても周りが我慢するべきだし(これが性暴力ではない暴力であれば100%本人の責任であり刑務所に放り込むべき、となる違いも意味不明だ)
本人が性欲が満たされない事で頭おかしくなっても本人が我慢するべき、ってか?
治療した方が本人も周りも楽だと思うけどな