男性の特徴は、政治的に正しくない、現代の社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和と平和を乱さぬよう生きるべし。
みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。
ヒトのオスって、そこまで不快で危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。
この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。
いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快でしかたない。
どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。
私の頭の中の物知りマンもこう言っている。
「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって、男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから。
問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ」
でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。
それを個人差だと、個人で責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。
つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。
ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。
それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。
でも私はこう思う。
男が仕事や友人だけではなく恋愛相手からの承認も強く求めるのは、しばしば暴力的で攻撃的で非道徳的で不快で社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか。
一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。
私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認と恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。