はてなキーワード: ゾンビとは
ゾンビデオ知らないとかニワカか
夕刻娘と公園に散歩に行くと、またヒスパニック系の方々が陽気な音楽でパーティーをしているのです。彼らのお祭に欠かせないのがピニャータ。しかしそのピニャータ。星型、ボール型、そしてロバでさえも現代っ子を十分に興奮させるのが不可能になったようです。結果、ボール紙の張り子で作った愛くるしいアニメキャラクターにお菓子を詰め込んだものを吊し上げ、それを無垢な子供が棒でひたすらぶっ叩くというなんとも凄惨な光景が展開されるわけです。今宵の生贄はピカチュー。三歳の我が娘は、スペイン語の囃子歌をバックに浅黒い肌の子供が交代でピカチューを散々にリンチするのを不思議そうに、そして興味津々に眺めておりました。油断して少し距離を縮めすぎたら、世話好きそうなメキシコ人のおばさんが「お嬢ちゃんもやるかい」と打ち棒を勧めてくるのです。流石に娘もこれはホラーだと感づいたらしく、棒を辞退して事なきを得ました。その後ピカチューは年長の男の子に腕を打ち落とされ、その殺気に刺激された対抗心旺盛の次の子の一撃でとうとう首が半分もげ、金色の体が大地に崩れ堕ちたのです。瞬間、「わーっ」という声とともに満身創痍のピカチューに群がる子供たち、いやあれはゾンビの一群。瞬く間にピカチューは八つ裂きにされ、子供たちはその体内から溢れ出るキャンディーの奪い合いという地獄絵巻の最終章に突入したのでした。娘を抱き上げて脱出を図る私に彼女は一言、「わたしもキャンディー欲しい!」実は、一番恐れていた言葉がこれだった。
これは、「自己承認の不足」ゆえの「他者承認ゾンビ」だと思うよ。
自己認識が希薄な分、それを埋めるための他者承認を求め続ける。当然、性質が違うから埋まらない。
ビタミンやミネラルをバランスよくとっても、カロリーがないと生きていけないよね?
これは完全にバランスが悪い。というか、極端すぎるわ。
もちろん、「無条件にほめる」のも悪バランス。「マイナスの承認」もある程度は必要だ。
褒めるのも叱るのも半々だったとしても、罪を犯す奴は存在する。
これもそうだけど、このバランスというのは
その時のメンタル状況やそれまで摂取した承認の種類によって変わってくる。
基本的には自己調整できるものだけど、それがあまりにも偏ってる(=環境に恵まれない)と、
「壊れる」人が出てくる。
これが鬱だったり、あるいは病名のつかない他のものだったりする(インセルもそうか)
2.全員が他者への極端なマイナス承認、悪意あるマイナス承認をしないようにする。
上記2点は両方、無い。
同じくらい承認してくれればの話だけど。
この論は成り立たない。
他者というのは自己とは違うもので、その視点はすべての分野を網羅しない。
「社会的ステータス」「息子として」「恋人として」「部下として」「上司として」...etc
足りなければ、歪な象となったり、特定の分野のかけた像となる。
その「欠けた部分の承認」を埋めることを求め、
なんでそう思うの?
人から注意されて直して生きてきたとする。
自分としては「自己承認」をしてきて、言われたことも直してきたとする。
この場合、「自己肥大しすぎて現実が見えない」と言えるか???
違うだろ。
医者に「普通の人が日常生活でなるものじゃないんだけどなにしたの?」と言われた時点でだいぶ情けない気持ちだった。
手術前に、腕の血管がまったく浮いてこないので手の甲で麻酔を打たれかけて「悪魔〜!!!殺す気か〜!!!!」と年甲斐もなく泣き喚いたりしたものの、無事に手術は終了。
術後気がつくとトイレにいて、スッキリして看護師さんに車椅子に乗せてもらってベッドへ帰還。そして二度寝。
起きると母親が「あんたすごかったよ」と言うので、ホ???と思いながら話を聞いてあまりの恥ずかしさに死ぬかと思った。
手術後目を覚ましてまず、トイレ!!!!!!!!!!!!と絶叫。まだ起き上がれないからとベッドに専用の容器を持ってきてくれた看護師さんに対し「こんなんで出るか〜!!!!!!!!!」と泣き出す。その後もいいから早くトイレに連れていけとゾンビのように起き上がっては倒れを繰り返し、その間酸素マスクを何度も「くそ!邪魔だ!!」ともぎとる……という奇行が繰り広げられていたらしい。
見兼ねた看護師さんが車椅子でトイレに運んでくれて、戻ってきた途端人が変わったように穏やかに酸素マスクをつけ直し一瞬で寝たと。
ブジャールド(嘘つき)、広告用の豚、ピッチを徘徊するゾンビ、火星人 カタツムリ 家畜の残飯、肉とも魚とも言えない物、
遊園地の射的、ワーストワン、三輪車 悪夢の夜 鳥かごの中の鳥、UFO、空っぽのバッテリー、のろま遅い、砂漠で迷子、髪の毛が目立つだけ、
エラーと言うよりホラー、透明人間、軟弱、落胆、キックボード、酸素が足りない、アマチュアレベル、サハラ砂漠でもブーイング、
破滅的、靴磨きの方が役立つ、パラメトロゼロ(移籍金ゼロ)、右サイド失格、ジャングルで迷子、ミステリアス、引っ込み思案、全てがミス
異物、くすんだトップ下、消え行く存在、穏やかな日本の海、皆既日食のような闇、足も頭もスロー、厄介な存在、足手まとい、放心状態、
不可解なオブジェ、ファッキンサムライ、バーゲン軍団、鼓笛隊のおもちゃ、最悪の一人、足より口に毒、ダム トーテムポール以下、
刀のないサムライ、幽霊、パンキナーロ(ベンチ要員)、ハラキリ状態、マーケティングマン、ミラネッロに来た寿司配達員、料金所の入り口、
毒ガス撒き散らし、メディア男、左下の男、無益、ミラネッロの幽霊、家にいるべき、ユニークな10番、自ら飛び出した魚、絶望的な選択肢、
数年のブランクを経て、先月、金策とリハビリを兼ねてコンビニアルバイトを始めた。夕勤四時間を週に2、3回だ。
何せ久々の労働だし、以前の仕事先では使えないとかお前みたいな役立たず死ねばいいのにとか毎日面と向かって罵倒されていたので、今度は上手くやれるだろうか?というのんきな不安よりも、今度もまた死にたくなるほど詰られたり、なんのかんの言いくるめられて契約時間がどんどん引き伸ばされ連勤の嵐にのまれてブラック労働から抜け出られないようにされるんじゃないかっていう恐怖があった。
だが心配は杞憂だったようで、今のところこれまで働いたどの職場よりも快適な環境でルンルンの気分で働いている。
コンビニバイトはよく、覚えなければいけない仕事が多くてキツいと言われている。要領と物覚えの悪い私に勤まるのだろうか?と不安だったが、実際仕事について得たのは、私意外と要領も物覚えも悪くないんだ!?という発見だ。
思うに、毎日充分な食事と睡眠を取れて体のコンディションがよく、上司に些細な事で罵倒されず心穏やかに働けるのがいいのだろう。勤務日数も時間も少ないから疲れが溜まりにくいし。
小さなミスを何度も何度も重ねて客に胸ぐらを掴まれ泣きながら仕事をしていた若い頃の日々はなんだったんだろう?
なんだー、私だって落ち着いてやれば出来るんじゃん。一つ一つの仕事を速く正確にこなしていけるという、それだけの事が嬉しい。
私以外のアルバイトやパートの人達も、それぞれ無理ない時間で希望の収入が得られるだけ働いている様だ。
そういう環境を整備してくれている正社員の人達、特に店長や副店長はかなり過酷な労働をしていて、毎日の様に12時間以上勤務し、出勤時間も不規則の様だ。私など非正規は昼勤なら昼勤、夕勤なら夕勤だけと勤務時間帯が固定されているが、正社員は主に夕方~早朝の勤務、それに加えて非正規の休暇の穴埋めをしている。
今週は、高校生のバイトの子達が中間テストの勉強の為に休んでいるので、正社員さん達は特に忙しそうにしている。(私も1日出勤を増やしたけれど、私以外のバイトで高校生達の代わりに入ってくれる人は見つからなかった模様。)
殊に店長はゾンビ状態で、たまに遠くを見たまま立ち止まっているし、呼んでも反応がないこともしばしばある。
人手不足のお陰でいつの間にかアルバイトやパートが優位になりつつあるようだが、正社員さん達の様子を見ると、この状況は長くはもたないだろうなあと思う。
Gabege In, Gabage Outという言葉がある。 何でもそうだけれど、たとえ考える力があっても、考えるための「最低限の知識」がなければ頓珍漢なことを言うものだ。
しかし、ちゃんと大学で卒論に取り組んだ人であれば、自分の考えを仮説としていったん保留し、それが正しいか検証したり、「そもそも自分にはまだ知識や情報が足りていないのではないか。足りていないとしたらどんな情報か」について考える訓練をすることになる。なので、あまりにも政治信条の話などで無い限りは、頓珍漢なことを言う割合は減ってくる。
しかし、残念ながら大学生がみなそういう訓練を受けているわけではなく、文系のいくつかの学部ではそもそも卒論がなかったりする。東大や一橋ですら卒論課題はない。基本的に「文系の学部卒」の人は、そういう訓練をしないまま卒業出来てしまう人が多い。まして、言い方は悪いが偏差値の低い大学を卒業している人は、自力で頑張った人以外は「そもそも思考の訓練を受けていない」として扱うべきなのではないか。
企業の採用活動って、営業職でもない限り、まずは学歴そのものを問うより、卒論に関する教授の評価を聞いたほうが早いと思うんだよね……。というより、それが学歴だと思う。東大の法学部卒より、MARCHの院卒のほうが偉い、となってないのは大量一括採用の名残とリクナビの都合による不合理な慣習でしかないと思う。
研究系企業は当然卒論を参考にするし、制作系やプログラム系も、制作物のPFを提出させるところが多いので必要なところはすでにそうしている。資格職は当然受験者に高いハードルを求める。コミュニケーション能力という意味でも、電通や総合商社などは「推薦」という名の成果物が前提にある。
基本的に、そういう「成果物」の存在を前提としない方向性で採用されない人間というのは、その時点で、たとえ東大卒であろうが「学歴」という意味では劣っているいると受け止めるべきだろう。 ネットでは就活の面接対策などの話が語られるが、「面接」をしている時点ですでにスタート地点で遅れている。それでもポテンシャルが高い人間はそこで一発逆転できるチャンスがあるのだから、能力の有る人間には良い制度だろうが、いつまで経っても採用の仕組みが改善されないのは「本命ではない、数合わせを採用するための仕組み」に過ぎないからであろう。
企業からすれば、「本当にポテンシャルが高い人間はこの仕組で十分一発でわかる」し、それ以外の人間は当たりであろうが外れであろうが構わない。大企業であれば有るほど、今の仕組みで優秀な人材が必要な数採用できる限りは、コスト的には高いがリクナビなどに負担させているリスクを今更背負って新しい仕組みを目指すインセンティブがない。
かくして、今日も「不合理」でありながらも「十分に効率的」な制度がゾンビのように続き、文系大学生は、思考こそが武器なはずなのにまともな思考力すら教育されないまま大学を卒業していくのである。
と、ここまで書いたけどフランス文学については素晴らしい発言をされる優れた知性を持っているはずの内田樹さんや、政治や経済といった門外漢のことについては頓珍漢なことをいう。物理学については素晴らしい知見をお持ちのキクチマコトさんもご覧の有様なので、卒論でちゃんと考えがつくというのはただの妄想かもしれない。
ビッグ クラブ パニック を観ることは権利ではなく、義務である。
他にもアニメを配信しているみたいなので、せっかくだしAmazonPrime年間コースに入ることにした。
沢山のアニメ・・・しかし、それらはdアニメストアで大体事足りた。
このままでは数千円が無駄になってしまう(アビスは面白かったので正確には無駄ではない)
そう思った俺は映画を観ることにした。
映画と言っても色々あったのだが、以前観たゾンビシャークがそこそこ面白かったし
まぁ、適当にサメ映画でもつまむか と思いフランケンジョーズを選んだ。
これがまた結構な当たりだった!
フランケンジョーズのデザインは個人的に好みだし、終盤のサメが進化するところは
俺が求めていた物はこれだったんだよ!!!
と言わずにいられなかった。
その後見たのがディープブルーだ。これは間違いなく名作サメ映画で、サメ映画マニアの間じゃ常識レベルの作品らしい
とにかく面白い。何も知らずに観てほしいから、とにかく観てくれ これは命令じゃなくて 推薦だ
そして、次に観たのが とうとう皆さんお待ちかねの ビック クラブ パニック だ。
ビッグ クラブ パニック は主人公メリッサの幼少期から始まる。
幼少期にカニを広い、動植物の巨大化の研究をしていた父親の研究成果である巨大化する木の実を拾ったカニ:チビに与える。
そして不幸な事故で両親を亡くしたメリッサは保安官のレイおじさんに引き取られる・・・
ここまでが導入だ。
本編はメリッサのサイコっぷりとカニのかわいらしさとレイおじさんのやさしさ?で出来ている
終盤のメリッサがカニに乗るシーンは必見なのでそこだけでも観るべきだ
隕石は落ちないし、眠りから覚めたという表現はおかしいし、戦闘機(笑)だけど
一緒に1時間20分をドブに捨てよう