はてなキーワード: ソーシャルとは
推しのライブの直前に中止が言い渡されて次ライブあったら絶対に地方跨ぐレベルの遠征してでもライブ行くと意気込んでいたけど、今次のライブが決まったらいいものをソーシャルディスタンスで観客席が埋まらないことに違和感を感じて行く気しなかった
もうお客も少なくなる時間帯だからと座席に座り、食事が出るまでマスクをしたままひたすら無言。
食べ始めたと同時に、マスクなしでひたすらしゃべりまくる50代の夫婦と思われる客は、自分の隣の席に着席し、そのあともしゃべるのをやめなかった。
換気も悪そうな店舗では、さすがにヤバいと感じ、とりあえず席を替わろうかと店を見渡すと、いつのまにか客がそこそこ入っていて、みんなマスクをはずしてぺちゃらくちゃら。
ふたくちほどしか食べてなかったが、箸を置き、店をあとにした。
どこでも、お店の人は、こんなリスクのある環境で食事を提供してくれて、本当にありがとうなのだが。
申し訳ない。
この店で食べ続けるのは無理だった。
社会学ってそもそも、自由な議論を阻害するなと言いながら学問的な裏付けもない理論をぶん回して社会運動に流用しまくったんだよね。
つまり社会運動に看板だけ貸して、その学問を棍棒にしてやりたい放題やってきたのね。
黒人が白人をリンチしてるのを、「トーンポリシングだ」「そこまでに至る抑圧がー」とか、どこからどう観ても「そんなの正しいわけねえだろ」って誰もが分かる問題を、無理やり擁護してる。
学者の看板で勝手に正統性を暴力政治運動に与える名義貸しをずっとやり続けてきた。
きちんと研究してるかといえば、やってることはせいぜい、オタク表現に思いつきで放火するソーシャル放火魔でしょ?
社会運動にアカデミズムの看板を名義貸しをしておいて、そんで、逆に炎上したら「自由な議論を阻害された」と、放火しておいて被害者ぶる。
でもさあ、そのやり口が「社会学者という学者の看板で語る」のなら、最低限、その学者としての生命をかけて貰う必要がある。
学者として語ったのなら、それが学者としての倫理にそぐわない思いつきをホイホイ勝手に捏造してばらまいただけなら、当然学問として最低の評価を受けるのだ。
スタップ細胞のように、「お前は捏造理論を唱えた。学者として発信したのに、全く研究した痕跡も無ければ、そもそも根拠がない」と言われねばならない。
しかし、社会学者にはそもそも検証される土壌がない。言えば言いっぱなしで逃げ放題だ。
しかも根拠を問われたら「あくまで個人の感想です」と、さんざん学者でござい、って顔して放火してたのに、個人の顔になりやがる。社会運動の煽動に利用しておいて、その逃げ口上は一体何だ?
「自分たちが社会的圧力をかけるように煽動していた」のに「自由な議論をしていただけだ」とは、ヤクザの居直りである「俺は穏便に話していたのに、相手が勝手にころんだだけ」みたいな態度である。
そりゃ、「ヤクザ」と同じ扱いを受けても仕方がないだろう。
社会学者が襲われるようになったのは、学問の看板で放火しまくったからであり、まっとうな社会学者が「もし」いるとしたら迷惑なことだとは思うが、今のところそういう学者は放火そのものをしないので、誤爆を観たことがないのである。
【9月9日 AFP】新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の初めの数か月間、スウェーデンはロックダウン(都市封鎖)を行わなかったことで世界の注目を集めた。そして今また、感染予防のために奨励されているマスク着用を拒否する立場を固持している。
混雑した場所で口や鼻を覆うことを世界の大半の国が受け入れている一方、スウェーデンではバスや地下鉄の乗客、食料品の買い物客、登校する生徒たちの中にマスク姿はほとんど見られない。
スウェーデンの公衆衛生当局は、マスクは社会全体に使用を奨励するほどウイルスの感染抑制効果がなく、ソーシャル・ディスタンシング(対人距離の確保)と手洗いを順守することの方が重要だと主張している。
スウェーデン行きたい
うち1人は妊娠中らしい。
プライベートでも、同棲だとか、結婚だとか、そういう言葉を耳にしたり、目にしたりすることが多くなった。
友人の友人や、友人の兄弟姉妹がそういったライフステージに進んでいるのを知ることが、ここ数年多い。
わたしは、好きな人はいるけれど割と前に振られている。それを引きずり続けている。
そうしたタイミングだからというのもあるか、わたしはこのまま一生ひとりなんだろうなという気持ちが強い。
人の幸せを素直に喜べる人になりたいのに、自分が手にすることのできないものを持っている人を妬ましく思ってしまう自分が嫌だ。
自分のことが嫌いで、でもどこまでも自分は自分本位な人間なんだろうな、と最近は思っている。自意識が爆発しているのかもしれない。悲劇のヒロインぶる癖があることも。
もしわたしと同じように思っている人がいたら、もしそれがわたしの友人なら、
だってあなたはこんなに素敵なところがあって、わたしはそれを知っている、大丈夫、大丈夫だよ、って、
でも自分自身に対しては、全くそんな風に思えない。大丈夫って思えない。
だから、同じように感じている人達にも、わたしはそんな言葉をかけるべきではないのだろう。自分に対して1ミリたりとも思っていない言葉を、他人に対してかけるのは、失礼な行為だとも思う。
好きな人はできても、相手との関係が残念な結果に終わった場合、なかなか切り替えられない。1人のひとにずっとずっと執着してしまう。
そもそも、もうそこそこいい歳なのに、恋愛面でいい方向に進む(付き合うだとか)ことがなかった。デートまでできても、手を繋いでもらえても、恋人という関係にはなれなかった。付き合う前に身体を許す、というようなことは1度もしていない。手を繋いでほしいというのも付き合う前はだめなのだろうか。
いや、そういうことが原因ではないのも分かっている。わたしは自己表現、自己開示が下手すぎる。
好きな人には、一度好きだと思ってしまったら、あまり話せなくなってしまう。
自分のことを知って欲しい、お互いのことを知りたいからちゃんといろいろなことを話したい、いろいろな所へ行って、いろいろな経験をしたい。
そう思っているのに、何も言えなくなる。
これが好き、あれが苦手、自分のことを話したら、相手にどう思われるんだろう、そう思ってしまって、何も言えなくなる。どこまでも自意識過剰だ。
元々、就活もあまり上手くいかなかった人間なので、根本的に言葉にして、自分の感じていることや、自分自身のことを伝えるのが下手なのだろう。
だから、振られても正直、「ああ、やっぱり」とも思う。思うくせに、その人のことを諦められない。
(でもなんとなく、そうした何も言えなくなってしまう相手ではなくて、気軽になんでも話せるような、わたしが自然体でいられるような相手と恋愛する方がいいのだと思う。
でもそういった人とはお友達という意識にしかならないんだよな、とまたうだうだと言ってしまう)
わたしも本当は幸せになりたい、そばに誰かがいてくれたとしても、いなかったとしても、幸せだなぁと思えるようになりたい。
そのためには自分を変えるしかないよね、前を向くしかないよね、自分に言い聞かせるけれど、立ち上がる気力がない。
友人と呼べる人はいる、どの子もきっとわたしが泣きついたら、うんうんって聞いてくれるんだろう。わたしのために、厳しいことを言ってくれる人もいるんだろう。
それを知っているだけでも、恵まれているはずなのに、今のわたしはきっとその人たちがかけてくれる言葉を意味のないものにしてしまう。
でもでもだって、ってその人たちに悲劇のヒロインぶってしまう。
それが分かっているから、何も話せていない。
いつか前を向ける日がくるのだろうか、でもそれはただ待っていたらくるものではないともう知っている。
でも、動けない。
でも、今は、この今は、ただただ苦しい。
好きなものを増やして、映画や、ゲームや、読書や、散歩や、1人でできることをたくさんして、
仕事もちゃんとして、気を紛らわせても、人のぬくもりには敵わない。
手のぬくもり、ハグをして貰えた時の、相手のにおいや、身体の感触、
(念のため書いておきますがソーシャルディスタンスが叫ばれるより前のことです、それを引きずり続けているのです)
それには敵わない。
ならば新しい好きな人を、それも分かっている、分かっているのに。
そのへんは「ソーシャル」の解釈の違いって感じなのかなあって思う
夕食を食べ終わって、晩酌しながらネットサーフィンをしていると、頭がくらくらするニュースが目に入ってきた。
オンライン会議で最近メジャーになったZOOMの決算が良かったらしく、1日で30%も株価が上がっているというのだ。
いくら成長性が高いとはいえ、1日で時価総額がこんなに増えるなんて、この値動きは完全にバブルとしか思えない。
ちなみにどのくらいバブっているかyahooファイナンスで調べてみると、株価を1株当たりの利益で割った割安性を示す指数のPER(Price Earnings Ratio)は5000倍近く。
どういうことかっていうと、例えばオイラがアラブの石油王の隠し子だったとして、5000兆円ほど自由に使える身だったと仮定する。
ZOOMの将来性を見越して、ZOOM株を100%買い占めてオイラの所有物にしたとしよう。この時の買収にかかる費用は時価総額(=株価x総株数)に等しくなる。
(買収合戦で値上がりするとかは考えない。)
この時の投資金額を回収しようと思ったとき、PERが5000倍っていう事は、1年で出る利益が1株当たりの株価の1/5000しかないという事。
1株500ドルだっとすると、利益はわずか10セント。要するに買収でかかった費用の元を取るのに5000年かかってしまうってことだ。
まあ、このままZOOMの事業がぐんぐん成長していけば、利益も右肩上がりになるはずなのでそのうちPERも下がってくる(=5000年かからずに元を取れる)だろうと考えられなくもないのだけども。
今日話題になっているZOOM以外でも、やれテスラやAmazonだ、謎の半導体メーカーのNVIDIAだと、アメリカ株の景気が良い話はよく聞くが、何でも上がっているかというとそうではない。
何を隠そう、オイラは実は渋谷区在住の米系外資エリートリーマンなのだが、そんなオイラの勤務先の株価はいまだにコロナ前につけたピークの2/3といったところである。
アメリカ株がなんでも上がっているなら、日ごろから会社で大活躍しているオイラはご褒美にもらったストックオプションでウハウハだったのに!悔しい!泣いちゃうぴえん...
さて、賢明な読者はおめーの業種がハイテクじゃないからダメなんじゃないの?と思われるかもしれない。
だが、外資系エリートリーマンのおいらがクレバーでスマートな頭で調べた結果判明したのだが、同じハイテクでも勢いのない会社や地味な会社はそこまでバブっていないのだ。
例えば半導体業界を例に出してみるとこんな感じになる。いかがだろうか。Intelに勢いがないのは事実が、半導体ブームで恩恵を受けそうな他の大手メーカーも含めて、セクター自体は実はそんなに割高でないことがわかる。
withコロナで人と人との接触を減らさざるを得なくなって、在宅勤務、勤め先の外資風に言えば 『ワークフロムホーム』が主流になれば、データセンター需要が爆発するので半導体関連の株価はなんでも上がる。
(データセンターで使われるサーバーにはGPU以外にもCPUもメモリもどんな半導体も入ってるよね?半導体増産するために装置バカ売れするはずだよね?)
そのシナリオが真なら、市場シェアが高いはずの上記企業の株価はなぜ割安に放置されているのだろう?
結論を言おう。
今の株価は決して合理的なプライシングではないバブルである。そしてバブルははじけるものと決まっている。
強気派はいつだって株価が割高でないと同じことを繰り返し言う。
直近ならこんな感じだ。
「PERなんて指標はゲームのルールが変わって役に立たなくなったんだよ。株価は未来を先取りする。ハイテク企業のイノベーションが世界をレボリューションしている限り経済は成長する!(だから株価は上がり続ける)」
同じようなことはリーマンショック、俺たち外資風に言えば『フィナンシャルクライシス』の前にもさんざん言われていた。
「PERなんて指標はゲームのルールが変わって役に立たなくなったんだよ。株価は未来を先取りする。新興国の人口は50億人。冷戦が終わってグローバル化が進んだ今、彼らが先進国レベルに豊かになるまで経済成長は続く。(だから株価も上がり続ける)」
だけど夢はいつか覚める。株価がウォール街してすごいヤバいことになる。寝言は寝て言うものだと理解していただきたい。
最近個人でやってるtwitterで、これは絶対バブルだ、みんな慎重になれ的なことを書き込んだら「アメリカ株をやらないやつは馬鹿。今利益出ていないやつは幼稚園児以下のうんこ」みたいに煽られることが増えたのである。
バリュー株メインで銘柄選定していてあまり儲かっていないオイラは少しムカついているので、株価が暴落するとメシウマなのである。(欲しい銘柄が安く帰るし、ショートでの儲けも狙うことができる。)
さて、バブルはいつはじけるのだろう?その時強気一辺倒で掛け金を上げ続けた哀れな子羊たちはどういうことを言うのだろう?今から言い訳が楽しみである。
2ヶ月くらい前のことだ。コロナの緊急事態宣言が解除された解放感で、友人と焼き肉を食べに行っていたときのエピソード。
オイラと友人が肉を食べていると、隣の席に不動産の営業と思しき、こんがり日焼けした肌に高そうなスーツを少しだけ着崩したチャラ目のグループがやってきて、席に着くなりアメリカ株の話を始めたのだ。
「なすだっく?ってのを買ったら絶対上がるんだよ。ここ10年ずっと右肩上がりだったっし、俺もコロナの後に友人の勧めで始めたけど、1月でもう30万儲けたぜ!マジヤバい!お前らも早くアメリカ株できる証券口座開いて、なすだっくを買うんだよ!」
面白そうな話をしていたので盗み聞きをしていたのだが、彼らはNASDAQが株式市場の名前であり、日々変動する数字がその取引所の株価指数を意味していることも、自分たちが買っているのは株ではなくて指数に連動するETFと呼ばれる上場投資信託であることも理解していないようだった。
ソーシャルディスタンシングで座席の間引かれた店内に響き渡る彼らの声を聞いて、かの有名な靴磨きの少年のエピソードを自分が体験するとはと、しみじみ思ったのであった。