はてなキーワード: ゴキブリとは
いい年こいたおっさんが女子に下ネタ話すると「キモい」と言われることが多く、そんで最近は巷のおっさんたちは「キモくて金のないおっさんは社会的弱者だ」とか言って傷ついている様子が見受けられるけど、おっさんたちは女子からの「キモい」発言はむしろ歓迎すべきだと思う。お姉ちゃんたちはどんどん言った方がいい。それがおっさんのためでもあり、お姉ちゃんたちのためでもある。そんなことを思いついたのでこれからその理屈を勝手に説明する。おっさんである自分向けの話であり、女子からしたらふざけんな冗談じゃねえと思うかもしれないけど私は女子ではないので、そんなことは知ったことではない。
たとえば福山雅治がエグい下ネタをラジオでよくしゃべることは周知の事実だが、大半の女性ファンは全然平気である。しかし同じ内容をいい年こいたハゲがやると毛虫とかゴキブリくらい嫌われる。もちろんこんなことは誰でも知っている。「人は見た目が9割」とか「ただしイケメンに限る」とかそんなミームもありましたが、この状態をかんたんに言うと「好きな人の下ネタはキモくない」。
これを裏返すと「下ネタを言ってもキモがられないなら好かれている」。
つまり、下ネタを言うことでターゲットの女子にキャスティングボートを渡すのだ。
いくらキモいおっさんだって独身なら女子にアプローチする権利くらいある。でもキモいおっさんに口説かれることは大変なストレスですよね?わかります。つきましては「キモーい」。しかめっ面でも笑顔でもいいがこれだけ言っていただければ解決である。女子はキモかったらキモいと言うだけでいいので簡単だ。言外に拒否を匂わすとか高尚なことせんでいい。どうせおっさんには伝わらんから。
ほんでおっさんはキモい言われたらスッパリ諦めてください。どうせ負け戦だ。見切り千両、傷の浅いうちにさっさと撤退するべきだ。最初はただ親切にしておいて、隙を伺いながら徐々にスケベ心を出して口説こうというその性根がよろしくない。ゲラゲラ下ネタを言ってサッパリ振られたほうがいくらかマシである。
極端なことを言ってしまうと、おっさんが女子とのナイトプロレスを夢見て口説きにかかっているなら、どれだけ本性を隠して仲良くなろうとも結局いつか下のネタそのものズバリを披露しないわけにはいかないから、早めにコンセンサスを取っておいたほうがお互いのためでしょう、という理屈だ。たとえばおっさんがその気になって何もしないとかなんとか言ってホテルに女子を連れ込んでいざパンツを下ろした瞬間悲鳴をあげられてしまうような地獄は絶対に避けたい。そんなろくでもない目に遭っているお姉ちゃんはまことに気の毒に思うが、当のおっさんもそんな状況は望んでいない。おっさんだって普段は服を着ているし、皆が幸せであるほうがマシと思っている。その点では普段のキリストと何ら変わりがない。
【まとめ】
俺はおっさんだが、キモいおっさんではない。紳士的だと女の子たちが言う。まあまあモテる。
キモいおっさんを脱出したいおっさんのために、俺のHackを共有する。人の振り見て我が振り直せで集めたHackが多いよ。
致命的なネタバレだ。
オタクが褒めてる≒シックス・センスの方程式そのものが人生のネタバレなのだが、まあそれについては他人に厳しく自分に甘いのがオタクということで許してくれ。
本題に入るか。
これは間違いないことだ。
オタクという人種は自分は頭がよく他の人より知識量でも優れていると思い込みがる傾向がある。
それは彼らの多くは肉体が貧弱であり、センスもなく交友関係も壊滅的であり、プライドの拠り所にできるのがそこしかなくそこに固執するからだ。
ドンデン返しがある作品はそんなオタクの心をキッチリ掴むし、それについて語り合うことで無意味な優越感に浸りたという欲求を呼び起こす。
その結果として、シックス・センスが起きる作品は他作品と比べ圧倒的にオタクが褒め称え語りがちなのだ。
昨今だと、けものフレンズという作品が一見幼稚園児向けクソアニメだが実はその奥に人類史を再定義するような物語性が隠されているというドンデン返しによって大いに話題になった。
もしも、もしもこの現象が起きるのがシュタインズゲートのようなドンデン返しされないはずがない作品ならいいのだ。
それは当たり前のようにオタクが好きなものが当たり前のように話題になっているという予定調和でしかない。
だが、そうでない作品にオタクが異様に群がれば、その奥にあるキナ臭さが明らかになる(オタク話題シックス・センス方程式を知るものならばであるが)。
これは致命的なネタバレだ。
それはまるで、ゴキブリがただ這い回るだけで病原菌を撒き散らすような現象である。
オタク、恐るべし
仕事の関係で数年前から海外に住んでる。海外といってもアジア圏で欧米のような華やかさとは程とおい。
で、そんな国で過ごしてみて幸せの閾値がぐっと下がった。スープの熱いラーメンが食べられた日には幸せだし、
出張者にメザシ貰っても嬉しい。会計がすんなりきたり、間違ってないだけで、少し嬉しい。
当たり前だけど日本で当たり前にあったものが、当たり前じゃないことが身に染みてわかって、幸せの閾値が下がった。
日本に帰国したときには牛丼のクオリティに感動するし、交通の便利さに痺れる。いつの日か日本に本帰国したらこの気もちも
薄れてしまうのかもしれないけど、出来る限り忘れないようにしたい。
現代ビジネスの記事 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69024
について、読んでいて多少飛躍があるなと思ったところ、疑問が残るところ、検討したいところを引用しコメントをつけています。Twitterでやろうと思ったけど長くてむりだった。
【オスの性欲は「交渉権の行使」であるのに対して、メスの性欲は「拒否権の行使」であるともいえる。
積極的・能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的にパートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。 】
→筆者はこれが負の性欲の定義としている。受動的・消極的が「負」というのはなぜ?
→そもそもパートナー選びは非常に能動的な行動では? メスはオスを選んでいる。「選択権の行使」ではないか?
→これは人から聞いたのだが生態学や進化心理学には「正」「負」という概念はないのだそう。あるのは適応度。優劣を持ち出しているのはスペンサーの社会進化論(適者生存)で批判されている――とのこと(この辺は自分は不勉強)。
【異性に「生理的嫌悪感」を内心で抱くぶんには自由である。しかしそこを踏み越えて「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」などと対象に言明することは侮辱・侮蔑であり、まぎれもなく加害性のともなう行為である。】
→「拒否権の行使」は「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」と言うことを示しているのか?
→「拒否権を行使」することと、「キモい」という言葉をもって相手を拒絶することは、イコールではないのでは? 相手を選ぶ権利は誰にでもあるが、選ぶ際に相手を加害する権利はない、という主張には納得する。
→どれくらい「キモい」って拒絶されているの? その拒絶の仕方は女性特有なの?(これは後段にもあるが、男性が女性を「キモい」「ブス」といって振るケースもたくさんある。ならばこれはオス・メスに分けて考えるべき問題なのか?)
【「異性に対する加害性をもつのは男性だけではない」──とする、いわゆる「反転可能性テスト」のひとつである。】
→ここは同意です。
【性淘汰はホモサピエンスにも働いていることについて】
→そう。ただ、動物よりも淘汰が働くスピードは遅いのでは。また文化が変化しているため、なんの特質が評価されているのかはわからない
→性淘汰=「負の性欲」なのか?(ではなくない?) むしろこの原稿の主題は「負の性欲」から発生する「キモ」言説の加害性ではないか?
【人びとは「新自由主義的」なパートナーシップ市場で「よりよい相手」を巡って際限のないえり好みを続けている。厳選すれば厳選するほどに、よりよい相手と巡り合える可能性が高まるのだ。つまり「負の性欲」の効用が最大化される時代である。】
→これは効用は最大化されない。なぜなら男性は女性を年齢で選ぶ傾向があるため、厳選すれば厳選するほどに(=時間がかかればかかるほど)よりよい男性が遠ざかっていく。そのため女性はどこかで妥協せざるをえない。妥協しない場合、「よりよい相手」すら出会うことはできない。ちなみにこの「新自由主義的な市場における際限ないえり好み」は女性だけの問題ではない。この文章は男性側の方がむしろ当てはまる(なぜなら男性のほうが年齢による減点がゆるやかで年収の上昇のほうが効果的な段階があるため。一定までいくと年齢による大きな減点が発生することがほとんどだが、女性の方がその影響の発生がはやい)。
【「自分に接近し、性的にアプローチしてきた男性を拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。】
→「頻繁に起きている」データがない文章。「それこそが」~とあるが、「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」というより、筆者は「キモいと言うことの加害性」一本でいったほうが筋は通っているのでは。
【先日SNSユーザーたちが、ネットの片隅で「10代20代と結婚したい」と望み活動する40代男性に対して、「キモい」「加害者」という非難のニュアンスを多分に含んだコメントスクラムを炸裂させたことは、自他の境界を見失わせる「負の性欲」の暴走を如実に示す実例だったといえるだろう。】
→例えばこれが、18歳の子供をもつ40歳の母の発言だったとしたら筆者は「負の性欲」という表現を使うだろうか?(※でもこれはちょっと家父長制的な考え方だからこの問いかけは危険な部分をはらんでいる)
【現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい」存在は排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性と性的関係をもつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。】
→すごい飛躍であるのでこれ以降は特に読まなくていいかなという感じ。ただ一人の男性が複数回結婚している(再婚)疑似一夫多妻は現在の日本でも存在している(でもこれって近年増えているものなんだっけ? その辺のデータはどっかで見たことがある気もする)。SF的なIFを許容して話を進めると、現代は避妊技術が向上しており、アルファ男性といえども複数人女性とその子供を養うお金は十分ではないので、子どもは「正妻」しか持てないくらいの数に減り、社会は崩壊する。ヤッター!
そもそも凡百のオタクくんたちはメクラであるとかそういうことは置いておいておくとしても、
そもそもアニメーター、というかアニメーターに限らず演出家でさえ基本的に傭兵のようなものでしかないのだから「愛情」を求めるのが間違ってる
アニメーターにとってアニメ作品なんて大体が自分の著作物でもなく、映像にしたらほんの十数秒分のしか関わらないことも多い、そんなドライな関係しかそこにはない
必要なのはアニメーションに対する姿勢だけで作品に対する愛情は必要とされるべきではないのだ
もしかしたら普通の「オタク」のように作品に愛着があったりこだわりがあったりするかもしれないが、それはおまけ、制作者側からのサービスに過ぎない
こういう「仕事に対しての愛情がないのか!」とか抜かす輩がもちろんオタクくんたちだけではないのは知っている
むしろ、日本社会に蔓延るゴキブリの中の一群がオタクの顔をして現れただけだろう
そんなのはクソ喰らえでしかなくて、結局は仕事と待遇との相関によってバランスが取られるべきでしかない
もちろん仕事に愛情を持って取り組んでいる人間も少なくないだろうが、それは経営者や消費者に対する労働者からの温情でしかなく、加点対象にこそすれ減点対象にすべきではないのだ
まぁどうせオタクくんは「でも作画崩壊してる!」と騒ぐのだろうが、それは冒頭で置いておいたメクラなオタクという話になるだけなので、そちらは相手にする必要もないだろう