はてなキーワード: しょうがとは
産休に入った人が原因で割り振られる仕事が増えて上層部は何のフォローもしてくれないし困るっていう感情自体は分かるけど
思い出し怒りで自分の会社に対して愚痴るんじゃなくて自分のリアル生活圏にいないネットで見かけた妊婦に直接誹謗中傷リプライをぶつけるのは筋違いすぎるし
産休を取ったことよりホンワカした絵柄のクッキーとそれを配るご機嫌な女に対してキレてるっていうのがメインっぽくて
人の悪口で結束を高める習性を持つしいつもイライラしていないと仲間として認めないみたいなのがありそう
イライラしているあたし→あたしは苦しめられている被害者、努力家で苦労人、道徳的優位に立っている側→イライラしていない人は加害者みたいな認知の歪みがデフォルトで備わってるから
YoutubeのShortsで上がってきた植松努氏のTEDの講演、思わず聞き入ってしまった。
書き起こしだと雰囲気が伝わらないと思うので、是非動画を観て欲しい
https://youtu.be/gBumdOWWMhY?t=588
僕は小学校に上がってすぐに、担任の先生にものすごい嫌われたんです。
僕が信じていたことやばあちゃんが教えてくれたことは、全部否定されました。
僕の夢は、お前なんかにできるわけがないって、さんざん言われました。
とってもつらかったです。
この「どーせ無理」という言葉がおそろしい言葉なんだなと思いました。
これを唱えるだけで何もしなくて済んでしまうから、とっても楽チンになれるおそろしい言葉でもあるんです。
こんな言葉で未来を諦めさせられてしまった人たちは、自信を失ってしまうんです。
だから自信を無くしてしまった人の中には、お金で自信を買うようになって、身を飾るようになったり、またそれを自慢しなければいけなくなったり、そのためにひとを見下さなければいけなくなってしまったり、また他の人ががんばったら困るから、努力を邪魔するようになってしまう人もいるんです。
こういう人がみなさんの身のまわりにも、もしかしたらいるかもしれません。
でもその人たちは、自信をなくしてしまったかわいそうな人たちなんです。
その人たちが自分の自信を守りたくって、しょうがなく他のひとの自信を奪ってしまってるのかもしれません。
だからこそ僕は「どーせ無理」という言葉をなくそうと思いました。
誰もが「どーせ無理」 だと思われてる宇宙開発をしてみようと思ったんです。
それは「ここ」を「そこ」って言うことで、「そこ」を「ここ」と言ってしまうこと。
ややこしいことなのだけど、どういうことか分かりやすく説明しよう。
例えば僕とおじさんが一緒に歩いていて、昼ごはんをどこかで一緒に食べようという流れになったとする。
するとおじさんは「そこで食べよう」と言うので、僕は10メートぐらい先にある〇クドナルドのことかと思って「ああ、うん」なんて肩を落としながら返事をするとおじさんは体の向きを変えてすぐ横にあるステーキハウスに入っていく。
「え?おじさん、そこの店じゃないの?」
僕が訊くとおじさんはここでこう言うんだ。
「だから言ったろ。そこの店にしようって」
こんなおじさんだからトラブルはつきもので、タクシーを利用するときもそうだ。
すると当然タクシーはその場で停まるわけだ。
でもおじさんはそれに怒る。
「なんで停まる!?ここで降ろしてくれと言っているだろ!」と怒鳴り散らすんだ。
運転手さんのほうも負けじと「だから、ここで停まったんでしょうが!?」と反論するもののおじさんは納得しない。
でも正しいのは運転手さんの方かもしれない。
おじさんにとっての「ここ」は運転手さん、いや世間の言うところの「ここ」じゃなくって、「そこ」なんだから。
僕たちの感覚で言えば「そこ」っていうのはおそらく「ここ」より先の方で、もしかしたら通り過ぎてしまった「そこ」かもしれない。
おじさんが言葉の使い方を間違えているといってしまえばそれだけのことかもしれない。
でもおじさんは自分の「ここ」と「そこ」の使い方が間違っているとは思っておらず、かといって誤解されようとも直そうとしているのを見たことがない。
これでもう十二分にわかってもらえたと思うけど、とにかくおじさんは変人だ。
DVとか、子供に対して荒実母が一番割合多いの、とっくにしてくされているのにいまだにDV懸念でごり押ししているし。
数字は全く見ないくせに、関わりを無理やり絶たせようってのは、もはや男性差別を絶対にやってやるんだという見にくい欲望が見えてしょうがない。
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
自宅でも職場でも、自分が心地良くいられることを重視するパンティー・ルオという概念が発生している。
服装にうるさい日本ではパンティー・ルオは普及しないと思うが、効率的でいいと思う。
在宅勤務ですらわざわざパンティーシャツで仕事をしていたという人がいるくらいだ。
これ→ - (半角ハイフン)を行頭に使うと箇条書き出来るよ。だからなんだ?という話でもないが
例
そもそもシングルマザーやその彼氏に殺されてる子供の事を考えればどう考えても共同親権の方がいいやろ。
日本は母親の親権が強すぎて子供殺しても「まぁしょうがないよな」的な空気も気持ち悪い。
ビジネス文書でUDデジタル教科書体が使われているのを目にする機会が増えたのだが、気持ち悪くてしょうがない。
最近やたらとUDデジタル教科書体が読みやすいだの何だので持ち上げられてるせいなんだろうけど、あれはデザインフォントの類だと思っているのでビジネスには適していない。
教科書体フォントは正しい文字の書き方に基づく書体であり、手書き風フォントに近い性質を持つ。つまりプレーンな明朝体やゴシック体とは違い、手書き風というキャラクターを持ったフォントなのだ。
ビジネスではプレーンなフォントを使うべきであって、手書き風フォントとかマジで気持ち悪いんよ。
どうしてもUDフォントがいいならBIZ UDでいいし、プレゼンなら他にも適したフォントあるだろ。
ディスクレシアにも読みやすいとか言うけど、会社は学校ではないんですわ。そもそもディスクレシアじゃなくても書いてあること読めてない奴なんてたくさんいるし。
いやあのね
フェミさんって「こんなブツが出てきたらお前らどう思うんだああああ!!!」って脅しにかかるの大大大大大好きだけどさぁ
こっそり教えてやるけどね、男としては全然そういうの"効いてない"の
そりゃもちろん「男にとって面白いコンテンツでも女にとっては必ずしもそうではない、むしろ不愉快である」っていうのは、アンチフェミの連中だってフツーに理解できると思うのよ
逆に「女の大好きなモノが男にとっては不愉快かもしれない」って、そういう例を出してくればいい
それでようやく50:50、お互い様ということで議論が進んでいくはずだ
ところがそうじゃないの
毎度毎度「嫌いな奴に対する嫌がらせ」だけが目的で、そういうのをSNSのフェミ共がマジで実際欲しくて欲しくてしょうがないのかといえばそういうわけでもなく
「これは広告やコンテンツである」という当然の前提すら、平気ですっ飛ばす
そんなん俺らが怖がると思ってんの?
んなヘイト創作100%みたいなやつ、全然ミラーリングになってないじゃん
「弱者男性虐め」みたいな絵面で、そもそもいったい何をPRして何を売るつもりなのか、そこが全然見えてこないんだからさ
なんなら言ってる当人ですら、金出して買い支える気なんかまるでなさそうだし
例えばそういうのが商業ベースに乗って、こっちを秋葉原のショーウィンドウ越しにしきりに威嚇してくるとかならまだしも、そんなことはなくて
せいぜいがSNSで同類のエコーチェンバーの間をグルグルグルグルしてるだけ
男がそんなもんにビビるわけねえじゃんwww
ここ何年かで開始時点で非処女ヒロインが不特定多数とヤリまくってる系のラブコメ増えたけどさあ
どれ読んでも結局最後は「理解ある主人公くんのおかげで本当の愛を知ったわ、満たされない気持ちを満たすため知らない男子とヤリまくってたかつてのアタシは愚かだったわ、でも主人公くんのおかげで立ち直ったわ」みたいな所に帰結するんでいい加減ウンザリしてきた。
主人公とくっつくためにはヤリマンを止めざるを得ないのは展開上仕方ないとしても、そういう行いをしてきた事を必ず「自己反省」させてるところが鼻についてしょうがない。
そういうのに限って作者が女性だったりするんで、女性自ら「女性はこうあるべき」ってジェンダーロール押し付けている気がしてならない。