はてなキーワード: ヴィンテージとは
20代まではファッションに気を使っている男のほうが優秀な人が多い。ファッションを通じて友人や異性、社会とも繋がることが出来るからだ。
アイデンティティの確率にも有用に働くだろう。しかし、30代以降になったらファッションを通じてアイデンティティを保っているような男は碌でもない奴が多い。
もちろん例外はいるがあくまで傾向の話である。コンサル、外銀、JTC、士業、医師、学者、起業家、投資家、デザイナー、アーティスト等私が今まで出会った数々の
男性を見てきた結論が30代になったらファッションから降りてる男のほうがいいである。
ライフステージと共にファッションの価値は相対的に低下し、相手に不快感を与えない最低限の衣服を身につければいいという考えに至るのが私の考える優秀な男のあり方だ。ハイブランドやヴィンテージ古着に執着してるような男はさらに碌でもない奴が多い。そして相手を雑に扱う割に夜はネコだから困ったものだ。
lee 101zの1962モデルを今日初めて実物を見て、歓喜のあまり気付いたら買っていた。
短い期間に1948、1954とリリースして間を開けずに1962モデルをリリースしてて、値段も生産中止前から1万円値上がりしてるし「エドウィンさん節操ねぇなぁ」と思ってたけど、そんなの実物見て吹き飛んだ。
公式サイトでもジッパーのメーカーは書いてても種類は書いてなかったので実物見るまで分からなかった。ニワカだから。
本当にありがとう。
これでオレの手元には欲しかったヴィンテージデニムレプリカのジッパータイプが一通り揃った。
大分前に買ったLee 101z 1952や最近買った1948のピンロックジッパー、Levi’s 501ZXXのタロン42 オートマチックジッパー、そして今回のLee 101z 1962のカムロックジッパー。
これからじっくり履きつぶしていく。
出来ればこれからもピンロックジッパーとカムロックジッパーの両モデルを売り続けて欲しい。今持ってるヤツを履きつぶす頃にまた買うから。
ヴィンテージデニム好きの99割はボタンフライ派だろうけど、ジッパーモデルもいいぞ。
ボタンフライは変わらない良さがあるが、ジッパーフライは技術の進歩のマイルストーンだ。
はじめはロック機構無しでジッパーが下がっちゃうから止めるためにベロにピンを立ててジッパーの歯の隙間に刺して止めるピンロックが出てきて、ピンロックのピンが折れて困るからピンを増やして太くしたカムロックが出て、そのあとジッパーの筐体にパネ仕込んだオートマチックが出るけど、色々問題あって構造がシンプルな今主流のセミオートに落ち着く、というジッパーの進化の過程がオレの手元にはある。
超嬉しい。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
要約 バーで色々なウイスキーを飲むと楽しい。バーでウイスキーを飲んでみよう。
「オーセンティックバーに行こう」 https://anond.hatelabo.jp/20240110155226 を書いた増田だが今度はウイスキーのことを書く。
オーセンティックバーでバックバーに並ぶ酒のボトルを種類毎に数えたとしたらほとんどの店でウイスキーがもっとも多いと思う。どんなウイスキーがあるかは店によって違いがありウイスキーの品揃えはバーの個性の一部となっている。
ところでバーではウイスキー1杯(シングルショットとかシングルと言う)は日本では一般的に(ストレートで)30mlである。その1杯のバーでの提供価格を700mlのボトルの市販価格と単純比較するとかなり高く感じるかもしれない。それにもかかわらずバーでウイスキーを飲むことの最大の利点と楽しさはバーの豊富なウイスキーの品揃えの中から色々なウイスキーを飲めることにあると増田は思う。前回のカクテルと同様にバーテンダーと相談してどのウイスキーを飲むか決めるのが一番であるがウイスキーにはどんなものがあるか、どんな違いがあるかを理解するために役に立ちそうだと増田が思うことを書きたいと思う。
と思って書き始めたら3つに分割する必要があるほど長くなってしまった。この「その1」のスコッチウイスキーの「「シングル」という言葉と「ブレンデッド」という言葉」の項目の後は「その3 」https://anond.hatelabo.jp/20240122184434 まで飛ばしても十分である。あとはバーテンダーに聞こう。(もっとも何も知らず何も聞かなくても飲んで美味ければそれで十分ではある)
サントリー等のサイトではスコットランド・アイルランド・アメリカ・カナダ・日本の5ヶ国で作られるウイスキー(スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキー)を世界の5大ウイスキーとして紹介している。 https://www.suntory.co.jp/whisky/flight/about.html
この5大ウイスキーという分類のしかたが的を射たものなのかはよくわからないがとりあえずこの分類を出発点とする。
そして今回はこの中からアメリカンウイスキー、スコッチウイスキー、ジャパニーズウイスキーを説明する。カナディアンウイスキーについては増田がバーで見かける銘柄はカナディアンクラブとクラウンローヤルくらいだし増田としてはアメリカンウイスキーと合わせて北米系ウイスキーでいいんじゃないかというイメージということもあって省略する。またアイリッシュウイスキーは主にブレンデッドウイスキーが増田がよく行くバーにも置いてあるのだが増田があまり飲んでいないので省略する(詳しい人向けに書いておくとアイリッシュでもボトラーズやティーリングが出している中・長熟のシングルモルトはいつも行くバーで抜栓されたら一度は飲むという程度)。
アメリカンウイスキーにはライウイスキーやコーンウイスキーもあるがアメリカンウイスキーといえばなんといってもバーボンウイスキー(単に「バーボン」とも言う)である。
アメリカの法律ではバーボンウイスキーは主に以下の条件を満たす必要がある。
このチャーされた樽によりウイスキーにはバニラのような風味がつき主原材料がコーンであることと相まってバーボン独特の甘さがもたらされている。
が挙げられる。ここに挙げたバーボンについては入手が容易であり200mlボトルもコンビニやスーパーで販売されているので自宅でも試しやすい。
なおジャックダニエルはテネシーウイスキーとされるがテネシーウイスキーはバーボンウイスキーの条件も満たすのでバーボンウイスキーに含めて間違いではない。
まずいくつかの言葉について説明する。用語は国によって定義が異なることがあるのでこの説明はすべて"スコッチウイスキーにおいては"という前提が付く。ただし日本のウイスキーはスコッチウイスキーからの影響が大きいため法律に基づくことを除くとスコッチウイスキーと同じ意味で用語を使っていると考えて良い。またここでの説明は対比する別の用語と区別する部分を主に書いていて定義としては網羅しておらずかなり省略している。なおスコッチウイスキーは単に「スコッチ」とも呼ばれる。(特にこのスコッチウイスキーの項がかなり長くなってしまった。面倒なら最初の2つ(「モルトウイスキー、~」と「「シングル」という~」)だけでも読むと「シングルモルト」という言葉の意味がわかって役に立つかもしれない。)
なおスコッチのブレンデッドウイスキーではいくつもの蒸溜所のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドするがその中で中核的なモルトウイスキーをキーモルトという。例えば現在のバランタイン17年のキーモルト(の一部?)はスキャパ、ミルトンダフ、グレンバーギー、グレントファースということである https://www.ballantines.ne.jp/products/17years.html 。
(言葉の説明に飽きたり面倒になって実践的な話に行きたくなった人はここから「その3」へ https://anond.hatelabo.jp/20240122184434 )
アメリカンウイスキーの項で説明したがバーボンの条件のひとつが「新品のオーク樽で熟成すること」である。ということは一度バーボンを熟成したオーク樽はもうバーボンの熟成には使えないことになる。このバーボンの熟成に使われた樽はスコッチウイスキーやジャパニーズウイスキーで熟成に使われる樽のひとつとして使われている。バーボン樽によって熟成された原酒にはバニラ香やハチミツのような甘さ、洋梨やリンゴのようなフルーツ感がもたらされていることが多いとされる。
またスコッチウイスキーやジャパニーズウイスキーで一般的に使われる樽には他にシェリー樽がある。シェリーはスペインで生産される酒精強化ワインであるが歴史的にはこのシェリーがオーク樽に詰められてスペインからイギリスに輸出されその樽をスコッチウイスキーの熟成に利用したと言われる。ただ1980年代に樽の状態でシェリーを輸出することができなくなったため現在はウイスキー熟成用の樽を作るためのシェリーを詰めて(シーズニングという)ウイスキー熟成用のシェリー樽が作られ、その樽が輸出されている。シェリー樽によって熟成された原酒にはベリー系のフルーツ感がもたらされるとされるがタンニンの苦みや硫黄臭のようなくせが感じられることもある(そのくせも必ずしも悪いことではない。それが好みの人もいる)。ウイスキーの熟成に使われるシェリー樽のシェリーは種類が明示されている場合オロロソシェリーが多いが甘口のペドロ・ヒメネスシェリーも見かける。ペドロ・ヒメネス(Pedro Ximenez 略してPX)シェリー樽の場合はウイスキーも甘口であることが多い。
他にもポートワインやマデイラワインなどのシェリー以外の酒精強化ワインやラムなどに使われた樽や新樽がスコッチウイスキーの熟成に使われる。
また途中で熟成に使う樽が変えられる場合がある。例えば16年バーボン樽で熟成し最後の2年をシェリー樽で熟成するということがある。この場合の最後の2年の熟成を追熟という。最初と別の樽で熟成することで複雑な香味が与えられる。追熟した樽についてはラベルに○○ Cask Finishと書かれることが多い(例えばシェリー樽で追熟されていればSherry Cask Finish)。
樽がウイスキーに与える影響は樽が熟成に使われた回数と樽の大きさによっても異なる。当然ながら最初にスコッチの熟成に使われたとき(ファーストフィルという)が一番影響が大きく2回目、3回目…(セカンドフィル、サードフィル…(セカンドフィル以降をまとめてリフィルとも言う))と影響が小さくなっていく。また樽の大きさが小さい方が樽と原酒が触れる割合が大きく影響も大きくなる。いずれも影響が大きければ良いとか悪いとかではなくて原酒や熟成年数等を含めたバランスでウイスキーの味が決まる。なおスコッチウイスキーの熟成に最もよく使われる樽の大きさは220L~250Lのホグスヘッドと呼ばれる大きさである。
ウイスキーは樽の中で熟成され樽の影響をうけながらまろやかになっていく。スコッチウイスキーを名乗るためには最低3年の熟成が必要である。スコッチウイスキーの熟成年数は満年齢で数えるため例えば9年364日であれば熟成年数は9年となる。一般に熟成年数が長いほど高価になる。またウイスキーは一般に味を均一化するため多くの樽をブレンドして製造されるがスコッチウイスキーでラベルに書くことができる年数はそのボトルの製造に使われている原酒のうち最も若い原酒の熟成年数だけである。仮に熟成年数60年という超長期熟成の原酒が含まれていたとしてもそのボトルに使われている一番若い原酒が15年であったらスコッチウイスキーでは15年としか書いてはいけないことになっている。
スコッチウイスキーのスタンダードクラスは10~12年の熟成年数のものが多い。また10年未満の原酒が使われていると思われる場合は年数の表記がないものが多い。この年数表記の無いものをノンエイジステイトメント(NAS)もしくはノンエイジ(NA)という。ノンヴィンテージ(NV)という言葉を使う人もたまにいるがウイスキーでヴィンテージと言えば蒸留年(いつ蒸留したか)のことだろうと思うので増田は使わない。
ウイスキーは樽熟成している間に少しずつ蒸発して減ってしまう(気候に左右されスコッチで年1~4%と言われる)。この蒸発分をエンジェルズシェア(天使の分け前、天使の取り分)と呼び長熟のウイスキーが高価である理由のひとつである。
なお蒸留酒であるウイスキーは樽の作用により熟成されるものであって瓶詰め後は熟成されないと増田は考える。ただ瓶詰め後にアルコール分が蒸発する等で変化はありうる。この変化が好ましい変化だと感じる場合にその変化を瓶内熟成と言う人がいるのも言葉の使い方の違いとして理解はできる。ただ例えば熟成年数12年のボトルを買って6年保管しておいても熟成年数18年の味には絶対にならない。
スコッチウイスキーは瓶詰め時に40%以上のアルコール 度数であることが求められる。大量生産される製品は加水されてアルコール度数が均一化されているが少量で販売されるボトルは加水せず樽から出されたそのままの度数であることも多い。この樽から出されたそのままの度数のことをカスクストレングスという。カスクストレングスであっても長熟のボトルは度数が低めであることが多い。
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
君は成形された段ボールをどのように持つだろうか?
大きさは問わない。小さな段ボールで考えても良いし、大きな段ボールで考えたとしても構わない。
...
さて、今思い浮かべてもらった持ち方は、意外にもこれから述べる「2つの持ち方」のいづれかに該当するはずだ。
1つ目は「両手を段ボールの底に引っ掛けて持つ」という持ち方だ。
クレーンゲームの2本爪アームを思い浮かべると良い。まさしくあの構図である。
しかし、あの貧弱さはどこへやら、我々が実践した途端、とても高い安定性を提供してくれる。
「片方の手を手前の底角に引っかけ、もう片方の手を対角線上の底角を引っかける」とより更に安定するが、これはこの持ち方の一派とさせて欲しい。
さて、この持ち方をするまでもない小さな段ボールがあったとする。
それは自然と「小脇に抱えるように持つ」だろう。これが2つ目の持ち方だ。
およそ出回っている段ボールはこの2つの持ち方でなんとかなる。
なんとかなるという表現より、「段ボールを持つ」と心の中で思ったなら、その時既に行動は終わっているという表現が正しい。
思考する間も無く、我々は「2つの持ち方」のいづれかを実践してしまっているはずだからだ。
ん?なんでこんな話をするかって?
そりゃあ、
「この2つの持ち方では持てないほど大きな段ボールの話をするため」だ。
~
彼女の旧邸から荷物を運び出すべく、長い時間運転していたおれは、その車高に慣れてしまったせいか、旧邸に積み上げられていた段ボールの大きさを見誤っていた。
「あっ」
おれが抱えようとした段ボールは、その底面が地面から完全に離れる前に、鈍く沈んでいった。
まるで、装着したロングバレルの重さに耐えきれず、かかとが浮いてしまったバトルビーダマンのように、前傾姿勢になったとき、おれは初めて気付いた。
その段ボールはとてつもなく大きかったのだ。
印字を見るからに、その段ボールは「6ロール入りのティッシュペーパー」を12ロットほど詰める用途で使われていたようだ。
おおかた、近くのドラッグストアなどから拝借したのだろう。こんなにデカい段ボール、生活の中では見たことがない。
引っ越しは難航した。2人でなければ運べないデカボール。あまりの多さに、1往復で済むはずだった運搬作業は3往復にも及び、東京の端から端へ反復横跳びするような1日だった。
返却期限が迫るハイエース。
連れ猫もいた。大きくハイエースが揺れるたび、猫を気遣った彼女の視線を受けた。
手伝ってもらった友人の機嫌もどんどん悪くなり、23時半まで引っ越し作業が及んだ。
友人が帰った後、「14個てw」と散々弄った。この服の量は明らかにおかしいことに気付いて欲しかった。
弄るたび不機嫌になる彼女は、シーツもかけずに床に直置きしたマットレスの上でいつの間にか寝ていた。よほど疲れていたのだろう。その日はデカボールに言及することなく、おれも瞳を閉じた。
...
「いい加減服を捨てろよ!!!」
デカボールの中の衣類は、季節毎ではなくアイテム毎に分かれていた。
そのため「積み重ねると取り出すときの利便性を損なう」という理由で、14個のデカボールは積み上げられることなく平置きされていた。
広い家に、素敵な家具を少しだけ置くことを思い描くおれは、あの日から何度も彼女に伝えてきた。
数を減らしてくれないか?
この服は最後にきたのいつなのか?
分類だけしてみようか?
いずれも聞き入れられず、新居がデカボールに犯されているように見えてならなかった。
新居はなるべく広く間取るために、収納が限界まで削られていたワンルームだった。
この物件は駅からも遠かった。最寄駅は職場からも遠かったし、栄えている街でもなかった。
しかし「大好きなインテリアをスペースを取りつつ配置したくて」この部屋にした。
幼少の頃から部屋を与えられなかったおれが、1人暮らしを始めてインテリアに興味を持つのは必然だった。
就職してからというもの、100円ローソンのかしわおにぎりセットで飢えを凌いで貯めたお金は、全てインテリアに使うようになった。
美容整形外科で使われていたというAD COREのコーナーソファ。ACME Funitureの木工曲線見事なマガジンラック。綴化に綴化を重ねて要塞のように大きくなったユーフォルビア。
フルーツを置いて楽しむイメージがパッケージに印字されたiittalaのステンレスプレート。
実家を出てからフルーツなんて買えたことはない。そんなおれだが、インテリアにだけは心血を注いで来た。
このインテリアたちがいつか小さな六畳一間を飛び出して、大きな広い部屋でディスプレイされる日を夢見て。
そんな日々を夢見れば、100円ローソンのかしわおにぎりセットなどいくらでも食べることができた。
しかし今。
おれが掴みかけた夢は、デカボールに押し出され、ヴィンテージのソファは彼女の連れ猫に切り裂かれ、集めたインテリアたちはこんなに広い部屋の隅で、暖を取るように固まり、一部はベランダで鯖つくのを待っている状態ですらある。
日々を切り詰めて手に入れたこの広い部屋は、インテリアを配置するための広い部屋は、目を薄めて見ると全て同じに見えるような服をパンパンに孕んだデカボールに占領されている。
おれの大切なもの害するデカボールをどうにかしては欲しい。そう伝えても何も行動しない、協力する気もない、そんな彼女にふとしたきっかけで言ってしまった。
「いい加減服を捨てろよ!!!」
「は?なんでそうやってあたしの好きなものを奪うわけ!?絶対捨てないから。服って一期一会だから。大体さ、このワンルームに収納がないのがいけないんじゃん!!収納があれば片付けるよ?でも無いじゃん!!そんな中でデカボールのこと言われてもあたしにどうしろっていうわけ!?引っ越す??引っ越そっか!!!でもあたしは1円も出さないからね!!!だいたいs...」
おれは怒りで「口喧嘩がとんでもなく強い彼女」だということを忘れていた。
普段は気さくな彼女だが、いざ衝突するとなると、論理で攻めるときはひろゆきのように、論理で攻めあぐねたら田中みなみのように感情で攻めてくる。ディベートケルベロスとでも言おうか。
いくつか火花を散らしたが、そのときは結局捨てさせることができなかった。
おれ自身も反省し、捨てろとは言わなくなった。確かに収納があればこのようなことにはなっていないかもしれない。
いくらデカボールがおれが好むインテリアを迎え入れることを拒んだとしても、彼女が既に持っている服を奪う権利はおれにはない。
「初めから独りっきりだったてめーに!!オレの何が分かるんだってんだ!!!アァ!!?つながりがあるこそ苦しいんだ!!それを失うことがどんなもんかお前なんかに・・・!!」
これはその通りで、最初から手元にないことと、手元にあるものを失うことはまるで違う。
彼女のクリティカルな返しで怒鳴り合いは幕を閉じ、おれは服を捨てさせるのを諦めた。
春が終わるころ、デカボールは彼女が新たに迎え入れた夏服を飲み込むために、その体裁を崩し始めていた。
~
冬。
東京を知らない若者になら「これが文化服装学院です!」と伝えても納得して貰えるほどの服の要塞が出来上がっていた。
この要塞の基礎工事と成り下がったデカボールだが、「もー、なんで見つからないのー??」という声と共に、その要塞が掘削されるとき、彼らは隙間から顔を覗かせてくれた。
デカボールには服の重圧で紙皺が出来ていた。その紙皺は、インテリアを諦めたおれを憐んでいるようにも見えた。
捨てさせることを諦めたおれは、収納を新たに設ける方針に切り替え、何度か提案をした。
「ベランダに服の収納作ろっか?そしたら生活空間が少しは確保できるかもよ?」
「ベッド下に収納を作っても良い?引き出し型のやつ、おれが買うからさ」
彼女からおれの痛みを和らげる提案はない。おれだけがおれの痛みを解消できる唯一の存在だった。おれは思いつく限りの提案をした。
しかし、論理的かつ狡猾に、おれが余力を絞って書き連ねる処方箋は破られていく。
この量の服を飲み込みつつも、デザインを維持できるかっこいい収納などなかった。
着たい時に着れない服は持ってないのと同じらしい。レンタルスペースに置く=捨てることだと言う。重ね着のため、シーズンが違うものでも着ることがあるらしい。
ベッド下の収納は、床が見えなくなるため、家が狭く見えてしまうからダメらしい。おれも同じことは思っていた。その感性が一致しているからこそ余計苦しくなった。
実家にはスペースがなく、おれの実家に送るにしても申し訳ないらしい。
全ての処方箋が破られたころ、おれはもうデザインやインテリアはどうでもよくなっていた。
生活スペースにはみ出た服を収納するためだけに、アイリスオーヤマのプラボックスを購入した時、これまでに積み上げた感性が死んでいく気がした。
しかし、作った収納はすぐに服が食い尽くした。また作る。服が食い尽くす。また作る。服が食い尽くす。希望が見えなくなっていく。
電動ドライバーの矛先を向けるべきなのは果たしてネジなのか、分からなくなってくる。
この間にもベランダの家具は錆びていく。青いスタンドライトには服が、ベルトが掛けられていく。ソファは猫に削られ、ステンレスの棚の上にはZOZOの段ボールが積み上がり、靴箱はさんざん揺られた弁当箱の具材のようにひしゃげた靴で溢れている。
余白はどんどん服で埋め尽くされる。余白が埋め尽くされるたびに、おれの理想は霧がかってゆく。
おれはあの頃から、もうインテリアを買っていない。いつの間にか100円ローソンにも行かなくなった。
...
最近は時々夢をみる。
服に火をつける夢を。
服が、家が燃え尽きたのちも、 iittalaのステンレスプレートだけが、美しく残っているのだろうと思う。
その煤だらけのプレートだけを持って、おれはこの家を出たい。
2008年に千葉大に入学して、2014年に千葉大の大学院を修了した、西千葉歴6年の僕が、西千葉のいいところを紹介するぜ!!まぁ西千葉といいつつ、千葉駅周辺とか稲毛とか、ちょっと離れて幕張も少しだけ紹介するよー。
美味しいカレーを各所で結構食べてきたと思っているのだけど、一番美味しい。
ここのカレーはもちろんインドカレーとしてのベースの美味しさはありつつ、スパイスの香りが華やかで(あまり他のお店では味わったことがない独自性があるのもgood)、それに加え、盛り付けも素晴らしく、食事の楽しさをぐんと引き上げてくれる。
このカレーが気軽に食べられるってだけでも、西千葉(というか千葉駅の方が近いエリアかもだが)に住んでるの羨ましいなと思うレベル。ちなみにベンガルタイガーがオープンしたのは僕が西千葉から引っ越した後なので、当時は味わうことができなかった。久しぶりに西千葉に行ったら、こんなカレーの名店がオープンしているとは……。
池のある公園の向こうにモノレールのある景色、どこかで見たことあるのではないか?見たことある人は同世代ですね。そうです「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」通称俺妹の聖地ですね。僕がいた当時はラッピング車両が走ってたりしてました。この池、ボートも借りれたりして、結構楽しかったりします。
で、この千葉公園、最近めっちゃいい雰囲気になってきてます。なんでかっていうと、拓匠開発っていう工務店というかディベロッパーというか、色々やってる会社が千葉公園まわりでめちゃかっこいいビルを改修したり、建てたりしてるからです。
流石に今は暑すぎるから空調効いた店内でゆっくりするのがいいけど、春とか秋あたりは、コーヒーやパンを買って、2階のバルコニーから外に出て開放的な気分を味わうのがgood。もちろん千葉公園でゆっくりするのも最高。
古臭い競輪場があったんだけど、建て替えて綺麗で宇宙っぽいドームになった。遠目で見る分には結構かっこよかった。けど、なんかコロナの影響かなんかであんまりまだ人を入れてないっぽい。
MIXIのホームページとかをみるに、ショー的な要素を組み入れたいのかな?ってのがちらちらと垣間見れるので、ラスベガスっぽい雰囲気にしようとしてるのかなと思ってる。これからもっとMIXIが気合い入れて運営してくれたら賑やかになると思う。千葉公園のすぐ隣だから、大負けしたら千葉公園で一息つこうぜ。
僕が学生だったときは、Netflixとかアマゾンプライムビデオとかのサブスクなんか無くて、ドラマ・映画を見るときはシネマシネマだった。
毎週火曜日(だったと思う)は映画の日かなんかで、旧作が1本100円で借りられるんだよね。映画にハマってた時は毎週そのタイミングで3,4本は映画借りたなぁ。僕が映画の知識をある程度得られたのはシネシネのおかげ。
シネシネがなかったら、「サマータイムマシン・ブルース」にも「キサラギ」にも「運命じゃない人」にも「時をかける少女」にも「グッド・ウィル・ハンティング」にも「AKIRA」にも「東京ゴッドファーザーズ」にも「モーターサイクルダイアリーズ」にも出会えてなかったし、「24 -TWENTY FOUR-」を24時間で観きるみたいなことも出来なかった。ありがとうシネシネ。
あと、全然ハマらなかった、「ショーシャンクの空に」とか「劇場版コナンシリーズ」「デヴィッド・フィンチャー作品(セブン、FIGHT CLUB)」「三谷幸喜作品(ラヂオの時間とか有頂天ホテル)」とかも、自分の好みを知るって上では重要な作品だった。自分の好みが把握できたのは、シネシネで多少なりとも作品数をこなしたからだろうなぁ。ありがとうシネマシネマ。
ここの漫画の取り揃え結構すごいよ。あと不定期で原画展とか開催されてて本当にすごい。
ジュンク堂書店池袋本店とか、梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店に匹敵すると思う。(いやそれは言い過ぎか…)
人が全然いなくて、通路も広いし、めちゃ穴場。潰れないか不安だよ。
未だに僕の人生No.1映画「インセプション」を京成ローザで2回みたし、「映画けいおん! 」も3回観て、一緒に行った奴らと入場者特典の生コマフィルムを組み合わせてみたりして、繋がったー!!とかしてたりした。なんか青春と映画ってセットみたいなところあるよね。
あとは、明るかったはずなのに映画が終わったらいつの間にか日が落ちて夜になって、急に世界が変わったみたいな気がしたり、
映画を見る前は雨だったのに、観終わったら雨が上がってたり、
真夏に映画をみて、映画見終わってガンガンに体が冷えてんのに、外出たらカンカン照りでむわぁーってしたりしてた。
成年漫画に結構ハマったりしたのもいい思い出。こんな増田を書いたりもしたよ
・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 ( https://anond.hatelabo.jp/20141222015250 )
・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 2 ( https://anond.hatelabo.jp/20160201015410 )
・元とらのあな店員が決める 漫画10選+α( https://anond.hatelabo.jp/20160911230803 )
師走の翁とか、とらのあなでバイトしなかったら出会わなかったんだろうなぁ。
向かいにアニメイト、1階にらしんばん、2階にとらのあなっていう、オタクトライアングルが出来てたのに、今はちょっと寂しい気がする(いやまぁただの感傷かもね。なんか今はメロンブックスもあるらしい)。
蔵書数で日本26位。
明るくて、広くて、天井高くて、座席数も結構あって、雑誌の種類も豊富で、結構使える図書館だと思う。図書館の裏に千葉公園があるって立地感。
新しく出来た体育館なんだけど、2時間220円でトレーニングルーム使えて、結構いろんなマシンが揃ってるから気軽に筋トレができる!!!安すぎ!!!西千葉民(特に松波・弁天の民)はちょこザップ月額3,000円にいくよりこの体育館行くほうが断然安いから、急げ(急ぐ必要はない)
千葉大生は全員ここで服買ってる。
セレクトショップ系の古着から、ハイファッション系とか結構がちめなヴィンテージものまで扱ってるのいいよなぁ。
とりあえず、ここで服買っておけば、お洒落になれる気がしてんのよなぁ。
今となっては、まぁまぁ美味しいって感じのお店ではあるが、あの濃さは唯一無二の濃さ。まぁなんていうか、濃さというか小麦の量が多いのか、ドロっとしているというのか。
接客がぶっきらぼうなんだけど、すげーナンのおかわりいるか?って聞いてくるのだよね。サービス精神旺盛なのかどうなのかよくわからん接客される。
僕が初めてインドカレーを食べたお店。ひよこが生まれて初めて見た物を親だと思う習性的な感じなのかもしれないけど、思い入れがある。最初に食べた時はこんな美味しい食べものがあるのかっー!!!ってびっくりしたなぁ。
学生街だからワンルームタイプの賃貸がかなり多い。そして安いワンルームもある。僕が借りてたアパートはホテルウキウキっていうラブホの目の前の立地だったんだけど、20㎡くらいで2.8万くらいだったよ。しかも綺麗で普通にいい家だった。
千葉大の南門の眼の前にあるお店。普通の町中華なんだけど、普通に美味しい。
お金払った分の価値がある料理を提供してくれるの嬉しいよな。普通のことを普通にするのって難しいしね。僕は肉玉チャーハンがおすすめです。
野村不動産が主幹になって開発するらしい。3万㎡の敷地。結構面白い街になりそうなんだよなぁ。
野村不動産が代表企業で、構成企業に三井不動産株式会社、三菱地所株式会社、三井不動産レジデンシャル株式会社、三菱地所レジデンス株式会社、大和ハウス工業株式会社っていう錚々たるメンバーが顔を連ねてる訳わからん座組になってる。船頭多くして船山に登るにならないことを願うけど、どうなるんだろう。
千葉大の正門付近にある、中村拓志+竹中工務店が設計しためちゃかっこいい建物。ここで働きたいわ。かなり街に開いた建物になってて、街の雰囲気をあげてると思う。
建築界のトップランナー中村拓志が手がけた、「ZOZO本社屋」に迫る【ウワサの建築】|Pen Online (pen-online.jp)
https://www.pen-online.jp/article/008115.html
とりあえず、まじででかい建物をずーっっと工事してる。サグラダファミリアなん??
この建物も中村拓志が設計してるっぽい。まだ工事中だし、外からしか見えないけど、かっこいいのわかる。いっそのこと美術館にして開放してほしいわwバスキアみたい。
レーザーカッターがあったのすごい良かったなぁ。そこで世界地図パズルってのを作ってみたりした( https://motion-gallery.net/projects/world_puzzle )。こういう場所がないと実現できなかったから、あって嬉しかった場所。
結構賑わってて子どもたちとかの憩いの場になってたり、ギターを自作してる人がいたり、おもしろい空間になってた。
ラーメン二郎、一風堂、一蘭、とみ田、蒙古タンメン中本、どうとんぼり神座、(天下一品はないの惜しい)と、千葉駅だけで、結構色んな有名店を食べられるの良くないすか?しかも割りと空いてるのがよいのだよ!
もちろん、個人のお店も美味しいお店結構あって、僕が好きなのはこいつら。
淡麗系のラーメンが美味しい「中華蕎麦ごとう」、ここが千葉駅周辺で一番美味しいラーメンだと思う替え玉の事をばけって呼ぶ「中華蕎麦 ます嶋」、二郎系で人気のラーメン「BooBoo太郎。」、有名な家系ラーメンで店員さんが結構武闘派っぽい感じがしてちょっと背筋が伸びる気持ちで食べることになる「杉田家」などなど、結構美味しいラーメンがコンパクトに揃ってると思う。最近はわからんが、僕が学生の頃は「並木商事」も美味しくて結構通った。
あと、西千葉も学生街だからかやっぱりラーメン屋は多くて、結構美味しい。おすすめなのはこいつら。
二郎系でお腹いっぱいになれて安い「ラーメンやまや」、淡麗系のラーメンで結構美味しいし店内も広々してて使いやすい「麺将 松風」、武蔵家から独立して店内も綺麗になったしスープも心なしか雑味が無くなった気がする「裏武蔵家」
麺系:リンガーハット、丸亀製麺、ゆで太郎(はなまるうどん無し)
定食系:やよい軒、大阪王将、陳麻家、すた丼(大戸屋、餃子の王将、かつや無し)
回転寿司:スシロー、くら寿司、すし銚子丸、(はま寿司、かっぱ寿司無し)
ハンバーガー屋:マクドナルド、モスバーガー、バーガーキング、フレッシュネスバーガー、ヴィレッジヴァンガードダイナー
ファミレス:ジョナサン、サイゼ、バーミヤン、ガスト、(デニーズ無し、ロイホ無し)
書いてて笑けてきたな。こんなの沢山あってもしょうがないのだけど、沢山あって楽しいよw
千葉駅前の立地は強いよなぁ。まぁでも所謂普通の百貨店だからあんま面白いところはないのだけど、見どころとしては、やっぱりそごうの立体駐車場。あれまじですごいよ(笑)
スロープ部分が二重螺旋構造になってるんだけど、なんかすげーのよ!要塞感がすごい。
グッゲンハイム駐車場めぐり :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)
https://dailyportalz.jp/b/2009/02/26/b/3.htm
あんまり音楽とか聞かないのだけど、それでも知ってる。BUMP OF CHICKENの初期はここでライブしてたとか、してないとか。
一回だけ行ったことあるけど、めちゃちっさいけど、なんか雰囲気ある。距離感が近い。
ギリ自転車でいけるw
いい施設!!
2020年に出来た割りと新しいスーパー銭湯で、サウナブーム到来後にオープンした事もあって、割と最新のサウナの楽しみ方に合わせた設計がされている。外気浴スペースが豊富に取られてるからゆっくり休めてよい。水風呂はサウナの大きさに比べて狭い気がしたなぁ。
西千葉から自転車で30分もあれば到着すると思う。途中の美浜大橋からみる東京湾がめちゃ景色良くて最高の気分になる。
やっぱね海は楽しいよ。あといなプーでは撮影会できます!!!(よくわかってないけど)
最近お洒落な雰囲気を纏おうと、桟橋を作ってみたり、白い砂浜にしようとしてオーストラリアから大量の砂を設置してみたりしてる。けど白い砂は、台風で結構もってかれちゃってるらしいw悲しい。
2008年に千葉大に入学して、2014年に千葉大の大学院を修了した、西千葉歴6年の僕が、西千葉のいいところを紹介するぜ!!まぁ西千葉といいつつ、千葉駅周辺とか稲毛とか、ちょっと離れて幕張も少しだけ紹介するよー。
美味しいカレーを各所で結構食べてきたと思っているのだけど、一番美味しい。
正統派インドカレーが味わえる「青山シターラ」や、チーズクルチャが美味しくて半地下の店内がめちゃお洒落な「銀座のグルガオン」、そしてその系列店「京橋のダバ・インディア(今は御茶ノ水のゴンドになったらしい)」、そしてそのダバ・インディアで修行された店主が開業された「木場のカマルプール」、銀座博品館のレストラン階にあるビリヤニがモリモリに盛られる「カーン・ケバブ・ビリヤニ」、いつもじゃがいものを食べるタイミングを見失う神田の欧風カレーの「ボンディ」、寡黙でちょっと地味めな店主が黙々とつくる美しく華やかなカレーとのギャップが激しい「御茶ノ水ホンカトリー」、そしてもちろん千葉県といえばココ検見川の名店「シタール」などなど、いろんな場所、いろんなジャンルのカレー屋さんに行ったけど、
僕が現時点で一番美味しいと思うカレーはここ、ベンガルタイガー。
ここのカレーはもちろんインドカレーとしてのベースの美味しさはありつつ、スパイスの香りが華やかで(あまり他のお店では味わったことがない独自性があるのもgood)、それに加え、盛り付けも素晴らしく、食事の楽しさをぐんと引き上げてくれる。
このカレーが気軽に食べられるってだけでも、西千葉(というか千葉駅の方が近いエリアかもだが)に住んでるの羨ましいなと思うレベル。ちなみにベンガルタイガーがオープンしたのは僕が西千葉から引っ越した後なので、当時は味わうことができなかった。久しぶりに西千葉に行ったら、こんなカレーの名店がオープンしているとは……。
池のある公園の向こうにモノレールのある景色、どこかで見たことあるのではないか?見たことある人は同世代ですね。そうです「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」通称俺妹の聖地ですね。僕がいた当時はラッピング車両が走ってたりしてました。この池、ボートも借りれたりして、結構楽しかったりします。
で、この千葉公園、最近めっちゃいい雰囲気になってきてます。なんでかっていうと、拓匠開発っていう工務店というかディベロッパーというか、色々やってる会社が千葉公園まわりでめちゃかっこいいビルを改修したり、建てたりしてるからです。
流石に今は暑すぎるから空調効いた店内でゆっくりするのがいいけど、春とか秋あたりは、コーヒーやパンを買って、2階のバルコニーから外に出て開放的な気分を味わうのがgood。もちろん千葉公園でゆっくりするのも最高。
古臭い競輪場があったんだけど、建て替えて綺麗で宇宙っぽいドームになった。遠目で見る分には結構かっこよかった。けど、なんかコロナの影響かなんかであんまりまだ人を入れてないっぽい。
MIXIのホームページとかをみるに、ショー的な要素を組み入れたいのかな?ってのがちらちらと垣間見れるので、ラスベガスっぽい雰囲気にしようとしてるのかなと思ってる。これからもっとMIXIが気合い入れて運営してくれたら賑やかになると思う。千葉公園のすぐ隣だから、大負けしたら千葉公園で一息つこうぜ。
僕が学生だったときは、Netflixとかアマゾンプライムビデオとかのサブスクなんか無くて、ドラマ・映画を見るときはシネマシネマだった。
毎週火曜日(だったと思う)は映画の日かなんかで、旧作が1本100円で借りられるんだよね。映画にハマってた時は毎週そのタイミングで3,4本は映画借りたなぁ。僕が映画の知識をある程度得られたのはシネシネのおかげ。
シネシネがなかったら、「サマータイムマシン・ブルース」にも「キサラギ」にも「運命じゃない人」にも「時をかける少女」にも「グッド・ウィル・ハンティング」にも「AKIRA」にも「東京ゴッドファーザーズ」にも「モーターサイクルダイアリーズ」にも出会えてなかったし、「24 -TWENTY FOUR-」を24時間で観きるみたいなことも出来なかった。ありがとうシネシネ。
あと、全然ハマらなかった、「ショーシャンクの空に」とか「劇場版コナンシリーズ」「デヴィッド・フィンチャー作品(セブン、FIGHT CLUB)」「三谷幸喜作品(ラヂオの時間とか有頂天ホテル)」とかも、自分の好みを知るって上では重要な作品だった。自分の好みが把握できたのは、シネシネで多少なりとも作品数をこなしたからだろうなぁ。ありがとうシネマシネマ。
ここの漫画の取り揃え結構すごいよ。あと不定期で原画展とか開催されてて本当にすごい。
ジュンク堂書店池袋本店とか、梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店に匹敵すると思う。(いやそれは言い過ぎか…)
人が全然いなくて、通路も広いし、めちゃ穴場。潰れないか不安だよ。
未だに僕の人生No.1映画「インセプション」を京成ローザで2回みたし、「映画けいおん! 」も3回観て、一緒に行った奴らと入場者特典の生コマフィルムを組み合わせてみたりして、繋がったー!!とかしてたりした。なんか青春と映画ってセットみたいなところあるよね。
あとは、明るかったはずなのに映画が終わったらいつの間にか日が落ちて夜になって、急に世界が変わったみたいな気がしたり、
映画を見る前は雨だったのに、観終わったら雨が上がってたり、
真夏に映画をみて、映画見終わってガンガンに体が冷えてんのに、外出たらカンカン照りでむわぁーってしたりしてた。
成年漫画に結構ハマったりしたのもいい思い出。こんな増田を書いたりもしたよ
・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 ( https://anond.hatelabo.jp/20141222015250 )
・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 2 ( https://anond.hatelabo.jp/20160201015410 )
・元とらのあな店員が決める 漫画10選+α( https://anond.hatelabo.jp/20160911230803 )
師走の翁とか、とらのあなでバイトしなかったら出会わなかったんだろうなぁ。
向かいにアニメイト、1階にらしんばん、2階にとらのあなっていう、オタクトライアングルが出来てたのに、今はちょっと寂しい気がする(いやまぁただの感傷かもね。なんか今はメロンブックスもあるらしい)。
蔵書数で日本26位。
明るくて、広くて、天井高くて、座席数も結構あって、雑誌の種類も豊富で、結構使える図書館だと思う。図書館の裏に千葉公園があるって立地感。
新しく出来た体育館なんだけど、2時間220円でトレーニングルーム使えて、結構いろんなマシンが揃ってるから気軽に筋トレができる!!!安すぎ!!!西千葉民(特に松波・弁天の民)はちょこザップ月額3,000円にいくよりこの体育館行くほうが断然安いから、急げ(急ぐ必要はない)
千葉大生は全員ここで服買ってる。
セレクトショップ系の古着から、ハイファッション系とか結構がちめなヴィンテージものまで扱ってるのいいよなぁ。
とりあえず、ここで服買っておけば、お洒落になれる気がしてんのよなぁ。
今となっては、まぁまぁ美味しいって感じのお店ではあるが、あの濃さは唯一無二の濃さ。まぁなんていうか、濃さというか小麦の量が多いのか、ドロっとしているというのか。
接客がぶっきらぼうなんだけど、すげーナンのおかわりいるか?って聞いてくるのだよね。サービス精神旺盛なのかどうなのかよくわからん接客される。
僕が初めてインドカレーを食べたお店。ひよこが生まれて初めて見た物を親だと思う習性的な感じなのかもしれないけど、思い入れがある。最初に食べた時はこんな美味しい食べものがあるのかっー!!!ってびっくりしたなぁ。
学生街だからワンルームタイプの賃貸がかなり多い。そして安いワンルームもある。僕が借りてたアパートはホテルウキウキっていうラブホの目の前の立地だったんだけど、20㎡くらいで2.8万くらいだったよ。しかも綺麗で普通にいい家だった。
千葉大の南門の眼の前にあるお店。普通の町中華なんだけど、普通に美味しい。
お金払った分の価値がある料理を提供してくれるの嬉しいよな。普通のことを普通にするのって難しいしね。僕は肉玉チャーハンがおすすめです。
野村不動産が主幹になって開発するらしい。3万㎡の敷地。結構面白い街になりそうなんだよなぁ。
野村不動産が代表企業で、構成企業に三井不動産株式会社、三菱地所株式会社、三井不動産レジデンシャル株式会社、三菱地所レジデンス株式会社、大和ハウス工業株式会社っていう錚々たるメンバーが顔を連ねてる訳わからん座組になってる。船頭多くして船山に登るにならないことを願うけど、どうなるんだろう。
千葉大の正門付近にある、中村拓志+竹中工務店が設計しためちゃかっこいい建物。ここで働きたいわ。かなり街に開いた建物になってて、街の雰囲気をあげてると思う。
建築界のトップランナー中村拓志が手がけた、「ZOZO本社屋」に迫る【ウワサの建築】|Pen Online (pen-online.jp)
https://www.pen-online.jp/article/008115.html
とりあえず、まじででかい建物をずーっっと工事してる。サグラダファミリアなん??
この建物も中村拓志が設計してるっぽい。まだ工事中だし、外からしか見えないけど、かっこいいのわかる。いっそのこと美術館にして開放してほしいわwバスキアみたい。
レーザーカッターがあったのすごい良かったなぁ。そこで世界地図パズルってのを作ってみたりした( https://motion-gallery.net/projects/world_puzzle )。こういう場所がないと実現できなかったから、あって嬉しかった場所。
結構賑わってて子どもたちとかの憩いの場になってたり、ギターを自作してる人がいたり、おもしろい空間になってた。
ラーメン二郎、一風堂、一蘭、とみ田、蒙古タンメン中本、どうとんぼり神座、(天下一品はないの惜しい)と、千葉駅だけで、結構色んな有名店を食べられるの良くないすか?しかも割りと空いてるのがよいのだよ!
もちろん、個人のお店も美味しいお店結構あって、僕が好きなのはこいつら。
淡麗系のラーメンが美味しい「中華蕎麦ごとう」、ここが千葉駅周辺で一番美味しいラーメンだと思う替え玉の事をばけって呼ぶ「中華蕎麦 ます嶋」、二郎系で人気のラーメン「BooBoo太郎。」、有名な家系ラーメンで店員さんが結構武闘派っぽい感じがしてちょっと背筋が伸びる気持ちで食べることになる「杉田家」などなど、結構美味しいラーメンがコンパクトに揃ってると思う。最近はわからんが、僕が学生の頃は「並木商事」も美味しくて結構通った。
あと、西千葉も学生街だからかやっぱりラーメン屋は多くて、結構美味しい。おすすめなのはこいつら。
二郎系でお腹いっぱいになれて安い「ラーメンやまや」、淡麗系のラーメンで結構美味しいし店内も広々してて使いやすい「麺将 松風」、武蔵家から独立して店内も綺麗になったしスープも心なしか雑味が無くなった気がする「裏武蔵家」
麺系:リンガーハット、丸亀製麺、ゆで太郎(はなまるうどん無し)
定食系:やよい軒、大阪王将、陳麻家、すた丼(大戸屋、餃子の王将、かつや無し)
回転寿司:スシロー、くら寿司、すし銚子丸、(はま寿司、かっぱ寿司無し)
ハンバーガー屋:マクドナルド、モスバーガー、バーガーキング、フレッシュネスバーガー、ヴィレッジヴァンガードダイナー
ファミレス:ジョナサン、サイゼ、バーミヤン、ガスト、(デニーズ無し、ロイホ無し)
書いてて笑けてきたな。こんなの沢山あってもしょうがないのだけど、沢山あって楽しいよw
千葉駅前の立地は強いよなぁ。まぁでも所謂普通の百貨店だからあんま面白いところはないのだけど、見どころとしては、やっぱりそごうの立体駐車場。あれまじですごいよ(笑)
スロープ部分が二重螺旋構造になってるんだけど、なんかすげーのよ!要塞感がすごい。
グッゲンハイム駐車場めぐり :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)
https://dailyportalz.jp/b/2009/02/26/b/3.htm
ジュンヌ館はヨドバシになるみたい。そして完全な妄想だけど、玉突きでヨドバシの入ってる塚本ビルは建て替えになるんちゃうかな?そうすると三省堂カルチャーセンターも無くなっちゃうかも。
参考までに百貨店の売上ランキング貼っておきます(2022年8月24日の日経流通新聞(日経MJ)で掲載された全国百貨店売上ランキングのデータらしい)
2位 阪急うめだ本店 2,006億円(14.6%)
「神戸のパン屋は東京に比べて圧倒的に美味い」みたいな話が盛り上がっているが、現状単なるオカルトであり信憑性は低い。
食べログで「神戸市 パン」と検索すると545店舗が引っかかる。「神戸のパン屋が東京より美味い」と言っている人は、この中の何店舗に行ったのだろう? 評判のいい店だけをピックアップしていたら美味いのは当たり前で、本当は
という手続きで検証しなければ「神戸のパン屋は東京よりも美味い」ことは証明できない。
また、人間の感覚というのは大変に曖昧なもので、先入観によっても味は変わる(参考 : https://agri.mynavi.jp/2019_03_12_62258/)。「神戸のパン屋は美味い」という先入観を持って食べると、それだけで美味く感じたりするということだ。
これは味覚に限らない話で、例えばクラシックの世界でも、ストラディバリウスやグァルネリといったオールドヴィンテージと現代の楽器に有意差がないことは、ブラインドテストにより何度も証明されている。一流の音楽家が聴き比べをしても差はないし、弾いても差はない。にもかかわらず、オールドヴィンテージはいまだにクラシックの業界ではありがたがられているのだ。神戸のパンも大規模ブラインドテストを実施してみたら同様の結果が出るだろうし、出ても「それでもやっぱり神戸のパンは、東京のパンより美味い」という説が唱えられ続けるであろう。
「神戸市 パン屋」で食べログを検索すると、各店舗に点数がつけられている。これを集計しスクレイピングして平均点をとったところ、3.2547点だった。
「東京都 パン屋」で検索すると5000件近くがヒットしてしまうので、先方のサーバーに迷惑をかけないためにもう少し細かいエリアで集計してみよう。
東京のエリアは私が思いつきで抽出しただけだが、一部足立区など低いエリアがあるものの、渋谷区、港区の平均点は神戸市を上回っており、優位な差がないことが分かる。
もちろん食べログの統計情報に高い信頼性がないのは言うまでもない。だがそれを言い出すと一個人の個人的な体験のほうがはるかに信頼はおけず、「食べログの点数で主張をするバカ現るwwww」的な反論をするのなら、より信頼性の低い個人の主観も否定されるか、食べログの統計情報よりも個人の主観が正しいことを証明しなければならないだろう。
こういう話法はまんま陰謀論的な話法であり、強弁されると論破することはできない。オカルトはこういうマウントの隙間に入り込んで勢力を拡大していく。
確たる証拠もない主張を行い、それを否定すると即座に「人間として瑕疵があるお前には理解できないのだ」という主張に切り替えてくる、これは論法として卑怯であり、真であると証明したいのなら、やはり統計的なテストを実施しなければならないのだ。
もっとも個人にここまでのことを求めるのは、実質的に不可能であることも事実だ。私の話法も「無理な要求を突きつけて相手の口を塞ごうとしている」と取られてもおかしくはない。
なのでデイリーポータルZさんあたり、どうですかね……? 検証記事、バズると思うのですが……!
riyanorie 京阪神のパンのレベルが高い話は昔から言われてたし、いきなり陰謀論や洗脳に結び付けるのは論理の飛躍では。データでいうなら都市別パン消費量は神戸と京都は上位で、こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立する
2人以上世帯を対象としたパンの年間消費額は神戸市が38,435円、東京都市部が36,154円と、2,281円しかない。全家庭が2人世帯だと仮定しても、1人年間1,141円の差であって、神戸市民と東京都市部民は、月にパンをひとつ多く食べるかどうか程度の差しかない。この程度の差で「こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立」などしないだろう(データはこちらを参照 : https://news.allabout.co.jp/articles/o/28209/)。
小ぢんまりしたお店の中に、お店の人がこだわって仕入れてるのだろうと思わされる商品が所狭しと並べられていた
ヴィンテージの小物とか作家の手仕事で作られた陶器とか海外の工芸品とか、安いものから高いものまで並んだ商品棚には「お子様に商品を触らせないでください」「お子様に商品で遊ばせないでください」という注意書きの紙が貼り付けられていた
店の一角に一枚貼ってあるとかそんなものではなく、商品棚1つの横幅の中に複数枚といった短い間隔ごとにたくさん貼られていた
その紙の多さからお店側がどんな苦労をしたのか窺い知れるようでなんだか気の毒な気持ちになってしまった
とはいえ頻繁に注意書きが目に入ると自分が注意書きの対象でなくてもなんだか窮屈で買い物してても楽しくないなと思ったので、お店にそこまでさせた過去の迷惑な保護者と子供をちょっと恨めしく思った
はてブ民「いまの40代と20代って好みや着ているもの変わらないよね」
それはお前が20代のころとライフステージが変わってないだけだ
お前がずっと同じ服着て未だにエヴァ見ているだけだよ
ああ、すいません、今は仮面ライダーですか?w
だいたいいまの40代と20代はぜんぜん違うのはひと目見てわかるだろ
未だにジーパン履いてるだろ、お前は
なんならスキニーだろ、ピチピチの
夏はなに着るんすか?
言えないよな
だいたい若者の話題になったら「TikTok!」って壊れたテープレコーダーのように唱えるしかできない解像度のくせに若者と同じかどうかなんて判定できないだろ
LINEじゃないですよ〜〜〜w
せいぜい米津玄師だろ、お前はw
ヨネケンのkicks聞いて「若者の曲聞いてるおれ……若すぎ!」とかやってんだろ
レッツゴーライダーキック聞いて感動してるお前のどこが若いんだよw
ちょっと前にYOASOBI聞いて「音スカスカだね」って言ってただろ、お前は
「いまの若者とは話が合う」
向こうが年上を立てて合わせているんだってば……
ジャケットにTシャツ着て金髪にして「若いです!」ってやってるようなおっさんがさ
馴れ馴れしく肩組みしてくるんだけど、いやいやヘアケアしてないから髪の毛開きまくりだしTシャツの襟がヨレヨレでみっともないから若者とぜんぜん違うんですけど……バンドTシャツが流行りって聞いてタンスの奥から引っ張り出してきてるけどヴィンテージが流行ってるわけじゃないし何この人……みたいなさ
だいたいお前らは「Z世代は消費行動はこんなに違う!」とか「Z世代の価値観が違いすぎてびっくり!」みたいな記事もブクマしまくってるくせに、なんでこんなときだけ「おれは若者といっしょ!」ってシュバってくるんだよ
本格的に鳥頭か?
「中年になってもまだまだやれる(キリッ」みたいなポルノに引っかかりすぎなんだよ
お前が「20代のころとやってることが変わらない」のがなんで「いまの20代と変わらない」になるんだよ
どんなアクロバティックだ
マジで恥ずかしくないのか?