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2013-02-15

須藤元気流 体育学指導

2008年拓殖大学レスリング部の監督就任以降、4度の最優秀監督賞に輝いた須藤元気インタビューから

説教をしたところで、相手は変わりません。人と人との関係は、鏡の関係です。例えば、僕が練習場で楽しそうに取り組んでいれば、その姿を見た選手たちもレスリングを楽しむようになります。人を変えようとするのではなく、まずは自分が変わること。そして一人ひとりと愛情を持って心で接すること。僕にできるのは、それだけです」

夏合宿中、オフ時間に海に行って『よし、トレーニングだ。ナンパするぞ』と言ったんです。とても盛り上がりましたね。成功しなくてもいいんです。女の子に話しかけるのは楽しいですから

楽しいことを共有することで、みんなが仲良くなり、チームが一つになります。それに、僕も楽しいですしね」

「もし僕が『学生たちのためだ』と思って何かをすると、どうしても『こんなにやってあげているのに』と恩着せがましくなる。決していい結果にはつながりません。だから、今この瞬間に僕自身が楽しいと思えることをする。そうすれば押し付けにならないで済むんです」

人間の頭の中では1日に6、7万回もの考えが、浮かんでは消えているといいます。『自分なんて……』という否定的な考えも、繰り返し浮かぶ。だからルールを決めました。『否定的なことを言わない』というものです。言葉には力があります。『自分は強い』『自分ならできる』と言葉にすれば、強い意思へと変えることもできるのです。“いまどきの若者”だけが精神的にもろいわけじゃない。人はみんな強気自分弱気自分を抱えている。目の前に成し遂げたいことがあるのなら、気持ちをコントロールすればいい。」

そういえば何年か前の東京マラソン部員全員と肩組んでゴールしてた映像を見た覚えがある。(タイムは8時間くらいだったけど)

今の体育会系指導者はこの人から得なかきゃいけないものはきっとあるんじゃないかな。

学生時代、こんな先生出会いたかったわ。


元記事

http://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=56274

2012-06-25

温故知新とは思いたくない話

自分がやっている弓道は、人類が生み出した武器の原型の一つである弓を扱うこともあり、大昔からの積み重ねが生きている・・・と思っていた。

ところが調べてみると、いわゆる現代弓道は、それまでの諸流派のごった煮に過ぎないことを知った。


大雑把に言えば、日本で最も普及している正面の射法は、行射は本多流体配小笠原流が概ねベースになっているらしい。

勿論弓懸のチョイスや取り矢の有無、身のこなしを「初心者のうちはそれでも構わない」とされる容易なやり方で良しとしているといった、細かい違いはあるみたいだけど。


しか本多流日置流尾州竹林派の射法をベースに、明治年間に生み出されたもの。したがって、現代に至るまで最低でも数百年の人智が生きている他の流派に比べて、本当に体育学的・実用見地から理に適っているのか、素人考えながら非常に気になるところだ。

また体配小笠原男子作法を、女子にも適用する形になっていると聞く。そりゃ女の弓引きなんて昔は皆無だったから、女向けの弓の作法がそもそも存在しなかったという意味では仕方ないんだろうけど、作法としては不自然な気がする。


そういう事情を汲むに、とても「礼射と武射の融合」なんて高尚なものではなく、むしろいいとこ取りをしたつもりが中途半端意味不明な結果になっている、まさしくごった煮と形容せざるを得ないというか。

これは弓矢が昔ながらの竹製じゃないから味わいに欠けるとか、斜面の射法をやたら珍しがるとか以上に、根本的な問題ではないかと思う。


そして皆、意外にそのことを知らず「昔から伝統・・・」などと言っている。

本当にそれでいいのだろうか・・・

 
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