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2024-03-27

anond:20240327203335

( ^ω^ )

肥後守を造り続けて百有余年、伝統を受け継ぐ。

明治27年1894年創業五代継承

初代駒太郎美嚢郡留美大字平田(現:兵庫県三木市平田)の地で『平田ナイフ』の製造を始めて百有余年、五代伝承肥後守職人として唯一相伝となりました。

永尾かね駒製作所が作る肥後守が、唯一無二の肥後守です。」

https://www.higonokami.jp/

2022-03-31

寿司食いてえ(+包丁の話)

ネタシャリの間にわさびが入ってる程度の寿司をたらふく食べたい。

 

いわゆる100円寿司各社がわさびを別添にするようになってどれほど経っただろう。

あれもそんなに嫌ってもないのだが、しかしわさびネタシャリの間にいてほしいし、ネタシャリは横倒しにしても分離しない程度に握り固められていてほしいもである

このささやかな願いに同調してくれる人は決して少なくないと信じているが、しかしこれを叶えることは存外容易でないものである

 

百円寿司で一旦ネタ剥がしわさびをつける戦略は思いの外満足度が低かった。

回らない寿司は週2で通えるものではないので考慮しなかった。

上記が叶う程度の回転寿司は採算がアレなのかコスパが良くなく、何よりレーンの中に板前が居たりしてコロナ禍において通いづらかった。

宅配寿司は1人前をなんとなく頼みづらかった。

持ち帰り寿司は最も理想に近かったが、ヘビロテすると飽きが来た。

ついでに言うと俺は今ほぼリモートワークなのだが、1人前の寿司を買いに日参するには絶妙店舗立地が遠かった。

 

ここに至って俺は認めざるを得なかった。もはや自分寿司自分で握るしかない。

業務スーパー冷凍のサクを買う。今日寿司だと思い立ったら冷蔵庫解凍し、白米を炊いてすし酢と合わせてええ感じに握る。これだ。これしかない。

今どきは便利なもので、寿司の握り方はyoutubeいくらでも調べられた。

ちなみにこの過程で家庭向けの寿司を握る補助具的なものがないか調べたが、結果は芳しくなかった。

百円寿司シャリロボットの人力版みたいなものはあったが、肝心のネタシャリを一緒に握れる機能はなかったのだ。

アイスクリームスプーンのしゃもじ版みたいな奴は工夫次第でいけるんではと買ってみたが、逆に面倒だった。

結局は頼れるものは己の五体しかなかった。

 

とはいえはじめの数回は酷い出来だった。初めて作った寿司はずっしりと重く、太く、齧れるほどだった。

細くしてみたら底面が崩れて、自立しなくなった。

力を抜いて軽く握ったら形が整わず、あちこち米粒が飛び出した。

いい感じに出来たと思ったら握れておらず、箸で持つと折れた。寿司飯にして1.5合喰った。

 

もともと刺身はサクで買う主義だったので柳刃包丁は持っていた。しかしここでも問題が発生した。

狭いアパートスーパーのサクを切るくらいしか想定していなかったので、柳刃と言いながら刃渡りが20cmしかなかったのだ。

平造りしかしないのであれば正直十分だった。だが寿司ネタを切りつけるには指四本よりもやや長い幅を切らねばならぬ。

包丁刃渡りが明らかに足りていなかった。

我が家包丁三徳と出刃と柳の3本だったので、実はイワシや小アジを捌くのも多少不便だった。

なのでこの20cmの柳は片刃のペティというか小魚用の身卸というか、小刃でもつけて多目的に使うことにして、

9寸くらいの柳刃を追加しようと思った。しかしなかなか好みの包丁が見つからない。

 

元々俺は、和包丁伝統的なハンドルが好きではない。

あれは伝統的には朴の木で出来ていて、穴をくり抜いて口輪を付けて刃を挿すものだ。

口輪は経年で縮んで締まる水牛の角がいいとか、サビ防止に刃を挿す前によく熱して中を焼くとか、

あれこれあまり知られていないノウハウがあったりなかったりするものだが、これらは基本、その時代の工夫というものだ。

朴の木を使う理由にしたって、自然木材の中では水に強いという程度のことでしかない。

水性の高いハンドル材がいくらでも選べ、ステンレス包丁なら中子が錆びる心配もない現代において、

敢えて朴の木に鋲もネジもなしに摩擦力で留めるだけの柄を使い続ける理由はなにもないと思うのだが、

何故か頑なに和包丁には朴の木のハンドルを使うというのが常識となっているようである

しかもアレ大抵白木だから、魚の血や肝とか砥石の研ぎ汁とか付着した日には金たわしや最悪紙ヤスリなどで削るんである

なんぼなんでも、あまりにも前時代的だと思うのだがなんとかならんか。

 

閑話休題、そういうわけで柄が積層材、鋲止めで刃はステンレスで口金もついて9寸の柳刃を探し回るのであるが、

これがまあ見つからないこと。なんとか探し当てても鋼材がなに使っているのか非公表だったりしてそれも気に入らない。

世の中にモリブデンバナジウム鋼と分類できる鋼材が一体何種類あると思っているのか。

まあ包丁問屋日本鋼って鋼材がガチで在ると思い込んでいたりとかなくもないらしいのでその類なのやもしれぬ。ファック。

 

流石にそこまでいくとマニアックすぎないかと思われた向きもあるかもしれないが、これが結構実害があったりするんである

例えばAmazon検索アルゴリズムとか。「モリブデンバナジウム鋼」の包丁合金鋼と表記されてるせいで(※間違ってはない)、

検索ページの絞り込みで「材質:ステンレス」にチェックを入れると表示されなくなったりとか、いざ遭遇すると割とびびる。

Amazon内で検索するのがマジで役に立たないので、色々辿ってメーカーカタログから作ってることは確認した上で購入方法

調べてみたらAmazon普通に売ってた(でも検索からは出ない)とか、本当に勘弁してほしいもである

 

包丁噺ついでにさら脱線するが、和包丁の鋼への信仰心とでも言うべきものにも戸惑うものがある。

俺は趣味で切出しや肥後守とかも使うので炭素鋼の切れ味と扱いやすさは理解している。ついでにフライパンは鉄製に限る。

だが包丁についてはステンレス統一する主義だ。たしかに差はある。他はまだしも出刃だけ(柳だけ)は鋼、と言う意見もわかる。

けれどそれは刃持ちに妥協できない業務用途に限った話ではあるまいか

家庭用の包丁では、刃持ちを妥協して柔らかい鋼材を使う、と言う選択肢が取れるためだ。

正直な話、HRC56の謎ステンレスとHRC62の青紙だったら、ステンレスのほうが研ぎやすい。

粗悪な刃物だとカエリがペラペラしたりするのも知ってるが、今どきそこまで酷いのは中華偽ブランドナイフくらいのものである

わざわざ水気に弱いものを水に濡らして使うくらいなら、多少ヘタリが早くともステンレスを使ったほうが手間がないと俺は思う。

 

しかし、どうやらそういうのとは無関係に「鋼の包丁」という情報を食う連中がいるようで不気味なんである

よくいる初心者には白2鋼おすすめ!などと勧める奴も、真に受けて購入した包丁を錆びさせる奴も大概アレであるが、そうではなく、

ちゃんと扱えたとしてもいらん苦労でしかないような怪しげな包丁をやけに目にするのである

職人手作りで仕上げた白2の包丁必要な場面というのはもちろんあるであろう。

板長が本焼きを持っていることがステータスになる世界だってあって全然構わない。

だがこの異常に安い、4桁円で買えるが白1鋼という包丁は一体誰向けに作られているのだ…?

それはかけた手間に見合った性能を引き出せているか?ただ錆びたり柄が腐ったりするだけの包丁ではないか

包丁の手入れをすること自体目的になってはいないだろうか?

 

さて話を戻して、そうして多方面呪いながら包丁を都合すると、道具の面ではもうあまり不足がない。

飯にすし酢をあわせるのにボウルでは不便だと思っていたが、これは代用できるものが見つかった。

どこでも手に入る土鍋である市販の鍋セットをそのまま突っ込める大きめサイズを買っていたのが幸いした。

自体土鍋で炊くほど拘りはしない。炊飯器で炊いたのをお櫃代わりに鍋に移して酢と合わせる。おこげ寿司に出来ないのでこれでいい。

本職が使う寿司桶には、保温と調湿の機能がある。

土鍋は保温については文句がない。調湿は流石に木の桶とは比べ物にならないが、ステンレスのボウルに比べれば水気を吸う。

しろ木桶は水を吸いすぎるので事前に濡らしておくというくらいだから土鍋でも十分なのではないかと思う。

そもそもシャリが一人分なのでそれほど乾く心配はしなくていい。何かの理由台所を離れなければ行けない場合

濡らしたペーパーを被せておいて、それでも足りなければ濡らして絞ったペーパーを直接触れない位置に置いておくとか、工夫次第である

何より手入れに手間がいらないのが良い。ものにもよるが食洗機に突っ込むことだってできる。

ただ、冬場は冷えすぎるので事前に軽く温めたほうが良いみたいではあった。

 

自分寿司を握ってみると、寿司というのは米料理なのだなぁと言う思いを強くする。

わかりやすいのは水分量の管理で、米を1合炊いてすし飯にした場合最初最後の1貫は米の状態が顕著に異なる。

米の状態を見て手につける手酢とかも調整していく必要がある。でないと米が手についたり寿司がベシャベシャになったりする。

反面ネタの方は自分で喰らう分には割と融通が効く。多少大きさが不揃いだろうと人に出さないなら問題ないし、

なんなら小さく切って1貫に二切れ使ったって良い。シャリリカバリできない。

 

握りの技術については、未だにわからないことが多すぎて文章にできない。

ただ握り寿司にした米の総量でみて、大体1升を越えてくると、当初の目的であった

ネタシャリの間にわさびがあって、横倒しにしても分離しない程度の寿司」については達成できたと思う。

最初は量をこなさねばと思って一度に1合半とか2合とか炊いて喰っていたので、自宅寿司8回目とかでクリアした格好だ。

ただ本末転倒なことに、この達成水準の寿司は俺を満足させなかった。

何よりもわさびの風味が駄目だった。本わさび使用と大書された高級ラインでも、チューブわさび寿司に向かないと知った。

わさびの味自体問題があるというより、油脂などに由来する滑らかさが違和感の原因ではないかと思う。

脚を伸ばした遠いスーパーに本わさびのちょうどいい感じにすごく小さいやつが売ってはいたが、毎回それはしんどい

いろいろ試したが未だ納得がいっていない。粉わさびを都度練ると良いらしいので次はそれを試すつもりだ。

 

ネタは切りつける上では自由でいいが、買ってくるときは悩ましいことが多い。

一貫分のネタの大きさは解説する人によって千差万別で、総合すると10g~15g、シャリの量は10~20g

ばらつきが大きすぎて正直参考にする気が起きない。

おそらく職人の技としては狙った大きさで握れることが要諦で、何グラムにするかと言うのは店舗経営領域なのだろう。

時価寿司は客の様子で大きさを調節してるとかなんとか。

歴史的には、江戸屋台で売られてた頃はシャリだけで40gあってこれが右肩下がりで小さくなってるとか。

戦後の一時期に限れば米1合=10貫だったのでシャリは30~35gくらい(水分量による)だっただろうとか。

 

どっちかと言うと自宅寿司やる際に考えるのは、魚をサクで買うときに何グラム分買うかということである

何度か試した限りだと、俺が適当に握る場合「端っこを除いて」200gの刺し身に米1合使っているっぽい。

そしてこれは多分、この比率結構ネタが小さくて薄いパターンである

よく商品画像的なもので見る、ネタの先端が地に付きそうな寿司を握ろうと思うと、ネタをかなり増やして考えないといけないと思う。

 

アジイワシやその他の魚をまるまま買って捌く場合はまた考え方が変わる。

イナダを一匹買ってくれば小さいのでもデブ3人前くらいのネタが取れるので、下側の身は翌日塩焼きにでもしようか

みたいな悩み方をすることになる。

小さい魚の場合は魚体の身を2分割または4分割して考えることになる。

イワシなら手開きにして上身と下身それぞれ半分に切れば1尾から4貫取れるな、とか。

アジは血合い骨をいちいち処理したくないので、節を渡して半身から4貫取れればいいけど、そこまで大きくないならさてどうしよう、みたいな。

隠し包丁で骨を抜かずに切って済ませる、とかもあるみたいだがベストプラクティス発見できていない。

 

何れにせよ、分量的にも予算的にも、何種類ものネタを一回で準備するのは難しい。

どうしてもやりたければ刺身の盛り合わせなどを買うことになるが、用途からして寿司ネタ用ではないのでいまいちである

ただこれはバリエーションクオリティの向上で克服できる課題だと考えている。

要は今日寿司を食べよう、ではなく、今日はこれを握ろう、と考えるようにして、

その上で握った寿司満足度100円寿司10皿を超えていれば良いのである

あるいは冷凍庫に投資するのも一考の余地があるか。チルドで流通するサクを50gくらいに切り分けてからホームフリージングできれば理想ではある。

ただそこまで行くと引っ越すべきな気もしてくる。

俺はただ、わさび入りの寿司を腹いっぱい食べたいだけだったはずなのだが……。

2021-11-20

ふるさと納税

やったことなかったんだけどやってみようと思って返礼品何があるのか調べてみた。

結構前にアマギフ返礼品にしてて燃え自治体があったような気がするが、それはそれとしてほんとなんでもあるなあという印象。

食い物系が安定なんだろうけどいかんせん一人暮らしで消費しきれる気がしないので、とりあえず保存も効きつつ絶対必要な米のところを選んだ。

食い物以外ででなんかないかと思って色々見てたところ、波佐見焼セラミックコーヒーフィルター琴線に触れたので選んでみた。

よく考えたら農産物はもちろん、伝統工芸品的なものとかもとふるさと納税返礼品と親和性が高い事に気づいた。

個人的伝統工芸品興味あるんだが、わざわざ買うほどでもない(金銭的な意味でも置き場所的な意味でも)ところをふるさと納税という言い訳のもと買ってしまえるのが精神衛生上大変良い。

ちょっと気になっているのは肥後守

全然知らなかったがもう生産してるところ国内に1箇所しかないらしい。

そう考えると1万円の価値全然あると思う。

こうして色々返礼品を調べていると欲しい物が結構あって、なんで今までふるさと納税してなかったんだとちょっと後悔している。

2020-05-05

anond:20200504204251

なぜ「肥後守」なのか、検索してもわからんかった。

薩摩守忠度 は 平安時代武将平忠盛の六男で清盛の腹違いの末弟

当時は公共交通機関がなかったので、いじめられていたわけではない。

末弟を虐めたりしたら清盛兄ちゃんに攻められる。

2017-11-10

私に似てるなぁ

とある投稿を読んで、昔の私を思い出しました。

道端で殴られ蹴られの激しいいじめを受けていたときと、

それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。

最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。

その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます

死なないでね。

私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。

しかったら助けを求めてね。

てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。

辛いときには見えなくなっちゃうけど、

助けに来てくれる人、実はいるよ。

昔の私

誰のことも信じられなかった。

だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。

母のことも信じられなかった。

私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、

何もできなかったから。

ナイフって言ってもね、すごいナイフじゃないの。

当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの

肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生普通に買って使ってたようなもの

もう机にくくりつけて使う大型の安全鉛筆削りも普及していたけど、

まだナイフ鉛筆が削れる能力普通に求められていたと思う。

今の人だと感覚がわかりにくいかな?

ちびまる子ちゃん時代です。

そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。

動脈の近くだったし。

今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、

当時の私にそんなことわかるわけがない。

助けてもらえなかった

それしか頭に残らなかった。

もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、

帰り道はいつ襲われるか不安でならなかった。

学校にいるときも同じ。

安住の地とは思えなかった。

ものを隠されたり、ハブられたり?

まあ色々ありました。

本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。

全部悪い方に捉えちゃう

よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、

同じ世界のこととはとても思えなかった。

とてもじゃないけど信じられなかった。

護身用にビクトリノックスナイフを持ち歩いてた。

(念のため。

今そのナイフは持っていません。

持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式処分しました)

私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。

でも一応、持ち歩くのはやめました。

本当に誰のことも信じられなかったのよ?

誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。

それが変わったのは阪神淡路大震災ときでした。

被災地大勢の人が助けに向かったでしょう?

そのとき、アレって思ったのね。

あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。

すごくビックリした。

しかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。

その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。

オウム真理教教祖のことを連日テレビで報道してて、

あるとき彼の実験を知ってしまったの。

それは信者左脳破壊するものでした。

ショックだった。

私は人を信じられないけれど、それでも自分の子時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。

その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。

でも、必死になって働いてた。

その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。

別の言い方だとドッペルゲンガー

鏡のお化けかな。

見たら死ぬと言われるもう一人の自分

ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。

その時、それまでの自分が壊れました。

それで初めて人に助けてと言いました。

それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれ環境にいた人に助けを求めました。

信じてはいない人に助けを求めました。

それからいろんなことがありました。

もうとっくにその仕事はやめてます

まれ土地を逃げ出して、よその土地を回りました。

どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。

しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。

初めて人を信じることを覚えました。

で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。

それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。

大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。

それでも傷はうずく

精神安定剤が欠かせません。

なんで自分いじめ人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!

そんなことを考えると耐えられなくなるときもあります

でもね、辛かったときには思い出せなかったことがありました。

一度だけ小学生の頃に助けてもらえたことがあったの。

道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。

そのときたまたま私ショックで吐いてたのよね。

吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。

最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります

投稿の人、勘違いしないでね。

お前は助けてもらえたじゃないか自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?

うからね。

あなた投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?

助けてもらえないなんて嘘だからね。

信じられなくてもいいから助けは求めなさい。

助けは来ます

今の私だってあなたを助けるのに必死になってる。

効果があるのか、それとも逆効果なっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。

気づいてください。

助けは来ます

でもって傷ついたままでも、

あいうのが流行語になっても、

生きていけます

とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、

いのちの電話でもなんでもいいか電話しよう。

私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。

毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。

本当に助けは来るのよ。

うつヌケ?

そんなもん信じられなくてもいい。

助けは来る。

それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。

そうしたら少なくとも例数1確保できるから

何度でも言う。

助けは来る。

自分自身のことさえ信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

私のことも信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

から助けを呼ぼう!

2015-10-29

息子に殺されるかもしれない

15歳になる息子は刃物が好きだ。

いつもナイフの専門誌を買ってはため息をつきながら眺めている。

その時の彼は恍惚の表情をしている。

このままだといつか殺されるだろうなと、ぼんやりと考えている。

近所の小学校うさぎが殺された時、

まっさきに息子を疑ったが、それを口にすると

逆恨みされそうで言えなかった。

刃物には魔物が住んでいてね

と、うんちくを語ってくる。

適当に話をあわせているが、その時の彼は気分が高揚している。

普段はおっとりしている性格なのに、早口になるのですぐわかる。

ただではやられない。

今、ポケットには肥後守はいっている。

 
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