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はてなキーワード: 葬儀屋とは

2020-06-09

自分遺影いらすとやにしたい

本当は免許証写真いらすとやにしたいけどさすがにそれは無理そうなんで、

自分が死んだ時の遺影いらすとやにしたい。

無理かなあ?

法律にはひっかからないと思うけどなあ?

葬儀屋の人次第かなあ?

2020-05-15

anond:20200514150859

ゲイテーマのというより他のテーマの話でその中でゲイカップル恋愛してるのが見たいのかなという感想を抱いたのでカサデフローレスハウスオブフラワーズ)好きそうだなと思った。いけおじと頭がパーだけど見た目が良くて金持ちの息子のカップル

古いけどシックスフィートアンダー。面倒見のいい警官とウジウジした葬儀屋の息子。

モダンファミリー子育てに奮闘するカップル

2020-05-14

anond:20200514162552

COVID-19の情報を一切持たない葬儀屋ならそういうことも起こるかもしれんが

現実的にはありえないわな。

生きてる人間PCR検査すらまともに賄えないのに死人なんて賄えるわけない。

2020-05-03

コロナ時代こそゼロ

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000028599.html

ゼロ葬とは、宗教学者島田裕巳氏が2014年に出した著書「0葬 あっさり死ぬ」(集英社)の中で提起した葬法。

冠婚葬祭なんてよくわからず年長者の真似をしてそういうものだとなんとなく学び、特に葬式なんて葬儀屋やお寺の言うままアレコレと準備してホイホイお金を支払って終わらせる人が多いと思う。

葬式、お通夜なんてしなくていい、お盆の時期に墓参り掃除必要ない。そう言うと年長者は目を剥いて怒鳴り散らすか困惑したまなざしこちらに向ける。

私事になるが小生の嫁は昨年祖母見送り、今年祖父が後を追うように亡くなった。両者コロナではなく大往生だった。

身重の妻はコロナへの感染を恐れ葬式に行くことをかなり悩んでいた。

結果、かなり配慮してもらった様なので参加してた。

そもそもコロナが無くても、葬式なんてするべきものだろうか。

妻とよく話すのは「葬式は亡くなった人への生者の配慮」であり、感情問題とよく伝えていた。

から妻には交際から高齢祖父母とはよく話し相手の生きざまを聞くようにと言い聞かせていた。「彼らの価値観選択の仕方を今のうちに聞いておけ。そうして何か問題が起きた時に彼らならどういう答えを出すか、それが分かるまで話した方がいい」と。

妻はのちに「あの時はそんなもんかなと思って話してきてたけど、いざ居なくなった時にも寂しいけど心がだいぶ楽になった」と言っていた。

葬式というのは、精神的にお別れさせるための大掛かりなセレモニーなのだ

千の風になってという歌の歌詞

「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません」とある

本当にその通りだ。

そこには厳しい言い方だが愛する方の残骸しかないのだ。

場所によっては遺骨の引き取りも断れる。遠方で、もう高齢で、など様々な理由で墓に行けないことで罪悪感を感じずに済む。亡くなった人に今後の人生を拘束されなくて済む。

もちろん選択するか否かは一族の考え方もあるし価値観もある。小生は永代供養より墓そのもの葬式という儀式のものからの脱却をしてもいいんだという知識が広まればと思い書いている。

僧職なんですが、ね。

2020-04-22

おばあちゃんが死にそう 【追記】亡くなりました

少し気持ちが落ち着いたから今書く。亡くなった後だと書けないだろうから

おばあちゃんが大好きだった。長男教のジジイと違って自分に優しかった。両親共働きで寂しいときに遊んでくれたのはおばあちゃんだけだった。お手玉したり神経衰弱したりしてた。料理も作ってくれた。

おばあちゃんは常に癇癪起こしてるジジイの横にいて諌めてたりしてた。おばあちゃんジジイより先に老人ホームに入ったんだけど、ジジイしょっちゅう会いに行ってた。その時にジジイがおばあちゃん好きだったってようやくわかった。

おばあちゃん幸せだったのかな。田舎農家に嫁がされていびられるは夫は癇癪持ちフォローしなくちゃいけないわ、孫は一人も結婚しないままだわ…「孫が結婚するまで死ねない」って言っててすごく長生きしたのに本当にすみません兄弟全員モテないんです。

老人ホームに週一で面会行って親戚の人含めたら週三で面会行っててすごく元気だったんだけど、コロナのせいで面会行けなくなって元気なくなったみたいで入院になった。入院中も一切会えなかった。

今日にとうとうってことで電話きてようやく面会に行けたけどもう話せなかった。でも電話より実際は元気だからーってノリですぐ帰されたのに夜にまた電話かかって本当にヤバイことになった。会いに行ったけど常にアラーム鳴ってた。

悲しいことに生きてるおばあちゃんに会いたい人達は皆高齢だったり免疫低下する薬飲んでたりで、この時期に病院には来れない人しかいなかったから誰も面会に来ない。

親もコロナにかかってるかもしれないので病院迷惑かけられないから泊まれないで帰った。葬式するにしても超家族葬になる。家はど田舎から葬式盛大にやる地域だしジジイの時もめっちゃ大変だったけどジジイは喜んでるだろうなとは思った。

面会もされず、葬式にも人が来ないっておばあちゃん寂しいだろうな。本当にごめんなさい。

でもコロナにかかってたら葬式どころか最後の面会もなかったし、そもそも医療崩壊起きてるのかみたいなときコロナでもない90代を入院受け入れしてもらえるか疑問なので恵まれてたのかもしれない。コロナ家族亡くした人達に本当に悪いけど、そう考えなきゃおばあちゃんが可哀相すぎて嫌になる。ごめんなさい。おばあちゃんがそんなこと考えてるわけないから完全に自分エゴです。ごめんなさい。

書いてて辛くなったけど本当に死なないでほしい。コロナ終息するまで生きてほしい。親戚苦手だけどお通夜葬式も49日も一周忌も頑張るから迷惑じゃないから。100歳まで生きてよ。

本当にコロナさない。寿命だろうがなんだろうか知るか。おばあちゃん本当にごめんなさい。

9:45追記

葬儀の手配が終わりました。本当はこれを書いた30分後には容態が急変して病院に呼び出しされてたので、すぐ消そうかと思ったら1ブクマついてて残してました。今落ち着いて見たら優しい言葉たくさんついていてびっくりです。ありがとうございます

おばあちゃん増田やってるなんて言ったこともちろんなかったけど笑 今日はおばあちゃんにたくさん言葉もらったよって話しかけてみます

親父はおばあちゃんはあえてコロナの時期に亡くなったのかもよと言っていました。気を使う人だったので、家族葬だったり親戚呼ばなくていいこのタイミングを選んだのかも、と。そうかなー?

最後にすごくしょうもないことを書くんですが、葬儀屋さんが一番コロナ事情通なんですね。斎場同じなのは聞きたくなかった…

2020-04-19

anond:20200419225041

あるよ、だが政府に握り潰されている

都合の悪いことは忘れて揉み消すのが奴ら流だから

加計桜を見る会で学ばなかったのか?


だけど、明らかに現場では隠せていない。

葬儀屋が忙しくなってないか

感染者数が爆発的に増えているのに病院が未だベットに空きがあるのは何故か?

明らかに死者を隠蔽しているからに決まってるだろうが

anond:20200419210608

これまで死者計70人近くで、1日最大7人しか死んでないのに葬儀屋待ち起きるか?

anond:20200419205630

外出すると、至るところに死体袋。

それを回収する自衛隊トラック

河原で焼却される死体の山。

そんな光景想像していたのだが、

今だに葬儀屋パンクしていないのが現実

2020-04-12

感染症葬儀

最近ネットで新型コロナ葬儀関係どうのこうの見るので、昔ちょっと業界に噛んでいたのでどういう業界か話した方がいいかと思いました。

先に少し言っときますが数年前の知識なので改善されてることがあるかもしれません。

まず葬儀屋が感染症でなくなった遺体かどうかはわからない可能性が高いです。医者プライバシーを盾に教えてくれないということが前からあります

そんなバカなといってもそういうものです。

お前は嘘を言ってる!言われてもしょうがないので、過去そういう関係説明などされてるページがありますので参照していただきたいです。

http://www.zentou.org/knowledge/01.html

まあこのようにこれは業界でもわりと前から有名な話で、今回の新型コロナでも今までの状態から懸念を示してる人もいました。

これも一業者の方の説明ですが乗っけときます

https://with-house.jp/hokkaido/blog/2020/02/7453/

なんというかまあそういうもんです。

まあ、そもそもこの問題は前から話題になってるだけあって厚生労働省でも把握している話です。

なので当初はプライバシーはわかるけどさあって言ってくれてました。

https://web.archive.org/web/20200311173232/https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00004.html#Q21

こんな感じですね。教えることに留意してくださいってまあ強制ではないわけですよ。

さてここで問題です。なぜアーカイブを貼ったか

と言うと、3月の半ばから後半にかけてこの文言がかわるんですね。

じゃあ最新のは?というと、はい

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00004.html#Q23

伝達を徹底しろってかわってますね。一部自治体とかは前の留意のまんまだったりするけど厚生労働省はこう直しました。

まあ察してあげてください。

こんな感じで感染症葬儀についてざっとしましたが、怖いってのはしょうがない感情だと思いますけどね。

週刊誌名前だしている葬儀社の人が怖いって言ったら、そういう人に向かって嘘松いうような人を見たから、まあこういう事情があるんですよって知っておいてもらいたいです。

2020-03-31

こういう時オンライン葬儀がすぱーっと開発できればいいんだけど

やるとしたらzoomで参列者のみんなにスマホPCで参加してもらうかたちかなー。

ご焼香や納骨は一人ひとり画面に自分うつしてからの、スタッフがかわりにやる感じで。

システム開発というより手順とかzoomレクチャーを考えるのが主になりそう。

興味ある葬儀屋さんいないかな?

2020-03-16

anond:20200316135222

それ言ったら死ぬときも子や孫や医者葬儀屋なんかがいて一人じゃないじゃん。物理的に誰が周りにいるとかの話じゃないでしょ。

2020-02-18

現役葬儀屋が敢えて今伝えたいこと

今だからこそ伝えたいことがあるので、ここに記す。

遺体の長距離搬送料金の目安はKmあたり500円

増田の勤める会社は、おおむねこの料金で請け負っている。

他社に依頼した場合も、だいたいこのくらい。

東京名古屋間で搬送したとすると、17万円くらいかかる感じ。

あくまでも目安なので業者によって多少の前後はある。

身内が遠くで亡くなって運ばなければならない場合の、料金の参考にして欲しい。

10分前行動でお願いしま

訃報を受けた際、通夜火葬葬儀のどこに参列するかは地域差が多い。

ちなみに増田の勤める地域は、火葬に一番人が集まる風習だ。

どのタイミングで参列するにしても、開始時刻より10分くらい前に会場に到着して記帳を済ませて欲しい。

つの面倒だし直前に着いてもいいのではないかと思うかもしれない。

しかし、参列者の多くがそのような考えだと、開式直前に記帳所に人が殺到してパンクする。

その結果、進行が遅れることもありうる。

ただでさえ悲しみの中で次々と意思決定をして儀式を行わねばならないご遺族、中には進行が遅れたことが大きな心理的負担になる方もいらっしゃる

早めの行動は、ご遺族への心遣いにもなります。いつもより気持ち早めに行動するようにお願いします。

ネイル好きは黒いレース手袋を用意しておくとよい

ネイルを華やかにしている人も多いと思う。

身内でもない、知人程度のの葬儀にほんの1時間ほど参列するくらいでいちいちネイルまで落としてられないだろう。

そういう場合、黒で手にフィットするタイプレース手袋を装着すると、爪が目立たなくてスマートだ。

一双用意しておくとよいのではないかと思う。

2020-02-05

暖冬になると葬儀屋が潰れる

ヒートショックで死なない

雪下ろしで死なない

雪崩で死なない

凍結で事故がない

 

全部、暖冬のせいだ

2020-01-28

anond:20200128204422

現役葬儀屋増田だけど、実際に事前に準備しないと疲弊と後悔しかのこらないんだよね。

長い介護や闘病の果てでも、急な不幸でも、遺族は精神的に参っていて判断力が低下していることにことにかわりはないし、

そこに漬け込むあくとく業者跋扈している業界なのは、残念ながら真実だし。

故人本人を含めて事前相談をしていた場合と、前回の葬儀反省点を踏まえて葬儀屋セールストークに流されない選択をした場合は、

納得する確率が高いように見受けられる。

2020-01-08

anond:20200108172012

葬儀屋ってのは、たとえ商業化されていても宗教家だし、宗教家であるべきなので、宗教者が倫理自明として語っているのは別に悪いことじゃあないと思う。

 

宗教に属さな元増田が、「なぜ彼のような宗教はそれを『人としてやってはいけない』と言うのか」を考えればいいんじゃない

2020-01-02

後期流産がきつかったので書く

昨年、2度目の流産をした。

妊娠初期で流産する人は、1/3とも言われ、私も経験がある。

ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、

体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。

けれど、今回は妊娠中期19週での「後期」流産

22週以降は、基本的中絶禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。

から胎児の体がほぼ完成に近づいていた頃でもあった。

一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。

12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。

お金も同じようにかかる。死んでるから死産届も出さないといけない。火葬必要

誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。

そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。

そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。

流産について

妊娠初期の流産や異常は、胎児側の問題であることがほとんど。

無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人自分を責めないでほしい。

私は、義母に無理しすぎたか流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。

実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。

そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。

色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実運命を受け入れるしかない。

から、周りの人は、安易自分意見押し付けるのは気を付けてほしい。

育ちが遅い?

9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。

年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。

そこはより詳しく、1時間くらいかけて診察してくれた。

トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。

(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)

原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。

体調の変化もろもろ

毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。

つわり食事

まず、つわりで常にムカムカ。食欲でない。

口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。

妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。

<血流1.5倍>

血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。

例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。

それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。

まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み

電車バスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み

<頻尿>

お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。

免疫低下と持病いろいろ>

赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、

から、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。

風邪悪化アレルギーによる咳喘息に。

むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。

それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。

さらお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。

肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。

目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。

口の中がべとつくせいか虫歯悪化。何もかもボロボロに。

<不眠>

体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。

とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。

当然日中回復どころか体力奪われて朝から毎日ぐったり。

夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。

病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。

むくみ

色々辛かったけど、一番はこれかも。

もともと浮腫やすい体質なんだけど、無理をするとお腹パンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。

職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)

下痢便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。

つわり気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。

仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。

仕事

仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。

しか夕方には体力ががくんと落ちて、ぐったりしがち。

頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないか妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。

義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。

自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。

流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。

まだ伝えられていない。

その後も育たない

いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的胎児成長曲線からは外れてしまっていた。

1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。

普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。

知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから

ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療病院に通っての妊娠なので、ずれはない。

病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。

中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。

2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。

染色体異常

専門病院で教えてもらって、遺伝子についても勉強になった。

から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。

数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。

例えばダウン症21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的障害だ。

私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。

胎児の死亡確認

話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。

しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。

いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。

胎児は動いておらず、死亡が確認された。

こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。

夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)

超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。

頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。

すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院10日以上先になってしまった。

体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。

妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。

入院処置葬儀死産届けの手続き

初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。

1日の入院なので、日帰り。

鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。

しかし19週での処置は、出産と同じ扱いなんだ。

から、分娩なの。

もちろん、流産専門の病院なんてないから、普通産婦人科

キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。

そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。

まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。

お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…

初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。

心身、お金、なにもかも、ダメージしかない。

理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。

監獄へ入って拷問を受けるかのような心持ちで、入院

入院1日目>

から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。

本当に4人部屋でいいですか、はい、と言ったものの。

聞くと、普通出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。

赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。

それはさすがに今の精神状態きついと思った。

個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望

他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。

2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。

子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。

鈍痛で動けず。なぜか突然何度も吐いてしまって食事も取れず。

体が拒絶しているんだろうか。

この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。

入院2日目>

昨日に続き、さら子宮口を広げるために、棒を追加される。

激痛。この日から静脈麻酔

しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。

吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。

翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。

入院3日目>

AM処置

静脈麻酔で、棒を全部取る。

分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。

プラス15万とかするけど無痛分娩でお願いした。

猫のように丸まるように言われる。

背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。

位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。

陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。

ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。

これが陣痛か、、、と思った。

やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。

どろどろにゅるにゅるしたあったかものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。

あの生暖かい気持ち悪い感触は、一生忘れないだろう。

その後、また静脈麻酔意識朦朧

残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。

その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。

やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。

出産時、赤ちゃんを見る勇気は、私にはなかった。

あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも成熟状態かつ人間死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。

でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。

PM葬儀対応

遅めの昼ごはんをとったあと、葬儀屋がくる。

火葬をしてもらい、死産届を出すためだ。

子供名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか

などなど。

まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。

名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!

そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事から必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。

市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。

火葬も含めて、十数万。もちろん自己負担

ぐったりして色々終わったあと、同じ部屋に急遽入院患者

若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。

夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。

赤ちゃん心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。

<4日目、退院

体調も大分マシになってきて、順調につき退院OKとなった。

事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。

夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。

帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。

その後

仕事と体調の回復状況>

休日含んで入院たから、仕事は3日しか休まずすぐ復帰。

職場には、急遽ちょっと手術で。ということにした。

ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。

何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。

骨盤内臓位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。

妊娠運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。

一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。

二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。

階段や坂も、徐々に登れるようになった。

しか骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。

休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。

<安置されたお寺へ>

1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。

本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。

夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。

それを見たら、涙が出た。手を合わせる。

家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝気持ちしかなかった。

天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。

染色体検査

結果が出るまで1ヶ月以上かかった。

結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。

身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。

いずれにしても、生まれても育たないものだったってこと。

女の子だったこともわかった。

お金

結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体遺伝子精密検査も含んで。

出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。

おわりに

これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。

何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。

友達幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。

まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。

席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。

おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。

お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。

無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。

子育ていかもしれないけど、私からしたらそれすら羨ましい。

子供大事にしてあげてほしい。

妊婦の夫である人へ。

本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。

過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。

最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。

悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。

体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。

とりとめなく長々書いてしまったけど、読んでくださった方ありがとう。*誤字直しました

2019-12-12

ビースターズ世界観感想

肉食が虐げられている社会と言うのを見たら不思議になる。

かに肉食は禁忌だけど、虐げられているかな。

肉食はたまに草食の肉を食べないと頭が変になる。

たまに草食は肉食に食い殺される。

草食の死体葬儀屋病院横流しして裏市で食料品として売買され、大人になると大半の肉食が食べている、草食も暗黙の了解で知っている。

さらに闇の世界では草食は生き餌として飼育もされる。

草食から肉食へはかなりの譲歩がされている。

仮に今の世の中に人食い鬼が人口の半分居ると仮定して、たまに人間が食い殺されたらもっと恐怖してしまいそうだし、自分達の親族を食ってるかもしれない奴らと普通に接する事はできない。

2019-11-01

愛する人の亡き後、遺体からタトゥーを切除して壁掛けに加工するアートワークサービス葬儀屋提供アメリカ

人は、故人の遺灰や遺骨を骨壺に入れてマントルピースに置いたり、愛する人の名を彫った墓石を訪れたりするでしょう。それなら、思い出としてタトゥーを残す方法があってもいいのではと思いました。

タトゥーをしている人はそれぞれですが、中には大きな意味を込めてそのタトゥーを彫る人もいます

そして、家族にとっても愛する人タトゥーは、意味ある感傷的な価値となります。そんな思い入れのあるタトゥーを、“アート”に変えるサービス私たち提供しています

http://karapaia.com/archives/52283886.html


日本では、タトゥー反社のしるしだもの世界とはまるで違う文化やね

2019-10-09

父親が死んでトラウマができた話


もう15年以上前、私が小学6年生の11月。

学校が終わって帰宅して自分の部屋のある二階に駆け上がった。

自分の部屋の隣は父親の部屋で、鬱で療養中の父親は眠っていない限りおかえり。と笑顔で言ってくれた。

この日は何も言ってこなかった。

父親が大好きだった私は、何も言われない日はきまってドアの下の隙間をのぞき、部屋が暗いこと(当時の私の思考は部屋が暗い=寝ているだった)を確認した。

夕日がさしていたので真っ暗ではなかったが、薄暗かったので寝ているだろうと思い、そっとその場を離れた。

ところが晩ご飯時間になっても父親は起きてこない。

しびれを切らした母親が起こしに行ったが、帰ってこなかった。

母親叫び声が響き、一緒に住んでいた母方の祖母祖父が二階へと駆け上がっていった。

一人置いていじゃれ戸惑う私に祖母は、

「お父さんもうだめかもしれない。目が真っ赤なの。」

そう言って慌ただしくまた二階へと駆けていった。


父親は首をつって死んでいた。

その後は何が何やらわからぬまま警察消防が来て、葬儀屋が来て、親戚が来て、

よくわからないまま終わっていった。

なぜか棺の前で親戚にピースをさせられ写真を撮られたことと、怖くて骨が拾えなかったことはよく覚えている。

しばらくしてから遺品を整理し始めた。

当時は母親も鬱で、よくヒステリックを起こしていた。

そんな母が嫌いだった。

そんな母と二人で大好きでたまらない父親の遺品を整理しなければならないことがとてもつらかった。

逃げれば捕まえられて殴られることが分かっていたので、おとなしく遺品の整理を手伝った。

手帳を見つけた。

中身がなにもないなら破棄するといわれたので、ページをめくって確認した。

一番最後のページだけ、一言だけ、大好きな父親の字で書き残されている言葉があった。

そこには、

(母の名前)、ごめんな

とだけ書き残されていた。

私は、父親に見放された。

大好きだったたった一人の父親に見放された。

子供ながらに頭を大きな金棒で殴られたかのようなショックを受けたことを覚えている。

父親は、私のことなどどうでもよかったんだと思う。

今でも、トラウマ

2019-07-08

今年のプリキュア家族

キュアスター 父:大学教授 → ミステリーハンター 母:漫画家

親共に本も出版しているので、印税等の収入はありそうだが、現時点の収入は少なそう(父親は恐らく無収入母親も連載久しぶり)

父方の祖父母は何か仕事をしているようにも見えないので、同居しつつ大学教授時代の蓄えを切り崩している可能性も

キュアミキー 父母共に不明

きっと物語キーなんだろう。

キュアソレイユ 父:花屋 母:通訳

メキシコ人計画性を問うてはいけないだろうが、なんとなく自転車営業雰囲気葬儀屋ホテル、各種企業契約しているやり手の花屋かも知れないが、なんとなくそうじゃない気がする。母親頑張れ。通訳も決して高給では無いが。

たぶん終盤にソレイユはグレるし、きっと甘えさせてくれる男性にコロッと騙されそう

キュアセレーネ 父:政府関係 母:ピアニスト

いつもの金持ち枠。ただ父親部署島流し臭が凄い。毒親だし、頭でっかち天才型が結婚した一番やばい例かも。

きっとセレーネも終盤グレるし。きっと婚期逃すか、愛のない結婚しそう

キュアコスモ 父母居るの?

石になっているのかもしれないが、そもそも皆は全て一つみたいなこと言っているので家族的な考えがあるかも不明。もしかしたら性別も超越しているかも知れないので、生えている可能性も

2019-07-01

anond:20190701163539

線香を上げたくらいでケアにはならんぞ。葬儀屋に騙されてる。

2019-06-29

さよならが言えない(1)

母が自殺した。

もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。

残暑の厳しさが残る、9月下旬の早朝。

滅多に電話がかかってこない私の携帯に着信があった。

いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。

父の第一声は、「お母さんが自殺した」。

え?お母さん?自殺?え?

一瞬にして混乱の海に投げ出される。

父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。

鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。

切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。

夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。

とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。

夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間実家に行くことになった。

私はタバコを吸うのだが、母はタバコタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコ匂いを落とした。

気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。

長い道中の事も憶えていない。

義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。

実家のある団地群に着き、階段を噛みしめるように登る。

母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。

しばらく泣いて落ち着いたところで、居間テーブルに用意された席についた。

ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。

父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。

なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合救急車には乗せられないルールがあるらしい。

そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。

母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。

早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。

夕方警察署からの連絡で、母の遺体収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。

涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。

「妻っていう字が思い出せない、書けない」

ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。

叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。

必要最低限の言葉けがかに流れる

刑事さんが書き終えた書類確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。

私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。

首には吊った後が残っているのであろう。

首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。

枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。

遺体を見て、事実を認める私と認めない私が行き来する。

これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。

母は自分の兄を自殺で亡くしている。

父も幼少時に祖父(父の父)を自殺で亡くしている。

母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。

私はその言葉に助けられていた。

長い期間、学校いじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。

でも、その母が自殺を選んだ。

母はパーキンソン病で、近い将来介護必要になる事を嫌がっていた節があった。

自分の両親の看病で苦労したからだろう。

その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。

遺書が無いから、そう想像する事しか出来ない。

からって、勝手過ぎる。

苦労かどうか決めるのは私達なのに。

母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。

それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。

母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。

実際はそうじゃない。

私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。

その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。

家族死化粧では消せない死斑。

人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。

今思うと、あの時は父のサポート必死だった。

過去の心の傷と仕事ストレスで鬱になった私は、抗うつ剤睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。

父と母に会う時間の合間にかかりつけ医臨時でかかって、強い抗うつ剤睡眠薬を処方して貰った。

葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。

それだけで動いていた。

2019-06-09

孤独死したらすぐわかるように

体にマイクロチップとか埋め込んでおいて、死んだら消防役場葬儀屋自動的通報される仕組みとかあればいいんじゃないかと思うけどどうだろ?

他の人は気分悪いかもしれないけど、自分だったらかまわんよ。

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