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ゼロ葬とは、宗教学者の島田裕巳氏が2014年に出した著書「0葬 あっさり死ぬ」(集英社)の中で提起した葬法。
冠婚葬祭なんてよくわからず年長者の真似をしてそういうものだとなんとなく学び、特に葬式なんて葬儀屋やお寺の言うままアレコレと準備してホイホイお金を支払って終わらせる人が多いと思う。
葬式、お通夜なんてしなくていい、お盆の時期に墓参りも掃除も必要ない。そう言うと年長者は目を剥いて怒鳴り散らすか困惑したまなざしをこちらに向ける。
私事になるが小生の嫁は昨年祖母を見送り、今年祖父が後を追うように亡くなった。両者コロナではなく大往生だった。
身重の妻はコロナへの感染を恐れ葬式に行くことをかなり悩んでいた。
結果、かなり配慮してもらった様なので参加してた。
妻とよく話すのは「葬式は亡くなった人への生者の配慮」であり、感情の問題とよく伝えていた。
だから妻には交際中から、高齢の祖父母とはよく話し相手の生きざまを聞くようにと言い聞かせていた。「彼らの価値観や選択の仕方を今のうちに聞いておけ。そうして何か問題が起きた時に彼らならどういう答えを出すか、それが分かるまで話した方がいい」と。
妻はのちに「あの時はそんなもんかなと思って話してきてたけど、いざ居なくなった時にも寂しいけど心がだいぶ楽になった」と言っていた。
葬式というのは、精神的にお別れさせるための大掛かりなセレモニーなのだ。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません」とある。
本当にその通りだ。
そこには厳しい言い方だが愛する方の残骸しかないのだ。
場所によっては遺骨の引き取りも断れる。遠方で、もう高齢で、など様々な理由で墓に行けないことで罪悪感を感じずに済む。亡くなった人に今後の人生を拘束されなくて済む。
もちろん選択するか否かは一族の考え方もあるし価値観もある。小生は永代供養より墓そのもの、葬式という儀式そのものからの脱却をしてもいいんだという知識が広まればと思い書いている。
僧職なんですが、ね。
個人的には命が付きた瞬間消えるようになくなれればいいと思う まぁそれは無理だから出来るだけ早く火葬して欲しい 鼻に何か詰められるとか我慢ならない